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Cannot Do Cleaning, But…(returns)

生活方法(掃除など)や体質の改善(ダイエットなど)について考える日記・「減量後の維持」

intermission、そして結果

2005-03-09 08:49:11 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 本音を言うと、実は何よりも、自分には密かな喜びがあった。入院した最初の日の昼食の時に、まず思った。
 (「…す、すごい。こんなにたくさん、『ご飯』を、食べても良いなんて…」)

 普通の人から見れば、それほど「たくさん」ではない量である。周囲の人々に対する恥ずかしさもあって、誤解を招きそうで、言葉に出しては全く言えなかった。が、無言でご飯を口に運びながら、その懐かしい味を何度も噛んで噛みしめる。ぞくぞくした。毎食いただけるご飯は、自分の家の茶碗でだったら軽く一杯強の見当になるとみた。その日常的な感覚も一年二ヶ月ぶりだ。おかず無しでご飯を口に入れて噛んでも、美味いと思ってしまう。
 かつては実家から魚沼産コシヒカリを送ってもらって飽食を尽くしていた自分が、よりによって、病院食のご飯の味などで、感動するとは、と少し苦笑もする。だが、このご飯は、一粒も残さず、食べてよいものなのだ。「食べちゃいけない、肥る」と自分を責めたり、罪悪感を感じたりしなくて、良いのである。その精神的な自由が、何と嬉しいことか。

 それを食べないと決めてからずっと、全く食べずに来た。その分、別の食品、野菜や蛋白質やミネラル分をがっちりと充分に食べてきて、空腹には陥らなかった、とは言うものの。


 入院して一週間後、体重測定の日となる。病棟の廊下にその日一日だけ出してある体重計に、朝、まだ空いているうちに向かった。朝食前で、本日のお通じはまだである。
 入院前日の夕方、銭湯の更衣室で、夕食前の風呂上がりに脱衣のまま測定した時、47.1~47.2kg程だった。それ以来測っていない。
 今日の測定は廊下でだから、着衣のままで測る。
 46.8kg。
 ほぼ増減なく維持。着衣の状態だから微々減ともいえる。結果は判明した。
 自分は、次の段階の試行を決心した。

食の嗜好性2

2005-03-07 00:27:52 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 なぜ「パン」や「麺」ではなく、「ご飯」なのか。
 何を隠そう、私は新潟県人である。実家でも今の生活でも、朝からご飯食が普通であった。生まれも育ちもまさしく「ご飯」で来た。
 減量するために、自分が食べるご飯の量を減らすことには、まだ耐えられる。しかし、残したご飯を捨てたり、その価値を蔑ろにしたりすることに対しては、そもそも非常に強い抵抗感がある。そのような行為は非道に思え、罪悪感がどうしても拭いきれないのだった。

 それは何か根源的な、歴史的かつ風土的にも親や先祖から教え続けられ身体にしみついているような気がする位の、無意識のうちの感覚であり、素朴な感情でもある。その米の一粒が出来るまでの、育てた人の苦労を思うと、一粒も無駄にはできない、と、くりかえし教えられてきた。誤って台所の床に落とした米粒があれば、一粒一粒拾わずにいられない。もちろん米に限らず、野菜も肉も魚も豆も乳製品も、あらゆる食べ物が、身体と生命を作るための大切なものではあるが、「米の飯」には何か、大いなる因縁の深さのようなものを感じる。

 その感覚は私の全くの個人的な感覚であって、別に他人に、ましてや新潟県人全員や日本人全員に強いるものではない。同様の特別な思い入れを、ご飯にではなく、パンや麺に感じる人もあるだろう。あるいは、炭水化物食品に対して、そういう感覚が全く無くて、解らない、という人もいるかもしれない。人それぞれ勝手であり、私の場合はご飯に対してそれがある、というだけの意味である。

 そのような感覚が元々の素地としてあったところで、ひとたび食生活が乱れ食欲の脳内コントロールが利かなくなった時に、美味しいからといって、ご飯からお菓子・コンビニのパンや弁当のドカ食いに至る「炭水化物中毒」症状の過食が始まり、かつての肥満を招いた、とも考えられる。だが、そんな食べ方は逆に、「ご飯」の有難さや尊厳を甚だしく喪失させるような、粗雑かつ下品で無礼千万な食べ方ではなかったか、と、今は思っている。

 以上の事情を踏まえて再び考えると、自分にとって「炭水化物制限」は、あくまでも体脂肪減量の「手段」であるべきではなかったか。ご飯を食べない食事が「人生の目的そのもの」であってもいいのであろうか。まさしく本末転倒ではあるまいか。
 私の人生の目的は「いつまでも体重を減らし続けること」ではない。
「減量した結果の、適切な状態を、ほぼ一定に維持すること」である。動きやすい身体になった自分の体格を自分として認知し、その生活を楽しむこと、であったはずだ。

