新米☆夫婦求道の旅

広島に帰還した新米夫婦の新たなる挑戦いざ開幕!

イスタンブールにて(望)

2010-01-27 02:38:41 | 日記
イスタンブールに着いて4日目

今まで、アジアの物価が安い国に居たので、物価の違いに少々戸惑っています
前は、軽く一杯のチャイ(ミルクティー)が10円以下だったのですが、イスタンブールはコーヒーが何故か高く、200円くらいします。
軽く一杯なんて言ってられません

食事も、贅沢したら二人で1000円を少し越えるくらいだったのが、節約して1000円越えるくらいです

ホテルは、今泊まっているところはイスタンブールでは良心的で格安です、ドミトリーと言う4人~6人部屋を他の旅行者と一緒にシェアして1600円
今までは、600円くらいで個室のダブルルームに泊まれていました

世界三大料理の一つのトルコ料理

この4日間の食事の感想は、とにかく素材の味を楽しむと言ったらいいのか、味が薄く塩とオリーブオイルのみと言って良い味付けです

この旅行では、最初のベトナム、タイ、ラオスは味の素風味
インド、ネパールはカレー風味
どんどん違った意味で味がシンプルになってきています

また、イスタンブールを歩いていると、胡散臭い人が沢山話しかけてきます

今まで旅行した国も、それなりに日本語で話しかけては来ますが、イスタンブールの人は特に日本語が達者で、会話のペースを確実に持っていく感じです
なので、商売が巧妙です

そうでない人も中には居ますし、確かに親日国ではあるように思います

また、ウィキペディアによると、都会以外は皆質素な生活をしていて、ほとんど農業で営んでいるらしいので、イスタンブールはトルコの大都会であって、田舎に行けば全く違うようです
旅行者が沢山集う所を今のところ拠点としているので、なのでなんともいえません

僕らは27日の夜行バスに乗ってカッパドキアに行きます
カッパドキアを周り、イスタンブールに戻り
2月3日にローマに入る予定です

早朝のイスタンブール




ブルーモスク


アヤソフィア


アヤソフィア内部のモザイク


元々、キリスト教の教会として建てられたが、イスラムのモスクとして使うためモザイクを塗りつぶした。現在塗りつぶしたところを少し剥がし、モザイクが見えるようになった
なので、この壁は十字架とイスラムのマークが一緒になっている


一時的にカードを飲み込まれ、張り紙を張りました
カードは無事戻ってきました


(望)






イスタンブール到着(望)

2010-01-25 14:55:55 | 日記
イスタンブールには、23日の夜中0時に着いて、空港で朝まで過ごし、市街に行きました

イスタンブールは大雪で、その日は-4度
寒いです



まず、びっくりしたのが、市街まで行くバスの性能の良さでした

まるで道路を滑っている感じで、全くゆれない
とにかく、快適!!!
いままで、アジアでポンコツバスに乗りまくってきた僕らにとっては、それが可笑しくて、二人で笑っていました

でも、アジアとお別れしたような感情になり、少し淋しくもなりました



イスタンブールは、東南アジアやインド、ネパールと違って、ヨーロッパ色が強く、アジアとは思えないです
 


イスタンブールに着いて、日本人カップルと知り合い、ホテルの4人部屋を一緒にシェアすることにしました

とても、感じのいい二人で、約一日半一緒にすごしました

一緒に行動などをするのは、この旅行初です



4人で、旅行会社に行ったり、夕食を食べに行ったり、ついでにトルコ風呂体験にも行きました

トルコ風呂は、大理石の建物の中で、いかついおっさんに、こねくり回されました
でも、短時間の格闘?(15分)だったので、それほど辛くありませんでした
そして、残念なことに、サウナがあまり暖かく無く、寒いぐらいでした

その二人は、次の目的地に行くのでお別れをして、僕らはブルーモスクと言う、イスラムのモスクに行きました

モスクに入るとしばらくして、礼拝が始まるので、座るように指示され、床に座り、礼拝を見せてもらいました

これがまた、僕が思っていたイスラムの印象をいい意味で裏切りました

堅苦しく礼拝するのかと思いきや、それなりに自由な感じで、たまに礼拝中子どもが走ってしまったり、でも厳かに、という感じでした
カトリックのミサに与って来た僕にとって、とても共感するものがあります
そして、なによりも、イスラムの礼拝は、他信仰者が見学なんてできないと思っていたのに、おおらかに見学をさせてくれることがとても嬉しかった

なんと言っていいか、本当にいいものを見せてもらった印象です

ブルーモスクの外


中の礼拝中


トルコは、本当にあの厳格なイスラム社会なんだろうか?
と思います
若いおしゃれな男女がよく一緒に歩いているし、お酒に対してもおおらかです

TVも、女性の肌の露出が今までの国ではダントツです

タイでは、深夜TVのエクササイズ用品通信販売のCMで、女性の水着姿にぼかしが入っていたくらいです

旅行会社やバザールや食事に行って思った事は、商売人が今まで回ったアジアと違う事でした
賢く、計画的で、客にペースを握らせず、執拗に食い下がる感じ

僕らが回ってきたアジアの商売人は
ちみょんに男物のももひきを自信満々に広げて見せて、「あなたに似合う!グットタイツ!」と言ってきたり、行き当たりばったり、客に店番を頼む、執拗につきまとう感じ

トルコに居たら、僕が持っていたイスラム教の印象が変わるのだろうと思います

ネパールで(望)

2010-01-22 03:17:51 | 日記
現在イスタンブールですが、ネパールを振り返って
ネパールは、10日間過ごしました







この国を観て思ったことは、「暮らし」と言う言葉が当てはまりそうな気がします


チベット村と言う、ポカラの隅にある村に行くと、じゅうたんを織っている作業所を見学しました





そこは、表には、羊の毛を糸にしている老婆、作業所の中には、じゅうたんを手作りで織っている女性達でした
なによりも、その場所の素晴らしいところは、みんな穏やかに、ゆっくり鼻歌を歌いながら、じゅうたんを作っていることでした

