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Cannot Do Cleaning, But…(returns)

生活方法(掃除など)や体質の改善(ダイエットなど)について考える日記・「減量後の維持」

再び、帰省生活

2005-04-16 16:32:13 | 第三章 diet後体重維持編
 4月上旬に実家に帰省し、数日間を過ごした。
 今年初めの肺炎による入院と、その後の通院の状況は、電話で家族に伝えてある。服薬以外はほとんど普通の生活を送っている。近所の親類や知人に会うのも数ヶ月~数年ぶりだ。この体重のレベルの重量感を自分の全身の筋力が感得したのが昨年の夏で、それからそろそろ9ヶ月程になり、「自分の体重」として私自身は不自然に感じなくなりつつあるのだが、二三年前に会って以来久しぶりに会うような人は、私の巨体しか記憶にないので、やはり不思議に思うらしく、体型の変化を指摘してくる。

 昨年2004年の正月の時は、まだ減量過程期にあったので、お餅を遠慮してお雑煮と鱠や新巻鮭・煮物等の「おかず」を中心にがんばって食べていた。今年2005年の正月は、一食で切り餅を約1/2位、お雑煮で食べる事が可能になり(※写真参照)、それを基本としてさらにその他のおかずも旺盛に食べることができた。今回2005年4月の帰省では、既に入院生活から食事バランスを普通の三食に戻している。他の家族と食卓を囲む時、私も普通に茶碗一杯のご飯・汁椀一杯の味噌汁に、おかずを食べることができるようになった。
 もはや「ご飯を残さない」から、家族の咎めの目もなく、落ち着いて三度の会食に臨むことができる。これは食事の際に必要以上に「炭水化物を制限しなければ」という緊張と、「ダイエットしていることを冷やかされて嫌味を言われないか」という緊張の間の、嫌なジレンマに陥らずに済む、ということである。会食には、多分にそうした「社会的な成員の義務感的な意味」が伴う。
 
 その分、別に気をつけることはある。家族との食事では、おかずは大皿に数人分の大盛りで出し、各人が取って食べることになる。日常的に一人暮らしで作る料理は、まったく一人分の量しか作らないから、それを食べ切ってしまえば無くなるのだが、盛り合わされた皿のおかずは自由に多く取ることができてしまうため、気づかずに多く食べてしまう危険もあるのだ。

 帰省は数日間なので、一人暮らしに戻ればまた食事調整ができることを考慮に入れ、慌てない。その上で、防御策として、次のような方法をとった。
(1)取り皿に取った分のおかずで、日頃自分が食べている食事の量をイメージし直して、その量を食べ、それ以上おかわりを取り過ぎないようにする。
(2)15分以上かけて食べるようにする(※あいかわらず食卓を見ると、うちの家族は、本当に食べるのが速い。5分位でご飯も汁も空にしている)。
(3)やはりノートに、食べたものはメモしておき、もし母親に「今日の夕御飯のおかず、何がいいかしら」と尋ねられたら、すかさず朝と昼に食べたものから逆算して「まだ食べていないもの」をリクエストする(朝に焼き鮭、昼に餃子だったから、「夜は麻婆豆腐がいい」などのように)。あるいは「野菜」物をリクエスト(菜っ葉のおひたしや、鍋物や、サラダなどを「食べたい」と主張)する。他の兄弟は肉や魚の「主菜」をオーダーするから、それと合わさればバランスがとれるようにである。
(4)お茶やコーヒーは好きに飲むが、親戚の姪たちのための10時や15時の「食間のおやつ」は一緒に食べない。自分の分の果物(苺、蜜柑等)が残されている場合は、昼飯の「食後のデザート」などのタイミングで食べる。

 結果として「一汁一飯+おかず・一食約100g以上の野菜」の方式で三食にして、この数日間での体重の増減変化は、ほとんど無く済んだ。むしろ「野菜を多く食べたい」という私の欲求は受け入れられ、他の人々もつられて焼肉等と一緒におひたしやサラダをもりもり食べている。悪い影響ではなさそうである。ただし、やはりついつい満腹感を楽しみたくなるのが「会食」であり、腹八分目が良いとわかっていても、雰囲気としては量を抑えることが難しいものだ、とも実感する。

個人的な分量の目安

2005-04-06 06:28:58 | 第三章 diet後体重維持編
 以下は、退院後この2ヶ月程の生活習慣と絡めた、食事量の大体の目安である。全く私の個人的な目安であるので、身長や体重、体格や運動量のそれぞれ異なる万人にすべて一律に当てはまるものではない。このように考えて営んでいるという全くの一例にすぎない。 

1)一回の食事時間 15~20分(目標約20分以上、1時間以内) 

2)調理時間  
  朝 約20~30分 で、朝食と昼食調理(弁当を詰める)  
   炊飯(自動タイマー)・煮物鍋の温め直し・卵か主菜を焼く、野菜の加熱など
  夕方 約20~30分 で、夕食調理     
   終わってから、明朝のご飯を研ぐ
   ※常備煮の鍋のストックが尽きれば、材料の仕込み

