今年は、お釈迦様のお誕生日を祝う4月8日の花祭りが、日曜日というめぐり合わせになりました。
ちなみに私の誕生日は4月7日なのですが、本来は4月8日のはずでした・・・。
実は、私が生まれた1973年も4月7日が土曜日、8日が日曜日というめぐり合わせで、本来の出産予定日が8日だったにもかかわらず、産婦人科の先生から
「8日は日曜ですので、出産促進剤を打ちます。一日早く生んで下さい」
と、半ば強制され、母は泣く泣く分娩室に運ばれたようです・・・。(ちなみに、1973年はベビーブーム等と言われ、団塊ジュニアが多く生まれた年ですので、全国の産婦人科病院は、出産予定者でごった返していたと言われますから、少子化の今と違い、出産予定者より医師の都合が優先されていたようです。)
そんな訳で、私の誕生日はお釈迦様とご一緒では無く、ジャッキー・チェーン氏や鉄腕アトム君と一緒の7日となった訳です・・・ 。
ところで、誕生日の言葉の由来を、来る4月28日当院の永代経法要の法座に、ご出講下さる大阪は堺の真光寺の木村世雄師が、次のように解説してくださっています。
さて、生誕・・・「誕」の字は大層おめでたい意味かな? と思いきや、漢和辞典では、
(1)いつわり
(2)うそ・でたらめ
(3)気まま
(4)大きい
などの意味があり、事実を大げさに伸ばして伝えるという、むしろ悪い意味があるようです。
おしゃか様は、この世は諸行無常(全ては必ず変化する)で、永遠の安らぎなどは存在せず四苦八苦であることを説かれました。四苦とは、生苦・老苦・病苦・死苦です。(八苦は難しくなりますので割愛します)これらの苦しみは人間として生まれたならば誰もが必ず経験する苦です。
その意味で四苦八苦は平等です。生まれた時点で苦は始まっているという、何とも切ない教えですが・・・。
しかし、ここにこそ仏教の原点があります。自分の病や大切な人との死別・悲嘆などに対し無感情でいられ、この世の一切を全て無批判に肯定できるのであれば、もはや宗教は必要はないでしょう。 おしゃか様は人間としての根本苦を実直に見つめられて、虚仮不実な世界を捨て真実永遠の涅槃の世界(浄土)を求めよ、と説かれました。仏教は決して「現実逃避」ではなくこの人間世界の危うさ・はかなさ・いつわりに気づいたならば、そこに安住など出来ず、真実の世界を求めざるを得ないんだ、という様にむしろ「現実的な教え」となるのではないでしょうか。
この世・この人生はドラマの様に「架空」の世界なのです。架空の世界に執着してそれを真実永遠であると思い込むことが人間の迷いなのです。その迷いに気づき、個々の人間のタイプに応じた解決法を説かれたのが、おしゃか様なのです。
わたしたちの浄土真宗とは、苦しみを共に味わってくださる阿弥陀如来に私の全てをあずけて(信心)、阿弥陀如来からの救いの声に呼応(念仏する)し、死後に永遠の生命を得る(往生成仏)ことで、諸々の苦しみの解決を見出していく、大乗仏教の仏道です。
ですから昔の中国の人が、生まれることをわざわざ「誕 生、生 誕」と表記したのは上で述べたような諸行無常の理を込めて、今、生きている命を超越した更なる大きな生の世界へと導いているように伺えます。実はそれこそが、おしゃか様の説かれた最も根本の部分でもあるのです。
実に意外な意味があるのだと、感銘を受けました。
「人生は苦である」とお釈迦様は説かれました。「苦」とは何か、それは「思い通りにならないこと」です。
人は生まれた瞬間から「苦」が始まる・・・。
なるほど、古来から生まれる場所・時代を思い通りに選んできたという人は一人としていませんね。(シェークスピアの『リア王』の中に「人は泣きながら生まれてくるものだ」という台詞が思い出されます)
また、時に人は思い通りにならない人生を思い通りになるものだと錯覚し、更に苦しみを深めているようにも思います。
あるご門徒さんが、しみじみ
「我が子さえ思い通りにならんのに、人様が育ててくださった嫁が思い通りになってくれる訳は無い・・・ しかし、なかなかそれに気づかんもんだ」
と、こぼされていた事を思い出します。
人生の重荷を少し軽くすることができるのは「人生とは思うにまかせぬことの連続だ」ということに素直に頷いて行くことなのかもしれません。
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例のつけ麺のお店、今度連れて行ってください。楽しみにしています。
「旦」は朝日が昇るごとく、日々新たに生まれているという意味だったと記憶しております。