風に吹かれて ~いつか どこかで~

徒然なるままにと気取って始めた 母の介護・趣味の工作・覚書に日々雑感
自己満足だけど書くと楽になることもある

12月のせいなのか。。。

2019年12月09日 | 明るい介護生活
今日は淋しくて母の最期の12月を思い出す
西新井の病院通いをしてた気持ちが蘇る 
あの病院が憎い 数々の出来事は「患者の声」から「病院第3課」に繋がり
厚生局から指導が入ったようだけど

結局は何も出来なかった自分が悔しくて情けない
黙って見ているだけで爪も切ってやらず
髪もとかしてやらず 顔も拭いてやらず
話しかけてもやれなかったことを悔やむ
そして何より必死に「家に帰る」と絞り出した言葉が
母から聞いた最後の言葉だ その願いを叶えてやれなかった

私が退院した報告をした時 笑顔を見せてくれた
だから全てわかっていたのだと思う
その母の気持ちを思うと転院を告げられた時
家に連れて帰ることを何故思いつかなかったのか
何故あの時の母の言葉を思い出さなかったのか

転院した日「こんな寂しい病院じゃ可哀想」と思ったのに
何故病院の言いなりで その後何もできず
ただ毎日自転車で通うだけ
病院の酷いところにばかり気が向いて
母の事をおろそかにしてしまった
その事がずーっと悔いに残る

12月の寒さ イルミネーション
あの病院への道 西新井という場所
全てがとっても嫌な思い出になって
澱のように心に潜み何度も何度も湧いて来て消えない
この思いはずっと抱いて行くのだろう
今日 久々に涙がこぼれた
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安心した~

2017年12月24日 | 明るい介護生活
暖かそうな格好をして母が加藤さんと並んでいる
加藤さんの手元には木の枠にはめられた刺繍があり
母もその刺繍をやってみたいからこの木枠が欲しいそうだ
私がどこかで買って来ようと思っていると
加藤さんと2人でバスで買いに行くことになっているらしい
それも楽しみだねと思いつつバスを見送りに行くと
バスを利用する人がたくさんいる 皆ワクワクと楽しそう
このバスはどこへ行くのかと思っていると 
近くへも〇〇という遠くへも行くらしい
にこやかにそう教えてくれたのは父だった


12/24の朝 そんな夢を見た

母が亡くなって2回目の12月
何をしていても 自転車を漕いで転院先の病院へ通っていた日々のことが頭をよぎる
どうしたらいいのか分からず ただ病院に通い 母のそばでぼーっとしていた毎日
転院の話があった時に何故自宅に連れ帰る選択が出来なかったのかと悔やむ

それは無理な話だったと頭では分かっているけど
最後に聞いた母の声 『おばあさん 家に帰る』
身振り手振りを交えて必死に絞り出した最後の言葉
父が病院から「帰る」と言った時は叶えられたのに
何故 母の時には出来なかったのか・・・ 後悔が残る

家に連れ帰っていたとしても亡くなってしまったらやはり後悔はしたとは思う
でも 連れ帰っていれば母は嬉しかったと思う
大晦日 あの日の状態は「危篤」の状態だった 何故一人にしてしまったのか 
見ず知らずの寂しい病院でたった一人で逝かせてしまった
「ごめんね」といつも繰り返してしまう

朝起きたら「おはよー」と声を掛ける コーヒーを入れる
今日は仏壇 今日は台所とずっと大掃除をしながら
母との会話がふっと浮かび「おかぁちゃん」と呼びかける
大がかりな掃除をしていると「もういい加減に止めなよ」と言ってたっけなー
「頑張ったよ」とピースサインをしている遺影にピースサインで応える
そして「寝るね おやすみ~」と父と母の遺影に告げて部屋を豆電球にして寝床に入る

母との生活・会話がよみがえる度に 微笑ましくて 暖かいものがこみあげ
そして『もういない』という現実に傷つけられ寂しさに締め付けられる

洗面所 手の届かない所は脚立に上って拭き掃除
何年前になるのだろう 父と一緒に大掃除したことを思い出す
もしかしたらここまでの掃除はあれ以来かもしれない

風呂場には父が孫の為に描いた絵と母にそっくりな三日月の絵が残っている
トイレには壊れたドアを修理し 孫たちが閉じ込められないようにカギの位置を直した痕跡がある
父も母もこの場所でいっぱい生きた そんなことを感じる