 ある程度に制限されているともいえる、この位の量のご飯を三食食べることができ、それでもし、現在の体格が維持できるというのなら、それに勝る喜びはないはずだ。戻すなら、元々基本であった食事の形態に戻すことが自分の精神的にも自然で、望ましい。その感覚でいうと「常食」の主食はやはり「ご飯」であり、これからも一生付き合うことになりそうな気がする。
 自分はここで、減量を始めた時の「初心」をも思い出したのである。


実験の経過

2005-03-06 13:50:00 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 病院食が三日、四日と続くと、朝昼夕の一日三食の型が、次第に習慣として定着してくる。

 加療中の肺炎の症状は大分改善し、血液や肺活量やX線など諸検査を受けに入院棟から外来棟へ移動する時も、エレベーターでなく階段の昇り降りで行く。少し遠回りして売店に寄って戻ったりしながら、なまった身体を徐々に慣らしていく。慌てて急激に無理をしてはいけない。運動も食事も、要は少しずつゆっくりと、しかし習慣的に、という考え方を、これもダイエットから学んでいて、役に立っている。

 ただでさえ悪しきインフルエンザが流行している季節であり、呼吸器科などの他の外来患者等から風邪をもらったりしてもいけない。そのため、自分の関係者には、見舞いと称して病院に来たりすることのないよう、指示している。元々同居家族も無いので、このような一種の“面会謝絶状態”であっても、さほど自分の一人暮らしの日常と大差はなく、洗面や洗髪、洗濯も空いた時間を見計らって、自分で行う。この軽い労作も「運動」の中に含まれる。
 入浴のための浴室使用可能日が一日おきなので、毎日入浴する習慣の自分は困ったが、洗髪と洗面で凌いだ。また、毎日の排泄は順調で、午前中必ずお通じはあるものの、その量は、減量過程期で野菜を大食していた頃に出ていた最大量の、約半分位。しかしこれがおそらく、普通の量か、とも思う。今の食事の方が「野菜」の量が少なく、「ご飯」がその分多いので、ご飯が野菜の一種として食物繊維の役割も担っているかもしれないと感じる。便量が減った分、水分を適宜多めにとることで、快適なお通じを心がけた。
 
 このような生活習慣の中で、次第に自分は「退院後の食生活習慣」のことを、イメージするようになってきたのだった。この「実験」の結果をみて、一日三食にするのか、退院後にどの程度の炭水化物を導入する食事にするか、を考えたいと思うようになる。

 一日三食にすると良い点の一つは、「他の人々と食事休憩時間が一致する」ことによって「他の人々と会食することも、今まで以上に可能になる」ことだ。
 一日二食の人は、やはり周囲を見ても稀である。自分のこの一年二ヶ月の挑戦は、ある種「長距離ランナーの孤独」の様相もなくはなかった。元々「孤食」に対して、その是非は人間それぞれの性格や人生観や生活形態の違いとも関わるものであって、私自身は全く抵抗がない。が、社会人として、夕方の宴会で酒もご飯も食べない、社内食堂で昼食を食べる姿を一年以上目撃されない(「あいつは昼飯をどこで食っているのか?」)、午後のお茶の時間なのに一切お菓子も果物も食べない、等々があまりにも続き、そして、ある人間がめっきりと瘠せていく、というと、さすがに周囲の人々は憎むというより異様さを感じ、黙っていると「本当に何も食べていないのではないのか?」と無気味がる。食事時間がずれているから、人前で食事を摂っている姿を目撃されないだけであるのに、そんなことで人々との日常の意思の疎通にも遠慮や距離が生じかねないというものである。

 そのあたりで、楽しい友人たちの雰囲気につられ、ルールを破ってお菓子に手を出し、リバウンドする、という位が、人間の性格としては愛されるべき、「可愛げ」や「愛嬌」がある。むしろ世の中には、そういう「破る位でちょうどよい」人の数の方が多いのだろうし、それでダイエット産業が潤っているということもあるのだろう。
 しかし、私は性格的に、どうもその愛嬌の欠落した、可愛げの無い人間であるようだった。食べないといったら食べない。食べなければいけないものを食べる。その点は自分にも人にも、はっきりしている。数十年の独居生活が続く理由もその性格にあるのかもしれないし、減量過程期もそれで一年二ヶ月、来てしまったのだ。それだけ、強迫的に「ご飯恐怖症」的なところもあったわけである。

 そろそろ、一日三食に戻す、よい機会かもしれない。ご飯も適量ずつ食べられるなら、さらに「普通の人並みの食事」らしさも増した食膳を囲むことができる。人間関係の円滑化が図れれば、業務も円滑になる。
 それだけではなく、「ご飯」で実験を続けた理由は、もう一つある。

