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Cannot Do Cleaning, But…(returns)

生活方法(掃除など)や体質の改善(ダイエットなど)について考える日記・「減量後の維持」

夏の食事

2007-09-02 12:28:44 | 第四章 diet cleaning格闘編
 近況報告としては、現在も48~52kg付近で来ている。体脂肪率は心持ち上昇しているようだが、昨年のような肺炎再発の長期治療もなく、盆過ぎまで夏休み返上だった仕事もし、その後少し休みもとれ、行きたいところへ行く遊山もして、今日に至る。
 
 宴、といっても私は前述のとおり呑まない。ただし元々好きなので味覚的に慣れている日本酒を来客用に選び、夏野菜中心につまみ代わりに煮物や漬物、肴、締め用のご飯などを用意している。基本的には、「自分が日頃普通に食べているおかず」だ。この季節の盛りのものを近所の市場で買う。農家の人がもってくるひねた地のきゅうりなどは大量に軽く塩で漬けておくし、みょうがやなす、冬瓜、つるむらさきなども安い時がおいしい。煮物も炒物も焼物もでき、そこに魚や肉や大豆や海草が加わる。

 炭水化物は全面的には禁止していない。酷暑の中、持ちをよくするためと食べやすくするため、昼は小ぶりに海苔で巻いた梅干入りおにぎり1~2個を作り、朝夕におかず中心で前述の9種類を中心に摂取する。一人暮らしの場合一日1合~1・5合位炊くご飯を、昼に大目に食べる都合となるが、トータルで一日のご飯の量を変えないように、というのが大体の目安になる。
 ご飯の基本量を据えるもう一方で、去年と今年の夏は、年々気温の高さが酷くなるにつれて、献立の作り方が年々、かなり「和食的」になっている。それは単純に暑さで食欲が落ち、そうした味のものでないと食べにくくなったという状況もある。さらに、4年前食べられたような量ほど、一度の食事で量が胃に入らなくなってもいるのだった。逆に、どう効率よく摂らないとスタミナが切れてしまうか、という問題になってもいる。
 夏痩せまでに至らず体重は落ちずにいるが、体重が落ちても身体が起き上がれないようでは、仕事に困るのである。このあたりの適量をちょうどいいところで保つのは、いつも難しいように思う。
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今年の花火大会

2007-09-02 11:53:36 | 第四章 diet cleaning格闘編
 近所で催される花火会場が目の前なので、今年は自宅に後輩や知人を招いて手軽な宴をはってみた。
 絶景なのだが近すぎて、上空から大流星群というより爆撃を受けているかのような大瀑布が降り注ぐ。
 皆ほろ酔い加減で去り行く夏を惜しむ…には騒々しい夜であった。
 
 自宅の茶の間と洋間を来客用に空け、家全体の掃除は一通り休日の日課となっているから、「来ない?」ということもそれほど気負いなく言えた自分に、後で気づいて、改めて密かに驚き、感慨を得た。
 「人を家に呼んで、ごはんを食べる」ことができる、ということが、これほどに自分の基本的な対人的な精神の構え方、態度に変化をもたらすとは思わなかった。掃除ができなかった2003年の夏の頃の自分には本当に考えられないことだった。こうして2007年の夏の終わりに、自分の家にわやわやと人々が集まって過ごせるなど…

 人生の時間をただ長く得て、ただ生きているだけ、というのではなくて、その時間を、ひと時をどう送るかが大事なのだと、誰もがいうような当たり前のことを、思い出しながら、その意味を知ることも必要だったんだなと思う。
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そして一年後

2007-05-05 09:51:12 | 第四章 diet cleaning格闘編
 前回の記述から約一年経過した。 
 現在の体重はこの一年間で48~52kg前後を往復、といった付近。
 食事は朝夜がメイン、一日トータルで例の9品目は揃うよう、普通に食している。食事では決して小食ではなく結構食べるが、やはり貪り食うような暴食は、4~5年前のようにはできなくなった。昼は空腹を抑える程度に軽めに入れる。甘いものも少しは食べるから、2004年頃のように神経質的に痩せていない分、体脂肪率は少し上がり、所謂ダイエットでいえば若干怠け気味か?なところ。そろそろまた体質改善を心得るべき季節かもしれない。

 しかし改善されたことは二つある。

 一つは、体重が少し増えている方が、肺炎の後遺症も悪化せずにすむこと。この一年、激化する夜のサービス残業的な時間超過労働の中で、昨年の春はまた一度通院したが、夏以降は特に症状もなく済んでいる。また、体重が46kgを割った時は、さすがにバイクで走る時、特に100km以上の長距離での疲労度がひどかった。趣味のツーリングの楽しみのことを考えると、自分の場合はファッションモデルでもなく、48kgあたりが適当かとも思うようになった。ただ身体が動かしやすいか否かの問題があるから、これ以上体重を増やしすぎてもいけない。このへんに努力目標を据えたい。

