2月22日から、3月26日までの巡礼を終えました
約500キロ
最初は、ちみょん自身モチベーションが低く、その上初日、嵐の中を30キロ歩いたのが響き、彼女が足を痛めたのでなかなか前に進むことができず、二人一緒にいながら僕もイライラしたりして、すれ違いの巡礼期間でした
しかし、巡礼を始めて10日過ぎたある日、どうしても足が痛くて歩けないとちみょんが言って来て、その日だけ、病院のある町まで22キロ、最初で最後のタクシーに乗りました
その日ゆっくり二人で休養して、お互いの気持ちを話し、心も体も癒された状態からまた歩き始めました
そうか、このように僕らは僕らのペースがあるんだと、気づいた
また、僕が彼女をきちんと理解しようとしていなかったことに気づきました
この旅行は、ベトナムから始まり、いろんな国を回ったが、よくちみょんとはすれ違った
そのときは本当に淋しかった
世間で言う「成田離婚」とは、なにかと思うと
多分このように旅行中は特にパートナーが自分とはまったく違う人であることに気づけるチャンスでもある
しかし、そこですれ違いが起こりやすい
一般の新婚旅行は時間的に期間が短いので許しあうことも話し合うこともできず、すれ違ったまま日本に帰ってしまうことなのかなと思った
僕らは何度もすれ違ったが、結果的に何度も許しあえたと思う
そのための時間だったように思う
リフレッシュしてそこから平均一日20キロ
午前10キロ午後10キロと、ほかの巡礼者と比べたらとても遅いペースでゆっくり歩きました
平均時速3キロ~4キロ
ほかの巡礼者にどんどん抜かれていくスピード
僕らは僕たちのペースでいいんだ
と、ゆっくりゆっくり歩く
レオンで出会った日本人の大場くん
彼は元チャリダー、自転車旅行をこの上なく愛した人でした
自転車旅行の醍醐味は、下り坂だったようです
しかし、四国のおへんろを彼は体験して歩く醍醐味を知ったようです
歩くということは、飛行機よりも、新幹線よりも、電車よりも、車よりも、自転車よりも、歩く方が、その場をゆっくり進むので、通り過ぎながらも、そこに何があったか「知る」ことができる
といえばいいのか
そんな風に思えた
それに、遠く離れた土地を「歩く」とは
日本の分刻みの生活から離れ、日本の社会がどのように進んでいるかの情報も知らずにいるので、自分たちが「歩く」という行為をしなければ、すべて止まってしまう
自分たちが歩かないと進んでいない、ということだった
日本の生活では、自分が何もしなくてもいろいろなことが勝手に進んで行き、自分が何もしなくても進んでいる錯覚になる
しかし、この巡礼は、二人が歩かなければ何も進まない
これが僕にとってすごい体験だった
なので、いつもちみょんに「先があるって良い事だね」と呪文のように唱えていた
最善の矢印もなく、先も見えないことがほとんどの日常生活の中
この巡礼路カミーノは、黄色い素敵な矢印がいたるところに、そして、どこまでもどこまでもいつまでもいつまでも続く道があり、そしてその先にはゴールがある
サンティアゴまで何百キロも前なのに、道を間違えたら、村や町の人が必ず「こっちじゃないよ、そっちだ」と声をかけてくれたり、宿泊所のアルベルゲでは、本当に親切に迎えてくれたり、道行く人や、BARのおじさん達が、「ブエンカミーノ」と声をかけてきてくれたり、車のクラクションでしょっちゅう応援までしてくれた
午前と午後では景色や天気が変わり、10日後には気持ちも変わり、20日後には標高や言葉までも変わり、山を降りて30日後には季節までも変わっていた
素晴らしかった
その一言
そして、この巡礼を必ず、引きこもりや、社会に出にくい生きづらい人たちと歩きたい
と、心から思う
今から出会う彼らに一緒にその感動を分かち合いたいと思う
そして、いつかもう一度ちみょんとまた歩きたいと思う
それよりも、あれしたいこれしたいと、わがままばっかりの亭主に必ず一緒にいて来てくれた事に、今更ながら感謝したい
そして、ちみょんと僕のお父さん、お母さん、このような期間を許してくれて本当に感謝しています
僕は、また明日からでもまた巡礼路のサンティアゴ・デ・コンポステーラ・カミーノを歩きたいと思っています
ということで、矢印とゴールが実は存在する日本の生活の「カミーノ」が今から始まるんですね
サンティアゴの町への入り口に虹がかかりました
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂
到着!!!
サンティアゴコンポステーラの中
巡礼者を迎えるミサの様子
巡礼中であったアントニオおじいさん
僕の花嫁さん
僕の奥さん
僕の新妻
僕の最愛の妻
ヤコボ像と僕のちみょん
僕の…ダレ??????
