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明治とは

2020-04-01 07:29:58 | 政治問題

上田サンカについて、幕末の上田サンカの当主であった上田音吉(吉松)からの血統にスポットを当てました。「アヤタチ」と呼ばれる特殊家系である上田サンカを巡っては、種々の大変重要な事柄があります。詳細を追っていくと切りがないくらいです。
 ユダヤ問題のポイントでは、この地上世界はハルマゲドン計画に沿って動かされてきたことを種々追ってきました。ここではヴァイシャ革命とも呼んだ、アメリカ独立やフランス革命などの世界革命もその一環にありました。
 インドや中国と同様にイギリス東インド会社などによる侵略を受けた側になる日本は、ハルマゲドン計画の受動的な立場、どちらかといえば被害者的立場と受け入れがちでしょう。しかしその視点を一変する記述がありました。
2019/12/26の竹下さんの記事の“日本のサンカの大元さんが日本のゴールドを海外に流出させて、それが「アメリカ独立、フランス革命、ナポレオン戦争、そして、永世中立国スイスの誕生」に繋がった”です。
 この世界革命への関与に連携したのが、サンカ仲間で霊能に優れた大室寅之祐の先祖だったようですが、主導した「サンカの大元さん」とは誰なのか?が気になっていたのです。
 第23話でそれは上田サンカではないか?との推測をしていましたが、サンカの大元さんの中核に上田サンカがいたのは決定的です。上田サンカ=八咫烏とも前回示しましたが、サンカの親分が八咫烏のトップでもあったのです。
 つまり地上世界でハルマゲドン計画を主導した一角は間違いなく八咫烏であったということでもあります。

“日本のサンカの大元さんが日本のゴールドを海外に流出させて、それが「アメリカ独立、フランス革命、ナポレオン戦争、そして、永世中立国スイスの誕生」に繋がった”、この外国勢力と繋がり、協働した「サンカの大元さん」は上田サンカではないだろうか?との推測を第23話でしました。

上田サンカがサンカの親分アヤタチであり、オランダと非常に密接で、オランダとの貿易に関わっていたとの落合氏の情報がそのもとにありました。改めて別角度でこれに関連し裏付けになるような情報を見ていきます。

私の考えでは、上田音吉は八咫烏直属の秘密結社・緑龍会の総裁です。

竹下さんは2016/04/10日記事で既に明瞭に上田サンカが八咫烏であるとの認識を示されています。上田音吉(吉松)は幕末の上田サンカの当主だったのです。

そして竹下さんは同記事の中で「緑龍会の総裁は、その後笹川良一から現在の笹川陽平へと移っていると考えています。」と、緑龍会は現存しており、上田音吉の血流が代々緑龍会の総裁の座を受け継いだとの認識も示されています。この緑龍会については次のような情報があります。

「緑龍会」―。戦前の京都に存在した秘密結社である。緑龍会は政治的秘密結社で、日独を裏で結び付け、日独防共協定や三国同盟を結ばせた謎の組織だ。その中の何人かは戦前のドイツに渡り、ナチス設立に関与したという話もある。ちなみに京都という街は、五行五色の配置で、中央の平安京を黄(黄金)とし、北の黒を玄武、南の赤を朱雀、東の青を青龍、西の白を白虎に配して四神相応とした。だから戦前の京都では北に黒龍会が置かれ、ナチスと関わる緑龍会が東に置かれた。日本では緑を青と表現する。

この記事では、京都を、平安京を中心に東西南北それぞれに四神を配していますが、実は中央と東西南北の計5つに龍を配する五龍会という八咫烏直属政治組織があったのです。緑龍会は八咫烏直属の秘密結社の五龍会の一つなのです。

その上でですが、上田サンカが総裁を勤める緑龍会は、第2次世界大戦の前にはナチスドイツの設立に関わり、日独伊三国同盟を結ばせたというのです。今回この根拠を示す余裕はないですが、記事内容は事実と見て間違いないでしょう。