 もう一つは、毎週1~2回の掃除習慣が自分の中で完全に自然な生活ローテーションに定着したこと。定期的な風呂や台所の掃除、ベッドメイキング、はたきがけや窓拭き、そういった大した負担でもないちょっとした当たり前のことである。これらを、どうして子供の頃から大人になっても全く出来なかったのか、不思議な位だ。しかも4~5年前まで、掃除機をかけるなどということすら出来なかった。今ではそんな当時の自分が信じられない。実質寝室の6畳は比較的散らかっている「裏部屋」スペースとし、客を案内できる茶の間・フローリング・玄関と台所と風呂・洗面所・トイレ等の「人と共有的」なる空間は、そこそこ普通に掃除で保てるようになった。
 
 当初の「掃除ができない」というこのページの題名が、「掃除ができなかった」になりつつあるような状況となっているが、まだ「だからといって、そう得意でもない」というところは同じだろう。
 今後も、体質改善や生活改善の経過に関わる動向にふれつつ、時々記すことにしたいと思う。

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「花」の効用

2006-04-30 12:04:25 | 第四章 diet cleaning格闘編
 玄関とフローリングの間の窓の花は、特に人が訪ねてこなくても、自分一人のために日常的に飾っている。決して高い花ではない。自分以外の人が部屋に入るのに備えて飾るのではなく、自分一人の生活だからこそ花を飾るようになった。先日参照した『ドイツ流 掃除の達人』の影響にもよる。

 今月初め、これまた独居の叔父の入院先に、花を見舞いに持っていったところ、意外と良かったらしく、後で礼を伝えられた、ということがあったのも、影響を自分に与えているかもしれない。
 一人暮らしの人間には同居する配偶者や家族というものがないので、自分の世話を人にさせるという発想や生活習慣が、基本的に無い。特に意識せず普通の事として、必要最低限な生活用品は独力で買い調え、家事も最低限自分で行う能力と意思を持っている。叔父もそうだし自分もまたそうである。
 だが、そういう生活をしている人間には、つい忘れがちなものがある。「自分のための贅沢」のような精神的な領域の部分である。趣味の部分なら金を使って楽しんでしまうことはあっても、興味のない部分の買物は全くしない。その相当の年齢の世代であれば当然買うであろうと世間の通念が捉えがちなもの、例えば、ブランドものの貴金属や、車は、私には必要がないものなので、持っていない。

 窓辺の花、もまた、食物や衛生用品や衣料とは違う。それが無ければ生存できない、というようなものではない。「無くても生きられる」ものである。一人暮らしの人間の経済的倹約上、買うものも生活必需品を優先するだろうし、入院中の人間は、自分では花は買わない。
 自分も一人暮らしなので、叔父もまたそうなのではないか、と思ったのである。行ってみるとやはり、相部屋の病室の他のベッドの脇には妻や子や孫らからの「花」の「色彩」が散らかっているのに比べて、叔父のベッドの周囲は極めて整然と道具が片付いていて、無彩色の感じであった。それは、昨年入院した時の自分の病室のベッド周りのようでもあった。花を置いてみると確かに、そこに色彩が加わる感じはした。

 人生の中で、「花」は自分一人のために飾ってもよいものだ、と気づいたのは、そういったこともあったからかもしれない。
 見る人が何人でも、私一人でも、あるいは誰も見る人がいなくとも、生花はそれ自体が自ら美しく咲き続け、「ああ、きれいなものだな」と賞美する人間が私一人だとしても、賞美すれば応えるかのように咲いている。見る自分も和む。もちろん、訪ねてくる人があれば、その人の心も和ませる。
 例えば精神的な営みとして、仏壇や神棚に花や榊をあげるのも、物理的には花を飾ることとつながると思われるが、無駄なもののようであって、供える人の気持ちを考えれば無駄なものではない。よく考えてみると、むしろ逆に一人暮らしの人間だから、花を飾ることが精神的に必要なのではないか、と思われてくるのだった。

 「人が来るから部屋を飾るのではない」「一人だからこそ花を飾る必要がある」ということは、「来客があるから部屋を掃除するのではない」「自分一人で住んでいるからこそ掃除をする必要がある」という意味にも通じる。
 掃除をすること自体も、高い金をかけて贅沢をすることでは全然ない。が、結果的に快適であればそれでいい。
 それに、一人暮らしであるから「快適でなくてもよい」といって、汚いままで我慢する必要もなかったのである。汚れていて嫌だ、と思えば、我慢せずにその場でそこだけ拭く、という、その小さな繰り返しが積み重なっていけばいいようである。
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社会復帰