3)一回の食事構成と分量
 ・ご飯(主食)
   ご飯茶碗 200cc に軽く一杯弱  
     ※一日に炊くご飯 1.2合+麦割少々(三食分)
 ・汁(味噌汁か、煮物)
   汁碗    250cc  に約2/3
 ・惣菜
   鉢  300cc  に約4/5   
  主菜(肉か魚か豆)
     一回の主菜(動物性or植物性の蛋白質)
     納豆 小1パック  もしくは 豆腐80g位 肉か魚 50~80g位
  副菜(野菜、1種か2種) 
    ※一回の野菜(緑黄色+淡色) 加熱前で約100g強
 ◇以上を基本として、
   朝 基本+乳製品
   昼 基本+果物
   夕 基本のみ    とすることが多い。  

4)乳製品(朝のみ。もしくは、三食のうちどこか一回で)
    湯呑(牛乳)200cc、あるいは煎茶茶碗(ヨーグルト)180cc
    あるいはチーズの場合 20~25g

5)その他、一日の三食のうち、どこかで摂るもの
  ・卵 1個以内
  ・貝 (少量)
  ・海草 海苔か煮物内の昆布など、少量
  ・油分 卵や肉・魚の加熱の際に敷く時の調理に使用、または食品に含有

6)弁当の作成          
  ・朝、野菜200~250g位を加熱して、1/2~2/3は昼用の弁当につめる
   1/2~1/3は朝食に食べてしまう
   (朝食には、あと50g位の生野菜を少し加えることが多い)
  ・弁当箱  下段(小、ご飯)180cc  上段(大、おかず)320cc
   ※インスタント味噌汁(紙コップ約1杯分)約160cc
  
7)その他、必ず食べることを課すものではないが、調整しながら時々摂るもの
   果物 みかん(昼に、1個位)
   殻付き炒り落花生 (昼に10個=20粒位まで)
 
8)飲み物
  水、湯、緑茶、コーヒー、紅茶、中国茶、番茶、その他
   …無糖無乳の水分については特に制限なし。
  ※コーラ等の炭酸飲料の類、ジュース、スポーツドリンクの類などは、
   元々苦手なので飲まない。
  ※牛乳は食事の食べ物にカウントするので飲み物としては摂らない。
  ※アルコールは現在飲まなくなっている。
   その分、お茶やコーヒーでくつろぐ比重が大きくなった。


その後の経過・宴会時の対策

2005-03-31 08:35:17 | 第三章 diet後体重維持編
 退院後、仕事へも復帰し、ほぼ定まった日常のスケジュールで、約二ヶ月経過している。
 結果から先に述べると、実は入院前よりも、さらに1kg位減ってしまった。
 体重は45kg前後である。食事前と食事後で44.3kg~45.8kgの間にある。2004年夏の時点で到達した45kg程度に戻った上、空腹時は44kg台に入るので、逆に何か体調に良くないところがあるためではないか、と少し怖くなった。
 しかし、3月の時節柄、歓送迎会の連続の中で、平素より宴会の御馳走にありつく日もあり、そんな夜は46kg近くまで増え、一日か二日後にはまた減って45kg付近に戻っている。

 体重微減の原因としては、規則的な三食で、一食で「お腹一杯食べる過食」が随分無くなったことや、一食一主菜に抑えるようになった蛋白質摂取の仕方などが、考えられる。
 特にトレーニングといえる程の運動の負荷を課してはいないが、体重が微減するということは、日常の業務で、社内を往復しつつ実は意外に相当量のカロリーを消費しているとも考えられる。病院入院時=安静時で1900kcalの食事だったから、1600~1800kcalで出勤・軽い労作だと、もう少し調節できるかもしれない。そこで、一日に炊くご飯を1.2合+麦割少量とし、一食茶碗一杯程度にするか、乳製品を一割増やすか、ご飯少なめの時は昼食にみかん一個と落花生10個(20粒程度)、などを加えるか、等を試しつつ、体重の増減を抑えるようにしているところだ。

 宴会のある日の場合も、平常の三食の習慣が固まってきたから、宴会はその日の夜一食だけだと考える。炭水化物の適量の食べ方が見えてきたので、摂れる食事の幅も広がってきた上、宴会の前後の食事の摂り方で、一時的な多食の影響を軽減させることができることもわかってきた。
 俗に「一日350gの野菜」と言うが、例えば夜に出かける宴会先で肉や魚の動物性蛋白質が多そうだな、と予想される場合は、朝や昼の主菜の蛋白質を納豆や豆腐等で程々に摂っておき、野菜は朝昼で300g位は先に摂ってしまう。朝昼に食べていなかったものを思い出しながら宴会の食事に向かう。宴会後の体重は、食後であるから相当に増えているが、その分は消化され排泄されれば、また元に戻るから、そこで慌てない。次の朝から、元の自炊のペースに戻すのである。
 「一日トータルの量で考える」ことができるようになると、次の日の朝からまたカウントをリセットすればよい気がするので、安心できるところがある。考え方としては「宴会の夜の一食」が「例外」である。一回の宴会で多食してしまった時、その一回だけで自暴自棄になって諦めるのは間違っている。その例外を連日連夜連食したら、その分はまた徐々に体脂肪として蓄積されていくのだろうと思われる。自炊での三食が平常なのだ、という感覚を失わず保つようにしたい。

時間変更2

2005-03-30 07:42:02 | 第三章 diet後体重維持編
(一日の生活時間の例)

