風に吹かれて ~いつか どこかで~

徒然なるままにと気取って始めた 母の介護・趣味の工作・覚書に日々雑感
自己満足だけど書くと楽になることもある

悔恨の日々…(;_;)

2015年11月23日 | 明るい介護生活
10月8日に母が入院した

入院した日から会話ができなくなり 意思の疎通がはかれなくなった ショックだった 

ベッドで点滴を受け 寝たきりの様相でいる母を見るのが辛かった

入院時には「症状が治まったら自宅療養したい」と伝えていたが 

14日に入浴(肺炎なのに?)15日夕方 中心静脈からの点滴になり 

その後 微熱が続き「腫瘍熱」と説明され 医者からは「自宅で見るのは無理な状況」と告げられた

それは体力が持つ限りこのベッドでただ見守るだけということなのだろうか?

入院して治療したら1週間くらいで回復して退院できると思っていたのが 

食事どころか水も取れず しゃべることも出来ず 

口を開け 苦しそうに水を欲しがる母が不憫で 心配と不安で毎日見舞っていた

入院から2週間 23日金曜の夕方 母を見舞った帰りに下腹部に突然の激痛

救急で運ばれ「お腹に空気が入ってる 十二指腸穿孔」と告げられ入院

母の入院後 下腹に奇妙な張りと痛みがあって変だと感じていたが まさかまさか

しかし不幸中の幸い手術はせずに済んだものの18日間の入院となった

母の介護どころではない「自分の体を労われ」と兄弟や友人知人から説得された


この5年間母の世話をする日々だったから 入院前も退院後も母のいない家では何もすることがない

自分の為の食事の支度の度に母に食べさせたくて涙が出る

部屋の片づけをしようとしても母に着せていた服 お気に入りのカンカン帽を見る度に涙が出る


母の体調は8月の終わり頃から悪かった 

気づかなかったのか 怠けていたのか 今頃になって悔いが残る。。。

増田が「憩室炎だ」と言った時も「違うよー」と思ったのだから 別の医者に連れて行けばよかった

救急で苑田に行った時も「入院でも帰ってもどちらでも」と言われた時 入院を選択していれば

あの日 葛飾介護タクシーが深夜に運んでくれてバカみたいにありがたがったけれど

深夜の寒風の中 ストレッチャーから車椅子に移動させる状況を確認していなかった自分に腹が立ち

両頬とおでこを真っ赤にして首をのけぞらせて帰って来た母の顔を思い出すたびに

母に辛い思いをさせたと 肺炎を酷くしてしまったんじゃないかと悔やんで悔やんで・・・

今 踵に床ずれを作り「家に帰りたい」と思いながら 病室のベッドで眠る母を思うたび

そうしてしまったのは私だと悔やんで悔やんで 申し訳ない気持ちでどうしたらいいか分からない

弟は「なかなか見舞いに来れないけれど 生きていてくれる それだけでもいいと思っている」と言う

私の気持ちは「回復して食べられるようになって退院」しないと納得出来ない

これは私の自分の気持ちが救われる為の自分本位の気持ちなのは分かっている

だけど だけど・・・。


この10月の出来事はいつかきちんと書きたいと思っているが 気持ちの整理がつくのだろうか・・・。





コメント
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