2006-04-08 23:38:43 | 第四章 diet cleaning格闘編
 自宅に来客を招く。

 10年ぶりかもしれない。転居してからは、初めてである。
 この10年近く、来訪者とは、仕事の関係の相手もプライベートの関係の相手もすべて、会社か外の街中の待ち合わせ場所かで会うしかなかった。関係者以外どころか私以外立入禁止の廃屋にひきこもって住んでいたからである。

 日頃の居間とは別の六畳の和室には、テレビと視聴覚ソフト(ビデオとCD、DVD)の棚だけ置き、応接室用に空けている。来客時のみ卓袱台と座布団を出す。DVDデッキなどが無ければ、昭和の小さくて古い民宿の一部屋といった雰囲気だろうか。土曜の朝の通常の掃除は済んでいるので、窓を開け放って風をよく入れる。暖かくなってきた。玄関から知人に上がってもらい、ちょっとした茶飲み話の午後を穏やかに過ごす。
 繰り返すが、外の喫茶店などを使わず、自宅を接待場所に使えるということが、三年前と比べると、自分には本当に夢のようなことなのだった。

 実際に来客を迎えてみると、使える急須や湯呑に茶托に菓子鉢、コーヒー碗皿セットやカトラリーの類の何が必要で、何が不足かが具体的にわかってくる。食器や茶器の手入れにもなるので、お茶程度でも時々こうして部屋に人を通すということが大切なのだと改めて認識する。
 この歳になってこのようなことを改めて学習訓練しているということは、正直に考えてとても恥ずかしいことではあるが、自分には必要なことであると思う。
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経過報告5

2006-03-18 15:30:47 | 第四章 diet cleaning格闘編
 現在の住居である。
 玄関のドアから入った所で見える視角である。
 転居後、半年以上近く保っているこの形を最低でも、今後も維持していけるように(一時的に散らかっても、またこの形に戻すように)心得として撮影してみた。

 玄関から続くのは、廊下からフローリングの続くダイニング用の5畳程度の間だが、一人暮らしなのでダイニングセット等は持っていない。今は出窓を細テーブル代わりに、カフェ風の折りたたみ可能なスツールを置いて、ひと休みしたりするフリースペースに使っている。ちょっとした来客も、ここでお茶を一服していただいたことがあった。先日電気修理工事にいらした業者の方が言った。
 「素晴らしい海の眺めで、くつろげていいですね」
 内心、衝撃を受けた瞬間であった。
 この十数年近く自分の部屋は玄関から廊下・居間まで、床が見えない程に混沌をきたし、他人が足を踏み入れることさえできなかったことを、改めて思い出したからである。大体、他人から部屋を誉められたことなど、この十数年、皆無だった。
 ましてや、一年前まで「雨がふるたびに、いつ一階の床に穴が空くか、すかすかの柱がいつ折れて崩落するか、不安と憂鬱に襲われる家」に潜伏していたのであり、その経緯はこのページにも書いてきた通りである。もっとも、そんなことは、とても語れない。
 
 本棚・CD棚・テレビ棚等は現在のところ組立式スチールオープンラックを利用している。六畳の奥の二間程の押入を、クローゼット代わりに使用して、大きい箪笥などは買わずにいる。台所も食器棚等は一切買わず、団地住宅用キッチンの作りつけの棚内に食器類を収納してしまった。
 玄関はどうしても上がり口が狭く、傘立てと並べて入るべきスペースを巻尺で計り、圧迫感のない大きさやデザインの下駄箱を探していたが、なかなか見つからなかった。そこで実はシューズラックではなく、細めのガーデニング用スチールラックにラタンボックスを入れたものを下駄箱代わりに使っている。元々の玄関の壁の色と合わせてボックスの形状を選んだ。一人用の靴の量ならそこそこ隠して収納できる上、軽量なので動かして掃除もしやすい。


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経過報告4(転居その後4)

2006-02-26 11:37:30 | 第四章 diet cleaning格闘編
 引越の最後の関門ともいえた押入の、湿気と虫害による結果(2005年12月撮影)を、これも尾籠ながら、後の戒めのために残しておく。
 こたつ用の上板(左)は元々親類の大叔父の自家製で、実家で使わなくなったものを学生時代の下宿で、60cm角小型こたつに使っていて、そのまま持ってきたものだった。年々室内のがらくたが飽和して、こたつ自体を置く床面積もとれなくなったまま、押入に年々死蔵していたところ、やられてしまった。