6:00~7:30頃 起床、後 調理(20~30分)=朝・昼食を作り、弁当を詰める
            朝食(30分位) ※服薬
8:00~出勤、午前中の勤務~
12:00頃     昼食(30分位) ※服薬  午後の勤務~
15:00頃~夕方 休憩(コーヒーなど)    引き続き午後の勤務~
18:00~     退社後、買物・入浴(銭湯)
           帰宅後、調理(20分位)、夕食(30分位) ※服薬
 ※残業の場合は帰宅が22:00以降になることもあり。 その場合は
  夕食を先にし、入浴を後にすることもある。
      家事(次の日の調理の準備、食器洗い、台所や部屋の片付け少々、など)
      読書、手紙を書くなどの諸々の事務処理、ラジオやテレビの視聴など
24:00~25:00頃 就寝

 このように、減量過程期の食事習慣から、一日三食のほぼ一般的な普通の食事時間ペースに戻った。
 一回の食事の量が適当に制限されているので、食事時間を30分前後とみて、三食に分けることが可能なのである。調理時間も、昼食を弁当で作ってしまうと、二食の調理が朝の一度で済む。
 一日三食なので、一見、肥満していた頃の食事習慣とほとんど同様のスケジュールに見えるかもしれない。しかしその内容において、全く異なる点が幾つかある。

 1)まず、食事内容が異なる。現在は一日トータルの量を大体見通して三食を食べている。以前は、一食一食ごとに満腹するまで食べて、その三食のトータルがどの程度の量になるかなど、考えたこともなかったのだ。
 2)現在は、間食を全く食べていない。午後の休憩時は、無糖無乳のコーヒーか、お茶をいただいて、精神的にもほっとリラックスする。その一、二杯の注入で、夕方まで程良く腹がもつ。以前は、夕食前に既に相当空腹を覚え、その時点でかなり多くのお菓子を詰め込んでいた。“甘い物を食べないと脳に糖分が行かなくてイライラする”ものだ、という迷信を盲信していたような気がする(三食で基本的に炭水化物を適量補給していれば大丈夫なのに)。もちろん、一日の食事量のトータルに占めるお菓子の量など考えていなかった。
 3)その夕方におやつのお菓子を食べずにいられなくなる程の空腹をすぐに招いてしまう原因の一つと思われるのだが、以前は「早食い」「一気食い」で、三食を食べていた。おそらく一食の食事時間が、7~8分はかかっていなかったはずである。
 4)この一年半程で、甘すぎるものや塩辛すぎるものを食べない習慣を続けているうちに、味の濃すぎるものや辛すぎるものを舌が美味しいと感じなくなったので、お菓子や塩物を以前ほど殊更に欲しくなくなってしまった。コーヒーやお茶を飲んで、それがおいしいので満足して済んでしまう。
 5)夕食前、時間があれば先に銭湯に行って入浴する習慣は、二食から三食になっても続いている。昼食を食べているので、二食の時ほど夕方の空腹感は強烈ではないから、入浴時に立ちくらみなどもしなくてよい。そこそこの「食前の運動」が気持ち良い空腹を呼び、夕食の頃にはちょうどいい感覚になる。

 こうして過去と比較しながら考えてみると、肥満とはつくづく「生活習慣の病」なのだ、と改めて痛感する。一人暮らしを始めてから二十年近く、誰も自分の食べ方を注意する人もなかった。尤も、実家の家族も肥満気味なので、同居していたところで早食いや一気食いや多食を家族に注意されることもなく、肥満していた可能性が高い。いずれにせよ、食べたいと脳が感じるままに貪るように食べていた分、自分の陥っていた食事習慣がどれほど不健康に病んでいたか、ということを思い出す。
 しかし、今の状態こそ「本来の普通の人並みの一日三食の食生活」ではなかろうか。従来このような食生活習慣を一貫して続けている人生であれば、肥満に悩むことも元々なかったかもしれない。この食生活に戻るまでに、自分は最大肥満時からほぼ二年近くの年月を要したことになる。

通勤時の昼食

2005-03-26 11:34:13 | 第三章 diet後体重維持編
 一日分の食事の量のモデルが少しずつ見えてきたところで、それを毎日続ける。平日の通勤時であっても、一日の1/3、一食分を昼食にすれば、朝・昼・夕とトータルで摂取できることになる。
 “減量過程期の一日二食=「その一回ごとで、炭水化物以外の食品を腹一杯食べる」”と比べて、それとは根本的に全くコンセプトの違う「一日三食」である、と心掛けた方が良い。言うまでもなく、ここを混同し「炭水化物以外の食品なら一日三食で無制限に大量に食べても大丈夫だろう」などと勘違いするのは、まさしく“複数のダイエット法のつまみ食い=いい所取り”の錯誤であり、効果の相殺に陥ると思われる。
 そこで、退院してからは、この自分の一食分(多分600Kcal位になるのではないかと思う)をちょうど入れることのできる弁当箱を利用して、昼食も作っていくことにした。

 前述の食器では比較的「軽く盛る」感覚だが、同じご飯の量とおかずの量を一度食器に盛って、それから実際に弁当箱に移して、「詰める」実験をしてみた。詰めると、やや小さめの容器で済むのだ。
 ちょっと面白くなってきたので、弁当箱を探してみる。ちょうど百円均一売場にあった合計容量500cc程度の、だいたいこれ位が、ご飯とおかずを合わせて私の適量の「詰まる」大きさだとわかったので、使っている。
 ちなみに2段式入れ子型で上部密封・コンパクト箸の内装式、という形のものは、結構色々便利な機能があることも、後から解ってきた。最近弁当箱売場ではその同じ形で、違う柄の製品、または違う容量(600~700cc)のものなどもよく見かける。

