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Cannot Do Cleaning, But…(returns)

生活方法(掃除など)や体質の改善(ダイエットなど)について考える日記・「減量後の維持」

帰省と食生活3

2004-08-24 20:48:51 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 帰省から戻って、コンサートに2公演ほど出かけた。客席でじっと座っている種類のものではなく、一回の公演につき約2時間半以上、立ち上がって踊って大量に発汗できる類のものである。
 食生活も普段の自分一人の時の食事に戻したことと、その運動とがあったためか、やはり前回の出張の時と同様、3~4日で、帰省出発前の体重に一応戻った。
 
 こういう「行事」の時の若干の増え方、戻し方をそこそこに心得ておけば、長期的に見て適当な状態を「維持」できることになるのではないか、と思い始めている。
 普通に生活している一日の間でも、食事前後や排泄前後や入浴前後で数百g~1kg近くの増減はあるので、1日や2日で増えた減ったと一喜一憂し焦っても仕方がない。少し増えたからといってすぐあきらめるのも勘違いである。…といったことは、以前から本で読んで聞き知ってはいたが、実際に自分の身体感覚で、それを実験しているような気がしてきた。こういった経験の中で、「現在の体重」が普通の状態なのだ、と、身体が次第に覚えれば良いように思う。 

帰省と食生活2

2004-08-24 20:40:30 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 結局、その数日で、自分の体重は1~1.5kgくらい増えた感じだった。いくつか、日頃の生活と違う点があるとすれば、次のような点である。

  1、食事前に入浴する習慣が中断した。夕食は夕方7時くらいで、入浴は夜10時頃、寝る前の、まだ腹に食べ物が残っている感覚のうちに入ることになる。

  2、味付けがどうしても濃い。田舎は魚介類の豊富なところなので、白い飯に筋子、漬物などの誘惑も多い。その分、水分(麦茶など)を多めにとることになる。

  3、珍しく実家に帰ると、お盆だから親類が集まっており、家族がいろいろなごちそうをしようとしてくれる。一人で食べるのと違って、人数が多いと、皿数も種類も多い。その中からバランスよく食べるようにはしているが、摂取しているおかずの絶対量が、多分いつもより圧倒的に多いはずである。

  4、昼をちょっとつまむと、夕食までの腹の空き方が、やはり感覚としては弱い。食事量に比べて、午後もう少し身体を動かす必要があるのかもしれない。

  5、他に、食事前の夕方、親戚の小さい子たち向けのおやつに、氷菓や剥いた果物などを出してきたりする。大人には不要だから、と遠慮しても、「せっかくの貴重な○○の品種の桃を買ってきたから、味が違うから、食べてみろ」などと講釈され勧められると、つきあいで一切れ味見を、という具合にならざるを得なかったりする。
  
 およそ物事を完全に合理的に運ぶには、何であれ「非人情」でなければならないのかもしれない。


帰省と食生活1

2004-08-24 20:33:19 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 お盆休みで2~3日帰省して田舎の実家で食事を摂る。自分が食事内容を調整していることは、以前の帰省の時に家族にも知られている。
 正月の時は、自分のみが「餅なし餡なし」で、ご飯の量が1/2~1/3なのが、多少心配もされた。しかし、今回また数ヶ月ぶりに会った私が、見た目にもはっきりと以前より痩せているのを見て、逆に、効果のないことを気まぐれにしているのではなさそうだ、と彼らは思ったらしく、協力してくれた。

 実際、一緒に食事をとれば、味噌汁も摂り、おかず(煮物、刺身、焼肉、炒め物、サラダなど)は以前の数倍の量を食べているのであり、私は拒食しているのではないから、家族を心配させることはなかったと思う。ご飯の代わりに、中鉢に一杯くらいのキャベツやレタスなどを余計に食べたりもする。
 
 ただし食事の時間は人より長くかかってしまう。家族は皆、5~10分以内に食べ終わる(かつての自分や家族が太っていた原因は、ここにもあるように思う)。その中で、自分は急いでも食べるのに30~40分はかかるので、片付けを待ってもらわねばならぬ。この半年で、この「よく咀嚼する」ことは習慣化されてきたような気がする。朝と夜はそうしてゆっくりたくさん食べ、昼は付き合いにつまむ程度で済む。

体重維持の問題6

2004-08-12 11:56:07 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 自分の場合は、どの付近で体重を維持すればいいのか。これは個々人の体格の問題になってくる。
 以前触れた「Yahoo!ビューティー」に紹介されている「美容体重」(?)なるものではBMI=19を根拠としているようだ。本人にとって最も調子の出る、馬力をダウンさせずに働ける体格は、多分人によって違うから、それが正しいとは断言はできない。それより数kg多い体重の方がちょうどいい、と本人が感じるのを、傍からリバウンド呼ばわりするのはおかしいだろう。
 ただし一応、これを一つの最低限度とするならば、自分の場合は44.5~45kg付近になるが、そこまで厳密に減らさなくてもよいと思う。現在はそれより1kg前後多いくらいである。

