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Cannot Do Cleaning, But…(returns)

生活方法(掃除など)や体質の改善(ダイエットなど)について考える日記・「減量後の維持」

人間ドックの結果

2005-02-19 00:12:17 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 ここで、2004年6月の健康診断結果、また、過去2001年11月の健診結果通知書の数値、及び2003年2月の前回の人間ドックでの数値も合わせて、比較してみる。なお、この数年間、身長は152.4~152.7cm程度の値で記録されている。

         体重   BMI  体脂肪率 : 血液血色素量 : 血圧 最高/最低 の順に掲げる。
H13.11の値→  58.7kg 25.1 31.7 :    12.1 g/dl    : 108/56   
H14.6.の値→  58.2kg 24.7 30.4 :    11.9 g/dl     : 96/52
H15.2.の値⇒  62.4kg 26.9  -- *:   11.5 g/dl     : 121/76
H15.7.の値→  63.0kg 27.0 32.5 :    10.9 g/dl     : 102/62
H16.6.の値→  47.0kg 19.9 21.0 :    12.7 g/dl     : 94/52
H16.12.の値⇒ 47.4kg 20.4 -- *:    12.2 g/dl      :101/57

        : 中性脂肪・総コレステロール・HDLコレステロール の順に掲げる。
H13.11. → :158mg/dl ・158mg/dl ・63mg/dl  
H14.6.→ :182mg/dl ・189mg/dl ・68mg/dl
H15.2.⇒ :177mg/dl ・197mg/dl ・64mg/dl
H15.7.→ :183mg/dl ・203mg/dl ・50mg/dl
H16.6.→ : 75mg/dl ・223mg/dl ・75mg/dl
H16.12. ⇒  : 35mg/dl ・186mg/dl ・77mg/dl

  *)人間ドック(「⇒」で表示)の結果は、BMIのみで、体脂肪率測定値は含まれていない。

 2001年11月から2003年7月までの当時の体脂肪率は、明らかに「基準値から外れた結果値」として指摘されており、BMIや中性脂肪量の値もその結果に相応のものである。そして、2003年11月から改善し始め、2004年6月の値まで回復してきた体質の状況は、今回12月の検査でもほぼ維持できていた。2004年6月の時点でやや高めだったコレステロールの値も今回は下がっている。前回に指摘された、主に「肥満」を原因とする、一時は「高脂血症の危険もあり」とまで言われた問題は、相当解決されたことになる。

 これで、今回は医者に怒られずに、わざわざ再検査に病院に行かなくても済むか、と思ったのだが。
 駄目であった。総合結果は、クロであった。
 報告書には、でっかく黒々と、E(=精密検査要)の文字が入っている。

 全く予想していなかったことだが、なんと中性脂肪とは別の、全然別の問題―むしろ今までの「肥っていた自分」とは「逆」と言ってもよいような問題で、ひっかかってしまったのである。

人間ドック、及び兆候3

2005-02-18 09:12:54 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 12月の中旬に、職場の人間ドックの日がきた。2003年2月の人間ドックで、体脂肪過多の状態を叱られたのが、今回の体質改善試行発願の契機だった。前回から1年8ヶ月ぶりになり、6月の定期健康診断からは半年ぶりの検査でもある。

 実は、ドックの週の初め頃から、夜中や明け方に、軽い胸焼けか上腹部痛のような感覚があり、目が覚めたりする。それ以外は症状はなく、昼間普通に生活していると、忘れてしまう。1996~97年頃になったことのある、胃のポリープか何かだろうか、病院に行く機会は日常ほとんどないので、ドックに行くついでに内科に寄ろうか、程度に思っていた。
 
 ドック当日、血液検査や超音波、心電図他、腹痛の件を申し出て、内視鏡検査も一応受けることができた。胃の中は正常で問題は無かった。原因が不明である。内科の医師は、「血液検査で、若干アレルギー反応のようなものが出ているが、他に問題は無い」と言う。検査の結果は後日にならないと出ないため、胃痛止め用の薬を少し出してもらい、様子を見るようにと言われて帰る。

 あくる日からまた普通に生活し、そのうち上腹部痛は消え、そんな症状があったことも忘れてしまった。

 ただ、この頃、異常に「肩こり」がひどいな、と思うようになった。通勤用のショルダーバッグを肩に斜めがけにして歩いているのだが、それが「重い」から「痛い」に変わっていき、はずして手に提げて持ったりする。後頭部から肩、背中にかけて、岩盤のように固く、銭湯でジェット噴射を浴びてマッサージをしたりするのだが、なかなか痛みがとれなかったりした。
 この症状は、後から考えると、まさしく兆候であったと思う。 