 大体お昼にこの弁当と、お茶(ほうじ茶や烏龍茶等)、さらに持参したインスタントの味噌汁(※味噌は袋の1/2)とお湯を紙コップに注いだものを、いただく。ここに、みかん一個程度なら、食後のデザートとして付けてもよい(参考文献参照)。
 以前の一日二食は一食の食物の量が多く、食するのに約45分~1時間程の時間がかかったため、お昼休みに時間をとれないから食事時間を朝と夕方にしたのだった。しかし、この弁当箱で試行する昼食の量なら、咀嚼を最低15分と見ても、全体の時間としては約30分程度で食事を摂れるので、これならばお昼休みに食事も可能だ、と思えてきた。
 関連して、一日二食を基本としていた減量過程期の「一日の時間進行」も、現在の一日三食のリズムへと、少しずつ修正することにする。

(番外編) 地震と食事

2005-03-21 00:30:53 | 第三章 diet後体重維持編
 2005年3月20日午前10時53分頃、震度6弱。その瞬間の縦揺れのがつんとくる衝撃の後、比較的激しい横揺れが長く続いたように感じた。それが収まった後、さらに余震が何度も来る。
 室内の物が散乱するが、倒れてこない室内の一角で、ラジオの速報を聴きながら様子を見る。 
 15分程して、少し落ち着いてきたので、台所へ行く。調味料などが散乱しているが、食器はほとんど壊れていない。地震の振動の方向と食器棚の向きの関係で、飛び出さずにすんだようだ。
 ただ、先日の写真に撮った、おかずを盛る用の上野焼の中鉢は割れてしまった。合掌。
 ビデオデッキの留守録電光表示は消えていないから、停電はしていない。
 幸い、水道もガスも止まってはいないようだ。無事であれば、辛うじて台所で調理は可能である。

 傍らの炊飯器に気づく。
 朝食を食べた後なので、まだ昼用と夜用の分のご飯が残っている。
 ほとんど無意識のうちに、ラップに包み、梅干入りで焼海苔のおにぎりにしてしまう。
 朝茹でて食べたブロッコリーの残りもラップに載せ、ドレッシングを少し振り掛けてから包む。
 電気保温ポットのお湯はあるので、インスタントの味噌汁の小袋と、インスタントコーヒーの分包、烏龍茶のティーバッグなど、念のために、紙コップも2つ、ビニール袋に入れる。
 冷蔵庫の中のベビーチーズも、食べかけて余っていた落花生の袋、みかん、などもある。
 これらをすべて、スーパーの手提げ ビニール袋の余りに入れて、小さく括る。
 この「食料」袋と、買い置きに残っていたペットボトルの500ccのお茶と、移動用の持回り品の入ったショルダーバッグを携帯し、会社へ向かう。途中でまた揺れが来るかもしれないが、これで当面、何かあっても、夜まではもつだろう。

 「いざという時は、金を払って外食にするんじゃなくて、自分でおにぎりを持っていれば安心だ」これも、子供の頃から親に教えられてしみついている、田舎の人間の素朴な考え方である。考えるより先に、ほぼ自然に、台所でそれを作ってしまっていた。
 やはり食べ物は身体も精神も支えるものとして大切だ、という実感に基づいた考え方である。炭水化物を怠惰にまかせて飽食する状況ではない。まずは生き残る体力のために必要なものを食べなければならない。たとえショックで食が進まなくとも、である。原始の時代から、人間はこうして本来、厳しい状況の中でも生存するために、適切なものを適切に食べてきたのではないだろうか。食の原点に戻ったような状況かもしれない。

 休日だったが、数名スタッフが来ていて、被害状況を確認していた。備品の転倒や壁の崩落、窓ガラスの破損などがかなりある。休日でほぼ無人の構内、怪我人が出ずに済んだ。ただ配水管の破損で、断水している。具体的な復旧作業は、今後の余震の状況にもよるが、連休明けになりそうだ。 
 作業室に散乱した資料や書類などを机の上に一応積んでおく。元々掃除が苦手な自分だが、それ以上に散らかっていて、収拾がつきそうにない。今日はまず暗くなる前に退社し、臨時休業していないスーパーで、食料をもう少し買って補給しておく。
 昼は先に準備したおにぎりをはじめとする携帯食を中心に食べ、夜はガスが使えたのでさらに野菜炒めを加えた。スーパーで買った惣菜も少しあるから、残りは明日分とする。食後の服薬もできた。ペットボトルに水を補う。今夜はまだ余震が一時間に数回ずつ体感されて怖い。様子を見ながら程々に休みたいが、明日どの程度作業ができるかである。

献立のイメージ

2005-03-20 08:38:37 | 第三章 diet後体重維持編
 基本的に、ご飯と汁物、おかず、という、和食である。これは、自分の食事の好みと、料理の作りやすさによる。乳製品は毎食ではなく、朝食のデザート感覚で一回、これを毎日摂る。
 一日二食で毎食チーズやヨーグルトを相当量食べていた時と比べると、動物性脂肪の総量はこれで少なくなるだろうと思う。2004年6月に問題になったコレステロールの高さも、乳製品をはじめとする蛋白質の過剰摂取を控えることで避けられるかもしれない。