 押入の柱と中板の内部は、白蟻のためにすかすかに空洞化し、折れて裂けている。手で容易に解体できる。内部のダンボール箱の類がまだ残っている状態で撮影したが、箱の中身のうち、プラスチック類は形を残して保存されていたものの、本や手紙など古紙類は貼りついて枯木のような塊と化し、判読も不能だった。

 この場所を「開かずの間」として立ち入り禁止にし、専ら上の2階で寝起きしていたのだが、家全体のハウスダストの問題を考えても衛生上、充分に異常であった。
 なぜこの状態を何年間も放置したまま、目を合わせず避けるようにして住んでいたのか。精神状態としても、今思うと、病的であったように思われる。

 このサイトを書き始めた2003年9月の時点で、私は体脂肪30~40%近い「肥満」体にして、「掃除ができず、ゴミのように物があふれて床に足の踏み場もない室内」に住んでいる状態だった。
 そこから、2006年の2月で、約2年半が経過しようとしている。当時の自分がなぜあのような食生活と住生活をしていたのか理解に苦しむ、と思うほど、今の自分の身体状況と住まいの住み方は、全く変わってしまった。

 それだけこの2年半で、生活習慣全体を見直していったことになるのだろう。
 それ以前、一人暮らしが長いといっても、自分自身は外の仕事―会社の業務を優先している気になって、家の中の事に関しては面倒くさがり、全然無関心であった。
 しかし、食事や掃除や整理整頓は、人間の健康や精神のものの考え方を根本から支えるための、非常に重要な世の中の常識である。自分はその意味を軽視し判断停止してしまっていた。そうした考え方が、食べたいものは考えなしに食べて中性脂肪が増え、欲しいものは何でも買って物が混沌と溜まっていき、死蔵したものが使われずに腐っていくような、肉体的精神的荒廃の生活に、自分を追い込んでいたのだと思う。
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経過報告4(転居その後3)

2006-02-04 02:53:42 | 第四章 diet cleaning格闘編
 11月下旬に引越業者に依頼して行った第二次の家財移動では、家具で運ぶものは無かった。50個程のダンボール箱のほとんどは書籍である。移動先の納戸の四畳半の、前回引越分の荷物を寄せてスペースを全体の半分程空け、そこに積んでもらって、ほぼ一部屋を満杯にしたのである。

 建物主(会社)からは、崩壊した木製の本棚や食器棚(ガラス戸などは既に取り外して別に廃棄している)等は「12月の解体の工事の時に一緒に一度に崩すので、そのままにしておいても撤去しますから、残しておいても構いません」と聞いていた。しかし、まだ残っているごみを、可能な限り解体の予定日までには自分で取り除きたいと思った。
 住んでいた時でさえ、混沌とした室内を羞恥する余りに、7~8年間は他人を一歩も家の中へ入れなかった程である。実を言うと電灯や浴室が故障しても、修理の業者を家の中に入れたくなかったがために、そのままにして電気スタンドを代用したり銭湯に通ったりしていたのだ。今残っているごみの大部分は、虫害で損壊した本やダンボールや日用品等の可燃ごみであって、自分がこの室内で生活していた模様の痕跡が窺える私物に他ならない。人目に晒さず自分で廃棄したいという思いが強すぎて、この引越にも半年以上の時間がかかっているのであった。 

 一方、12月に入ると、新居である3DKのフラットでの自分の生活も正味で約4ヶ月目に入っていた。ウイークリーマンションでの1ヶ月の生活期間を加えると、ほぼ5ヶ月の間、毎週一度は玄関台所廊下から居室全部に掃除機をかけ、ベッドリネンを全部取り替え、風呂と台所とトイレを掃除して、その週に出す分のごみと古雑誌やチラシ類をまとめる、という生活習慣が続いている。
 本は本棚と机周りに、服は押入を利用したクローゼットに、薬や文房具や日常道具は引き出しに、という片付け場所を決めている。
 台所道具はすべて作りつけの流し上下の棚に収納してしまった。
 最も奥の南側六畳和室を寝室兼書斎兼居間として専ら使用し、物置納戸の四畳半以外は、玄関から続く5畳程度の洋室は使わず入居した時の空きスペースなままで、電話だけ置き、テレビとビデオ棚のある六畳和室の居間も、まだ何も無く床の空間を残している。賃貸住宅なのでいずれは移る仮住まい、と思うために、家具を買わないでいる。

 平日の通勤と業務の忙しさは、この日記を始めた当初と比べてもあいかわらずだ。家へ帰ってくれば、入浴と食事と明日の仕事の準備と、あとはテレビかラジオか音楽を聴くか読書するかしているうちにすぐに睡魔に襲われ、朝に意識が戻ってまた働きに出る、という繰り返しであって、調理の時に台所を拭いたりごみをまとめたりするのもその一連の動作の流れの中で、特に意識せずとも次第にローテーション化しつつある。