食の嗜好性

2005-03-05 23:47:17 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 「病院食=不味いもの」、のような一般的な俗信がある。確かに、自分の家で作る味付け方とは違う上、醤油味の煮物や具の少ない味噌汁などは通り一遍な感じもしなくはない。しかし、使う材料や和え方、取り合わせなどは結構工夫されていて、種類もあり、なかなか自分の家では考え付かないし作らない、と思われる献立もある。意外と美味しいものも少なくなかった。また、配膳車で食事直前まで料理が保温され、ご飯も汁も菜も、熱いものを食べられたこともよかったと思っている。

 薄味だ、と言う人も多いが、自分は一昨年からの食生活の習慣改善で、もっと薄い薄味に慣れていたりするのだった。塩辛い食材の勢いでもってご飯を一気に食べる、ような食べ方は、全く無くなってしまった。スーパーの惣菜の煮物を処分価格で買って加熱し直して夕飯のおかずに加えたりすることもよくあるのだが、それがしょっぱいので、青菜のおひたしに醤油をかける必要がない、ということが多い。  
 病院食でも、味の濃いものを好む人がどうしてもご飯が進まない時、ともかくその勢いでご飯をかっこむ、そのために付いているとしか思えないような沢庵漬や野沢菜漬が、付いてきたりする。それらは比較的「減塩」の漬物らしいのだが、それすらもかなり塩辛く感じられる。個包装袋入りのフレンチドレッシングなど、1/3で済む。ヨーグルトサラダや、もずく酢の甘酢なども、砂糖甘すぎるほどだ。
 が、塩分量も糖分量も計算されているのだろうし、自分自身には特に、食べ物の好き嫌いは無い。他の物をさらに食べると計算が狂うので、一日、与えられているこの食事だけを完食する。それによって、はたして1900kcalの食事が私の体格の維持に合うのか。それを実験しているのである。
 
 病院食とは、先に述べたような献立が大体のところであるが、一週間の間に、一日だけ、朝食が「選択食」の日がある。その時はメニューが二通りあり、「ごはん」主食のいつも通りの和食か、「パン」主食の洋食(おかずはサラダ、卵、ハム、牛乳、といった感じのもの)か、を、前日までに申請して選ぶことができる。
 しかし、自分はパン食は頼まず、入院期間中は全て和食の「ごはん」の献立で行き続けた。それには、理由があった。

栄養の考え方

2005-03-04 00:44:08 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 献立の構成内容の点で比較すると、減量過程編の「一日二食」の時は、参考文献に従い、ほぼ「一食事」を一単位とし、その一食の中で「必要と決まっている食品目を、欠かさず揃える方を優先する」方法をとっていた、と考えることができる。
 それに比べて、病院食の方は、「三食」の「一日」を一単位とし、その「一日」の分のカロリー以内で「全食品目と全栄養を揃える」ことになる。このことは、毎日の病院食の献立を記録していれば、誰でも気づくことだろう。一日の食事を一日三回に分けて摂っている、と考えてもよい。その一日分のトータルの量と質が、基本の概念なのである。従来の自分の食事の要素に「適切な量」という考え方が加わってきたようなものだ。

 腹が空いたら何でも場当たり的刹那的に腹に詰め込むような考え方は、一昨年からの減量経験で既に自分には無くなっている。朝と昼食べたものから夜何を食べればよいか、トータルでイメージして思考する方法も可能だ。現代は一日三食が普通だから、「慣れた二食から慣れない三食へ移行する」、などと言うと何か変人のようでもあるが、なに、「中世から近世にかけて日本人が歴史上実際に辿ってきた食生活習慣の移行」を、自分も追体験しているようなものだと思えばそれもまた一興である。

 先の「献立の例」の1月丁日の例で言うと、朝が高野豆腐(豆)なら、昼は焼肉(肉)、夜は鱈(魚)であり、一日の朝昼夕それぞれのどこかで、違った種類の動物性・植物性両方の蛋白質を、主菜として摂っていることになる。さらにここで「9品目」を思い出し、一日三食のうちのどこで自分はそれを摂っているのか、を考えながら、ノートにメモした献立の脇に書き込んで数えてみたりもした。
 
 この病院での病院食の場合、9つのうちの「卵」だけは、時々献立に無い日もあるように見えた(もちろん二日続けて皆無ということはなく、次の日は少量の卵そぼろが野菜おひたしにかかっていたり、ということもある)。コレステロールの問題の関係からか。しかし料理の材料の衣や繋ぎ、個包装袋入りのドレッシングの原材料など、形はそれとして残らないものの、卵は用いられて入っていたのかもしれない。

 また、わかめや海苔などの海草類は案外よく上る。貝類はなかなか上らなかったりもする。
 野菜は毎食必ず出る。しかし、自分が家で毎食鉢一杯程摂っていた量よりは、随分少ないようにも感じられる。加熱してあるために、原材料の野菜の状態よりも嵩が小さくなっている、という可能性もある。その分、ご飯の量は少なくない。自分の家で使っているものよりもかなり大きめの碗に約2/3程度、来る。このご飯の量が多めなら一日2000kcalにもなり、少なめなら1600kcalにも1200kcalにも調節できて、各患者に適切な栄養量の食事が与えられるという計算である。