 全体としては、病院食の時よりも一回のご飯の量を軽くして、その分、野菜の量を増やしているという感じである。入院の間、心持ち「ご飯が多くて、野菜が少ない」と思われ、その影響か、定期的なお通じの量はそこそこあるものの、自宅のトイレの時ほどさばさば行かないのが面白くなかったところもある。またもや尾籠な話ではあるが、家の自炊に戻り、野菜を多めに摂れるようになると、入院中の時より出る量も増えてきて安心した。
 
 病院で摂っていた食事の、一人前のトレーの上に構成されていた一回の献立のイメージを、数日間続けてみて、この記憶を定着させるための方法を考えた。
 入院している間は出かけることのできなかった書店に行き、自分の目的に合う参考文献を探してみた。

退院後の食事

2005-03-19 07:39:14 | 第三章 diet後体重維持編
 数日の自宅療養の後、会社勤務に復帰した。デスクワークが中心ではあるが、突然過重な労作負担にならないよう、最初の一週間程は自主的無償残業も夜7時位頃までに抑えるようにする。
 
 食事は、病院食で基本的だった「主食(ご飯)+汁+主菜(蛋白質、※肉か魚か卵か豆) + 副菜(野菜)」の組み合わせ方で、レイアウトも分量も記憶を頼りにして、見様見真似でやってみることから始めた。

 (例)退院後3日目の例  (休日で、三食とも自宅で食べる)
 朝 ご飯  味噌汁(大根菜、乾燥しじみ)  納豆  焼き海苔  大根おろし 
   トマト(1/2個) プレーンヨーグルト(約180cc)
 昼 ご飯  鯵の塩焼き(1/2匹) 
   煮物(大根、人参、野菜昆布、薩摩揚、ちくわ、しめじ、
   高野豆腐) 炒り野菜(もやし、ほうれん草、菜花)、
   めかぶの酢の物(きゅうり入り)
 夕 ご飯  目玉焼き ソーセージと炒り野菜(かぶ菜、もやし、ピーマン) 
   煮物(※昼と同じ)
 ※三食ともここに、ほうじ茶(300cc位)を付ける。 毎食後に服薬。

 この日は午前中にスーパーに買物に出たので、昼の鯵の塩焼きは食品売場の惣菜コーナーからのテイクアウトである。
 炒り野菜とは、テフロン加工のフライパンで、野菜をさっと加熱したもの。以前の減量過程の食習慣の時から、現在も摂るようにしている。塩を一振りか、胡椒か七味を一振り、または、何も味をつけないまま、とする。醤油をかける前のおひたしか、温野菜サラダのようなものか。この上にドレッシングのような調味料をかけるかかけないか、和え物にするかしないかは、主菜の味付け(塩辛いかどうか)による。主菜の味が濃ければ、野菜には何も味付けをしなくてもよい。主菜と副菜は、合わせて盛った場合に中鉢(400cc位)程の量である。

 煮物作りは、これも以前の食事習慣から、秋冬の期間は「常備煮」の方式を続けている。先に作りおきして温め直すだけなので手間がかからない。この煮物もしくは味噌汁を「汁物」として、毎食、椀(250cc)に軽く一杯程度盛る。
 ご飯の量は、家の茶碗(230cc)に軽く一杯弱(8割位)を一食の基準として出発。1.1合程度の白米を研ぎ少量の麦割(押麦)を混ぜて、朝炊いたものを、一日三回に分けて食べる、という分量である。

 病院食の影響で、「毎食温かくして食べる」とそれだけでも美味しく感じられることを再認識したので、煮物は毎度鍋に火を入れる。主菜や副菜も加熱する時は、それが冷めないうちに食事にとりかかる。
 一食につき、時間は15~20分以上かけて食べる、ということも、病院食と同様に続ける。


習慣化するために

2005-03-16 08:47:29 | 第三章 diet後体重維持編
 一度にやらず、少しずつやっていれば、出来ないことではないのに、その物事にとりかかる前にその気力が萎える、というのが、この日記を開始した2003年頃の私の状態だった。やはり病的だったところもあったように思う。
 会社に勤務していると、一度に三つ四つの企画が同時に進行することが多い。多数の事項が控えている、それだけで、先に気持ちが緊張してしまい、憂鬱になる。とりかからないと、と思いながら、手が止まってしまい、ましてや、家に帰って掃除をしようという気力など、残っていようはずもない。その繰り返しである。

 昨年の7月頃の、体重がほぼ増減無しで安定し始めた頃から、身体が動きやすくなった気分の乗りもあって、注文をおっくうがらず引き受けていったら、活動量もぐっと増えた。肉体の身体の代謝だけでなく、「生活の基礎代謝」が上がったような感じだった。
 そんな中で、仕事のスケジュールを手帳に記録して一つずつ処理済みかをチェックしながら、かたづけていく習慣が自分に定着したような気がする。そうしないと、予定を時々忘れてしまったりし、その忘れた事が何だったかも、忘れてしまってパニックに陥ったりするからだ。メモをするようになって、「今日はとりあえず、ここまでしよう、そしてこれは済んだ」とチェックする。その日に実行できなかったものは、次の日のメモに続けて書き込んでおく。複数の企画が進行している時も、頭の中で優先順位を整理できなくて先に精神的なパニックに陥る、というのではなく、不安も幾分か軽減されてきた。
 このような工夫も、世間では常識で普通行われていることなのかもしれない。しかし以前の自分はあまり意識的には行ってこなかった。場当たり的だった。
 自分が痩せて美しくなったとは全く思えないが、思考方法は徐々に変質してきたようだ。

