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アマチュア無線&鉄道旅行のログブック by taniyan / JH0HYX

わたらせ渓谷鐵道(旧足尾線)乗車報告

2008-12-07 00:21:00 | 鉄道

 

わたらせ渓谷線、桐生=間藤(まとう)、片道44.1kmを往復してきました。国鉄民営化2年後の1989年に、第三セクター「わたらせ渓谷鐵道」として再スタートした、旧国鉄足尾線です。

 足尾線といえば、故・宮脇俊三氏が、国鉄全線完乗を成し遂げた際の、最後の一線であったことは、同氏の著書「時刻表2万キロ」第13章に記されているとおりです。自分は完乗にはほど遠いですが、遅ればせながら、国鉄、JR、そして「わ鐵」時代をとおして、初めて「わたらせ渓谷線」の車窓をたのしんできました。

 

 往路は、12月4日桐生発08:08間藤行き713D、片道82分の旅です。桐生駅はJR両毛線と共用で、同駅1番線高崎側の一部を使って発着します。同社所属の「わ89-100」系および「わ89-200」系(写真1枚目)は15m級、「わ89-300」系、「わ89-310系」(写真2枚目)でさえ16m級。桐生駅1番ホームは、わ鐵用部分が一段低く作られています。往路は「わ89-314」、うさぎのマークが付いた「あかがねⅢ」で間藤をめざします。

 

 折り返し運用となる、桐生7:58着712Dは、「わ89-203(あづま)」+「わ89-314(あかがねⅢ)」の2両編成で到着。丁度通学時間帯とあって、地元高校生で超満員。桐生下車時にも、運転士による検札(キップチェック)があるためか、全員降りるまでに相当時間がかかっていました。全員降車したところでいったんドア閉。その後幌を外し、車両をつなぐ貫通扉が閉じられ、間藤行きは先頭の1両目だけ乗車可。(写真3枚目)

 

 桐生駅ではJR両毛線との間には改札はなく、さらに、わ鐵ではSUICAなどのIC乗車券は使えないため、ちょっとまぬけですが、いったんJR改札を出てから、乗り継ぎ切符を買って、ふたたびJR改札から入るように指示されています。東武桐生線と接続する相老駅も同様ですが、こちらは乗り換え階段の途中にPASMO処理用のタッチセンサー(ゲート扉のないやつ)がついていました。ちなみに今日は、「一日フリーきっぷ」@1,800円を桐生駅で購入。素で往復するよりも360円ほどお安いです。このキップは、桐生(JR窓口)、相老、大間々、通洞および水沼温泉センターでのみ発売。車内では買えませんのでご注意を。また、JR桐生駅含めて、すべて現金のみです。

 

 高校生の一団が去った後、どうなることかと思いきや、折り返し間藤行きの乗車率はさほどでもなく、進行右側ボックス席を一つ占領。前半は進行右側に渡良瀬川が来るはず。車両は、半分がロングシート、半分がクロスシート。シートはふかふかで、座り心地はまずまず。これなら往復3時間、耐えられそうです。

 桐生を出て十数分で、わ鐵本社のある大間々到着。ここで、自分を除く乗客全員が下車。平日午前の中途半端な時間なので、予想はしていたけど、いよいよ貸し切り列車状態に。桐生からつれてきた「あずま」をここで切り離しますが、いったんドアを閉めてエンジン、電気系統すべて断。誰もいない薄暗い車両のなかを、突然の静寂がおそい、なんとも心細い一瞬^^)。

 

 わたらせ渓谷線には、廃線議論もたびたびあったようですが、生活路線を守ろうという地元のご努力もあり、多少運転本数を減らしながらも、終点間藤まで一日10往復(桐生-大間々間はもっとある)を確保しています。また、足尾銅山をはじめ、沿線にいくつもの観光資源を有していることもあり、トロッコ列車なども運行されています。すでに12月ということもあり、渡良瀬渓谷の紅葉はすでに終了。あと1、2週間早ければもっときれいだったことでしょう。雪はまだありませんでしたが、日陰は霜が降りていて真っ白。途中上り勾配は空転との戦いでした。今時の電車なら、自動的に空転抑止制御されるのだろうけど、気動車だとノッチ、というかスロットの微妙な制御が必要。

 

 足尾では、「足尾駅博物館」設立の準備が進んでいるそうです。民間によるボランティア事業、寄付も受け付けているとのことです。展示品としては、元国鉄足尾線で活躍していた「キハ35」(写真)や、足尾銅山の歴史の証人(証車両?)、銅の精錬に使う濃硫酸を運んでいた「タキ29312」などが実車展示されることになるようで、すでに足尾駅構内に留置されていました。ただ、キハ35の土手っ腹に、ラッカースプレーで落書きしてある。バカタレが、本当に情けない。。

 

 9:32、運転士さんと二人きりで、終点間藤定着。1977年5月28日、14時25分。20,761.7kmの鉄路を完乗した宮脇氏が,この駅に着いたときの感動はいかほどのものであったろうか。駅前の風景は、おそらく三十年前とさほど変わらず、いまでも精錬所の入り口と、荒涼とした山肌が朝日に照らされているのみ。間藤から先、足尾本山まで貨物線があったようですが、駐車場の先は、すでに線路も外されていました。

 

 帰りは同じ「あかがねⅢ」で折り返し、間藤9:49発716D。最初は運転士さんと二人きりだったけど、足尾銅山見学コースのある通洞など、途中駅から結構乗客があり、往路の貸し切り状態が嘘のような賑わい。桐生の病院に行くというお年寄り数人グループ、ほとんどの人が別々の駅からのってきたにもかかわらず、皆顔見知りの様子。地元では、大切な生活路線になっている。古いたたずまいの上神梅(かみかんばい)など、各駅にはイルミネーションの飾りがほどこされている。桐生発16:45(725D)、間藤発18:29(728D)にて、週末にイベント列車を仕立てるそうです。(~2009年2月15日) 神戸には、東武特急車両をつかったレストランがあったりと、結構みるところがあるぞ。詳細はわ鐵サイトで^^)。

 

 せっかく「1日フリーきっぷ」を買ったので、わ鐵本社や車両基地がある大間々で途中下車。大間々駅構内に留置されているトロッコ列車は、すでに今年の運転を終了し、開放部分にシートがかけられていました。この他、DE10が2両。とくにDE10 1678はぴかぴかでJR色のままでした。もう一両のDE10 1537は、トロッコ車両と同じ、えんじ色になっています。

 

 国鉄民営化前、宮脇氏が時刻表片手に旅をしていた頃は、こんな風景のローカル線が全国いたるところにあったはず。赤字路線に無計画に「公的資金」を投入することは、決して正しい方法だとは思わないが、不採算を理由に、一方的に切り捨てていく方法も納得がいかない。もっと他にも、公的資金を「節約」できるところはたくさんあるはずだ。でも、自分自身の利権を自ら削る、なんて改革は、神様仏様にしかできないでしょうけどね:-p。

 

by taniyan

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