上田サンカについて、落合氏からの情報と今回の情報を整理し直すと次のようになるでしょう。

①上田サンカはサンカの親分アヤタチで、オランダと密接でオランダとの貿易に携わっていた。 
②アヤタチ上田サンカは緑龍会総裁という秘密結社八咫烏の大幹部も任じていた。 
③緑龍会は現存もしており、上田サンカのその血流がどうも代々緑龍会総裁を任じるようである。 
④緑龍会が、ナチスドイツ設立に関与。外国勢力に能動的に関わり協働しながら三国同盟も導いた。

上田サンカは代々外国勢力との折衝に当たってきたと推測できます。つまり、世界革命に大きく関与した「サンカの大元さん」の中核的な一翼には上田サンカがいたのは間違いないと思えます。

更に、上田サンカには事実関係から興味深い側面も浮かび上がっています。

上田サンカと非常に密接だったとのオランダとは、オランダ東インド会社と見るべきです。オランダ東インド会社の本拠がブラック・ロッジの地上組織の本拠になっていたアムステルダムで、オランダ東インド会社はブラック・ロッジが主体になっていた組織と見なせます。

そしてナチスドイツもブラック・ロッジに所属していました。この事実から次の解釈が浮かび上がります。

*ブラック・ロッジと深く関与していた上田サンカが、オランダ東インド会社を通し日本のゴールドを海外に流出させて世界革命を導いた。(この事業にはサンカ仲間で霊能に優れた大室寅之祐の先祖が連携していた。)
*上田サンカは世界革命へ関与、それに引き続いてブラック・ロッジと協力し、ナチスドイツと三国同盟の設立を導いた。

このように見ると、上田サンカの行動全てがハルマゲドン計画の一環であるのが分かります。上田サンカはハルマゲドン計画実現に向けブラック・ロッジとともに関与した。

更に言えば、ハルマゲドン計画のため、ブラック・ロッジを利用する担当を、上田サンカが総裁を任ずる緑龍会が担っていたのではないか?という気がしているのです。

世界革命、そしてナチス・ドイツ設立の関与からは更なる視点が浮かび上がります。それは“「サンカの大元さん(八咫烏)」とロスチャイルドとの関わり”で、これは非常に重要な視点になるでしょう。ただし、今回は複雑になるので置いておき、その前に必要ですからサンカと八咫烏の関係の整理確認をしていきます。

第23話で見たように落合氏は「上原勇作ら薩摩武士までも山窩と呼んでいた」と記しています。

この山窩と呼ばれた上原勇作ですが2016/04/23記事で竹下さんは、上原勇作が八咫烏直属の五竜会の赤龍会の総長との見解を示されています。ここでもサンカ=八咫烏なのです。

上原勇作は、落合氏の後のサンカの分析・分類では「タカス」になるでしょうか、タカスを含め前回見た落合氏のサンカの分類の第1種サンカが八咫烏に重なると見て間違いないでしょう。

秘密結社八咫烏は古代イスラエルの末裔でカバラの熟達者集団でした。

一方、落合氏の見解でも古代イスラエルの末裔を中心とした渡来集団が第1種サンカになっており、このサンカが本来のサンカであり、漂泊の民は第2種のいわば亜流としています。

サンカが八咫烏となっているとの見解を更に補強するのが2014/12/15記事の引用元に出てきた次の一文です。

クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)として上記下鴨神社の大宮司、鎌倉八幡宮の大宮司、熱田神宮大宮司の曾孫の広瀬祐也(フリーメーソン33位階)の3人がサンカの頭領のアヤタチで八咫烏の秘密結社で裏天皇。その上に大親分(おおやぞう)の大烏がいる。

サンカの親分の名称であったのがクズシリ、クズコ、ムレコです。この三者にそれぞれ下鴨神社の大宮司、鎌倉八幡宮(註:鶴岡八幡宮)の大宮司、熱田神宮大宮司の曾孫の広瀬祐也を当てているのです。