 毎朝食に出る牛乳は、食事自体が和食の献立の場合であることが多いので、食後にデザートのつもりで、別にして摂る。従来、乳製品としては食後にプレーンヨーグルトを摂っていたから、その要領の延長である。

食事と食間のペース

2005-03-03 00:43:02 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 毎回の食事の30分程前に、病棟を回ってくるお茶の係の方が、大きな薬缶の番茶を、各ベッドの各人持参の湯呑やカップなどに注いで下さる。これは食前や食事中に飲んでもよいし、食後の服薬の際に飲んだりもする。
 自分は、自宅でやっているのと全く同じように、食べ始めた時刻を腕時計で確認してから食べ始める(これは一昨年から、自然に習慣化している)。咀嚼し、いただいた番茶を途中で一口飲んで休んだり、一旦箸を置いて、献立のメモをノートに簡単に記したり、などの動作を折り込むこともある。そうして食べながら、一食にかかる時間が大体15~20分になるようにしてみる。

 こうして供される一日三食は、以前の食事よりも、一食の食品のg数量も食品の品目の数も少ないのだった。一日二食の時の「一回の食事につき、45分~1時間」まで、長い時間がかかったのは、その分食べる食事の量も多く、短時間に咀嚼しきることができなかった、という意味でもある。病院での一食の食事量であれば、一回を15~20分位で、慌てて早食いをする必要もなく、ちょうど食べ終わる。その後お膳を返し、お茶をいただき、薬を飲む、という流れになる。

 朝8:00に朝食、昼食の12時までに、4時間しかないので、昼の食事が届いてもまだお腹が空いていない、という嫌いはあった(それは同室のベッドの方々とも意見が一致した)。が、朝食も昼食も、これまでの朝食のように一食が大食ではないから、慣れてくれば食べられる。昼から夕方までの食間は6時間あるから、夕方ちょうど空腹が来て、問題はない。その他、自分は午後3時頃、お茶の時間として、売店から買ってきた無糖無乳コーヒー缶や烏龍茶を味わい、くつろいだ。 病院食以外で自分の食の欲求を譲らなかった、と言えるのは、このコーヒーだったように思う。もちろんこのコーヒータイムで、お裾分けのお菓子などは、全く食べない。この他、水分は適宜、いつも摂っていた。大体が廊下の給湯室から自由に酌んできて飲める白湯で、冷めたお茶を割って熱くすることもできた。

献立の例

2005-03-02 00:47:50 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 主治医と相談した治療計画では、順調に回復すれば一週間から十日の入院の予定である。呼吸器関係の診察や検査と、毎日の検温とは別に、一週間に一度、体重の測定日もある。入院時の体重は、前日の銭湯や当日の検査の際に測定したので把握している。一週間後の結果を待てばよいのである。「試行」期間としては、大体適当と思われる。

 自分は中学生の頃から10×15cm程度のメモ手書き用ノートを鞄に常時携帯していて、折々の出来事を事あるごとに書き付けながら考えを整理する癖があり、中年の現在までその癖が続いている。このblogもそのメモを元に起こしているのであるが、入院時の病院食の内容を、メモから順不同に例示してみる。正確ではないかもしれないけれども、だいたいこのような献立である。

1月甲日
 朝 ごはん 煮物(じゃがいも、人参、ベーコン) 味噌汁(麩、キャベツ) 野沢菜漬 
   牛乳(180cc)   
 昼 ごはん ひじき煮 魚照り焼き 酢の物(大根、人参)
 夕 ごはん すき焼き煮 わかめスープ(かまぼこ) 
   レタス他の野菜サラダ(フレンチドレッシング) ゆで卵 大根漬

1月乙日 
 朝 ごはん しらす干しと野菜の煮物 味噌汁(油揚・長葱・豆腐) 味付け海苔 
   牛乳(180cc)
 昼 ごはん 牛肉炒め かぼちゃ煮 浅漬(大根、人参) 
   ヨーグルトフルーツサラダ(みかん、バナナ、パインなど)
 夕 ごはん カレイの煮付け 豚汁 焼き茄子のおひたし(鰹節) 柿

1月丙日
 朝 ごはん 切干大根煮(人参、薩摩揚) 梅干 味噌汁(豆腐) 牛乳(180cc)
 昼 ごはん 焼いた干物の鯵(1/2尾) 味噌汁(わかめ、麩、しじみ)
    青菜のおひたし おから炒り煮 
 夕 ごはん 野菜卵とじ炒り 鶏手羽元スティック照り焼き(3本) 味噌汁(青菜)

1月丁日
 朝 ごはん 高野豆腐の煮物 味噌汁(大根、青菜) 胡瓜の漬物 牛乳(180cc)
 昼 ごはん 焼肉(アスパラガスとポテトの付け合せ) 煮豆 煮物(しいたけ、人参など) 
    しらす干しのあえもの 沢庵漬
 夕 ごはん 鱈のムニエル コンソメスープ(人参、キャベツ等) 
    ハムともやしの和えもの りんご(1/4位?)

