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木賣慈教の「和顔愛語」

浄土真宗本願寺派西敬寺(さいきょうじ)
木賣慈教(きうりじきょう)のブログです。

縁起が悪い?

2006年09月12日 | 法縁日誌

本堂をお掃除していると、突然‘ガッシャーン’という音が・・・
住職継職法要の折に撮影した記念写真の額が落ちてきて、ガラスが飛び散ってしまいました。
翌日、本堂でお勤めしていると、住職の補任状が入った額が落ちて来ました(幸いガラスは割れずにすみましたが・・・)

こんな、現象が続くと世間では「縁起が悪い」とされます。
「縁起」とは「すべての存在は無量の因縁によって成立している」という、仏教の基本思想を表す言葉ですが、世間的には、吉凶の前兆として「縁起」という言葉が使われることが多いようです。
何故、そのようになったのかは「縁起絵巻」等と使われるように、寺社の由来・沿革・起源という意味で使われる縁起という言葉と重なって、吉凶の由来・起源と理解されたためと考えられます。しかし、もっと突き詰めれば自分の都合のよい因縁だけを求めている人間の基本的な問題があるように思います。例えば、節分の「鬼は外、福は内」などというのは、その端的なものです。そこには、縁起がよいとか悪いという「縁起を担ぐ」構図が出てきます。
写真や補任状が落ちたという現象は、確かによい気分にはなりませんが、悪いことの前兆と脅える必要はありません。

諸行無常、形あるものは必ず生滅変化するのですから・・・。



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