父の初七日も終わり、帰ってきました

アッと言う間の1週間でした。
前にも少し書きましたが、父は
シャイ・ドレーガー症候群、多系統萎縮症の病気になり、
障害者認定を受けていました。
少しづつ進行していく病気で、
去年までは自分の事は自分でできていたし、運転もしていました。
しかし、2月に会ったときも進行していたし、
たいぶ手がかかるようになってきてしまったし、
弱ったな~と思っていました。
自分の足につまずいて転んだり、靴も自分で履けなくなっていたりしていました。
でも、本当、2月に会えて、話せて、顔を見れて良かったです。
母も仕事をしているので、
もう少し進んでしまったら、一人で日中

に入れないだろうな、
そうなったら施設やら、ヘルパーさんやら考えないとな~と
思っていたそうです。
一生懸命リハビリはしていましたが、それでもやはり病気の進行は止められませんでした。
もし、この病気のまま、5、10年生きていたとしても、
どんどん体は動かなくなる、言葉も話せなくなり、
寝たきりの状態になってしまったと思います。
そんな状態になった方がかわいそうで、かわいそうで見てられなかったでしょう~。
この病気になってから、
かなり人の目を気ににしてあまり外出をしなくなりました。
じんじんの運動会を見にくる時も、
「オレがいったら、じんじんや私が人からなんか言われたりして、
こんな状態の家族がいるんだ~と思われたりして応援しに行くのは迷惑かな~??」
と妹にも、私にも相談してきました。
どんな状態であってもじじはじじ。父は父です。
「何言われても別にいいじゃん、じんじんはすごく楽しみにしているからおいで」と
言い、来てくれました。
どこに行っても、特に同じくらいの年代の人はじーっと見たそうです。
その目がやはり辛く、外出もイヤになってきてしまったようで
ほとんど家にいる事が多くなっていました。
若い頃は、ほんと~~~~~に自由すぎるくらい、
元気に自由に生きていました。
父のせいで、母、私、妹はどんだけ寂しい思い、苦労をしたでしょう~。
そんな風に生きた父には病気になってからの1年半、
「毎日、家にいる」と言う生活は
どんだけつまらないもので、寂しく、辛い毎日だっただろう、と思うと
辛くてかわいそうで・・・・・。
介護する家族も大変でしたが、
病気の本人の方がもっともっと苦しんだはずです。
あの世へ行った父の顔は本当に穏やかに眠るような顔でした。
じんじんも初め見た時、
「じじ、ねんねしてるね~、おきなさ~い!!」と思わず言ってました。
顔を触ると氷のように冷たく、これは違う!!とビックリした顔をしていました。
それくらいいい顔でした。
「もう、人の目も病気と向き合う事もなく楽になったんだ~」と
言っているような気がする、いい顔でした。
変ないい方ですが、
家族に迷惑をかける事なくあの世へ旅立ってくれた父に感謝します。
前の日まで大好きな焼酎を飲んで、たばこも吸い、
最近では前の晩に焼酎を少しコップに残しておき、
それを飲む朝酒が楽しみだったようでその日も置いてありました。
病院に入ってしまったらそんな事はできませんよね。
そして、父は死んだ時、お経変わりに
大、大、大好きだった
矢沢永吉さんとキャロルの音楽をかけてくれ!と
いつも言っていたので、永ちゃんとキャロルの曲で送り出しました。
永ちゃんのコンサートで最後、アンコールで必ず歌う曲
「トラベリンバス」、「君はファンキーモンキーベイビー」です

とっても‘らしい’見送り方ができてよかったです。
父の写真、母と一緒に選び、候補を3枚だしました。
マジメな顔、飲んで笑っている顔、私の結婚式の時のちょっと緊張した顔の
3枚でした。
写真屋さんが、最近は昔と違ってカラーで
いつもの本人の顔と言って笑っている顔にする人も多いので、
この笑っている顔もいいんじゃないんですか~と言ってくれ
笑っている顔にしました。
それが見ればみるほど父を思い出し、いつも笑顔でいてくれるような気がして
とっても気にいりました。
元気な頃の父を思い出すいい写真です。
そして、写真屋さんが、
サービスで普通の写真のサイズの写真一枚と写真たてをくれました。
それはもらってきて、ここの家に置いておこうと思います。
親を亡くすると言う事は、相当なショックと寂しさがくるだろう、
と思っていましtが、
私は「楽になれて良かったな~、天命を全うした」と言う気持ちの方が
大きく、気が張っていたのもあるかと思いますが、
想像していたよりも寂しくありませんでした。
あ~でもこれからなのかな~寂しくて会いたくなるのは・・(^^;
実家は2階にリビングがあります。
父が亡くなったその日から2.3日はものすごく階段を昇り降りする音、
ローカや玄関の扉の音なんかがすごくして、
「あ、誰か来たよ~」と母に言い、玄関へ行ってみると誰もいないなんて
事がありました。
私は何度もそれをかんじ、母は一度階段の音を耳にしました。
きっと父だ~~~!!と思い、この世に父の姿はもうどこにありませんが、
こうやっていつもそばにいてくれるのかな~、
遠くの空からいつもいつも見守っていてくれるな~と思うと
なぜか生きていた時より近くにかんじます。
でも、やはりいつも座っていたところに父の姿はないし、
もう話す事も笑いあう事もできないのかと思うと、
寂しく、悲しく、何とも言えない気持ちになります。
幼い頃の事、結婚式で家族全員でハワイへ行った時の事、
じんじんが生まれた時の事など
た~~くさん父との思い出、
笑顔や色々な父の顔、声も一つ、一つ大事にしていきたいです。
私の心の中で一生、父は生きつづけてくれると思います。
53年と言う、一般的には本当に短い人生でしたが、
父は一生懸命、楽しく生き、神からもらった命を精一杯生きたと思います。
母が「体が動かなくなる前にしたい事ある??」と聞いたら
「オレはもうしたい事全部してきた、悔いの残るような人生ではなかった」と
言っていたそうです。
ただ一つ、希望が叶うならもう一度家族でハワイへ行きたかったと・・・。
でもあの体では長距離のフライトは無理でしたね~(^^;
いつか必ず、父はいなくなってしまたけど、家族全員でハワイへ行き、
ハワイで父を偲んでこようと思います。
もちろんその時は永ちゃんの曲でね
じんじんも5歳、きっとじじとの思い出、かわいがってくれたじじを
忘れないでしょう~。
そして、今回の事で人間の死と言うものを学んだと思います。
人間には必ず生と死がある、だから生きている時は精一杯生きる事、
悔やむような人生は送らないで欲しいと思います。
親孝行も存分に父にはしてあげられなかったな~と後悔しています。
父の分まで母にしてあげなくちゃね~。
そして妹はやはり、旦那様と自分の子を見せてあげられなかった、ごめんねと
話しかけていました。
じんじんを可愛がっている姿を見ているだけに
自分の子も可愛がってもらいたかったし、花嫁姿も見てもらいたかったでしょ~。
こればかりは仕方がありませんが・・・。
私や母より、妹が父のいなくなった寂しさを悲しんでいました。
旦那の方のお父さんも5年前に亡くなっています。
2人の母には父親の分まで楽しく、長生きしてもらいたいです。
最後に・・・
今までありがとう。
病気と向き合い、よくがんばったね、楽になれてよかったね。
苦労もしたけど、私はいい父親のところに生まれてこれて幸せでした。
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。
あの世でも一生懸命がんばって。
これからも遠くから見守っていて下さい