 この食事構成の概念については、退院後にさらに他の参考文献を求め読むことによって、基本的な理解を得ることになる。管理栄養学の専門の方々にとっては、このようなことはほとんど常識の領域かもしれない。しかし、元々カロリー制限を主とした体脂肪減量方法をとったのではなかった自分にとっては、新たな勉強となった。入院当時は院外出禁止であり、そうした文献やweb等での参照をすることもできなかったので、まずメモを取りながら、次のような事を考えた。

実験開始

2005-03-01 08:40:47 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 そこで、自分の問題に立ち返って考えてみる。
 入院前までのこの一年二ヶ月程、その前半の減量過程(第一章 diet減量過程編参照)において、食事習慣に関する幾つかの教訓を得てきた。
 その一つは、「身体を作るために食べなければいけない栄養がたくさんあり、それを一生懸命食べるべきであって、余計なもので口腹を満たす余裕はない」という考え方である。
 医食同源とも言う。入院中の薬と病院食、当面はこれをきちんと摂取して、身体を維持しなければならない。他のものを食べる余裕はないはずである。ご飯を全部残してその分お菓子を食べるなどのように、決まった食事を残して別の食品を食べることも、炭水化物でも栄養の構成が違うのだから代替になるとは考えられない。第一、本末転倒である。その他「病院食以外の持込」は、院内食中毒防止という観点からも遠慮すべきだそうである。

 病院食の説明書によると、呼吸器以外に特に病気は無い自分に供せられているのは、一日の総量1900kcalの一般食であるという。この食事の一日分で蛋白質70g、脂質45g、塩分11g程度(10g以下が望ましいらしいが、味付けには土地柄の事情もありそうである)が基準、とある。入院患者は日常よりも身体の活動量が少ない(仰臥・休養が多い)こともあり、必要エネルギー量は低めに設定されている。各患者の体格や病状に応じて、どの種類の病院食を摂るか(一般食でよいか、塩分か脂肪か蛋白質かを制限された制限食か)は、主治医に指示されている。
 「治療の妨げにならずに必要な体力を維持できる適切な栄養量」という説明だ。とすれば、この食事だけをきっかり食べれば、治療を続けながら現在の自分の体格・体重も維持できる計算のはずである。専門家の管理栄養士の指導によるものであり、これほど心強いことはなかろう。

 本当だろうか。

 これまでの一年二ヶ月程をほぼ一日二食の時間配分ペース、及び炭水化物を少しにして野菜と蛋白質をがっちり食べる、という食生活習慣で過ごし、減らした体重をほぼ維持していた自分である。一日の摂取総カロリー量については、あまり神経質に考えてこなかったこともある。
 予期せぬ入院で突然始まった「病院食による食生活」は、その以前の食べ方を改変せざるを得ない事態でもあった。
 まず、食事構成が基本的に「カロリー」栄養量を基準とした考え方に基づくものになること。
 そして、一日二食が「一日三食」に切り替わること。食間の時間はこれまでよりずっと短くなる。空腹か否かではなく、ほぼ定期的な時間に食べなければいけない。
 何よりも、今まで少量しか摂っていなかった「ご飯」が、かなりの量で食事の「主食」に復活すること。
 この点が変更され、なおかつ、入院中、毎日続くことになるのだ。
 その結果、現在の体重が増減無く維持されるのかどうか、が問題である。

 幸い、肺炎の方は、息切れも咳の症状も、服薬治療が始まってから非常に改善し、体調はすぐに楽になった。治療薬の副作用もほとんど無い。日常と変わらず、食欲も旺盛で、排泄も順調だ。
 そこで、私は自分の興味に従い、日々の献立をチェックし考えながら味わいつつ、自分の身体で「実験」を施行してみることにしたのである。

病院の食事風景2

2005-02-28 07:27:31 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 そして、人々はみな食事のスピードが甚だしく速い。配膳車が廊下に来て各膳が運ばれてから、ほぼ5~10分位で食べ終わってしまう。もちろん、ご飯やおかずを残すために摂る量が物理的に少ない人は、食べる時間も短いはずであるが、10割完食する人も遅くとも10分位以内には食べ、膳を返しに行くことが多い。
 自分が廊下に膳を返しに行く時は、廊下の膳台には既に、病棟の食器や盆が大量に回収されている。自分の病室の相部屋の人々だけではなく、病棟全体の人々の食事時間が総じて5分か10分の早食いであるようだと思った。こういう食べ方も、食事の際の血糖値の急激な上昇を招かないのだろうか、とふと思ったりする。ただし、そんなことをここで医師から直接に叱責されることはなさそうだった。むしろお膳や食器を片付ける看護師の方々のご苦労を思えば、さっさと食べてもらいさっさと回収できた方がよいのかもしれない。
 
