ようやく風邪も治った。体重も、45kg前後に落ちついている。風邪をひいている時は、身体が少し炭水化物を多めに欲するように感じる。また、柑橘類や梅干しなど、酸味のあるものも低下した食欲を促す。回復すると、また普通の食事に戻せる、その加減も、体験の中でわかってくる。
宴会の日の当日から次の日にかけてのメニュー調整のしかたも慣れてきた。三食、多少時間が遅くなる夕食以外は、朝・昼などほぼ同様の時間とパターンで食べられるようになってきたから、極端に絶食をするつもりはもう無い。体重が増えるのは、食べたその夜だけである。明くる朝には排泄される。宴会で比較的大食する場合を勘案して、その前後数日の食事の量やバランスを加減すればよい。
次第に「ダイエットしている」ことをあえて強く意識せず、普通の生活の中で習慣的に工夫を取り入れられたら、と考えている。肥満も一つの病気であるならば、「普通」になればなるほどそこから「卒業」していけることが、実は最も理想的なのではないかと思う。人生、その次にやらなければならないことも、自分がまだ知らず学ぶべきことも、たくさんあったりするからである。
初夏のような晴天の連続の後、生暖かい雨の日が来ると、例年の嫌なものを思い出す。
連休に入って、物置と化した一階の箇所を調べる。冬からの入退院・通院生活で、ハウスダストが強烈に集中する階下はその間、自分の「立ち入り禁止区域」にして、放置していた。四月下旬、定期検査でようやく投薬治療も終了し、体力も復調してきているので、とりかかることにしたのである。
やはり湿気の集中する4畳半の床が、三月以来の余震の連続もあって弱まり、さらに昨年とは別の箇所に及んで虫害も進んでいた。古雑誌を入れていたダンボール半分と周辺の横積み雑誌の山が、土塊と化している。さっそくゴミ袋に回収していく。
最初にこの被害を発見した3年前も、殺虫剤散布とシートとの臨時的処置でしのぎ、今日まで来た。最初にシロアリの密集する光景を発見した時の衝撃と恐怖は、言葉で表現しつくせない。ましてや2年前の初夏のある夜、台所の梁の木材の穴から一斉大量羽化する様を見た瞬間は、まさに「見てはならないものを見てしまった」トラウマのような精神状態となった。
どうして3年前の最初の時に、すぐに転居しなかったのだろう、と、今になってみれば思う程だ。2年前のその時などは、あまりの衝撃で、夏いっぱいは台所で調理や炊事をすることができなかった。
確かに、最悪の頃は本当に、その他に職場では別に様々な事件があったりし、家に帰ってくればくつろげず家事どころか食事をする気力すら萎え、寝るだけということもあった。欝状態だったかもしれない。この「Cannot Do …」の記述は、ようやく秋に入って、立ち直らなければこのまま人生が駄目になってしまう、ともかく何か始めなければ、と思って書き始めたものだったのだ。
その頃から一年半、偶然に途中から掃除を脇において、自覚的な生活改善による体脂肪減量の試みに入ってしまい、体重を20kg減らした身体を得た自分は、(別に肺炎で入院などという奇遇な体験もあったが)さまざまな問題に関して考えることになり、それまではあまり考えたことの無かった、次のような認識を得ることができた。
食事や日常の活動などの習慣は、人間生まれてから死ぬまで絶対不変のものではない。その状況において、修正していくことができるのだ。
これは、住まいについても、同じことがいえるのではないか。
連休中も平日は勤務で、全休はとれなかった。家の中はまだ片付かない。しかし、3年前や2年前の自分にはできなかった展開を、今の自分は試みることにした。
転居先の住宅をこの数日、検討し、ようやく予約したのである。

宴会の日の当日から次の日にかけてのメニュー調整のしかたも慣れてきた。三食、多少時間が遅くなる夕食以外は、朝・昼などほぼ同様の時間とパターンで食べられるようになってきたから、極端に絶食をするつもりはもう無い。体重が増えるのは、食べたその夜だけである。明くる朝には排泄される。宴会で比較的大食する場合を勘案して、その前後数日の食事の量やバランスを加減すればよい。
次第に「ダイエットしている」ことをあえて強く意識せず、普通の生活の中で習慣的に工夫を取り入れられたら、と考えている。肥満も一つの病気であるならば、「普通」になればなるほどそこから「卒業」していけることが、実は最も理想的なのではないかと思う。人生、その次にやらなければならないことも、自分がまだ知らず学ぶべきことも、たくさんあったりするからである。
初夏のような晴天の連続の後、生暖かい雨の日が来ると、例年の嫌なものを思い出す。
連休に入って、物置と化した一階の箇所を調べる。冬からの入退院・通院生活で、ハウスダストが強烈に集中する階下はその間、自分の「立ち入り禁止区域」にして、放置していた。四月下旬、定期検査でようやく投薬治療も終了し、体力も復調してきているので、とりかかることにしたのである。
やはり湿気の集中する4畳半の床が、三月以来の余震の連続もあって弱まり、さらに昨年とは別の箇所に及んで虫害も進んでいた。古雑誌を入れていたダンボール半分と周辺の横積み雑誌の山が、土塊と化している。さっそくゴミ袋に回収していく。
最初にこの被害を発見した3年前も、殺虫剤散布とシートとの臨時的処置でしのぎ、今日まで来た。最初にシロアリの密集する光景を発見した時の衝撃と恐怖は、言葉で表現しつくせない。ましてや2年前の初夏のある夜、台所の梁の木材の穴から一斉大量羽化する様を見た瞬間は、まさに「見てはならないものを見てしまった」トラウマのような精神状態となった。
どうして3年前の最初の時に、すぐに転居しなかったのだろう、と、今になってみれば思う程だ。2年前のその時などは、あまりの衝撃で、夏いっぱいは台所で調理や炊事をすることができなかった。
確かに、最悪の頃は本当に、その他に職場では別に様々な事件があったりし、家に帰ってくればくつろげず家事どころか食事をする気力すら萎え、寝るだけということもあった。欝状態だったかもしれない。この「Cannot Do …」の記述は、ようやく秋に入って、立ち直らなければこのまま人生が駄目になってしまう、ともかく何か始めなければ、と思って書き始めたものだったのだ。
その頃から一年半、偶然に途中から掃除を脇において、自覚的な生活改善による体脂肪減量の試みに入ってしまい、体重を20kg減らした身体を得た自分は、(別に肺炎で入院などという奇遇な体験もあったが)さまざまな問題に関して考えることになり、それまではあまり考えたことの無かった、次のような認識を得ることができた。
食事や日常の活動などの習慣は、人間生まれてから死ぬまで絶対不変のものではない。その状況において、修正していくことができるのだ。
これは、住まいについても、同じことがいえるのではないか。
連休中も平日は勤務で、全休はとれなかった。家の中はまだ片付かない。しかし、3年前や2年前の自分にはできなかった展開を、今の自分は試みることにした。
転居先の住宅をこの数日、検討し、ようやく予約したのである。