 そしてほぼ一ヶ月後、2005年の1月に、ドックの結果が来た。

兆候2

2005-02-17 07:43:08 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 「肥っていた時の自分が、食欲をコントロールできず過食し続けている時の、食べ物への異常な欲求」と、「体重が減った後の、身体が空腹になった時の適正な、食べ物を摂りたいと感じる欲求」は、決して同じものではない。このことも、非常に注意しなければならない。

 “リバウンドへの恐怖”が強いと、これを同じもののようにみなしてしまい、後者に対しても「気の持ちよう」「そこで食べるから、また肥ってしまうのだ、危ない」である、と考える。身体が既に「変わっている」のに、「太っていた頃の脳の過食欲求」を覚えている脳の中は、そう簡単には早く切り替われないのかもしれない。空腹感を感じても放っておき、放っておけばやがて慣れてしまう。朝食と夕食の間が6時間どころか、14時間以上空くこともしばしばであった。
 しかしその時、「落花生のような食物を、身体が、非常に欲していた」ことの意味の方が、重要であった。今考えると、そのことの方に早く気づくべきであった。これも心理的な陥穽であるといえる。

 とりあえず、体重はほぼ46~47kgの付近で変動しなかった。朝と夕方の一日二回、炭水化物は朝の半膳程度、の食事も、続いていた。

 2004年11月中旬、社外出向でのプレゼンテーションが終わり、帰りの電車の中で、突然猛烈な寒気を覚えた。説明資料の準備で前週からかなり夜更かしをしていたのと、晴天だった日中と日が暮れての気温低下のギャップの大きい日であったのが、影響したのではないかと思う。
 6月の健康診断も異常無く、この一年間の減量中、全く病気にならず非常に快適に過ごし、むしろ盛んに活動的になり、風邪もひかなかった。太っていた頃よりもひきにくくなったようにも感じていたから、久しぶりな上に突然の風邪の症状に少し驚いた。2日後の週末にも隣県への出張があり、その日が一番具合が悪く、熱も頭痛もあった。しかし週が明けて月曜火曜の忙しさの中で、症状も忘れてしまった。もう治ったものと思い、その一週間後は同僚の結婚式に出席、式後そのまま新幹線で往復3時間の一泊二日会議出張に出、戻ってまた週明けから勤務が始まる。
 その後、12月の初めにも、軽い風邪を引いたが、平日も土日も祝日も関係なく、ほぼ毎日出勤していた。この調子がほぼ12月中旬まで続いた。

兆候1

2005-02-17 07:36:20 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 冬に向かって職場が多忙になるほど、朝7時に朝食を食べて、昼は抜き、夜は帰りが遅く23時頃夕食、などという一日二食になっていく。食事をする回数が事実上多くとれない分、一回の食事は比較的ゆっくりと食べ、「重い」ものになる。

 参考文献の食事に関する項目を読むと、元々「おなかいっぱい」食べる、ことに関しては、ほとんど制限が無い。だから、今日は少しこれを食べたい、と思う時、炭水化物以外なら制限せずに食べる、という方式を続けていた。
 考え方の基本としては、一回の食事で各栄養素の食品を全部、時間をかけて摂り、その後6時間以上の食間を空ける。「一回の食事」を基本とするが、その総カロリーは細かく計算しない。一日に食べる食物の、三食なら1/3食べるべきところを、1/2は食べているので、一食分のカロリーは比較的高いものになるはずである。
 が、一食を食べるのに一時間程度の時間をかけた「コース」の運びとその咀嚼を行っているから、「爆発的な過食」にはならない上、その「ゆっくり食べる」習慣の定着によって、そこそこの量で満腹になるとそれ以上食べられない、という胃の具合になってきているから、「多少、これを多めに食べよう」と思う時に食べるその「多め」も、それほど多くないという感覚があった。

 その秋口から冬にかけて、自分は「豆類」「乳製品」を、非常に多く食べるようになっていた。豆類は、それもなぜか「殻つきの炒り落花生」である。一日20粒ぐらいまでなら、と思ったが、その倍以上は毎食、食べていたかもしれない。食後、デザートの乳製品(プレーンヨーグルト)を食べる時に添えている。「ついつい過食している」という領域に入り込んでいた気もする。