 それぞれの分野の医療の専門化が進んでいるから、病院の科の病棟ではその専門の治療が行われる。例えば呼吸器科では呼吸器疾患の治療が行われているが、複数の病気を持つ人が他の症状の治療に移る時は、途中で外科や循環器科や他の科の病棟にベッドを移動するのである(相部屋の人にも、数日後に外科へ移った人がいた)。
 呼吸器科では呼吸困難や肺機能低下など、生命の維持に直接関わる重大な疾患も多く、その専門治療が緊急に最優先されるということもあるだろう。患者の日常の食事習慣などは、所謂美容クリニックやダイエット医療関連の病院でもないので、瑣末な問題なのかもしれない。
 逆に、呼吸器系の病気の性質として、発熱などで患者の食欲は衰え小食になりやすく、酸欠症状による体力不足を少量でも高カロリーの食を摂って防ぐ、ということもあるようだ(参考:院内に置かれていた呼吸器科外来用広報パンフレットより)。高齢者の方々であるから、何も食べないよりはせめて好きな食べ物でカロリーを摂った方がよい、というところもあるように思われる。
 しかし、それにしても、である。

 他人から注意されないことだからこそ、患者がそれを自覚していなければならない、ということだろうか。
 いや、むしろ、患者が自覚しているのが当然であり、他人がわざわざ注意することではない、という、常識の範疇なのか。
 本来、その常識が前提であるはずなのに、患者にその判断能力が欠落しており、「食べたいものだけを食べたい時に食べたい量だけ、ただ欲求のままに食べる」非常識の方がまかり通っているようにも思える。だが「病気の症状だけでも大変で、お気の毒な患者」だから、殊更には咎められないのだろうか。5分で食べ終わってしまう高齢者の方のお膳を、居合わせた看護師の方が親切な笑顔で「召し上がりましたか、運びますよ」と廊下へ素早く持っていくのを見ながら、そんなことを考えていた。

 先の事例における「驚異的な量の薬」を、仮に「沢山のサプリメント・痩身薬」などに置き換えて、ダイエットの問題を考えてみてもよいと思う。

病院の食事風景1

2005-02-27 09:35:05 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 定時に食事、そして食後の服薬が日課であり、相部屋の方々も各々のベッドで食事を摂っているが、食後に飲む薬の種類と量が、(自分の飲んでいる薬の量と比べても)驚異的に多いことに気づく。
 大きな卓上ケースに十数種類の薬の袋を並べて取り出しながら、こんなに飲まなければならない、と口々に言う、その話を漏れ聞くところによると、呼吸器系、肺の疾患だけの薬ではない。それ以外の、高血圧や糖尿病等の薬の量が多くて、このような状態らしいのだった。午前中の検温と血中酸素測定の際に、その人々には血圧や血糖値等の検査もある。
 高齢者の方の場合、長年の生活習慣で積み重なってきた要因が、複数の様々な病気の相乗的・合併的な症状をもたらしており、一つの病気を治せば全て問題が単純に解決するということではないようだった。

 しかしその割に、彼らの食事の様子を見ると、ご飯などは残して、見舞いの差し入れの菓子やおにぎりや果物、売店で買うジュースなど、「食べたいもの」を、代わりに食べていることが多い。
 検温の際に、看護師の方は食事の完食度(何割食べたか)や、一日のトイレの大小便の回数も聞く。これも漏れ聞くところによると、昨日は通じがなかった、微熱で食欲がなく、ご飯はほとんど食べられなかったので、代わりに○○を食べた、などという話をしている。看護師さんは、まあ代わりにそれだけ食べているなら、何も食べていないわけではないから大丈夫ですね、という程度で、特に強硬に叱責することはない。
 糖尿病なのに、ご飯を食べずにその代わりにあの大きな饅頭やケーキを食べていて、本当に大丈夫なのだろうか、血糖値が急激に上昇しないのだろうかと、傍らで思いながら、自分は無言で聞いている。

観察

2005-02-26 08:29:58 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 基本的には看護師による完全介護が旨とされる総合病院の病棟である。入院の際に、受付や看護師の方から渡される入院説明書の中に、「病院食について」の説明もある。
 朝6:30起床、夜21:30消灯であり、食事は朝食8:00、昼食12:00、夕食18:00の一日三回と決まっている。
 説明書の中には必ず「病院食は服薬と同じく、治療の一貫である」「各患者ごとに、適切なカロリーと栄養量が配慮され、決められている」「病状によっては、カロリーや塩分を調節した制限食の場合がある」「多人数の面会者の出入りや、病室での面会者の飲食、病院食以外の食べ物のお見舞いはご遠慮を」といった事が書かれている。改めて言われるまでもなく、これは当然の常識であると思っていた。

