4月上旬に実家に帰省し、数日間を過ごした。
今年初めの肺炎による入院と、その後の通院の状況は、電話で家族に伝えてある。服薬以外はほとんど普通の生活を送っている。近所の親類や知人に会うのも数ヶ月~数年ぶりだ。この体重のレベルの重量感を自分の全身の筋力が感得したのが昨年の夏で、それからそろそろ9ヶ月程になり、「自分の体重」として私自身は不自然に感じなくなりつつあるのだが、二三年前に会って以来久しぶりに会うような人は、私の巨体しか記憶にないので、やはり不思議に思うらしく、体型の変化を指摘してくる。
昨年2004年の正月の時は、まだ減量過程期にあったので、お餅を遠慮してお雑煮と鱠や新巻鮭・煮物等の「おかず」を中心にがんばって食べていた。今年2005年の正月は、一食で切り餅を約1/2位、お雑煮で食べる事が可能になり(※写真参照)、それを基本としてさらにその他のおかずも旺盛に食べることができた。今回2005年4月の帰省では、既に入院生活から食事バランスを普通の三食に戻している。他の家族と食卓を囲む時、私も普通に茶碗一杯のご飯・汁椀一杯の味噌汁に、おかずを食べることができるようになった。
もはや「ご飯を残さない」から、家族の咎めの目もなく、落ち着いて三度の会食に臨むことができる。これは食事の際に必要以上に「炭水化物を制限しなければ」という緊張と、「ダイエットしていることを冷やかされて嫌味を言われないか」という緊張の間の、嫌なジレンマに陥らずに済む、ということである。会食には、多分にそうした「社会的な成員の義務感的な意味」が伴う。
その分、別に気をつけることはある。家族との食事では、おかずは大皿に数人分の大盛りで出し、各人が取って食べることになる。日常的に一人暮らしで作る料理は、まったく一人分の量しか作らないから、それを食べ切ってしまえば無くなるのだが、盛り合わされた皿のおかずは自由に多く取ることができてしまうため、気づかずに多く食べてしまう危険もあるのだ。
帰省は数日間なので、一人暮らしに戻ればまた食事調整ができることを考慮に入れ、慌てない。その上で、防御策として、次のような方法をとった。
(1)取り皿に取った分のおかずで、日頃自分が食べている食事の量をイメージし直して、その量を食べ、それ以上おかわりを取り過ぎないようにする。
(2)15分以上かけて食べるようにする(※あいかわらず食卓を見ると、うちの家族は、本当に食べるのが速い。5分位でご飯も汁も空にしている)。
(3)やはりノートに、食べたものはメモしておき、もし母親に「今日の夕御飯のおかず、何がいいかしら」と尋ねられたら、すかさず朝と昼に食べたものから逆算して「まだ食べていないもの」をリクエストする(朝に焼き鮭、昼に餃子だったから、「夜は麻婆豆腐がいい」などのように)。あるいは「野菜」物をリクエスト(菜っ葉のおひたしや、鍋物や、サラダなどを「食べたい」と主張)する。他の兄弟は肉や魚の「主菜」をオーダーするから、それと合わさればバランスがとれるようにである。
(4)お茶やコーヒーは好きに飲むが、親戚の姪たちのための10時や15時の「食間のおやつ」は一緒に食べない。自分の分の果物(苺、蜜柑等)が残されている場合は、昼飯の「食後のデザート」などのタイミングで食べる。
結果として「一汁一飯+おかず・一食約100g以上の野菜」の方式で三食にして、この数日間での体重の増減変化は、ほとんど無く済んだ。むしろ「野菜を多く食べたい」という私の欲求は受け入れられ、他の人々もつられて焼肉等と一緒におひたしやサラダをもりもり食べている。悪い影響ではなさそうである。ただし、やはりついつい満腹感を楽しみたくなるのが「会食」であり、腹八分目が良いとわかっていても、雰囲気としては量を抑えることが難しいものだ、とも実感する。