 しかし、休日になってみると、普通に片付いている畳の和室に座り、静かにお茶を入れて、窓からさす光を眺めることができることに気づく。築20年程の中古の公団住宅であり、大した家具などない。が、それまでの棲息場所と比較すれば新居と言ってもよい。実家に帰った時や知人宅に泊まった時などを除いて、このような住環境での「自宅」の過ごし方ができるようになったのは、何年ぶりだろうか、と思った。
 2005年の秋に今のような場所で生活している自分を、この日記を書き始めた2003年の秋の頃の自分は、全く予想さえしていなかった。今は、それは何か非常に異常なことだった、と思える。
 私はなぜ、早くこういう場所に引っ越さなかったのだろうか?
 
 自分は学生の頃の六畳一間の間借り生活の時から、もともとインテリアに凝ったこともない。それどころか、特にこの数年間は、そもそも論外な散らかし方の混沌と埃の中に暮らしていた。

 12月中旬、屋内の荷物が片付いた旧宅は、片付けも最終段階に入ってきた。空っぽになってきた旧宅では、本来そうであったはずの空間の広さが認識された。この床一面に本が散らばりうず高く積み重なって、床の畳が全く見えなかった中を、泳ぐようにして、自分は二階の寝台にたどり着き、ほとんど生活全般をその付近の六尺四方程度の場で済ませていたのだ、と思い出す。 
 そこにあったものは、すべて片付けられて、何も残っていない。

 確かに、ここにいた時には、「ここから出て、普通に片付いた部屋で生活しよう」というような気力も意識も、自分は失っていたような気がする。
 私はなぜ、ここにずっと住み続けていたのだろうか?
 
 最後まで処理せずに残しておいた、一階の押入に、いよいよ立ち向かう時がやってきた。

 
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経過報告4(転居その後2)

2005-11-26 11:57:47 | 第四章 diet cleaning格闘編
 古本はダンボール8箱位、古紙類も相当量、リサイクルに出した。
 そうして梱包した箱を、その日や平日の会社帰りなどの帰宅の際にも、少しずつ運んではいたが、それでもまだ、第二次引越の日に残っていたダンボール50個程を、運送業者に新居へ運んでもらった。一応、新居の一部屋、四畳半一間と押入をすべて納戸=倉庫として、ほぼ一杯に天井まで積んで収納する形である。
 旧宅は取り壊し作業が12月以降に予定されているから、今回は家財道具の搬出がとりあえず先決となった。当日まで整理が間に合わず、不要物を廃棄しきらず詰め込んだ箱もあるので、新居の納戸の中は、これから時間をかけて、箱の数を減らしていかなければならないだろう。

 一階押入付近のみならず、一階台所の食器棚や一階居間の本棚も白蟻の被害が大きく、壁や床に接した面の侵食が進んでいる。これらも新居での再利用が不可能などころか、もはや壁や柱と一体化して移動させることもできない。建物管理者から解体工事の際に同時に崩す予定であると言われたので、ガラス戸などは取り除き、そのままにすることにした。 
 二階で使用していた木製の本棚や机の側面と壁の間には、いつのまにか鳩が侵入して巣を作っていたらしく、鳩自体は既に不在であるものの、鶏糞の痕跡が広がっていた。過去以来のハウスダストやダニ、ひいては肺炎の原因も疑われる。直接白蟻の被害は無かったが、これらも廃棄する予定で、旧宅に残した。

 この記述を始めた2年前、それ以前の約5年前から、「掃除ができない」まま、ただただ部屋の中に異常に物が溢れていくという状況が続き、そのことが実質上、結果として、押入や本棚や家財道具に何をもたらしたのか。
 この半年以上かかっている引越作業は、その根本的問題を自分に認識させるものとなった。
 その過程で大量の物品を廃棄処分しリサイクルに回す作業が続くうち、ふと思った。
 掃除や整頓の問題と、「ダイエット」の問題と、種類は一見違っていても、考えるべき要領は、同じなのではないか、と。
 
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経過報告4(転居その後1)

2005-11-26 11:43:17 | 第四章 diet cleaning格闘編
 11月中旬、第二次引越作業を実施した。
 研修から戻ってきた9月以降、前回に梱包が間に合わなかった書籍類など旧宅に残したままだった物品を、週末の日中、一人でこつこつ箱詰めするという作業が続いた。平日は昼夜業務のため、ほぼ週に1日程度しか時間がとれなかったからである。1月のアレルギー性肺炎の後、さらに3月4月の地震余震以来、壁や柱が所々崩れハウスダストを恐れることもあった(作業中はマスクを常備した)が、脆くなった旧宅の床や階段は載るとふわふわと揺れる感触が恐く、安全を考えて夜間の作業は極力避けたかったということもある。著しくはかどらない作業であった。