 しばらくの間、食事も、入院時と同様、献立を簡略にノートにメモしておくこととする。記してあれば、一日で何をどこで食べたかが確認できるから、朝と昼食べたものから夜食べるものを考えられるし、前の日に食べたものから次の日に食べる予定を調整できる。処方薬を忘れずにきちんと飲んだかをチェックするためのメモで、服薬が続く間はつけてみようと思っているが、これをついでに応用してみることにした。


intermission、退院

2005-03-14 06:55:43 | 第三章 diet後体重維持編
 つまり、「外来患者」の私の方が、「減量」の「科」から、「維持」の「科」へ、意識を移せばよかったようなものである。「呼吸器科」へ入院してその症状は治ったが、消化器の症状があるのなら「内科」へ移る、というように。そっちの専門があり、そのスイッチのタイミングもある。ただ、それが部外者にはわかりにくい。

 …およそ世の中のあらゆるものが既に専門化され「細分化」され「縦割り」になりすぎているせいか、それぞれが自分の縄張りが正しいと主張しているからか、それを俯瞰して眺めにくい初心者には、そのそれぞれの関係性を見越した応用がわかりにくい、という時が、往々にしてある。次の「科」へ移るたびに、初心者は、また専門家に手数料をとられているのかもしれない。よく出来ている。
 考えてみれば、隣接した領域の問題であるように思われるのに、無縁だったのが不思議な程で、これも気づかなかった方が阿呆だ、ということなのだろうか。
 
 自分は、病院での制限食のような、極度な減塩食や低カロリー食を食べたいわけでもなく、またそうしなければならない必要もないと思う。また、この手の栄養指導の本では、食品群と点数計算式、といった、初心者には俄かに理解し難い雰囲気の理論も展開している。一見、とっつきは決して良くない。
 が、少し手にとってページをめくり、眺めていて、応用すべき、今自分が知りたい情報のヒントは、こういう種類の文献にあるのではないか、と気づいた。
 退院したら本屋に行って、もうすこし多くの種類の中から本を探してみよう、という目的ができた。

 X線検査で肺の影もほぼ消え、血液検査値も正常値に近づいてきたという結果が出て、退院を許可された。仕事にも復帰できる。ただ、季節的に冬から春先にかけて、再発性も高く、注意を要するという。当面は勤務しながら自宅では療養、定期的に通院して検査を受け、状況を見る、ということになった。
 投与されるステロイド剤の量は減るが、服用を突然に中断することができない。最終的に飲まなくてもよくなるまで、少しずつ減らしながら、ある程度長期、まだ規則的な服用が続くことになる。「食後」の服用だから、食事も、どうしても規則的に摂る必要がある。
 身体に摂り入れるもの、薬と食事は「一緒」である。
 さっそく、退院した日の夜から自炊が始まる。入院中に考えていた食事計画を試みることにした。

散歩の途中でのヒント

2005-03-13 06:52:49 | 第三章 diet後体重維持編
 入院中の外出は禁止である。服薬の副作用による免疫力低下もあってマスクをしたまま、病院内の売店(コンビニ)に歩いて行き、数分ぶらつくのが午後の日課だった。ペットボトルのお茶を買ったり、雑誌の本棚を少し眺めたりする程度である。
 店先に置かれている文庫本などの冊数は多くはなく、内容も、読書により長時間の消耗を強いるような難渋なものではない。エッセイや小説、軽い読み物やhow to本などである。が、さすがに病院の売店で、健康雑誌やハンドブックの類が並んでいる。比較的多いのは、やはり腎臓病・心臓病・高血圧・糖尿病関係の生活習慣改善の本だったりする。

 カロリーが制限され、かつバランスのとれた食事については、高脂血症や糖尿病関係の本に書かれているのだった。
 当然のことだが、ただ低カロリーなだけの断食に近い方法(例えば、こんにゃくしか食べない、など)は、炭水化物制限の立場()、カロリー制限の立場、どちらの立場からも、非常識なものとして否定されている。「痩せるためにも、必要な栄養を必ず摂らなければならない」ということに関しての基本的な考え方は、共通している。

 自分は肥満ではあったが、糖尿病は患ったことがないので、この種類の本を必要に迫られて読んだことは、これまで一度もなかった。
 また、自分の体脂肪の減量も、「カロリー制限」から入ったのではなかった。
 あらゆるダイエットの方法を試してはリバウンドをくり返してきたような、長年の猛者でもない。
 だから、「体重を減らすための、カロリー制限の食事」の本は、一切読まずに減量してきたのである。目の前の食品を見て、すぐ、これは何kcalだ、などと言い当てることなど、私にはできない。

 そうか、と思った。
 自分が減量の際に参考とした文献に、その後の体重維持について詳細が載っていないのは何故なのかが疑問だ、と以前書いたが、今、その理由がわかったような気がした。
 その種の文献はむしろ既に、ごまんとある。その手の本はその手の本で「減量するためのカロリー制限の食事」、というタイトルであったりする。それを利用すればいい。
 つまり、これは自分が参考にした方法とは別に、それはそれとして王道の方法の一つだった。 
 そこに「減った体重を維持するためのカロリー制限の食事」とは書かれていないだけだったのだ。