 2005年2月現在の観点から考えると、当時「体重が減らなかった」のは、「朝のご飯」が原因ではなく、その「豆」が原因であった可能性が高い。なぜ、そのことに気づかなかったのかとも思うほどだが、一年以上の炭水化物制限で、一種の「炭水化物恐怖」「ご飯恐怖」のような心持ちに陥り、どうしてもご飯の方を原因だと考えがちになっていたように思う。

陥穽

2005-02-16 08:26:43 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 2004年11月頃の自分は、溜まった体脂肪を消費して減量していくための「炭水化物制限の食事」を、まだ続けていた。
 夏あたりから、朝食で時々炭水化物を少量摂る、という試行はしていた。既に、減量開始当初のような、著しい体重の減少のペースではない。朝パンかご飯を少量摂るので、その分、体重の減少が一見止まって、現状維持の状態になるのだろうか、と、その時は考えた。
 今思うと、この「現状維持」が望ましいはずであるのに、一度「痩せる」という経験を実現できた人間が陥りがちな心理的な「陥穽」に、自分も足を踏みこんでいたように思う。まず、先にその問題から考える。

 順調に減量が進んでいる状態では、“「減る」と安心する”ことが心理的に「常習」になっていく。いささか神経質かつ強迫的な性格の場合、「現状維持」は“はたして順調なのか”“リバウンドの兆しではないのか”といった脅威を、無意識に感じてしまうようなのである。
 毎日体重計に乗り、数百グラムの増減が気になり、そのうちに、秋口になって、7月頃の45~6kgから46~7kgに、約500g~1kg増えた、と気になり始める。
 愚かしいことである。しかし正直に言えば、それだけ「肥っていた自分」という自己認識が、(一度体重をここまで落としたとしても)いかに強固に自身を支配し、一種の“リバウンド恐怖”のような強迫的な精神状態をもたらすか、ということであろうと思われる。
 
 「あきらめたら、そこで終わる」という厳しい言い方は、おそらく「減量途中ですぐ甘い物に手を出し、挫折しがちな」人に必要な叱咤なのだろう。減量ダイエットに関する本は、そういう表現が多い。注意しなければいけないことは、そういう表現の本は、そういう読者に向けて書かれている、ということである。
 同じ文言を、既にある程度の目標体重に達した人間が「自分のことだ」と思い、「まだまだ自分も減量が足りない」「ずっと減らし続けなければいけない」と考えたりすることは、非常に危険である。

 ちょっとくらい甘くしても、とか、ゆるやかに考えれば、などという人もいるだろうが、人間の性格というものはそれぞれで、その人によって、考え方は違う。揺るがせにはできない、「肥っていた過去の自分を断罪する」、自分を「救わない」タイプの人もいる。
 傍から考えれば当然のことではあるが、そこに気がつかなくなっていくところが、「心」の問題なのであろう。過食や拒食等の摂食異常も、起こるとすればそういうところから起こる可能性は充分にある、と実感する。
 
 自分は体重が短期間で落ちないよう、長期間で少しずつ減らす方法を選んだ。それでも、それまで肥っていた20年と比べれば、この一年間で得た、体脂肪20~21%かそこらの自己のセルフイメージというものは、相当「短期間」に得たものであり、「見慣れない」ものであるともいえよう。まだ、「脳」の中の自分は、「肥っていた頃の自分」の「自信の無さ」を、セルフイメージとして、ひきずっている。
 そうしたコンプレックスは、簡単に消失するはずがない。ましてや、痩せたところで、自分の器量そのものが美しくなるはずはないことは、最初からわかっている。そういう意識が混在し、逆に滑稽な程のリバウンド恐怖を生むのかもしれない。
 
 以下、その後の自分の経験から、どのように考え方を改め、かつ、どのような方法で減量した体重の維持に努めるようになったか、についてを、考えつつ述べていきたい。


再々度、口上

2005-02-16 08:23:28 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 …「再び、口上」~「過去の回想3~現状の課題~」までが、2003年11月から2004年11月までの、ほぼ一年間の減量についての経過である。

 その2003年11月から2004年12月まで、ほぼ一年と1~2ヶ月程度行っていた食習慣を、実は、現在は継続していない。
 ある契機によって、改変したのである。
 今、私は一日三食とし、炭水化物も「断つ」ことなく、摂っている。
 そして、減量後の体重と体脂肪率を、現在もそのまま維持していることを、先に述べておく。