 幸い今夏は昨年と違って台風被害が少なく、大きな余震もなかったので、不在中の旧宅の全壊というような事態は無かった。が、箱詰め作業の中で、最も湿気が集中した一階の四畳半に続く押入の中が、地震と虫害の両方によって、中の荷物と中板ごとぼろぼろに土塊化していたことがわかってきた。実は地震後にこの一階の押入の柱と襖が割れ歪み、下手に中を出すと天井と二階が崩落する危険すら感じられたため、結局手つかずのままだったのであるが、その間に虫害が進んだようだった。
 中の荷物は古雑誌や古本、昔のテレビ録画した映画VTRなどで、もはや泥のようになってしまい使用不可である。こうしたものや、箱詰めの際に不要と判明した物は、一方で廃棄することになった。
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環境のストレスとリバウンドの関係(2)

2005-10-30 15:11:54 | 第四章 diet cleaning格闘編
 住民票移動後の4ヶ月のうち、実は8月の約一ヶ月間、研修命令で出張していた。現在の3DKの住まいを数百キロ離れた一地方都市で、約8畳一間のウイークリーマンションに滞在することになったのである。自炊生活であることには変わりない。
 
 会社の研修先と宿舎とを朝夕、自転車で片道10分程で往復する毎日だった。朝食夕食は自宅で、昼食は食堂を使うことができる。マンションの前に駐輪スペースが無いため、三階の部屋の入口前のポーチまで、26インチのタウンサイクルを担いで階段を上って駐める。朝は担いで降りて走る、という運動付きだ。
 しかし、この生活は、決して減量効果を生まなかった。
 どうも「環境の変化」が、私個人にとって、相当のストレスになったのだと思われる。
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環境のストレスとリバウンドの関係(1)

2005-10-30 15:08:52 | 第四章 diet cleaning格闘編
 このひと夏は、「ストレスとリバウンドは、いかに関係するのか」を、自分の身体で実験しつつ考える機会となった。

 6月の健康診断の後、7月には第一次の引越業者の見積もりと引越日が来て、旧居の約60%の家財、洗濯機と、主に書籍類の入ったダンボール60~70個が運ばれた。
 前もって、冷蔵庫とテレビは20年以上使用していた旧機を、そして地震で破損していたベッドを、処分し新規品を配達してもらい、運送料を節約した。またガス台は旧宅の分を新居でも設置可能とわかり、これも引越日より先に、旧居のガス栓停止の日の朝に地域のガス会社立ち合いの元に取り外してもらい、それをバイクに積んで運んで、同日午後に新居に設置している。ダンボールに詰めても比較的軽い衣類や日用品、電器の類は、退社後の帰宅時に、一日1~2個ずつバイクに積んで新居に運んでいたので、引越日前に相当数が押入に収まっていた。
 この7月の第一次引越の段階で、とりあえず身の回りの生活用品と必要な書籍を先に新居に移動できた。まだ運びきれずに残っている分は、旧居が物置代わりである。

 実際に変化した居住空間は、確かに格段に快適にはなった。広さも広く、給湯器があり、破損しておらず夜も明るい室内照明のある部屋は、旧居に越す前のアパートの生活のレベルに戻ったか、それ以上に少し向上したという感覚を与える。昭和40年代から平成の時代に辿りついたという気分である。
 しかし、実際に住んで1ヶ月程度で、まだ「自分の家」という感覚が希薄なまま、精神的には「家を転々とする」事態となってしまった。

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経過報告3(掃除)

2005-10-16 16:33:15 | 第四章 diet cleaning格闘編
 住民票を移動してから約4ヶ月半、新居で生活を開始してから約4ヶ月が経過した。その後の生活の変化を若干報告する。
 驚くべきことに、私は週に1~2回、台所・廊下・玄関・脱衣所と居間と、ほぼ全室、掃除機をかけている。
 入院の時の病棟の清掃の間隔を見習い、週1回シーツやカバー等のリネン類をとりかえている。
 週に約1回風呂場掃除をしている。
 自宅にあった約600枚のCDを整理し、現在30枚くらいは中古品として処分可能だ。
 「箪笥の肥やし」になっていた服も大量に処分し、また使い始めたので、今年の夏は全く服を買わなかった。