 しかし、自分の周囲の人々はみな、山間部の市町村部の医院などから紹介され入院している高齢者の方たちだった。
 その御家族の方々は連日、見舞いとして、地元の家庭から大量の食べ物を持ち込んでくるのである。半ば無法状態ともいえる。家で作った惣菜や漬物、果物、大きな饅頭やパウンドケーキやクッキーなどの詰まった菓子折りなど、毎日届き、見舞われる患者の方は、それを食事の時や、食間のお茶うけに、よく食べる。余分な分は、廊下にある共同利用の冷蔵庫に(名前を書いて)ストックすることもできる。さらには周囲のベッドへの挨拶に、こちらも何かとお裾分けをいただいたりもする。何も返すものがなくて恐縮する。 

 この一年二ヶ月の自分の経緯とは全くかけ離れた、飽食の光景を見た。入院して一日二日、まず自分は、ただただこの光景に目を見張った。やがて、聞こえてくる彼らの話やその様子を傍らで観察することが、一つのヒントになり始めた。

入院の環境

2005-02-25 02:27:12 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 病院到着後、予約通りに気管支鏡を通され、肺の中を洗い、組織も一部取って検査するという。終了後、呼吸器科病棟にそのまま収容され、まだ朦朧としたまま咽喉麻酔が切れるまで一時間程待つと、早速昼食が運ばれてきた。夕方、主治医に検査結果と治療計画を聞く。
 こうして、投薬治療と検査を受けながら、食事や休養を続けるという毎日が始まった。
 まさに「病床六尺」ほどの区画のスペースにいる。

 相部屋には、70歳代から90歳代の御高齢の方々ばかりが長期入院されていた。肺炎や肺がん、喘息他の症状をお持ちで、酸素ボンベ吸入を続けていたりするが、咳や発作が起こらない時は、そこらの四十や五十、いや二十や三十の若い者等よりも、下手をすると医師や看護師の人々などよりも元気で強靭にすら見える人たちである。早朝から深夜まで、ひっきりなしによくしゃべっている。客観的に見れば、少し黙った方が咳の発作に備えて体力を温存できるのではないか、と思われる程である。

 若い頃からの仕事の苦労・家族の養育の苦労・子や孫の結婚や育児に関する心配・今の年金生活の大変さなどを、滔々と語り続ける語り部たち。午後から夜にかけては、その配偶者や子や孫や曾孫といった一族郎党が大挙し、ぞろぞろと見舞いに参集してきて、まるで花見の会場か日帰り温泉の休憩室のような賑やかさとなる。はからずも、まさに高齢者医療現場の真っ只中に放り込まれたような気分である。

 平素より単身独居の自分は、そうした光景に慣れず、また日常でも全然しゃべらない方であるため、専らそれらを傍らで聞き続けるばかりであった。最初は正直に言って、辟易した。我々が将来もらえるかどうかわからないが、必死で働いて納付している年金で、今の彼らやうちの親たちに支給されている年金も支えられているのだろうか、などと無言でぼんやりと思いつつ、微熱もあって少し眠りたい時にheadphoneステレオの音楽で耳を封鎖したりすることも、しばしばあった。しかし、だんだん慣れてくると、一人暮らしではなかなか知る機会の無いよその家の人々の生活の様子を、観察し傍聴することも、なかなか興味深くなってきた。

intermission

2005-02-23 21:07:40 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 入院の前々日、若干息切れと疲労感はあるものの、熱は無いので、用事で街に出かけた。
 入院と言うと、昔、盲腸の手術で一週間位の経験があるだけだ。それも、腹を切った次の日に、すぐ「さっさと起きて歩け」とせっつかれたっけ、と思い出す。
 病院に入ってしまえば、しばらくはこうして外に出るのもご法度になるな、と思いながら、享楽に満ちた繁華街をゆっくり歩き、買いたかった本をまとめて買い、予約済のチケットを持っていた演劇を見て帰る。

 家でじっと安静にして寝ているべきところなのに、少し風紀にはずれた「自由行動」をしているような気分だ。今日だけは特別に、ここしばらくの間、ほとんど全く食べなかった食べ物を、試してみようか、という、ちょっとした遊び心にもなってくる。市内でも有名な小洒落たペストリーの店に入り、特製の「あんパン」を一個買って、カフェテリアでコーヒーを頼み、一口食べた。

 …瞬間、窒息するような感覚を覚えた。といっても、呼吸器の発作を起こしたのではない。

 甘い。甘すぎる。味覚が麻痺・停止し、息が詰まるような砂糖の甘さであった。
 これは、美味しい食べ物のはずである。しかし、もはや美味いか不味いかという感覚の領域ではなくなっていた。薄いパン生地(それだけでも、充分甘いと感じる)の中に、このさらに甘い小豆餡がたっぷりと詰まっている。二口目で溜息が出て、残りを袋に入れて、持ち帰ることにした。ブラックのコーヒーの味で、ようやく落ち着く。結局、一回で一口二口しか食べられず、時々取り出して、次の日の午後までかかって食べた。この量で充分沢山、ご馳走様である。
 この一年二ヶ月程で、自分の味覚が本当に変わってしまったことを、改めて感じた。

