新米☆夫婦求道の旅

広島に帰還した新米夫婦の新たなる挑戦いざ開幕!

結婚して一年(望)

2010-10-30 21:06:18 | 日記
いよいよ、この月曜日11月1日で結婚して一年がたちます

この一年は大きく分けて

1、結婚
2、大新婚旅行
3、古民家再生
4、NPO立ち上げ準備

こまごましたことは
1、結婚、大新婚旅行報告会
2、たりないぴーすin広島の講演会
3、フードバンクアイアイネットとの出会い
4、広島市のフリースペースとの出会い
5、茗荷村との出会い
6、農業参入の企業として、ラボテックに所属し、農業研修に参加する
などがありました

10月は
たりないぴーすin広島の講演会
農業研修参入
がありました

たりないぴーすin広島は、17日
吉川家一同が全員そろい、一致団結し、カトリック祇園教会で講演会を開きました




特に姉は一から企画し、講演者と協力者を募り
特に母は、人集めに奔走し、なんと150人集めました




(講演後は、フードバンク「NPOあいあいねっと」さんから提供して頂いた「余剰食品」で交流会♪これが廃棄されているなんてもったいない!)


150人集めることがどれほどすごいことか、テレビやセミナーで聞いたり、見たりしていたので、この人数にはびっくりしました
僕らなんて、まったく無名で、何かを起こしたわけでもないのに集まるわけがないと思っていました

テレビでやっていましたが、ある講演会では、身内以外5人しか来なかったとか…

母が声をかけ、そしてまたその方が声をかけと、沢山の協力がありました

来て下さった方々本当にありがとうございました

おかげでとてもいい会になりました

メインの講演の倉崎君は、22歳の大学生



世界中を旅し、ラオスで学校を建てたりした青年でした

3日間実家に泊まったのですが、本当に普通の大学生

何がほかの大学生と違うかというと、自分が見てきたものを、どのように解釈し、どのように自分に入れるか、そしてどう行動するか
という能力が秀でているように感じました

僕とちみょんは前座として、新婚旅行で行った、インドのカルカッタのウノさんの活動と、今から始める若者自立支援の生徒の事例などを話しました

来年もやるので、次はブログで宣伝することにします

是非皆さん、足を運んでください


そして、22日から、広島市が新しい農業の担い手の研修プロジェクトを始めたので、それに参加することになりました

この研修の期間は半年

これからの予定は、
NPOの立ち上げ
広島市のフリースペースとしての立候補
本格的に農業に参入し、生徒のジョブトレーニングの場所を確保
また、農業で僕らの収入の確保と、利用者の負担軽減
アイアイネットと共催で、食堂経営
などをプランに挙げています

農業はどのようやっていくかというと
1~3ヘクタールの畑と、古民家を確保し、生きづらい若者と一グループ3か月位そこで共同生活をしながら、農業をする
というプランや、今僕らが住んでいる家をフリースペースにして、やってきた子と家の周りの畑で農業をする

等の、プランを立てようと思っています

そして、そこで出来た野菜を食堂に持っていき、食堂経営でジョブトレーニング

今の家の離れを古民家再生して、共同生活

などをしていこうと思います

このブログを初めて約1年

始めた時には1年後なんて何もビジョンがなかった

新婚旅行の途中で思ったことは、僕らは必ずできる、と思った
ウノさんの活動を見て、僕はそう悟った

新婚旅行の最初は、若者自立支援をちみょんと立ち上げることが、途方もないことのように感じ、でもやらなければいけないという気持ちだった
しかし、カルカッタでこんな文化の違いの中で、ここまでやっている人を見て、僕らがやろうとしていることは、そんなに大それたことではなく
僕とちみょんが持つ資源、そして二人を囲む資源が持つ能力を発揮したら、出来る
出来なかったら、それは能力を発揮してないだけだ

そしてサンティアゴ巡礼で、行きづらい若者とまたここに来ると心に決めた

しかし、4月に日本に帰り、何から手を出したらいいか分からず、果報は寝て待てのような生活
のんびり古民家再生、のんびり生活
能力なんて何も発揮していない

なのに、沢山の経験があった

ちみょんがどのような人かまた少しずつ発見した

そして、思いのある活動をしている人と会って話をしたり、研修したり

それは、自分が求めていいたもの以上の出会いの連続

僕はホントに恵まれている、そして運がいい

この一年は僕にとって充実して、一生忘れられない一年で、人生最良の1年だった

この一年には少しだけ浸って、後は前を向き、この一年に負けない一年を作る!!!
僕にとって11月が一年の締めくくりとして、毎年じっくり一年を振り返りたい

なによりも、新妻卒業のちみょん、ありがとう!

