J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

自然農法の棚田で週末稲刈りいかが? 

2010年10月21日 | 緑の仲間
清沢塾2010秋 自然農法の棚田 chemical-free farming


八幡山のふもとに位置する八幡神社で、古地図が掲示されているのを見かけた。
ちょうど若宮司がいて、面白い絵図だと言うと、明治のものを描き起こしたという。
本殿のは位置関係を見ていて、気づいたことがあった。
神事を行う土俵がある神社なのだが、明治時代の絵図には、ちょうど土俵のところに社務所がある。
すると宮司、この頃は、土俵は祭りのご褒美だったというではないか。

神事のために新しくしつらえ、強かったものが丸ごと土俵をもらったのだという。

土俵作りのための土と、四本の柱、屋根、この見事な材木と土を元に家を建てた。

なんとまあ。。。。
しかし、それこそとても日本らしい。
神事なのだから、そのつど新しくしつらえる。
そして、神から賜る。

今でも四国あたりにその風習が残ると聞いているという。

秋祭りは五穀豊穣を感謝する祭り、その労働を思えば、力持ちはヒーローだったことだろう。

静岡市の安倍川支流を山間に向かってしばらく行くと、清沢。
清い沢、というとおりに水の美しい集落がある。

ここの棚田では、今週末に、誰でもが参加できる稲刈りがある。
もちろん、見学だけでも可能。


*稲刈りの終わった近くの田では、切り株から新しい稲穂が出て、花を咲かせていた。

ご多分に漏れず荒れていた清沢の棚田が、新たに発掘といいたくなるほどの労働で蘇っている。
11年前、静岡大学名誉教授の中井弘和さんがはじめた。
大学では、農薬や化学肥料を研究し、より多くの収穫を上げる方法をすすめてきた。
しかし、あるときから、稲がかわいそうになったのだという。
そして、まったく180度反対の、自然農法に着手する。
耕さない、無農薬、無肥料、それで米が実るのか。
実ったとしても、それは、生業となる収量をあげることができるのか。

しかし、冷害のあった年、あの外米の輸入騒ぎのあった年、
自然農の稲は、みな良く育った。
それは、気候の変化にあわせて、稲が自力で育っていった結果だった。

人間の都合に合わせて成長させるため、収量を上げるために肥料を施されると、植物もひ弱になる、と中井さんはいう。
寒ければじっくり育てばいい、その間に根がしっかりと張る、そして、風にも強く、水にも困らない稲が、
秋になればよき頃合に、自分で実らせる。

植物は、育とうとする。
自らの生を全うし、次代を残すために、持てる力で生き延びる。

人は、その手伝いをすればよいだけだ、という。

それでも耕さないなんて、と今までの知識から離れられないでいると、
にっこり笑って、雑草は耕さなくても生えるでしょ、という。

ああ。。。そうだよな。。。
稲だって、植物だ。

その中井さん本人は、週末土曜日の稲刈りに参加できない。
今年は、全国棚田サミットが静岡県松崎町で開かれ、分科会を担当しているから。

@静岡市清沢の棚田 静岡県
http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-630/tanada/area/kiyosawa.html
@静岡市葵区清沢地区 静岡県
http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-630/issyaisson/request_village/kiyosawa.html

@全国棚田サミット連絡協議会
http://www.yukidaruma.or.jp/tanada/



清沢塾の塾生が、今度の土曜日に稲刈りをする。

一休みの小屋は、手作り感が満載で、とても楽しい。

見るだけでも、是非。



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