 風呂付きの、給湯器のある家で、窓から見える景色も部屋の中の具合も変わると、人生の感覚さえ少しずつ変化していくようだ。
 荷物の大部分は押入と、納戸代わりに使う四畳半の一部屋に収めている。まだ取り出していない。
 だからかもしれないが、まだ「自分の家」という慣れた感覚が出来ていない。
 使い始めて本棚にある本などはすぐに雑然となる。インテリア雑誌の写真やモデルルームに見られるような「生活感のない部屋」には、たとえどんなに道具が少なくとも成ることはない。もう少し乱雑に散らからないと、慣れないのか。
 が、一年に数回も掃除をしない、掃除機をかけるのも数年ぶり、などというこれまでの生活の方が、異常だったのだと、今は思う。
 少なくとも、今の部屋なら、(まだ家具も座布団も揃っていないが)人が訪ねてきても、あがってもらってお茶の一杯も出そうと思えば出せる。それまでは玄関のドアから他人が立ち入ることさえ危険で恥ずかしく、宅急便の配達にさえドアを開けきれなかった位だ。「掃除をすることを日常生活のスケジュールの中に習慣的に普通に入れる」今の状態が、普通の一般の人々も自分の実家の家族も行っている普通のことなのだと思うようになった。これも自分が社会生活を続けていくためのリハビリのようなものだ。
 道具を一度に広げてとりちらさないでいると、自分が毎日使う生活道具の量など、たかが知れているので、大して多くは要らないのだということも、少しずつ分かってくる。

 実はまだ引越作業は完了していない。解体予定の旧居の押入に、日常使わない古本や昔の道具などが残っている。
 この残りの荷物を、あと2ヶ月以内に、暇をみて新居に運ぶか処分するかしなければならない。

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経過報告2(健康診断)

2005-07-26 14:40:24 | 第四章 diet cleaning格闘編
 今年も6月に職場の健康診断を受け、7月中旬に結果が来た。
 2005年1月に届いた2004年12月の人間ドックの結果までに至る前年からの数値と合わせて比較してみる。なお、今回の計測では身長153.2cmと出た(どうも152~153cm辺りの身長らしい)。

         体重   BMI  体脂肪率 : 血液血色素量 : 血圧 最高/最低 の順に掲げる。
H13.11の値→  58.7kg   25.1  31.7 :    12.1 g/dl    : 108/56   
H14.6.の値→  58.2kg   24.7  30.4 :    11.9 g/dl     : 96/52
H15.2.の値⇒  62.4kg   26.9  -- *:    11.5 g/dl     : 121/76
H15.7.の値→  63.0kg   27.0  32.5 :    10.9 g/dl     : 102/62
H16.6.の値→  47.0kg   19.9  21.0 :    12.7 g/dl     : 94/52
H16.12.の値⇒ 47.4kg   20.4  -- *:     12.2 g/dl      :101/57
H17.6.の値→  46.2kg   19.6 19.0     10.9 g/dl      :98/38

        : 中性脂肪・総コレステロール・HDLコレステロール の順に掲げる。
H13.11. → : 158mg/dl ・158mg/dl ・63mg/dl  
H14.6.→ : 182mg/dl ・189mg/dl ・68mg/dl
H15.2.⇒ : 177mg/dl ・197mg/dl ・64mg/dl
H15.7.→ : 183mg/dl ・203mg/dl ・50mg/dl
H16.6.→ :  75mg/dl ・223mg/dl ・75mg/dl
H16.12. ⇒  : 35mg/dl ・186mg/dl ・77mg/dl
H17.6. → :  46mg/dl ・157mg/dl ・75mg/dl

  *)人間ドック(「⇒」で表示)の結果は、BMIのみで、体脂肪率測定値は含まれていない。

 今回の健診でも、HDLの値はあまり変化がないが総コレステロール値は下がっている。
 現在まで、(一食の食事時間は多忙の中で次第に短くなりがちで反省しているが)一日三食トータルで各品目を摂ることを頭に入れて、ご飯と汁・主菜・副菜で野菜を一食100g以上にする、という基本的な食習慣は、それ以後もずっと続けている。減量中の一時期、動物性蛋白質を多量に摂っていたものの、その後の三食への移行によって植物性蛋白質(豆類。納豆や味噌、豆腐の類)などをよく摂る食事構成となり、動物性脂肪の摂取(一食で主菜の魚か肉は一品、一日一個の卵、朝に乳製品一品、など)が過剰にならぬよう抑えられているからだろうとも思う。
 去年の夏より+1~1.5kg程度で維持していることになるが、昨年の夏秋に減量で多少スタミナ切れの心地も覚えたこともあり、この位で試していこうと思っている。気をつけるべきは元来(太っていた頃と、この点は同様)の体質の、平素より低めの血圧や血色素量である。蛋白質やミネラルなどバランス良く補給していくこと、軽くなった身体をおっくうでなく動かしたい時に動かすこと、などを心掛けている。