茗荷村3日目、4日目 (望)

2010-10-01 18:11:47 | 日記
茗荷谷村3日目

今日は茗荷村の研究会がある
全国から人が集まる予定

朝顔6:00に起きて、トマトのビニールハウスへ

収穫をして7:30にまた朝食を食べにグループホームに戻る

朝食後またビニールハウスへ行き収穫

1日30キロ出荷しているので、プチトマトだから収穫に時間がかかる

その後道の駅に出荷しにいった



午前の作業が終わり、昼食を食べて研究会に向かった

全国から30人くらいの方が集まった

当初は5人くらい集まればいいか…
と思っていたので宣伝は超控え目にやったらしいのだが、6倍に増えた

研究会で話されたことは

田村一ニという人の理念から茗荷谷村は出来た

畑が40ヘクタール7割が田んぼ

「お人好しのあかんたれ」村民である

週に1日粗食の日がある

食べて行くのに大変な時代に理念や方針をつらぬいた

刑務所より粗末な飯の時代があったが、今でも粗食

村民合計150人

宗教は天理教
村生まれの子どもは、学校で大抵いじめられる現実

受け入れが難しい子どもはお断りをする
など

私利私欲が目的で資本主義ならこの村は存在しないと思う

ある人がこう言った

「私は街の中で支援をしているが、お人よしのアカンたれはつぶされてしまう。
よくここまでこのやり方で茗荷村はやってこれたと思う。なぜ??」
という質問がでた
これは本当に僕も同じように思ったことだ

これに対して茗荷村の人は
「まあ、そのようにしてるのが好きなんでしょうね。私たちは…」
とゆるい返事

またその人は
「どうぞ、このやり方を続けてほしいと思います」
と言っていた

また、軽い障害を持つひねくれ者が社会で一番圧力を受けると言っていた

これは、本当のこと

僕がK2で見た生徒も
「もしかしたら、この子、見た目が障害者なら色々許されてきたかも知れないのに、一見すごくまともだから、返って大変なんだ」
と何度か思った


その後、村民の劇


ゆる~い劇だが、僕は練習風景も前々日見させてもらっていた
本番の前日から、彼らはこの劇のことで頭がいっぱい

本当に彼らにとって一大イベント

会の後、夕食 玉野さんらとすき焼きを食べた

その後代表の小泉さんを捕まえて酒を飲み明かして過ごした

とにかく穏やかで質素
子どもが元気、大人を信頼している

まださっぱり良く分からないが心地いい

翌日、最後の研究会が始まる

ある人がこの二日間の感想で言っていたこと

「私は障害者施設をやっています。その利用者の女の子が妊娠した。
色々な葛藤と、世間のものの考え方の中で、その子は堕胎することになった
私はその手術室の前にいた
この世に生まれようとしている子どもを私が殺している
私は完全に道を見失っていました
今回、この茗荷村の研修を受けて、原点に戻りたいと思います」
と涙ながらに話していた

茗荷村は、そのような子は、産み、皆で育てているらしい

障害者同士がこの村では結婚している

僕が茗荷村の方に吹田さんと過ごした時間の話をしていると、一人の男の人が来て
「僕は吹田の娘婿です。父をそういう風に見てくれてうれしい」
と言ってきた

「え!!!??」

娘さんいるの????

「僕らの間にも子どもがいます」

「え!!!!!?????」

孫まで…


信じられない…

その話しかけてきた娘婿も、障害者だった


そうか…
だから吹田さんはずっと笑ってるんだ


今の日本社会では、ボーダーを越えた障害者は結婚できない暗黙の了解がある

子どもをみていけるのか?仕事は?社会の目は?
など問題がいっぱいあり、障害者同士の結婚を現実にするには、不可能と思わせる

しかし、この村はそれをやっている

なぜ出来るの??????
なぜそこまでして?????

この村に障害者とは何なのか??
障害者は居ないのか??