働くって、こういうことであってほしいなと思った

バスでカトマンドゥ~ポカラに行く道は、山を上り下りするので、グネグネ道
でも、いたるところに、小さな村があり、ネパール人の暮らしが垣間見られる



大抵、家の縁側で、洗濯、食事、談笑、などしている
と言うか、家の中は日があまり入りそうに無い作りなので、この季節は寒いのか外に人が出ている

それに、家が手作りなのかとっても個性的で、竹の家、木造の家、赤土の家、石垣の家、コンクリの家、レンガの家と多彩
観てて全く飽きない

湖に行けば、ゆっくり洗濯していたり、体を洗っていたり

5、6歳の子どもが、手に湖で取れた海草を持って、家の前に着くと雄たけびを上げ、家に持って入っていったり

野良牛がヒマラヤと、村に同化して、自然をかもし出していて美しかったり

一番感じたことは、なによりも、貧しいながらも、困窮していない印象を受けました
(もう一度言いますが、自分の見解です)
今の状況を良しとしているのでしょうか

だから、インドと同じように、貧しい国なのに、のんびりしています

この違いはいったい何なんでしょうね?

でも、ネパールのポカラでは癒されました

電池売り場に何故かヌンチャクが売っている


山のふもとで空に向かって祈るおじさん


偶然居合わせた結婚式


結婚式の横で軽やかに踊る美少年










(望)

ヒマラヤの夜明け。

2010-01-22 01:06:17 | 日記

朝5時に起きてヒマラヤのサンライズを見に行ってきました♪


夜明け前から陣取ってひたすら朝日を待つ新米夫婦。寒い!





朝靄のかかる空が、徐々に明るくなってきました。





空が明るくなるにつれ姿を現しはじめたアンナプルナ連峰。真ん中のとがった山がポカラの象徴ともいえるマチャプチャレ。ポカラ期間限定、現在の当ブログスキンがまさしくこれです♪







空がすっかり明るくなっても見飽きることのない絶景でした。




★☆業務連絡☆★

本日ポカラを早朝に出発、夕方カトマンドゥに戻ってきました。
明日(2月22日)は飛行機でトルコのイスタンブールに移動します。
アラビア航空G9538→(ドバイで乗り継ぎ)→G9283

イスタンブールはアジアとヨーロッパ両方に挟まれた東西交易の都。
いよいよヨーロッパが近づいて参りました♪

ではでは
次回ブログ更新はイスタンブールにて!



眠れぬ夜の四方山話2(望)

2010-01-18 18:11:48 | 日記
ちみょんと話していて、藤原新也の本について面白い話がありました

藤原新也が、インドを旅していて、ある物乞いに食べ物をあげようとしたら、その物乞いにむかって、威嚇する犬が現れる

物乞いは犬に向かって
「僕がご主人様から食べ物をもらうんだ、後から来たお前が邪魔しないでくれ」
と、犬に注意する
しかし、犬はそれでも威嚇する

藤原新也も「おれは、彼という人間に食べ物をあげたいんだ、犬にあげるんじゃない」
と思う

そして、その物乞いに食べ物をあげる

すると、その物乞いは食べ物を食べていたら、その犬に食べ物を分けてしまう
物乞いは
「お前、いつも俺の食べ物を横取りしようとするなあ」

といっていたとかいなかったとか



この話を聞いて
人権って何ですか?
自尊心って何ですか?
儚い!なんて儚いんだ!(「はかない」なんて言葉生まれて初めて使った)


人は動物とは違い、もっとも高貴な存在であると、キリスト教、イスラム教は教えて、動物との間に完全に線を引いているのに

ヒンズーでは、動物を神様にしている節があり、人も動物も同じ位置なのだろうか?

藤原新也の言葉で「人間は犬に食われるほど自由だ」と佐喜(妹)がコメントしていました

ある本で「不服従の自由が無ければ、善も悪も存在しない」とあった
完全に文化に服従してしまっている自分は、法律や、決まり、ルールや、たまにキリストの教え、にのっとっている状態で、本当の善悪は自分では判断できず、何も見えて無いのかもしれない
何にも服従してない状態で初めて、善悪が生まれるというなら

犬や牛が、何にも服従せず、しっかりきちんとした顔で走り回っているインドでは、牛は八百屋においてある野菜だろうが、地面の草だろうが食い物であり、しっかり食している
犬は、川から流れ着いた死体だろうが、ごみの中の残飯だろうが関係なく食べる
不服従の自由を謳歌しているんだなと思える

これが本当の自由なら、食べられる生物である自由を人間は持っている。
ということですかね????

日本は、特に人間の尊厳、人権などが大切にされているのは、とてもすばらしいことだと思います
だから非常に居心地もいい

日本の生活保護の最低ライン(憲法25条にのっとって)は、TV、エアコン、水道、ガス、電気が保証されている
僕らが泊まったホテルでは、電気(停電を除く)以外、無いところが多い
それでも、この国からしてみれば、高い生活水準なんだと思う

いい悪いは別にして、人間の存在の高貴さは、国によって違うと思う

正直、インドにはカーストの低い人たちや、ラオスのベトナム戦争にかり出されたホーチミンルートに住む戦争体験被害者たちには、そのような権利をもっていないように思う

やはり、文化に服従しておる僕にはそれでいいとは思えない
それが自由とも思えない

やっぱり、日本っていい国ですよ
住んでいる人にとってはね

酔っ払いな文章ですいません

ではまた

(望)