 別に痩せたからといって自分の顔の骨格や造作が変わり美しくなる、モテるようになる、何でも出来るようになるなどとは、常識的に冷静に考えても不可能なことである。
 ただ自分は、階段を登ったり横断歩道を渡ったりする時に、腹や脚がもたつかず息切れもせず、普通に軽く動ける身体でいられたら、体力的に楽である。
 人から見られるプロポーションのためにではなく、それだけの単純な自発的な物理的理由であった、という初心を、大切にした方がいいのではないかと思う。


体重維持の問題5

2004-08-12 11:50:31 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 多くの「ダイエット」に関連する文献をその後も見る機会があるが、常々、疑問に思う点がある。
 いずれも、減量した後の体重維持の方法についての記述が、減らす過程の記述よりも明確ではない、という点である。

 もちろん、どの本でも「そのまま以前と同じ食生活に戻してはリバウンドのみである」という危険は語られている。しかし、一度改善した生活をその後どのように維持するかについての記述が、詳しく書かれているとは限らない。理由は、いくつか考えられる。

 1、実際、その方法自体が難しいのであろう。本来の人間の身体のシステム自体、飢餓に対して防御的に働き、脂肪を蓄積する仕組みになっているから、あえて燃費を悪くするような生活習慣が、ある意味不健康だということもできる。

 2、あるいは、大半の人が、減らす過程の記述の読解の段階で、成功してその本を必要としなくなるか、失敗してその本を必要としなくなるかするか、であるかもしれない。

 3、また、考えようによっては、これもダイエット産業の思惑()、といえなくもない。ある人間の減量が一度で成功し、永久的に増量しなければ、そこで一人の顧客は永久に欠員する。リバウンドしてくれた方が顧客が減らないから、ダイエットを商売とする側には好都合に決まっている。そこで、リバウンドの恐怖を煽り、逆にストレスを与えて、ある薬品や器具の使用を「常習的にする」こともありうる(何かのサプリメントの広告で「もう○○○○(=商品名)は、一生、手放せません!」などという文言を見ると、中毒か?この人の人生とは、それだけなのか?と思え、非常に背筋が寒くなる)。


*…(2005年2月14日付記)
 「減量ダイエットの本において、なぜ減量後の体重維持の方法についての記述が明確でないのか」という疑問を、2004年8月の時点では抱いていたが、この記述を行ってほぼ半年たった現在、別の観点から一つの答えを得られたと思っている。そのことについては、「diet後体重維持編」で後程、述べたい。





体重維持の問題4

2004-08-10 15:26:35 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 帰宅してみると、実質1.5kg増量していた。そこで、その日から、出かける前の食生活や入浴・運動の習慣に戻す。炭水化物を制限して食間の時間をあけるという、従来の方法である。旅行中も便秘は無かったが、家に戻った方が野菜も圧倒的に多く食べられ、通常の快適な排出が可能だ。
 冷房もかけすぎず、程々に発汗させて代謝の低下を防ぐ(出張先ではスタッフが暑がり、ぎんぎんに室内を冷やし、汗をかかない時間が多く、水分が体に溜まっていくような気分を覚えたものだ)。

 それでも1日数百gずつの調整で、元の体重45~46kgに戻すのに、今日まで約4~5日かかった。1日ではすぐに戻らないようである。しかし長丁場で見れば数日で、また食べたものが身体の中に吸収され、老廃物の排出もされていくから、常に「入れ替わっている」のだと感じられる。だから、食事習慣が事情あって一時的に維持できず体重が増えても、そこで慌てて焦ったり安易に諦めたりする必要もない、という教訓を得た。
 お盆や正月には帰省もある。もし少し増量したら、また少し調整期間をとればよいのではないかと思う。ともかく「長い目で見ると、維持できている」という状態に行くように心がけたい。

体重維持の問題3

2004-08-10 15:08:04 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 数日間連続する出張である。朝食の際に、民宿の仲居さんが御飯をよそって下さる(自分でする、と言いたいところだが、相手によっては職業義務感の高い人もあり、難しい)。茶碗1/3に、とは頼みにくく、半分で、というと、サービスと心得ているようで大概2/3も盛る。残すのには勇気がいる。

 昼食。和食の幕の内定食が来た。茶碗蒸しや煮物に刺身を含め、おかずが多種なのはよかった。だが天麩羅なども付く。朝食べているから、その上に、もう御飯は入らない。残しだすと、人々が不審がり始める。

