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嘘ばかりのマスコミは信用ならない!
このブログでは日本国民が知るべき本当の真実を書いていく

ノルウェー サケ問題

2020-09-10 23:56:24 | 政治問題

以前から養殖ものは、汚染されたえさや抗生物質などの人工物質を混ぜていることが問題視されています。

 本来的には、生物固有の生存スタイルを全うしたありがたい生命を闘いの果てにいただくことが「食」の有り様かと思うのですが、養殖あるいは家畜、そして促成栽培にいたるまで不自然な生き方を強いています。

 結果として、本来の栄養価が低下したり、有害物の生物的濃縮により、食べる側の健康を奪うことになりかねません。

 やはり、こういう生産方法も見直すときなのかもしれませんね。

リンクより引用です。
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スーパーの魚売り場や回転寿司で、鮮やかなピンクにサシの縞が入ったサケ(大西洋サケやギンザケ、トラウト)を見ると、つい手が出てしまいます。養殖サケは、安いうえに「オメガ3脂肪酸でコレステロール減少。頭も良くなる」と、日本の家庭や学校給食でも購入量のトップを占めています

日本の生サケ輸入の90%有害汚染物質が蓄積こうしたサケは、ほぼ全量が輸入の養殖物。塩鮭などでおなじみの国産紅鮭(野生種)とは別物です。日本の輸入量全体では、チリが68%とダントツ(2012年。以下同様)。次にノルウェー 11%、アメリカ10%と続きます。

ただし、日本に輸入される生のサケは、90%以上がノルウェー産。
冷凍ものは80%以上がチリ産ですが、チリの輸出量上位を占める会社は、ノルウェー資本の企業です。世界全体でみると、ノルウェーのサケ生産量は13年に114万トンと、チリの46万トンに大きく水を開けています。

また、サケなどの海水養殖用の餌は、ノルウェー資本の2社が世界市場を独占しています。しかし13年6月、当のノルウェー政府が「サケなど脂の多い魚には、有害汚染物質が蓄積されているので、若い女性や妊婦は週2回を超えて食べないほうがいい」との通達を出しています。

この通達は国内のみで、外国には伏せていることがわかり、ヨーロッパで波紋が広がっています。フランスの公共テレビ「フランス2」は13年11月、北欧の清冽なイメージとはかけ離れた養殖魚汚染の実態を暴露するルポルタージュを放映しました。

◆ノルウェー産サケは世界一汚染のひどい食品
ノルウェーの養殖場では、数百万尾のサケを密集して飼っているため、病気や寄生虫が頻発します。これを防ぐため、原発労働者のような防護マスク・防護服を身に着けた職員が、ジフルベンズロンなどの殺虫剤を、太いホースで生け簀に撒いています。

養殖タラは、寄生虫駆除で使われる殺虫剤で、遺伝障害のある奇形魚が多発し、それが天然のタラにも広がっています。ノルウェーのベルゲン大学の調査では、養殖サケに含まれる有害化学物質の量は食品のなかで、ずば抜けて高いことがわかっています。

天然サケに含まれる脂肪分は5~7%ですが、脂が好まれるため、養殖ものは脂肪の多い飼料を与えて、15~34%に高めています。脂肪分の多い飼料には、バルト海産のイカナゴが大量に使われます。バルト海はアザラシの大量死でも知られる高汚染海域で、汚染はとくに脂肪に集中します。

スウェーデンでは魚屋でバルト海産の海産物を買うと、政府の指導で店員が「汚染が強いので週1回以上は食べないように。妊婦や乳児は食べてはいけない」と客に注意しているほどです。

◆モンサント社の殺虫剤を脂肪の酸化防止に使用
また、魚の加工工場から出る頭や内臓、規格不適合品などの残渣(残りかす)は、ほかの加工食品や化粧品、ペットフード、水産飼料の原料などにリサイクルされています。