 ※これまで「減量するための食習慣」についての箇所をお読みになっているかもしれない読者に、まず「私は方法を切り換え始めた」事を、先に申し述べたいと思ったために、ここまでの過去記事を、急ぎまとめて入力してきたのである。

 2005年2月現在、今に至るまでの3~4ヶ月、またさらに様々な健康上の問題が起こり、再び生活習慣を省みる契機となっていった。考え方の変化の契機は何か、そして、どのような方法で減量後の状態を維持しているのか、そのことについて、これから述べていきたい。


過去の回想3~現状の課題~

2004-11-06 17:26:24 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 身体的不調と精神的停滞が、以前の自分なら全く予想しなかった行動に自分を向かわせた。ともかく、もう少し楽に動ける身体にだけでもなりたい。それが、ちょうど一年前の自分の状況だったのである。

 前回の筆記から約一ヶ月。日々の仕事量など生活に伴う運動量も、特に増えたわけではなく、試行後に始めた一日の食事時間やスケジュール(※参照:「時間変更」2004/04/22記事)は、ほぼそのまま続いている。

 10月下旬の遅い台風通過後はさすがに気温も下がり始め、じっとしていて汗ばむ日は無くなりつつあることもある。現在の状況、体脂肪率は20%前後だが、9月下旬(※「経過1」2004/09/23参照)の45kg前後より少し多めの、46kg前後で推移中。
 一年前の自分の姿から考えれば、信じられない程の「御の字」な状況とも言えなくはない。
 だが、夏の頃の最低体重のままではない。水準を維持する期間が可能な限り長い方がよい。多少、緩くなってきている要素もあり、放っておいてはいけない点は反省すべきである。単に一時的に身体の形が変わった、だけでは済む問題ではなく、人生の生活習慣をどう続けていくかの問題である。
 そこで、特に秋口からの食生活等の問題点を確認してみる。


過去の回想2~危機的状況~

2004-11-06 17:23:42 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 そのうち、人間ドックでの医師からの教育的叱責や、身分証明書の写真に残る自分の姿の拙さや、階段を上る時や5~10分程度歩いた時にも足の裏や膝が痛み始めたことなどに、憂鬱が伴い始めた。今考えると不思議だが、自分はそれが肥満だとはすぐに実感しなかったのだった。腹や足の付近がもたつくけれど、ますます鏡に移る自分の姿の直視を避けるようになる。自分の年代用に売られているカジュアルな服は着られず、年配者対象の大きいサイズばかりを見る。しかし手足が短いのでやたら丈が長すぎるといった状況が生まれる。

 ただ、街中を歩いていても、様々な巨大な人を見かけることはある。自分は思う。自分はまだその大きさまで至っていないが、この体重の増え方ならいずれ70kg台80kg台へ行くことも夢ではない。ウエストが70㎝を超え始めた辺りから、その可能性が現実にありうることを実感した。

 このサイトで最初に掃除日記を始めた去年の頃は、身体の不調と汚い室内とで完全に自己嫌悪に陥っていたともいえる。どうして自分は、快適に普通に生活をすることができないのか。自分は不細工なのは元々の顔の造作だからそれは仕方がないだろう。だがこんな不細工でその上不健康な人間のままで、ただ働いて食って寝るだけの一人暮らしの人生を続けていて、どんどん肥り続けていくのか。そしてある日突然生活習慣病で倒れる。壮絶に散らかって玄関からレスキュー隊も足を踏み込めないような混沌の寝室内から、動けない自分が救急車で運び出されるのか。このような、決してありえなくはない想像を膨らませ、それをくい止める有効な対策も考えられず、さらに憂鬱になるという悪循環であった。

過去の回想1~減量前~

2004-11-06 17:21:47 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 昨年、ふと買物途中の書店で参考文献を見つけて手にとってみたのが11月3日の文化の日前後だったと思う。その本を見て、体質改善の試行を開始してから、ほぼ一年が経過した。

 今改めて一年前を考える。身長150cm台ながら10代の頃から50kg以上の体重が普通だと思っていた自分は、自分自身のことを肥満だとは全く自覚していなかった。若い頃から体脂肪も測ったことがなかった。運動の苦手な、少し小太りで背の低い人、といった辺りが、他人から見られた自分のイメージだろう。顔の造作も不細工で、元々見た目や服装のファッションにも全く自信はなく、人付き合いも苦手ながら、就職して自活し20代も過ぎて30代にも入った。