今朝見た夢は向こうの世界のことだったのだろう
母は加藤さんとも会えて仲良くやっており
父もそばに寄り添っていてくれている
「ああー 良かったなー」 とても安心させてくれる夢だった      ありがとう



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母の一周忌によせて

2017年01月01日 | 明るい介護生活
 
お母さん 一周忌だよ 早いね

この一年は寂しがったり 後悔ばかりしてたけど

親のありがたさが身に沁みた一年でもありました

私は5年間 お母さんと二人きりで生活できたこと

とっても幸せでした  ありがとう


去年はお父さんの十三回忌を裕が中心になってやってくれました

裕は家族を持ち 山坂はあるだろうけど

香織ちゃんと二人 子供たちを立派に育て

仲の良い家族を持って幸せにやってるよ

残念ながら 晋は家族を手放し心配かけたね

私は家庭を持たず 心残りだったろうと思います


私達は初めて親のいない年を迎えました

もう愛情から叱ってくれる親はいません

命がけで守ってくれる親はいません

親を亡くして初めて分かることが沢山ありました

ここまで愛情いっぱいに身も心も健康に育ててくれたことに

今更ながら感謝しています 

その気持ちを忘れずに 支えてくれる方々にも感謝し

頭を上げて 仲良く幸福に暮らしていきます

安心して見守っていてください


二〇十七年 一月 母の一周忌に     
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2016年大晦日

2016年12月31日 | 明るい介護生活
母の逝った2016年が暮れて行く

朝 カーテンを開けると眩しそうに眼を顰めた母の顔を思い出す

母の声を思い出す 私につかまって歩く母の感触を思い出す

今ここにいないことが不思議で堪らなくなる

この一年はずーっと母と二人で過ごした生活のことを考えていた

若い頃は母の何もかもが嫌で批判的だった 

今思うとそれは母を超えることが出来ない自分の嫉妬のせいだと思う

それでも母と一緒に疎開先の想い出を辿って新潟に行ったな

京都に行った時はとっても喜んでいたな

父と母と3人で行った湯河原旅行の時は母は大人しかったな

ふいに思い立って二人で行った浅草のお酉さまは妙に心に残っているな

父を亡くしてからの母を見ていて 母を一人にしておけない状態になって

老健に母を預けてから 骨折・入院した8月の1ヶ月 退院してから老健での3ヶ月

あの秋の日の夕暮れ あの道で 母と二人で自宅で暮らそうと思って良かった

母と二人で過ごした時間 幸せな5年間だった 

ありがとう おかあさん 

毎朝ちゃんとパンを焼いて コーヒー入れてお母さんの喜んだいつもの朝ごはんを食べてるよ

お母さんがしてくれたこと いろいろ思い出して感謝でいっぱいになる

だから誉めてもらえるように 喜んでもらえるように 私 がんばるよ







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母の疎開先

2016年08月01日 | 明るい介護生活
母とは上越新幹線が開通した時「疎開先が見たい」と言うので新潟の十日町に行ったことがある
六日町だったかも 寺尾だったかな 私は良く覚えていない
たしか疎開先に近いところの民宿泊まった 
母の案内で「疎開していたお堂」を見に行った
雪が深くて お堂は見上げるような高いところにあった

「めぇだ(前田)」という家に行った 母はそこのおばあさんと話しをしていた とても大きな家だった 
以前 母は羽吹のお墓のことで一人で新潟に行き色々手配をしたことがありその時「羽吹組」の話をしていた 
母の実家の本家は新潟では大手のようで ヘリコプターに乗せてもらったというようなことも話していたけど
残念ながら私は何も覚えていない

2日目は市内のホテルを予約していた移動するのに六日町の駅に行った
六日町の駅前で「みっちゃんかい?」と言うおじさんに出会った
ケイばあちゃんの友達だったらしい 旧知の人に会えて良かった

ホテルのある街に行っては見たものの雪が多くて商店街はシャッターだらけ
チェックインまで時間を潰すすべがない
私は当初から新潟にはびこる低気圧のせいかずーっと気分が沈んでいた
「帰ろうか?」と言うことになりホテルはドタキャンして帰って来た

今思うと もっと母の話を聞き 疎開先での思い出や人間関係など
もっと興味を持って聞いておけば良かったと残念でならない
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