差はあって別は無しとは

障害、者とは

障害が差であり

者に別は無し

ということなんだと思う


どう締めくくればいいのか分からない
というか、良く分からない

いままでそのような施設を僕は見て来て、
共感するとか、共感しないとか、すごいと思うとか、ここはまねしよう、ここはまねしないようにしよう、など色々感じてきましたが、この茗荷村に関しては、どのように僕の中に入れたらいいか分からない

あなたが言っていることは理想だよ、現実はそんなこと出来るわけがない
と社会では言っていることの、そのまた雲の彼方を実践しているのが茗荷村のように感じた

それも、えらっそさ無く
こうでないといけない!!
という傲慢さもなく…

一体何なんだろう…

そんなこんなで茗荷村を後にしました

山梶さんと玉野さんとで茗荷村を出て、山梶さんの家へ

山梶さんの家もグループホームと作業所と販売所

山梶さんと話していても
「なぜみんな穏やかなんだろう…分からない…」
と穏やかに言っていた

その姿が穏やか

3人で、障害者の性について話した

体験者のリアルな話は実に興味深い


その後ちみょんの待つ京都へ

この4日間
混乱の混乱だった

僕の中で茗荷村はどこに置けばいいのだろう????

付かず(僕には到底たどり着けない)
離れない(でも、留めていたい)
お付き合いをしたい

と思うのが現在

しかし、ほんとお人よしのアカンたれ

意味が分からない、不思議で、そして心地いい4日間でした

おしまい

茗荷村2日目 (望)

2010-10-01 17:26:48 | 日記
茗荷谷村2日目
朝7:30に起きて、朝食を食べに移動 村で作っているパンを食べた

今日はトマトのビニールハウスでプチトマトの収穫のお手伝いをすることになった

ここのトマトはめちゃくちゃ甘い
色々工夫している様子





その後トマトの箱詰め




その後昼食
昼食中、利用者と色々話した

やはり、ここに住んでいる方、障害者を含めとても穏やか

僕が広島から来たので、広島カープの話を聞きたがる
「新球場行ったことある~?」

「阪神強いでしょ」

など
生き生きと話しかけてくれる

ここで昨日から一緒に研修をしていた大学生が帰る

大学生酒井さんはバングラデシュに行って図書館作りをしたりと活動的な方だった

その後畑へ
正木さん50歳くらいの方に付いて研修を受ける
正木さん僕と吹田さん70歳くらいの方と作業をする
この作業が印象的

そぼくな時間が過ぎて行く

そぼく過ぎて何もかもが好きになりそうだ

和やかな、じんわり来る時間が流れる


正木さんは茗荷谷村に来て半年、家族でここに越してきて、スタッフとして昼間は農作業、家はグループホームとしてやっている

吹田さんは知的障害
ほとんど何を言ってるのか分からない

でもずっと笑っている
ずっと笑っていることに心が揺さぶられる

「あなたはどうしてそんなに笑っていられるの?」
黒沢の「生きる」のあるシーンを思い出す

吹田さんとタッグを組んで肥料を巻く
吹田さんは僕の服が土で汚れるのをとにかく気にする

吹田「服が汚れたら怒られるよ、電車で帰るなら帰れないよ、ハハハハハ」

僕 「電車に帰らないよ、泊まるんよ」

吹田 「服汚れたら洗濯するのに怒られるよ、ハハハハ」

僕 「自分で洗濯するよ」

吹田 「・・・!?」「自分で洗濯できるんか?」(ほとんど下が回ってない)

僕 「出来ますよ」

吹田 「・・・・!」「凄いなハッハッハ」

とか
人参畑に朝顔が咲いていたら

「ほんまじゃ~すご~い朝顔じゃ~ハハハハハハハ」と笑う推定70歳

実にそぼくを満喫する時間だった

吹田さんと正木さんの写真を撮りたがったらびっくりして正木さんが
「写真を撮らせてくれと頼まれたのは、はじめてだね吹田さん」と言って

吹田さんは緊張気味

緊張した顔で写真を撮られた

その後吹田さんはグループホームに帰り正木さんと作業

正木さんから茗荷谷村のことや家族の話しを聞く
元、老人ホームと障害者施設で働いていたらしい
娘さんが引きこもりで、茗荷谷村に来ても改善しないらしい

また、茗荷谷村に来て、想定外の事が色々起こり、悩んでいるとの事

家でグループホームをやっているから、利用者が寝たら家族時間と思いきや、思春期の息子達は色々悩む
また、ふすま一つで家族で生活しているから、引きこもりの娘について夫婦と話しをするのも難しい
など色々悩んでいるらしい