一方、落合氏の見解でも古代イスラエルの末裔を中心とした渡来集団が第1種サンカになっており、このサンカが本来のサンカであり、漂泊の民は第2種のいわば亜流としています。

サンカが八咫烏となっているとの見解を更に補強するのが2014/12/15記事の引用元に出てきた次の一文です。

クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)として上記下鴨神社の大宮司、鎌倉八幡宮の大宮司、熱田神宮大宮司の曾孫の広瀬祐也(フリーメーソン33位階)の3人がサンカの頭領のアヤタチで八咫烏の秘密結社で裏天皇。その上に大親分(おおやぞう)の大烏がいる。

サンカの親分の名称であったのがクズシリ、クズコ、ムレコです。この三者にそれぞれ下鴨神社の大宮司、鎌倉八幡宮(註:鶴岡八幡宮)の大宮司、熱田神宮大宮司の曾孫の広瀬祐也を当てているのです。

これについて竹下さんは、八咫烏のトップが12烏で、そのさらに上位に金鵄と呼ばれる3名の大烏が居ること、その3名が「序列の順に、下賀茂神社の大宮司、鶴岡八幡宮大宮司の白井丈二氏、熱田神宮大宮司の曾孫の広瀬祐也氏とのこと。おそらく正しいものだと思います。」と解説されていたのです。

サンカの親分が同時に八咫烏のトップだったのです。

これについて竹下さんは、八咫烏のトップが12烏で、そのさらに上位に金鵄と呼ばれる3名の大烏が居ること、その3名が「序列の順に、下賀茂神社の大宮司、鶴岡八幡宮大宮司の白井丈二氏、熱田神宮大宮司の曾孫の広瀬祐也氏とのこと。おそらく正しいものだと思います。」と解説されていたのです。

サンカの親分が同時に八咫烏のトップだったのです。

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私が最初に五龍会の存在を知ったブログの記事を引用しています。書かれている内容は正しいと思います。記事によると、この五龍会を“仕切るのが八咫烏”とのことですが、その通りだと思います。
 これまでの記事で、五龍会の中心である黄龍会の総長が、大日本皇道立教会の会長であった中山忠英だったのではないか。赤龍会の総長は上原勇作で、緑龍会の総長は上田吉松だったのではないかと説明しました。残り白龍会と黒龍会ですが、下の記事に総長であった人物の名前が出て来ます。
 白龍会の総長は、裏天皇・堀川辰吉郎の後見人の杉山茂丸だったはずです。杉山茂丸は島津の出であることが示されており、元記事には“政治結社玄洋社は頭山満・平岡浩太郎を社長に仰いだが、隠れた社主が茂丸であったことは謂うまでもない”とあります。ここから、白龍会の総長が杉山茂丸であり、その実質は玄洋社であったことが理解出来ます。
 黒龍会の総長は、自分の息子の嫁が堀川辰吉郎の娘だった永野重雄のはずです。皇室においても天皇との距離の近さが権力の証ですが、これは裏天皇組織も同様だと考えられます。“日本財界の重鎮”であった永野重雄と、財福を司る大黒様のイメージを重ね合わせると、永野重雄が“黒”龍会の総長だったというのは、自然ではないでしょうか。
 これまでの記事での内容をまとめると、以下のようになります。
 八咫烏総長:堀川辰吉郎 
 緑龍会総長:上田吉松
 赤龍会総長:上原勇作 
 黄龍会総長:中山忠英
 白龍会総長:杉山茂丸 
 黒龍会総長:永野重雄 
 私は、永野重雄氏についてほとんど何も知らないのですが、どうも当時の日銀総裁(一萬田 尚登)を含む有力者とグループを形成していたようです。戦後日銀総裁経験者が日本経済の操縦桿を握っていたというのが、リチャード・ヴェルナー氏の見解ですが、その通りだと思います。ただ、彼らがどのような組織に属していたのかがこれまで謎だったのですが、ようやく今回その正体を突き止めることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 


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