「新・プロジェクトX」、夢の架け橋、明石海峡大橋建設秘話の
続き。原口神戸市長の「夢」を実現した技術者たちの話である。
まずは「パイロットロープの渡海」。主塔が完成しいよいよ橋桁
を吊る鋼索張りである。まずパイロットロープと呼ばれる細い鋼線を
「船」で渡して張り、これを使って順次本番の鋼索を渡せるような
太い鋼線にして行く。
しかし、一日1500隻もの貨物船が通る明石海峡を船で横切るのは
至難の業、というより危険である。そこで吊り橋工事では初めての
ヘリコプターを使うことになった。
40歳を少なからず過ぎそろそろ現役引退かと思っていたベテラン
パイロットの朝倉に白羽の矢が立つ。引退の思い出にと「ヨッシャ」
と引き受けたが当日は強い風。
強風にあおられながら順次後ろに伸びていく鋼線に引っ張られる。
「後ろ髪を引かれる思い」なんて言っている場合ではない。ガタガタ
と揺れる機体をコントロールしながら進むのに必死である。
約10分の格闘の末に着いた高さ300mもの主塔の上。橋梁鳶たちから
端部を固定した合図を受け、ドラムの鋼線を断ち切ってっやっと自由の
身になる。やり切った!見守った工事事務所で歓声が上がった。
何となく大学を卒業し家に近いからと製鋼会社に入った穐山(アキヤマ)。
残業なんかする奴はバカだと、常に定時退社して遊んでいた。生意気な
言動などが祟り、社内でもマイナーな、吊り橋工事もする鋼索部門に。
上司の三田村は「あかんやん」の決まり文句で部下たちの拙い仕事に
ダメ出しをするが決して教えない。自分で考えさせた。
「あかんやん」を封じて見せる。残業もしなかった穐山が昼休みにも
読み耽ったのはあの技術屋の神戸市長、原口の「調査月報」だった。
明石海峡大橋の建設が決まり、素線37000本を束ねた直系1メートルの
鋼索が9万トンの橋桁を吊ることになった。それまでは数本~10本ずつ
渡した鋼線を手作業で束ねる方法だったが、三田村は100本を束ねた鋼索
をドラムから巻き出して対岸に渡す工法を編みだしていた。
しかし全長4キロ、主塔間2キロという世界一の長さに応用できるか
は未知数。ドラムからの巻き出しを実験しておけと言い残し、三田村は
奈良県の吊り橋工事の監督に出かけた。
実験では途中までは良いが次第にバラけはじめ、遂にはバラバラに
なった。三田村は穐山に解決方法を考えさせた。「あいつなら出来る」。
いつしか三田村と穐山は周りから「師弟」と呼ばれていた。
大型トラックで運べる限りの大きなドラムにすれば長くてもバラけ
ないことを発見した。合計580回巻き出された100本の束は長さ4キロ、
直系1mの主鋼索となり、9万トンの明石海峡大橋を吊った。
穐山は遂に三田村の「あかんやん」を封じてみせたのである。
江戸川散歩、帰り道の花たち