考察~心理的陥穽2~

2005-03-12 20:56:32 | 第三章 diet後体重維持編
 考えていて、はっ、とした。
 炭水化物制限の食事を続けていた時、余分な体脂肪が分解され、身体を動かす燃料に使われて消費されていたわけである。
 以前に溜まっていた燃料は、Maxの時の体脂肪35%の頃と比べれば、減量後、圧倒的に使われきって無くなってきていたはずだ。
 それでもまだ炭水化物をほとんど摂らない食事を続けていた、ということは、ガソリンの無いエンジンをふかし続けるバイクのような状態だったということではないか。

 アトキンスダイエットで喩えて言えば(LINKサイト参照)、インダクションが進み、オンゴーイングに移りかけたものの、摂るべき糖質の適量がつかみにくい気がし、「止まった」ことを「減ることの停滞」のように思って再びインダクションに戻り、その(数週間で次のオンゴーイングに移るべき)インダクションを、精神的不安もあって、そこから止めずに延々と、長期的かつ無制限に続けていたようなものかもしれない。

 「体脂肪を減量するための食事」と、「一度減量した状態の身体を維持する食事」は、違うのだ。それなのに、である。

 どうしてそのことに気づかなかったのだろう。ご飯以外の食品から、炭水化物がそこそこ摂れていたからまだよかったものの、もし自分がそれ以上「揚げ物の衣の小麦粉まではがして食う」などの行為まで神経質に徹底しすぎていたら、そしてその分無意識のうちに、動物性蛋白質や動物性脂肪の高い食品の大量摂取に偏っていたとしたら、もっと危険だったかもしれないと思えてきた。

 減量が一度うまくいったと思った、そのことによって陥った心理的陥穽は、ここにもあった。
どこかに、判断力を放棄した、「『炭水化物制限』への依存(※これに対する依存も発生しうるのだ)」の心理が、なかっただろうか。少し考えれば簡単に気づくべきことを気づきにくくなる程、「炭水化物恐怖症」は強迫神経症的なものになっていたのだろうか。
 …奥が深い。
 

実験結果からの考察

2005-03-12 20:42:37 | 第三章 diet後体重維持編
 今までの「炭水化物を制限すれば、お腹一杯量を食べても大丈夫」という考え方の場合、その一回で食べる総量を制限する意識は、最初から謳われていなかった。だから、「減食による精神的プレッシャーが無い」「蛋白質も油脂も我慢せずにかなり摂取できる」「摂取カロリーを下げないので、代謝を低下させない」という様々な利点が主張されていたのである。その上で、ダイエット後も「食事はおかずが中心で、食事の半分は野菜になるようにし、ご飯は以前の1/2~1/3位」という“炭水化物制限”は、程度は低いがずっと続いていることになる。
 今回の一週間の実験で再認識したことは、逆に「食事の総量を適量にすれば、炭水化物も果物も、さらに広い種類の食品を禁止せず、食べても大丈夫」という考え方もある、ということだ。

 こう簡略に整理してしまうと、非常に変な選択肢になってしまうように見えるが、極論すれば
「ご飯は食べなくてもいいから、制限する。その他に食べてもよい食品を、カロリーをあまり気にせず沢山食べたい」か、
「ご飯を含めてどんな食品の種類も禁止せず何でも食べるようになりたい、だから量はカロリー制限をしても苦ではない」か。
 そのどちらを選ぶか、という話になる。

 このどちらが良いか、は、結局最後は、その人の食事の好みの問題、また、生活のスタイルなどによると思う。例えば、肉や野菜のおかずが好きでご飯の量は元々少なくても不満を感じなくて済むという人は前者で、文章作成推敲の仕事や受験勉強等で毎日脳が相当の糖質を毎日消費するからどうしても疲労回復にご飯は欠かせないという人は後者で、という具合にである。

 物事give and takeというか、一つの自由の権利の選択には一つの義務が交換条件的に伴う。それを、自分の人生で選択する責任と自由は、自分の方にあるのだ。これは、別にダイエットだけに限った話ではない。
 そういうことを無視して「カロリーも気にせず沢山の量を食べないと嫌、なおかつ、どんな食品も禁止せず食べないと嫌、おやつも諦めきれない」等々と、両方の条件とも我儘だけをねだり通していては、何の弁えもなく、うまくいかないように思われるのだった。

 そして、その欲望は我慢せず、痩せるためのサプリメントをまた大量に飲む。
 間食に好きな甘いお菓子を食べ続け、定時の病院食はほとんど食べずに残して捨て、その食後に大量の糖尿病の薬を飲んでいる、高齢者の患者の方が自分の相部屋に、ちょうど、いる。
 そういう行為と、似ているような気がする。
 
 その「我儘な欲望が我慢できなくて当然」のような、“無責任な欲望肯定の文脈”の方が、ダイエット食品のCMなどでは正しいかのように喧伝されていたりするから、こちらが何も考えず判断を停止していると、そのうちにそこに嵌ってしまうような風潮もあるように思う。
 我儘を言っている、自由だ、と自分では思っていても、それはむしろ自由ではなく、何かに騙されて、自由な気分になっているだけなのかもしれない。




ダイエットは永遠のテーマかな?


