新米☆夫婦求道の旅

広島に帰還した新米夫婦の新たなる挑戦いざ開幕!

茗荷村3日目、4日目 (望)

2010-10-01 18:11:47 | 日記
茗荷谷村3日目

今日は茗荷村の研究会がある
全国から人が集まる予定

朝顔6:00に起きて、トマトのビニールハウスへ

収穫をして7:30にまた朝食を食べにグループホームに戻る

朝食後またビニールハウスへ行き収穫

1日30キロ出荷しているので、プチトマトだから収穫に時間がかかる

その後道の駅に出荷しにいった



午前の作業が終わり、昼食を食べて研究会に向かった

全国から30人くらいの方が集まった

当初は5人くらい集まればいいか…
と思っていたので宣伝は超控え目にやったらしいのだが、6倍に増えた

研究会で話されたことは

田村一ニという人の理念から茗荷谷村は出来た

畑が40ヘクタール7割が田んぼ

「お人好しのあかんたれ」村民である

週に1日粗食の日がある

食べて行くのに大変な時代に理念や方針をつらぬいた

刑務所より粗末な飯の時代があったが、今でも粗食

村民合計150人

宗教は天理教
村生まれの子どもは、学校で大抵いじめられる現実

受け入れが難しい子どもはお断りをする
など

私利私欲が目的で資本主義ならこの村は存在しないと思う

ある人がこう言った

「私は街の中で支援をしているが、お人よしのアカンたれはつぶされてしまう。
よくここまでこのやり方で茗荷村はやってこれたと思う。なぜ??」
という質問がでた
これは本当に僕も同じように思ったことだ

これに対して茗荷村の人は
「まあ、そのようにしてるのが好きなんでしょうね。私たちは…」
とゆるい返事

またその人は
「どうぞ、このやり方を続けてほしいと思います」
と言っていた

また、軽い障害を持つひねくれ者が社会で一番圧力を受けると言っていた

これは、本当のこと

僕がK2で見た生徒も
「もしかしたら、この子、見た目が障害者なら色々許されてきたかも知れないのに、一見すごくまともだから、返って大変なんだ」
と何度か思った


その後、村民の劇


ゆる~い劇だが、僕は練習風景も前々日見させてもらっていた
本番の前日から、彼らはこの劇のことで頭がいっぱい

本当に彼らにとって一大イベント

会の後、夕食 玉野さんらとすき焼きを食べた

その後代表の小泉さんを捕まえて酒を飲み明かして過ごした

とにかく穏やかで質素
子どもが元気、大人を信頼している

まださっぱり良く分からないが心地いい

翌日、最後の研究会が始まる

ある人がこの二日間の感想で言っていたこと

「私は障害者施設をやっています。その利用者の女の子が妊娠した。
色々な葛藤と、世間のものの考え方の中で、その子は堕胎することになった
私はその手術室の前にいた
この世に生まれようとしている子どもを私が殺している
私は完全に道を見失っていました
今回、この茗荷村の研修を受けて、原点に戻りたいと思います」
と涙ながらに話していた

茗荷村は、そのような子は、産み、皆で育てているらしい

障害者同士がこの村では結婚している

僕が茗荷村の方に吹田さんと過ごした時間の話をしていると、一人の男の人が来て
「僕は吹田の娘婿です。父をそういう風に見てくれてうれしい」
と言ってきた

「え!!!??」

娘さんいるの????

「僕らの間にも子どもがいます」

「え!!!!!?????」

孫まで…


信じられない…

その話しかけてきた娘婿も、障害者だった


そうか…
だから吹田さんはずっと笑ってるんだ


今の日本社会では、ボーダーを越えた障害者は結婚できない暗黙の了解がある

子どもをみていけるのか?仕事は?社会の目は?
など問題がいっぱいあり、障害者同士の結婚を現実にするには、不可能と思わせる

しかし、この村はそれをやっている

なぜ出来るの??????
なぜそこまでして?????

この村に障害者とは何なのか??
障害者は居ないのか??

差はあって別は無しとは

障害、者とは

障害が差であり

者に別は無し

ということなんだと思う


どう締めくくればいいのか分からない
というか、良く分からない

いままでそのような施設を僕は見て来て、
共感するとか、共感しないとか、すごいと思うとか、ここはまねしよう、ここはまねしないようにしよう、など色々感じてきましたが、この茗荷村に関しては、どのように僕の中に入れたらいいか分からない

あなたが言っていることは理想だよ、現実はそんなこと出来るわけがない
と社会では言っていることの、そのまた雲の彼方を実践しているのが茗荷村のように感じた

それも、えらっそさ無く
こうでないといけない!!
という傲慢さもなく…

一体何なんだろう…

そんなこんなで茗荷村を後にしました

山梶さんと玉野さんとで茗荷村を出て、山梶さんの家へ

山梶さんの家もグループホームと作業所と販売所

山梶さんと話していても
「なぜみんな穏やかなんだろう…分からない…」
と穏やかに言っていた

その姿が穏やか

3人で、障害者の性について話した

体験者のリアルな話は実に興味深い


その後ちみょんの待つ京都へ

この4日間
混乱の混乱だった

僕の中で茗荷村はどこに置けばいいのだろう????

付かず(僕には到底たどり着けない)
離れない(でも、留めていたい)
お付き合いをしたい

と思うのが現在

しかし、ほんとお人よしのアカンたれ

意味が分からない、不思議で、そして心地いい4日間でした

おしまい

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