風に吹かれて ~いつか どこかで~

徒然なるままにと気取って始めた 母の介護・趣味の工作・覚書に日々雑感
自己満足だけど書くと楽になることもある

母の年金

2016年02月05日 | 何となくひとり言
母の諸々の事務手続きで最後になったのが未支給年金の申請 先週 弟と手続きに行った

そこで聞かされたのが 「年金記録に漏れがあり それが母の年金に該当するのではないか?」ということ

50年も前の昭和40年のたった4ヶ月分 ただ会社名が分からないと支給されないらしい

支給云々よりも 驚いたのは昭和40年という年のこと

その年は 父が「胃がん」と診断され 千葉医大で匙を投げられ

見つけてくれた病院で「たとえ10%でも助かる可能性があるなら切って下さい」と

夫婦で病院の床に頭をすりつけて頼んだと聞かされている

入院前に家族5人で浅草に食事に行った 両親にとっては最後の晩餐の覚悟だったのだろう

私が小6 弟が小1に入学の年 その下は4つか5つ

手術の日 私は学校を休み自宅で待機していたのを覚えている

手術を終え無事に退院はしたものの父は職を失い 貧乏のズンドコで子供3人抱えて

36歳の母はどんな気持ちだったのだろう

母の頑張りのお蔭で父は 手術をしてくれた先生より長生きし 私たちは健全に育った

両親の生きる姿と思いに感謝し 母の生きた証の一つとしてなんとしてもその事実をつかみたいと思った


今日は 以前 母の年金記録を見ながら母に確認して書きこんでいた資料を持って

再度 社会保険事務所に行ってきた


余談ですが、この年金記録もほとんど会社名が記入されておらず 

最初の厚生年金の資格を失った日付は 昭和20年3月10日

あの東京大空襲のあった翌日になっている これも戦争を生き抜いた母の生きた証だ


帰り道 いつもの橋の上で年配の方が集まっている
聞くと「ダイヤモンド富士」を見に来たらしい
残念ながら今日は雲が掛かり 日も沈んでしまって見ることは出来なかったが
記念に写真を撮った ↓


コメント
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