 夕食。和食で魚が多い。スタッフはここで生ビールなどで酒宴に入る。まさしく「この一杯のために生きている」といった面持ちで。
 酒宴の場合は周囲にアルコールを飲んで御飯を食べない者もいるから、御飯を残しても不審がられない。問題は、スタッフ全員で御飯を食べる、昼と朝だと気づく。

 いかに会食であっても、自分に相応に自由に食事をとってよいはずだ。量が食べられないから最初から箸をつけず人にお願いすることもある。しかし、どうも「残すというのは、まずくて食べられないということか」「食べ物を粗末にするのか」といった視線が感じられる。こういう時、「ダイエットをしているんです」などと大の大人に言おうものなら「何を気取りやがって」といった視線も浴びなくもないからそういう発言は避ける。少し胃腸の調子が悪くて、と言うのも、(相手が自分を本当に心配するかどうかはともかくとして)周囲の飽食三昧の気分を盛り下げるので控える(「健康に気を遣う」などという言葉は単なる個人の我儘としかとられないのが落ちである)。とにかく、周囲の馬鹿騒ぎを見守りながらも、目立たないようにおとなしくこっそりと「ゆっくりよく噛んで食べる」を励行すれば、生理的に満腹感が先にやってくるから、それ以上暴食することはない。

 おかずが少なく野菜不足な朝食の前に、宿舎近くの市場で入手したそれこそ地物で新鮮なトマトやピーマン、きゅうりの類を部屋で洗って齧ったりもした。魚・貝・肉は結構とれているが、不足するのは案外、豆・海草・乳製品であり、炒り大豆や焼き海苔、チーズなどを自室で少し補給する。バランスの自衛に努めるのみである。

体重維持の問題2

2004-08-06 11:05:30 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 民宿や食堂の食事は和食中心で一見バランスはよいが、「魚で飯を何杯も食える」感覚が、食事の中心概念のように感じられる。とにかく定食一人分のごはん「どんぶりめし」が大量すぎる。地元の漁業・農業従事者の運動量に見合った献立ともいえよう。また、味付けも濃く、一夜干しの魚など塩分も濃い。そして野菜の量は、自分が家で毎食摂る程の量に達しておらず、実は少ない。(※食生活改善前の自分の食事は、まさにこういう状態だった。)

 しかも、朝8時頃・昼12時頃・夕方7時頃に3食なので、充分に空腹を味わっていないうちに食事時間が来て、スタッフも昼の手配をする。夜は連日、宴会と化す可能性も高い。こういう中で、自分は食事をどう摂るかが、試されている。
 日頃独居生活の自分は、この期に及んで、家族同居の人々の食生活コントロールの困難さをまざまざと思い知った。

 毎日の生活の中で自分だけの「食」を含めた生活習慣を改善し、減量が進んでいる状態は、思えばまだ、面白さの第一段階、道の初歩に過ぎない。自分一人で思い通りに食事をコントロールできるうちは、外からの邪魔はないし、減っている時期のうちは気分もどことなく調子付いているからである。
 本当の難しさは、今後どのような状況が訪れても、その改善された体質の状況をどうやって維持していくかにある。

 これまでは「減らす」方法について述べてきた。ダイエットについて最初に興味を持つ人は、そこしか目に入らないかもしれないが、自分自身にとっては「維持」の方がむしろ本質的な、重要な問題となりつつある。今後は、頻繁な更新ではなくとも、その「維持」の工夫について、試行しつつ考えていきたい。

体重維持の問題

2004-08-06 11:02:38 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 8月上旬に入り、イベントの出張で地方の漁村に数日滞在していた。昭和時代の鄙びた民宿に泊まり、山からも海からも豊富なオゾンが供給され、これが仕事でなければ相当なリゾート気分だったろう(宿の主人はこの時期の予約で、釣り客か観光客かと思ったそうだ)。
 実は自分は、出張か帰省か何らかの義務を伴わない旅行は、あまり好んではしない。高校3年まで他県に出たことも全然無かった。成人後はいつの間にか気がつくと、何の因果か転勤や出張の多い仕事に就いている。子供の頃の出不精を、大人になってから埋めている。これで人の一生トータルの旅行量がそこそこ消化されるのかもしれない。

 問題は食生活である。
 連日、スタッフと三食を共にせねばならない。
 何も意識しなければ、楽しいはずだ。昨年の同時期の当地への出張では、全く無制限に飲み食いしていた。魚は獲れたてで、山海の豊富かつ安価な食材に溢れている。ただでさえ誘惑は多い。
 しかし、昨年秋からの自分の生活習慣改善の方針から言えば、これほど困難な試練はない、ともいえる。