Ⅲ;今在るこの生活が、夢であることを只管に願うしかない。【了】
ああ~あ。ってか、何か、書いててバカらしくなってきた。中途こだけど、もうよそっ。はァ~あ。何ァに、やってんだか?自作自演、テメエで詩を書いてそれをテメエで勝手に批評してよお?阿呆か、オレ?だあれも読んじゃいねえしっ!
わざわざ改行したのは尾崎ナナをバカだと受け止められるのを恐れてのことだろう。解説までつけて。そして、敬愛しているのであろう、ミネタカズノブと云うパンクスについて言及しているのは。しかし、本当にダラシがない。斬り込み隊長の気分で突っ込んでこその詩人である。また、ラスト、これこそが / 巷で鬼流行、 / アジテーショニズム、て、若干ズレた道筋を元に戻している。アジテーショニズムなどの造語はネイティブからしたらきっと苦笑ものであろう。そしてまた、他の作品にも言えることだが、ファックファック言い過ぎである。この作者は。イイスギー・アンド・ザ・ストゥージーズである。あこれはオヤジギャグである。現代詩は難解だと言われるが精々この程度で。貫く思想は極めて稚拙、レトリックを除去したら中身なんて大したものではないのある。ナカミー(フジアナの中野美奈子)の方がナンボかマシである。あこれもオヤジギャグである。そうです。私が正真正銘のダジャレスト、伝説のオヤジギャグ・ジャンキーなのです。って、それはそうとそれはさて置き、レトリックと思想が相乗効果を為しているものの、その一方を欠けさせれば現代詩の世界観は崩れてしまうのである。これはつまり、
事と次第によっては、を、敢えて、事 & 次第と置き換えるところなど(夜這いスティックなども)、片腹痛しである。鬱陶しいものである。ウザイやんセッツァー・オーケストラである。これはオヤジギャグである。それにしても西洋被れ。日本語もまともに使えないのに。そして、CAUTION!WARNING!LIVING!は詩のリズムにメリハリを与える為だけに使用している。社会科見学に絶望したジェネレーションよ、/ 心して聴くがいい、これは社会、及びアンダーエイジに対して、「おまえらもおんなじやろ?」思てるだけである。それは大きな間違いであって、子供たちは希望に充ち満ちているのが常である。尾崎ナナの齎した功罪について、/ 今こそ語り合おうTHEY! / これこそが / 巷で鬼流行、 / アジテーショニズム、と、尾崎ナナについて言及しているのは時事性を求め、固有名詞を扱うのをまた好み、自らの詩の力を頑なに信じ、世界を変えることが出来るのではないだろうか?と云う思想と相反して、一過性を自ら望んでいる。また、矛盾に気づいていないのである。残らないと自覚しているだけ表彰もんである。またそして、“鬼”や、 “→” なんて、若向けの言葉を使って若くもないのに若作りしてい、時代乗り遅れてないぜ?みたいな感覚なのだろう。
マリッジ・ブルー地獄変、や、特殊言語チェインソウ、などは日本語と英語を接合しただけ、猫騙し的な造語のオンパレードである。普遍性はなく、流行語になる程のレヴェルでもない。聖痕;スティグマ天から授かり生理と不純(不順)異性交遊、なども、作者にしか判らない、作者ですら判らない不完全体の暗喩なのであるから、無理に詮索しなくて良い。言葉遊びのレヴェルである。私に言わせれば全く意味がないのである。意味がないと感じる読者の感受性は極めて健全である。幻想的な感覚を齎す為だけなのである。しかし、ファンタジーではないと否定しつつファンタジー化を強く望んでもいる。これだけのことを理解出来ればこの詩は理解出来たも同然なのである。