東京電力は福島第一原発事故と同様に、今回の長時間停電も
「想定外」と言うのだろう。
老朽化した送電塔や電柱の放置、火力発電所の防災(台風)
対策の不備・・・、親方日の丸企業の傲慢がその底に見える。
さて、今月5日の午後、瑞巌寺の手前にある円通院に満足
した後、茶店で一服休憩してから瑞巌寺に向かう。
東日本大震災の津波は、松島の島々のおかげで威力が減り、
この松島湾の奥では数メートルの高さに留まった。到達点は
海岸沿いの道路から伸びる参道のほぼ中間で、本堂などへの
浸水はなかったと言う。
平安時代の創建以降、天台宗から臨済宗の禅寺へと変わる
鎌倉時代の騒動など幾多の盛衰の後で荒廃した瑞巌寺を再興
したのは江戸初期の伊達政宗。
平成の大改修が終わった瑞巌寺には、脇の庫裏から入る。
政宗はこの瑞巌寺を戦時の砦として位置づけたため、庫裏
(台所)の煙出しも物見櫓の機能があると言う。
残念ながら内部は撮影禁止。絢爛豪華な屏風絵などは
紹介できない。中から外を撮ったものだけ。
宝物殿を見てから、この日の最終便で松島遊覧することに
して埠頭に向かう。約千本あったという杉並木は、津波の
塩害で枯れた三百本が伐採されたという。
参道の左手、鉄道殉職者慰霊塔が目立つ。脇には機関車の
大きな車輪が置かれる。
山門手前の洞窟遺跡群は、一番古い供養塔が伊達政宗に殉死
した佐藤内膳吉信の供養塔であることから江戸初期に掘られた
ものとされている。
海岸道路から山門を振り返る。シートの中は震災被害を
受けた観月楼が復興工事中。
一旦遊覧船埠頭に行ってみるが16時の遊覧船まで30分
ほどあるので、山門前の店で生ビールを飲んで過ごす。
その松島遊覧の様子は次回。