診断

2005-02-21 07:43:09 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 その後、担当医から結果説明を受ける。
 幸い肺結核では無かった。感染症であれば、保健所への連絡や職場全体の集団検診など、広範な方面に様々な影響が拡大するところだったろう。ひとまず安心した。
 (自分が先に、結核の疑いも、と言われて特殊マスクをつけた時、周囲にいた数名の看護師の方々も急に一斉にマスクをつけ始めた。その瞬間の、ぴりぴりと異常に緊迫した空気の感覚を、今でも覚えている。結核、という病気の社会的に意味するところを、一瞬ではあったが味わった気がした。)

 血液検査の結果から見て、体内に元々ある好酸球というものが異常増加し併せて起こる肺の浸潤(好酸球性肺炎)だという。人間ドックでも指摘された、アレルギー反応の兆候との関連があるらしい。そこで、気管支鏡で肺の中を診て、肺胞内を洗浄してから、ステロイド剤によって免疫力を下げて症状を抑える治療を行うので、10日から数週間に及ぶ入院が必要だ、と宣言される。再びかなり驚愕する。
 放置すると慢性的に肺の機能が低下し、血中酸素濃度の低下、喘息、心臓への負担大、等々を招く危険もあり、季節的な再発性も高いという。使用する薬剤の関係もあり、通院治療では駄目らしい。

 確かに、自覚症状で言えば本当に「咳の出る風邪」程度で、それも「もう治ったのに」と思っていたのだった。全く、12月の胸部X線検査が無ければ、病院に行くこともなかっただろう。しかし、考えてみれば、年末からの異常な「肩こり」や、少し急ぐと息切れがするような気がする、といった症状も、実際に肺に異常があったのが原因だったのなら納得できる。その上、疲れやすいような気もするが気のせいだろうか、くらいにしか自分では思えないところが、なかなか早期発見しにくく怖ろしいものであると知った。

 説明を聞き、数日後の残りの検査後に入院の予定となり、その日は一応準備のために自宅に帰った。
 一度そうと決まれば肚を据える。翌日の職場では、週末予定されていた出張計画を変更し、これから欠勤するはずの7~10日間分の進行予定を周囲のスタッフに連絡・指示する。
 むしろ平常の労働量の倍以上も作業は慌しくなったが、ともかくしばらくは「無理しすぎないようにしつつ、どこまで持たせるか」である。そして、生活習慣の新たな転機でもあった。

再検査

2005-02-20 07:27:13 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 今回の異常、まずその一つは「上腹部超音波(エコー)異常」で「右腎臓結石」であった。これが、先に述べた上腹部痛の原因だった可能性がある。
 あるいは、炭水化物を制限していた分、蛋白質・脂質に関しては制限を意識せずにかなり食べ続けていた食生活で、そろそろ、消化に何らかの負担が来ていたのだろうか、という思いも、ふと頭をよぎった。
 しかし、1月現在の時点で、その後の痛みも全く無かった。石が既に出てしまったかもしれないという気もする。とりあえず、報告書には「一年後に再検査して下さい」とある。緊急性は高くない。もう少し時間が取れる時に再検査に行こうと思った。

 むしろ緊急に精密検査を要する「E」とは、「胸部X線異常」「血小板異常増加」などであった。
なんと、レントゲンで「胸に影がある」と言われたのである。

 そう言えば、ちょうど結果の届く一週間前頃の1月上旬、11月・12月に続いてこの冬3度目くらいの風邪気味になった。その風邪は、いつものような「鼻水つまり型」ではなく、自分には珍しく「咽喉」型で「咳」の続く風邪であったので、少し変だな、と思った。が、その間も毎日普通どおり出勤するうち、3日程で熱も平熱に戻って、もう治ったのだろう、ぐらいに思っていた。
 ただ、会社の階段を上ると、肥満していた時の全身の物理的重量感とは感じが違うのだが、何か足が重く息が切れるような気がする。咽喉のいがらっぽい痛みも残っているので、これも日頃あまり縁のない「のど飴」を舐めたりもしていたのであった。
 何らかの異常があるのであれば、この機会に、診てもらった方がよい。

 数日後に早速、病院の呼吸器科に行き、血液やCT等の検査と直接撮影となった。人間ドックの時の像では右肺一部に若干の影、と指摘されたのが、今回撮影すると、両肺ともに「白い影」がかかっているという。愕然とした。

 生涯初めてのことであるが、「場合によっては、結核の疑いもあり」とまで言われ、衝撃を受ける。最終的に喀痰検査で菌が判明するまで、ということで、防菌用の特殊マスクを与えられ、待合室ではなく別室に隔離されて、検査結果を夕方まで待つことになった。

 一般的な世間の、それもいささか「文学的」なイメージとしては、結核などといえば「痩せ型の体型」の病の典型、のようなものである。まさか、かつてのあの肥満体型の自分が、そのようなものになるとは、似つかわしくなくて信じられない。