友よ一時の快楽を貪るな(朋朋不要貪一時歓采)
友よ一時の安定を貪るな(朋朋不要貪一時苟安)
早く戻れ(要尽快地回去)
民衆の心に火を点けよ(把民主的火把点燃)
生まれたところを忘れるな(不要忘了我們生長的地方)
それは山の向こう(是在山的那一辺)
山の向こう(山的那一辺)
(♪「私の家は山の向こう(我的家在山的那一辺」)
今年はテレサ・テン(中国名:鄧麗君)の没後25年。先日、
BS放送でその追悼番組を観た。
日本で2曲目の「空港」でレコード大賞新人賞を獲ったが、
日中国交正常化の影響による「偽造パスポート事件」で日本を
離れ、アメリカに渡る。
軍の広告塔になることで台湾政府に赦免され、その活動後に
再来日。愛人、つぐない、時の流れに身をまかせの連続ヒット
で念願の「紅白出場」を果たす。
テレサ・テンが両親出身地で自分のルーツと言っていた中国
本土では「昼は毛沢東を読み夜はテレサ・テンを聴く」と言わ
れるほど密かにテレサのカセット・テープが流行り、民主化の
流れの中、中国本土でのコンサートも実現しそうであった。
しかし、長期のハンガーストライキなど、学生たちの民主化
運動が激化する。その思いに感動、共感したテレサは請われて
当時住んでいた香港でのチャリティコンサートに出る。
「民主萬歳」の鉢巻き、Tシャツの胸には「反対軍管」と
書いて歌ったのが、冒頭の「私の家は山の向こう」である。
曲調は叙情歌のように静かだが、歌詞はまさに学生たちへの
応援歌、アジテーションである。
この後で起きたのがあの「天安門事件」。テレサは哀しみに
沈む。そして42歳の1998年5月、持病の気管支喘息の悪化で急死。
交通渋滞による救急車の遅延と言われるが、その死因については
「諸説」ありである。
散歩の花たち