最後に 「ここの人達は心では色々悩んでいるだろうけど、本当に穏やかな方が多い」
と言っていた
なるほど ここに住んでいる人もそう思うんだな

その後、東浦さんという方がやってるグループホームに移り泊まる事に



新築のグループホームだ


ここにも利用者が5人居る

ホームについて、ある障害者がキャッチボールをしようと何度も声をかけてくる

お付き合いした

キャッチボールをお付き合いした後
彼が皆にキャッチボール楽しかったと言いまくっていた

夕食を食べ風呂に入った

その日は粗食の日らしく、みそ汁とご飯とふりかけだけだった
でも、この自然の中、作業をしたからか食事が美味しい

その後、東浦さんの息子さん9歳とトランプして過ごした

このグループホームは全室埋まっているので、居間のTVの前で布団を引いて寝かせてもらった

というか、台所に近いところで寝た

でも、ものすごく気を使ってくれる

生活している障害者もとても気持ちよく接してくれる


滋賀県 茗荷村での研修1日目 (望)

2010-10-01 16:47:16 | 日記
9月23日~27日まで、滋賀県にある茗荷村という所に行ってきました

NPOテレサの家の玉野さんの紹介で行くことになった

なんでも、障害者と健常者が出来るだけ自給自足の生活をして、皆でささえあう村があるとのことで、ちょっと興味があったので行くことになった

たった4日間だったが、大げさに言うと僕にとって「インド」に行ったことのように衝撃を受けた

現在、広島に戻り、茗荷村のことばかり考えてしまう…
一体なんだったんだろう…

そこでの体験を書きたいと思います

9月23日 茗荷谷村1日目
滋賀県の野洲駅に1時23分に着き、山梶さんと言う方と待ち合いをして茗荷谷村へ
車で約一時間 山奥へ 途中から携帯は圏外になる

山梶さんから色々話を聞く

茗荷谷村は、全国から知的障害、精神障害、発達障害、虐待児、非行による保護観察中の青年などを引き受けている

村に生活している人が、里親制度で、委託を受け、虐待児や非行少年等を引き受けている

村には沢山の家が有り、そこで別々の家族が住み、利用者を引き受けている

ある家は知的障害の中年の人と児童を引き受けていた

自給自足をモットーにしていて、農業を営んでいる


村に到着 村々しい


着いてすぐ、高城さんと云う設立に立ち会った元代表に挨拶をして子ども達の居るログハウスに向かう


本日は国民の休日なので、子ども達が集まっていた
その後山奥に戻りゆっくりして夕食

夕食後、代表の小泉さんと話す

茗荷谷村について話を聞く
農業は農業が好きな人か、農業に意味を持っている人か宗教的な思いが無いとつらい
お人よしのあかんたれ集団??
田村一二が29年前、障害者と共に生きる村を作り、現在に至る
人間には差はあるが別はない

う~ん
言葉の意味はわかるが、村として良く分からない…

とにかく初日
茗荷谷村で印象に残った事は、
子ども達が元気一杯で、そうありながらとても、ありがとうございます、や気の利いた敬語がきちんとしている

ここで働いている人や生活している方がとても控えめ

と言うか、福祉や宗教によくありがちな、えらっそさが無い
(それを福祉傲慢、宗教傲慢という)

僕のことをお客様として気配りをしてくれている

不思議な感じを受けたことでもう一つ

トータル的に見て、あるテリトリーに外部の人が入ると、テリトリー内の人がその人を受け入れるか、受け入れないかを決める風習が良くある

しかしこの村では、テリトリー内の人が、外部から来る人に対してそのような感じを全く感じさせなかった
というよりも、村民が外部の人に「私を受け入れてくれるだろうか?」というような感じを受けた

これも色々な組織を見学した中で初めての感じである

20歳の大学生も見学に来ているか、その人にもきちんと接している

う~ん
ここは一体なんなんだ?????????