 完全に炭水化物を制限していた頃よりは、応用が利くようになってきた。減量の影響で味覚が変化して、きつい甘味のものはあいかわらず苦手になったままだけれども、穀物を糖化させた麦芽糖系の米飴・芋飴、黒糖などなら、甘すぎず淡い美味さを舌が感じるようになってきた。素朴なものの方が美味しい。頂き物の和菓子(時々、甘すぎるものもあるが)、黄粉や大豆や落花生などを用いた豆菓子の類等は、食後のお茶やコーヒーの際に適宜いただく。
 これも減量時からの習慣で、そのデザートを含めて三食各々の食事の時に満足するように食べるので、次の食事の間におやつとしてお菓子を食べることは無い。ご飯もお菓子も「量を過ごさない」「食べるタイミングを違えない」ようにつきあうことによって、人々と会食する時も「殊更にダイエットしているようには見えない」「不自然感を与えない」食事を模索している。もちろん自分の認識の中では、これが本当の意味でのダイエットになってきた、と思っている。
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経過報告

2005-06-04 08:42:27 | 第四章 diet cleaning格闘編
 6月に入った。
 5月中旬に旧都市公団の団地賃貸住宅一軒を契約し、先日入居手続きを済ませた。
  
 とりあえず旧居からは徒歩15分位の近場であり、時々通っている。先週ようやく室内の掃除や室内灯・カーテン・エアコン等の準備だけ終えた。水道と電気の手続きもしている。
 今回の掃除に関しては、畳やフローリングの乾拭き、「目」にそった掃除機がけなど、物の本で「正しい方法」を調べながら行っている。なぜそんなことを、と言われるかもしれない。「知らなかった」からである。いかに独居生活が長くても、いや、他人との共同生活を20年以上もしていないからこそだろう、全く知らないのであった。
 家財道具が何もなければ、掃除はしやすい。しかし全く慣れない作業である。転居したら、このような掃除機がけなどを定期的にスケジュールに組む必要がある。それが世間の常識であるとは思うけれども、私の人生において未体験の領域であるというだけである。

 梅雨も台風の季節も近づいている。あとは家財を早く運べ、という話なのだが、平日も休日も勤務と残業が続き、旧居の片付けも家財道具の一括移動もできずにいる。ガス台や冷蔵庫の移動も、台所と玄関の「物」が無くならないと「通過できない」のだった。
 こうなると、もう今までの「四角い部屋を丸く掃く」式の整理ではなく、「これを全部動かしていずれはこの中をゼロにする」整理に、移行しなければならない。試しに詰めてみて、それでもまだ10数個のダンボール箱にしかならない押入の入口の分を、まだ床が見えないほどに一杯に広がった無分別な堆積物の原野と見比べて、嘆息する。(不要物を捨てながらとしても)必要で移動する分を詰めるならば、趣味目的と仕事目的の両方にわたる書籍文献やCD、映像・録音テープやその他資料だけでも箱は100個や150個では済まないと思われる。運ぶ量はどこまでになるのか、そして作業はいったいいつまでかかるのか。

 その後の体重はほぼ45kg台を上下しながら留まっている。日常業務と並行の移転作業を全く一人で行っているため、精神的ストレスはかなり高く、時々食欲が亢進することもあるので気をつけたい。基本の一日三食、ごはん+汁+主菜+野菜の食事を続けている。頂き物の菓子や果物も、午後や夕方にではなく、昼や朝のデザート=食後に食べる(時にはその食事のご飯を少なめにする)、という方法で、炭水化物の一環として少量組み込むことを試している(食事と別に3時や夕方の空腹時に食べることは無い)。お菓子も仕事上の会食等で、「場」を弁えて(社交上)たまには食べなければならない必要のあることもある。「どの程度まで食べることができ、度を過ごさず、維持できるか」が分かればよい。

 最近食べてみて初めて美味しいと思うようになったのは、八朔や甘夏などの酸味のある柑橘類であり、昼食後のデザートにすることが多い。自分が太っている時には酸っぱくて全く食べられなかったものである。当時は果物全般が「酸味」で苦手であって、砂糖を入れて菓子等に加工されているもの、みかんよりはりんご、という感じで、めったに食する習慣がなかった。食事の変化で味覚も変化して、煮物の調味料にせよ果物にせよ「甘さ」を強く感じるようになったためだろう。今では逆に、苺を食べるにも練乳等はかける必要がなくなったし、プレーンヨーグルトに砂糖やジャムは入れない。アイスクリームは甘すぎて一度に大量には食べられなくなっている。
 
 作業多忙のため、この「記」も、今後時々の経過の報告としたい。
コメント (2)
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