適量の記憶

2005-03-11 06:05:34 | 第三章 diet後体重維持編
 体重測定の後、退院まであと何回食事があるかを数えた。そして、その日の朝食を食べながら、今までの病院食の献立をメモしたノートを開いてみる。今日の朝食の献立もそこへメモしつつ、思った。
 (この皿数、料理の量の感覚が、一食分か)
 あと数回の食事の間に、この一食分のイメージをつかみたい、と考えたのである。
 
 この病院食の一日三食と同じようなものを、同じ時間の間隔で食べ、服薬も続ける。
 それ以外は食べない。お茶やコーヒー、水分などはこれまで通り、遠慮なく摂る。
 実験結果からみて、その習慣を続けていれば、計算上、体重は増えないだろう。
 退院して仕事に復帰すればすぐ忙しくなりそうだし、面倒くさければ、当面はそういう方法で対処できるはずだ。
 日常、さほど激しい運動や労働を行っていないが、この程度の食事で、基礎代謝は下がらず体力は維持できる計算ということだから。

 ご飯茶碗、汁碗の味噌汁かスープ、主菜と副菜の鉢皿、そして小鉢。おかずの種類によって、盛られる量の多少は様々だが、大体この構成である。朝に乳製品、昼か夜のどちらかに果物があったりする。
 この「型」は、非常にわかりやすい。

 これは、食堂の外食メニューにある「定食」と一見似ているようでいて、違う。
 外食の「定食」は普通、この病院食以上にご飯が多い。その上、主菜となる焼肉か焼魚などは多すぎて、その分、副菜の野菜が不足する。野菜が材料の付け合わせがあっても、それは漬物位であって、少量な上、塩分が多い。「定食」なるものは大体、そういう構成になっていることが多いように思う。一食分のコストの問題によるのだろうか。

 だから自分で作ればよいのだ。これまでの一日二食の生活でも、朝晩自炊でほとんど家で食べている。材料の野菜の量は多めにして作ることもできる。今後も応用は可能だ、と思える。
 家にあるいつもの食器では、同じ量でどの程度の盛りになるのか。家で同じ食事をとるとしたら、お盆に載せてみて、どのようなレイアウトになるか。そこに盛る形を再現できるように、病院食の一膳を目の前にして、脳内でイメージし始めたのだった。


そして再び口上

2005-03-10 09:01:45 | 第三章 diet後体重維持編
 「まだ入院中」の状況を語っているところであるが、問題点と対策方法が見え始めたという点において、意識の上ではこの時から、「diet後体重維持編」は始まっている。
 そこで、ここから「第三章」に入っていきたい。

 入院して一週間が過ぎ、そろそろ明日明後日に退院できる見込みとなる。退院後も定期的に外来の診察と検査に通いながら、投薬による自宅療養が可能になれば、ゆるゆると会社にも復帰できそうである。
 結局、今回の入院生活で、検査料・診察料・薬の代金・三食付まで全部合計して宿泊費に換算すれば一日あたり6000~7000円。素泊のビジネスホテルに同日数分泊まった位の出費より割安か。しかし、世の中にはもっと高額な費用をかけてエステや断食道場等に行く人もいる。自分の場合は入院して、治療の上に、合宿で食生活セミナーの研修までできてしまったようなものだ。

 思えば、自分は一年半前からの減量と生活習慣変更の試行で、何の器具も、また「痩せる薬」もサプリメントも、ましてや、よく広告で見かけるような食事代用の低カロリー栄養食品の類も、一切買っていない。使った費用は、千数百円の参考文献(最初は借り、後に結局買った)位だ。基本的には「毎日の食事」の材料費、光熱費、銭湯の入場料、といったところが諸経費といえるが、それはダイエットのために特別に費やしたものではない。生活習慣の中でかかる実費にすぎない。

 生活習慣を変える方法を自覚すれば、特別に金をかける必要は、実は全く無いのだ。それが、この一年半の実験の中で、得られた実感だった。
 しかしこの考え方は、ダイエットというもので一般消費者に「金を使わせ、消費させようとする」世の中の産業の流れには反する。リバウンドする顧客が多い方が、薬や食品や器具がさらに売れて、商売としては潤って都合が良いはずだ。「減量後の維持」などということが簡単だったら、世の中のダイエット産業は全く、商売上がったり、なはずである。
 だから、これから自分が「維持」の問題を、日記で展開しようとしていること自体が、(やや大げさに言えば)今の世の中の産業の大勢に対して反逆的な、誇張も含めて言えば社会政治犯的な危険思想の行為ともいえる。が、自分のこの「日記」は、痩せる方法を「売る」商売目的のものではなく、思考の展開を文章に整理して自分を省みるための日記である。読者がどの程度いて、どの程度この内容を実感して理解してくださるのかはわからないが、まあ別に構わない。

 最初の減量過程の段階では、まだ意思の迷いや不安もあり、多分にその産業から契機を得て利用し、生活改善に役立てた。その過程が終わって、体重の増減がなくなったからといって、産業の用意する他の減量方法に依存し、様々な方法をそのつど効果がないといって「渡り歩く」趣味に耽溺するような行為は、危険だ。口が淋しい時にお菓子に依存するように、ダイエットの流行そのものに依存して退屈を紛らわせるようなものである。身体にとっても、極めて危ないのではないか。
 多分ここからの過程が、本当の意味で「自分の」身体に合う調整になっていくのだろうと思われる。