 それが数年前からさすがに60kgを超え始め、いよいよ「中年肥り」の領域に入ったのかな、と思った。が、まあ親や兄弟もその齢だと皆、恰幅も良くなっており、そういう体型になってくるのが人間なら普通なのかと思っていた程度だった。運動も嫌いでフィットネスなるものも恥ずかしい。元々「体育会系」に対して偏見を持っているし、そういうことは器量の良いスポーツマンがすれば絵になるが、自分のような運動の苦手な醜い者が行っても様にならない、という思想がある。少し食べる量を控えてみても全然効果も無い。対策を講ずることもなく日が過ぎた。


経過5

2004-10-12 18:20:44 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 10月中旬に入り、一日の最高気温も下がってくると、夏と比べて日中の発汗の量が減っているのを体感する。水分の補給も、夏ほど渇くのではなく、ゆるやかになっている。
 身体にとっては動いても涼しく、過ごしやすい季節になった。その分、体重の減り方は落ち着いてきた。体重は先月からほぼ変化せず、1kg前後の増減で止まっている。

 寒くなりつつあると、自然界の動物も冬篭りに向かって体脂肪を蓄える時期、と聞く。
 自分の身体の実験的な試みも、この11月で丸一年になる。食べることと身体を動かすこと、休養して身体を作ることの習慣の試みである。
 昨年までは、「自分の身体が日々生きて変化している」ことに思いが及ばず、ただ「固まりとしての太った肉体」としか自分を考えられなかった。
 しかし、今自分はこう考えることができる。この一年で食べたものと作られたものによって、自分の身体の細胞も、一年前とは入れ替わっていることだろう。これから先も、これから食べるものが、さらに食事や運動や休養の習慣が、自分の身体を作っていく。
 この生成変化のイメージを脳内に描きながら、再度初心に帰って生活習慣を見直してみたい。

経過4

2004-10-12 18:19:41 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 秋である。この夏は冷房を消して窓を開けて薄着になって過ごせたためか、サウナと水風呂との往復で自律神経系と皮膚感覚とが鍛えられたためか、いずれの原因かは不明だが、一年前の感覚よりも明らかに、自分の身体が外気や「風」の変化、「気配」を感じ取りやすくなっているのに気づく。皮下脂肪が減ると、身体にはこのような変化も伴うらしい。

 猛暑の間は、冷房を使わないように心がけると、じっとしていても汗をかくので、喉も渇くし水も飲む。身体が新陳代謝を恒常的に激しく行っていたのかもしれない。そこで、一日の食事のうち、朝食だけ、これまでの食事量(各食品群)に追加して、食パン1/6斤の半分程度、御飯なら茶碗1/2~1/3程度を摂るようにして調整してみた。これで体重は数ヶ月間、イベントにおける若干の増減を除けば、ほぼ維持されていたといえる。

 特に意識しなくても体重が増えなかったのは、一種の「夏痩せ」も実は伴っていた可能性がある。その分、夏の間は予想外に「たくさん食べていた」のかもしれない。もっとも、従来自分が夏痩せするような体質だったのかどうかすら、元々太っていた時には知りようもなかったのだが。

酩酊

2004-10-01 09:14:18 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 生活習慣を総合的に考えていく上で、自分は一日に食事の中でどの程度の量まで、御飯やパン、麺類などの炭水化物を摂ってもよいのか。
 これを、7月頃から、実験的に自分の身体で試行錯誤している。

 仕事上、文書を作成したりする時、脳の疲労度から考えて、やはり適度の炭水化物は必要だと感じる。身体が渇いて欲する、という感覚なのである。
 一度職場で、「山田屋まんじゅう」のおみやげを一個おすそわけにもらった時は、夜遅くまで文書を作成して一本完成した朝だった。久しぶりの甘味で少し不安な気持ちながら、小さいもので有名な菓子でもあるから、一口味見をしようと思い、一かけら、噛みしめて呑んだ。

 全く予期せぬことが起こった。数ヶ月の炭水化物制限の身体に、上等の甘さがまさに「しみわたる」ように入っていく。
 軽い酩酊感すら起こった。この微量の糖分だけで、酒のように、脳が甘さに、酔うような感覚で、回るのだ。
 糖分が吸収されていく幻覚に、凄まじく快い高揚感すら伴う。
 「ちょっとこれは、いけないかもしれない」
 以前のように毎日甘いものに飽食していては、まず味わうことはできなかったであろうというTRIPを味わってしまった。
 この一個で体重が戻るということは無かった。むしろ、これしきの甘さでTRIPできてしまう脳の感覚に怖さを覚えたのである。