今年初めの肺炎による入院と、その後の通院の状況は、電話で家族に伝えてある。服薬以外はほとんど普通の生活を送っている。近所の親類や知人に会うのも数ヶ月~数年ぶりだ。この体重のレベルの重量感を自分の全身の筋力が感得したのが昨年の夏で、それからそろそろ9ヶ月程になり、「自分の体重」として私自身は不自然に感じなくなりつつあるのだが、二三年前に会って以来久しぶりに会うような人は、私の巨体しか記憶にないので、やはり不思議に思うらしく、体型の変化を指摘してくる。
昨年2004年の正月の時は、まだ減量過程期にあったので、お餅を遠慮してお雑煮と鱠や新巻鮭・煮物等の「おかず」を中心にがんばって食べていた。今年2005年の正月は、一食で切り餅を約1/2位、お雑煮で食べる事が可能になり(※写真参照)、それを基本としてさらにその他のおかずも旺盛に食べることができた。今回2005年4月の帰省では、既に入院生活から食事バランスを普通の三食に戻している。他の家族と食卓を囲む時、私も普通に茶碗一杯のご飯・汁椀一杯の味噌汁に、おかずを食べることができるようになった。
もはや「ご飯を残さない」から、家族の咎めの目もなく、落ち着いて三度の会食に臨むことができる。これは食事の際に必要以上に「炭水化物を制限しなければ」という緊張と、「ダイエットしていることを冷やかされて嫌味を言われないか」という緊張の間の、嫌なジレンマに陥らずに済む、ということである。会食には、多分にそうした「社会的な成員の義務感的な意味」が伴う。
その分、別に気をつけることはある。家族との食事では、おかずは大皿に数人分の大盛りで出し、各人が取って食べることになる。日常的に一人暮らしで作る料理は、まったく一人分の量しか作らないから、それを食べ切ってしまえば無くなるのだが、盛り合わされた皿のおかずは自由に多く取ることができてしまうため、気づかずに多く食べてしまう危険もあるのだ。
帰省は数日間なので、一人暮らしに戻ればまた食事調整ができることを考慮に入れ、慌てない。その上で、防御策として、次のような方法をとった。
(1)取り皿に取った分のおかずで、日頃自分が食べている食事の量をイメージし直して、その量を食べ、それ以上おかわりを取り過ぎないようにする。
(2)15分以上かけて食べるようにする(※あいかわらず食卓を見ると、うちの家族は、本当に食べるのが速い。5分位でご飯も汁も空にしている)。
(3)やはりノートに、食べたものはメモしておき、もし母親に「今日の夕御飯のおかず、何がいいかしら」と尋ねられたら、すかさず朝と昼に食べたものから逆算して「まだ食べていないもの」をリクエストする(朝に焼き鮭、昼に餃子だったから、「夜は麻婆豆腐がいい」などのように)。あるいは「野菜」物をリクエスト(菜っ葉のおひたしや、鍋物や、サラダなどを「食べたい」と主張)する。他の兄弟は肉や魚の「主菜」をオーダーするから、それと合わさればバランスがとれるようにである。
(4)お茶やコーヒーは好きに飲むが、親戚の姪たちのための10時や15時の「食間のおやつ」は一緒に食べない。自分の分の果物(苺、蜜柑等)が残されている場合は、昼飯の「食後のデザート」などのタイミングで食べる。
結果として「一汁一飯+おかず・一食約100g以上の野菜」の方式で三食にして、この数日間での体重の増減変化は、ほとんど無く済んだ。むしろ「野菜を多く食べたい」という私の欲求は受け入れられ、他の人々もつられて焼肉等と一緒におひたしやサラダをもりもり食べている。悪い影響ではなさそうである。ただし、やはりついつい満腹感を楽しみたくなるのが「会食」であり、腹八分目が良いとわかっていても、雰囲気としては量を抑えることが難しいものだ、とも実感する。