壬生(ミブ)道最初の宿場、飯塚宿に入ったところ。大きな敷地の
入口の棟門。ひょっとしての思い通り、本陣の札が掛かる。壬生道は
日光街道脇(西)往還とも言うから「日光街道」でも可なり。
街道を進むと今度は大きな屋敷の入口に立派な薬医門が立つ。
ここも本陣か脇本陣だったかと思うが特に表示はない。
因みに本柱2本に屋根が載った門が棟門、本柱の後ろに控え柱
があるものが薬医門、本柱4本が四脚門である。薬医門は医院の
門の多かったからというが諸説あるようだ。四脚門はお寺さんの
山門に多い。
飯塚宿も終わりあたりの台林寺の交差点を右折すると、栃木県で
最大の琵琶塚古墳、それに次ぐ摩利支天古墳などがある飯塚古墳群
である。まだ9時半なので寄り道することにする。曲がってすぐの
道脇にあるのが飯塚三十五号古墳。
高さ4.5m、全長40mの前方後円墳の後円部。飯塚古墳群の小さな
ものはの多くは耕地化により崩されてしまったが、この三十五号は
台地の縁にあったので一部が残ったと書かれる。
緩やかな坂道を奥に進むと馬頭観音などの石仏がまとめられて、
琵琶塚古墳、摩利支天塚古墳への道標が立つ。まずは右手の摩利
支天塚古墳に向かう。
左手の茂みの奥に摩利支天塚古墳が見えて来てやがて入口に着く。
摩利支天塚古墳は全長117m、幅40m、後円部の高さ10m。自然の
微高地を利用し、幅20mの周湟(シュウコウ)が掘られているという。
「湟」は溝の意で周溝ともいう。長い石段の上の摩利支天宮はパス。
次の琵琶塚古墳は民家脇の細い道の奥。古墳の脇を進む道は
次第に怪しくなり引き返す。本業は街道歩きである。
県道18号の壬生道に戻り先に進む。琵琶塚古墳の北側に見えるのは
造成中の前方後円墳!?
その奥に見えるのは筑波山だろう。裏(北)から見るので三郷から
見るのとは逆、右が男体山、左が女体山。
間もなく飯塚一里塚の東西(左右)両塚が見えて来る。日本橋
から二十二里目。木(榎ではなさそう)が立つ右塚の口碑は掠れて
読めない。
飯塚一里塚の先で小山市から下野市に入る。右手の大きな茂みは
万葉植物園だろう。続きは次回。