 …やはり、身体の恒常性と現体重を維持できるのに適量の炭水化物は、毎日の食生活の中で少しずつ摂れるようにしたいと思った。
 それゆえ、試行錯誤を続けている。

経過3

2004-10-01 09:10:05 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 これから「炭水化物」食品を、どこまで戻すのか、が、現在の最大の懸念であり、研究中のポイントである。

 会食の時にもっとも非難を嗷嗷と浴びるのが、「御飯を残す」時である。
 最初から「少なく盛ってください」と言える時は言うし、コースの最後で「もう入らないから」と人様に食べていただくという方法もあるのだが。
 確かに「食べ物を残す」のは行儀が悪い。しかし、それだけではない非難の色も感じなくはない。自分のここまでの体型の変化と、何度かの同席で「御飯を食べないようだ」ということが判明しつつあるため、その2つを直結させて単純に「奴は御飯を食べないという方法で、減量している」と周囲の人々は即断して、非難するようなのだ。
 自分が減量のために注意している他の点を知らないからである。もっとも、教えていないから、仕方が無い。
 
 この文章を読んでくださっている方には、申し上げたい。
 「御飯をたべない、という、ただそれだけでは、多分体重は、減らないのではないでしょうか。」
 前述のとおり、他に何を食べなければいけないかの方が重要だからである。

経過2

2004-10-01 08:43:11 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 食事については、昨年11月から今まで、トータルで一食の1/2が野菜になるようにした上で、その他の食品を摂るという方法で来ている。
 6月頃から気温が上がり、煮物はすぐに悪くなってしまうので、夏の間はサラダ類を中心に切り替えた。テイクアウトの惣菜の他、炒め物なども活用できる。秋の現在は端境期で台風の影響もあり、野菜が高値なのが厳しく、もやし炒めなどが多くなったりするが、大風で落ちて打った処分品などを農家の人が市場に持ってくると、見た目が悪くてもまとめて買ったりしている。

 海草類としてこの夏、意外とお世話になったのが「ところてん」「もずく酢」などだった。実はそれまで、全く食べる習慣が無かった食品である。元々酸っぱいものが苦手だった上、こうしたものは所謂「御飯の進むおかず」ではない。
 つまり、以前の食生活の傾向がいかに「おかずで、たくさんの御飯をもりもりとかっこむのがメインの食事」であったか、ということだろうと思う。しかし、夏場に改めて「御飯のおかずではなく」いただいてみると、薄味でもあり、爽涼感のある味わいの食品だったのだと知った。今の自分には、付いてくる「たれ」が逆に甘すぎるほどだ。砂糖なしで二杯酢でもいい。この10ヶ月程で、随分、自分の味覚そのものも変化した、というより、それまでが砂糖に慣れすぎていたのだろう。

 なお、実家に帰った時にも「もずく酢」は饗されたが、今の自分の味覚で適当と感じられる味よりも、ずっと甘い。だいたい、うちの母親が酸っぱいものを嫌いだったので、どうしても砂糖を入れて味付けを甘辛くしたがるのである。自分が子供の頃から甘いものに抵抗がなかったのも、味覚が育っていく幼少時からの、家族との食事の嗜好などから始まっているのか、と今は思うのだった。

経過1

2004-09-23 22:05:40 | 第二章 diet維持試行錯誤編
 昨年の秋分の頃、最大時だと体重65kg・体脂肪38~39%程度の身体状況であった頃から始めたこの日記も、開始から1年を過ぎた。
 おかげさまで2004年、7月下旬から9月下旬現在までのこの2ヶ月程、大体のところ体重45~46kg程度、体脂肪20%前後の状態を維持している。

 一年前は、まさかこの一年間で、日記の趣旨はおろか、自分の身体状況や、ものの考え方などがこれほどまで変化するとは、全く予想していなかった。
 (陳腐な表現ではあるが)確かに、人生とは不思議なものである。
 人間は生物であり、新陳代謝が行われ、日々細胞が入れ替わっている、ということを、皮膚感覚や身体感覚としてイメージできるようになってくる。「変わることができる」のだということを感覚的に知ると、思考方法や意識まで変わってくるところが、なかなか怖い。