本音を言うと、実は何よりも、自分には密かな喜びがあった。入院した最初の日の昼食の時に、まず思った。
(「…す、すごい。こんなにたくさん、『ご飯』を、食べても良いなんて…」)
普通の人から見れば、それほど「たくさん」ではない量である。周囲の人々に対する恥ずかしさもあって、誤解を招きそうで、言葉に出しては全く言えなかった。が、無言でご飯を口に運びながら、その懐かしい味を何度も噛んで噛みしめる。ぞくぞくした。毎食いただけるご飯は、自分の家の茶碗でだったら軽く一杯強の見当になるとみた。その日常的な感覚も一年二ヶ月ぶりだ。おかず無しでご飯を口に入れて噛んでも、美味いと思ってしまう。
かつては実家から魚沼産コシヒカリを送ってもらって飽食を尽くしていた自分が、よりによって、病院食のご飯の味などで、感動するとは、と少し苦笑もする。だが、このご飯は、一粒も残さず、食べてよいものなのだ。「食べちゃいけない、肥る」と自分を責めたり、罪悪感を感じたりしなくて、良いのである。その精神的な自由が、何と嬉しいことか。
それを食べないと決めてからずっと、全く食べずに来た。その分、別の食品、野菜や蛋白質やミネラル分をがっちりと充分に食べてきて、空腹には陥らなかった、とは言うものの。
入院して一週間後、体重測定の日となる。病棟の廊下にその日一日だけ出してある体重計に、朝、まだ空いているうちに向かった。朝食前で、本日のお通じはまだである。
入院前日の夕方、銭湯の更衣室で、夕食前の風呂上がりに脱衣のまま測定した時、47.1~47.2kg程だった。それ以来測っていない。
今日の測定は廊下でだから、着衣のままで測る。
46.8kg。
ほぼ増減なく維持。着衣の状態だから微々減ともいえる。結果は判明した。
自分は、次の段階の試行を決心した。
(「…す、すごい。こんなにたくさん、『ご飯』を、食べても良いなんて…」)
普通の人から見れば、それほど「たくさん」ではない量である。周囲の人々に対する恥ずかしさもあって、誤解を招きそうで、言葉に出しては全く言えなかった。が、無言でご飯を口に運びながら、その懐かしい味を何度も噛んで噛みしめる。ぞくぞくした。毎食いただけるご飯は、自分の家の茶碗でだったら軽く一杯強の見当になるとみた。その日常的な感覚も一年二ヶ月ぶりだ。おかず無しでご飯を口に入れて噛んでも、美味いと思ってしまう。
かつては実家から魚沼産コシヒカリを送ってもらって飽食を尽くしていた自分が、よりによって、病院食のご飯の味などで、感動するとは、と少し苦笑もする。だが、このご飯は、一粒も残さず、食べてよいものなのだ。「食べちゃいけない、肥る」と自分を責めたり、罪悪感を感じたりしなくて、良いのである。その精神的な自由が、何と嬉しいことか。
それを食べないと決めてからずっと、全く食べずに来た。その分、別の食品、野菜や蛋白質やミネラル分をがっちりと充分に食べてきて、空腹には陥らなかった、とは言うものの。
入院して一週間後、体重測定の日となる。病棟の廊下にその日一日だけ出してある体重計に、朝、まだ空いているうちに向かった。朝食前で、本日のお通じはまだである。
入院前日の夕方、銭湯の更衣室で、夕食前の風呂上がりに脱衣のまま測定した時、47.1~47.2kg程だった。それ以来測っていない。
今日の測定は廊下でだから、着衣のままで測る。
46.8kg。
ほぼ増減なく維持。着衣の状態だから微々減ともいえる。結果は判明した。
自分は、次の段階の試行を決心した。