約500キロ
最初は、ちみょん自身モチベーションが低く、その上初日、嵐の中を30キロ歩いたのが響き、彼女が足を痛めたのでなかなか前に進むことができず、二人一緒にいながら僕もイライラしたりして、すれ違いの巡礼期間でした
しかし、巡礼を始めて10日過ぎたある日、どうしても足が痛くて歩けないとちみょんが言って来て、その日だけ、病院のある町まで22キロ、最初で最後のタクシーに乗りました
その日ゆっくり二人で休養して、お互いの気持ちを話し、心も体も癒された状態からまた歩き始めました
そうか、このように僕らは僕らのペースがあるんだと、気づいた
また、僕が彼女をきちんと理解しようとしていなかったことに気づきました
この旅行は、ベトナムから始まり、いろんな国を回ったが、よくちみょんとはすれ違った
そのときは本当に淋しかった
世間で言う「成田離婚」とは、なにかと思うと
多分このように旅行中は特にパートナーが自分とはまったく違う人であることに気づけるチャンスでもある
しかし、そこですれ違いが起こりやすい
一般の新婚旅行は時間的に期間が短いので許しあうことも話し合うこともできず、すれ違ったまま日本に帰ってしまうことなのかなと思った
僕らは何度もすれ違ったが、結果的に何度も許しあえたと思う
そのための時間だったように思う
リフレッシュしてそこから平均一日20キロ
午前10キロ午後10キロと、ほかの巡礼者と比べたらとても遅いペースでゆっくり歩きました
平均時速3キロ~4キロ
ほかの巡礼者にどんどん抜かれていくスピード
僕らは僕たちのペースでいいんだ
と、ゆっくりゆっくり歩く
レオンで出会った日本人の大場くん
彼は元チャリダー、自転車旅行をこの上なく愛した人でした
自転車旅行の醍醐味は、下り坂だったようです
しかし、四国のおへんろを彼は体験して歩く醍醐味を知ったようです
歩くということは、飛行機よりも、新幹線よりも、電車よりも、車よりも、自転車よりも、歩く方が、その場をゆっくり進むので、通り過ぎながらも、そこに何があったか「知る」ことができる
といえばいいのか
そんな風に思えた
それに、遠く離れた土地を「歩く」とは
日本の分刻みの生活から離れ、日本の社会がどのように進んでいるかの情報も知らずにいるので、自分たちが「歩く」という行為をしなければ、すべて止まってしまう
自分たちが歩かないと進んでいない、ということだった
日本の生活では、自分が何もしなくてもいろいろなことが勝手に進んで行き、自分が何もしなくても進んでいる錯覚になる
しかし、この巡礼は、二人が歩かなければ何も進まない
これが僕にとってすごい体験だった
なので、いつもちみょんに「先があるって良い事だね」と呪文のように唱えていた
最善の矢印もなく、先も見えないことがほとんどの日常生活の中
この巡礼路カミーノは、黄色い素敵な矢印がいたるところに、そして、どこまでもどこまでもいつまでもいつまでも続く道があり、そしてその先にはゴールがある
サンティアゴまで何百キロも前なのに、道を間違えたら、村や町の人が必ず「こっちじゃないよ、そっちだ」と声をかけてくれたり、宿泊所のアルベルゲでは、本当に親切に迎えてくれたり、道行く人や、BARのおじさん達が、「ブエンカミーノ」と声をかけてきてくれたり、車のクラクションでしょっちゅう応援までしてくれた
午前と午後では景色や天気が変わり、10日後には気持ちも変わり、20日後には標高や言葉までも変わり、山を降りて30日後には季節までも変わっていた
素晴らしかった
その一言
そして、この巡礼を必ず、引きこもりや、社会に出にくい生きづらい人たちと歩きたい
と、心から思う
今から出会う彼らに一緒にその感動を分かち合いたいと思う
そして、いつかもう一度ちみょんとまた歩きたいと思う
それよりも、あれしたいこれしたいと、わがままばっかりの亭主に必ず一緒にいて来てくれた事に、今更ながら感謝したい
そして、ちみょんと僕のお父さん、お母さん、このような期間を許してくれて本当に感謝しています
僕は、また明日からでもまた巡礼路のサンティアゴ・デ・コンポステーラ・カミーノを歩きたいと思っています
ということで、矢印とゴールが実は存在する日本の生活の「カミーノ」が今から始まるんですね
サンティアゴの町への入り口に虹がかかりました
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂
到着!!!
サンティアゴコンポステーラの中
巡礼者を迎えるミサの様子
巡礼中であったアントニオおじいさん
僕の花嫁さん
僕の奥さん
僕の新妻
僕の最愛の妻
ヤコボ像と僕のちみょん
僕の…ダレ??????