さらに、飼料工場では米国の多国籍バイオ化学企業であるモンサント社が開発した殺虫剤・エトクシキン(野菜や果物用)を脂肪の酸化防止剤として添加しています。

欧州食品安全機関は、エトクシキンの人体への安全評価を行わないまま認可し、魚への利用をまったく規制していないため、その使用は野放し状態なのが実態です。ちなみに、その危険性を指摘する論文を発表したベルゲン大学の研究者は、上層部からの圧力で職を追われています。

このように、脂身の多い養殖魚では、水産飼料を通した食物連鎖によって、汚染が何重にも生物濃縮される構造があるのです。ノルウェーの環境団体は「とくにノルウェー産サケは世界一汚染のひどい食品」と警告しています。

ノルウェーの食品安全研究所に在籍していたフランス人研究者のC・ベチューヌ博士は「若年層では、養殖サケを食べる健康メリットよりも、ダイオキシンやPCBなどの害の方が大きい」と指摘しています。

ベルゲン大学生化学研究室のビヨールケ・モンセン博士は、「養殖サケに含まれる汚染物質は、脳の発達に悪影響を及ぼし、自閉症や活動過多症、知能低下にも関係する。また、免疫、ホルモン系、代謝にも悪影響をもたらす。汚染物質は、母乳を通して乳児にも移行する」と述べています。

◆残留汚染物質を調査 日本は水銀規制のみ
米国の学術雑誌『サイエンス』(04年303号)掲載の、養殖サケ中の残留汚染物質の調査は大きな反響を呼びました。それ以降、各国の専門家が警告を発しています。ロシアは06年にノルウェー産サケの輸入を禁止しました。

日本の厚生労働省は「妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項」(10年改定)を公表していますが、対象物質は水銀のみで、サケは含まれていません。


明治とは

2020-09-10 16:47:52 | 政治問題

1910(明治43)年の韓国併合の二年後、1912(明治45)年に明治時代はその幕を引き、大正時代の幕が開きました。奇しくも辛亥革命による清国の終焉と、中華民国の誕生と重なっています。
 明治が終わり大正が始まったということは、当然ながら明治天皇が崩御し、大正天皇が即位したことを示します。
 明治天皇、この明治編においては、「英領日本」に伴い“表”の政体天皇に立てられたのが、睦仁親王とすり替わった長州田布施村の大室寅之祐であり、睦仁親王は“裏”に回り、國體天皇の孝明天皇のあとを引き継いだと記してきました。大室寅之祐と睦仁親王が、同時に一緒に大嘗祭を執行し、天皇の座を践祚したことも。更に「もう一人の明治天皇」“影天皇”の箕作奎吾がいたことも。明治時代に“表” “裏” “影”の3名、三つ巴の天皇体制が敷かれていたわけです。
 大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏の『朝鮮半島から「万人幸福の世界作り」を目指した明治天皇』p35では、「1912(明治45)年に睦仁さんが亡くなった。これで明治時代が終わり、大正時代が始まった。」とあります。同頁には明治時代天皇に“影武者”がいたとも記しています。そして同著には、大室・明治天皇は1910年の韓国併合に伴い朝鮮半島に移住したとも記してあります。
 睦仁親王の死去、明治天皇の朝鮮移住、これらは驚きの情報ではありますが、同時にこういった事柄は、ウソをつける性格のものでもありませんので事実と見て良いでしょう。明治“裏”天皇、國體天皇の睦仁親王が死去し、明治“表”天皇、政体天皇の大室寅之祐が日本を去ったことで明治時代が終焉を迎えたことになります。
 明治時代の後半からは日清戦争を皮切りに、日本は海外拡張路線を進みました。これは睦仁親王とその周辺の八咫烏の意図でもありますが、大室・明治天皇の意図でもありました。

 

韓国併合は明治天皇の意図 〜八咫烏、大室家は共に海外拡張路線


韓国の民族衣装を着た韓国統監時代の伊藤博文
Wikimedia Commons [Public Domain]


このところ第32話から連続して1909年の伊藤博文暗殺の背後には、武力を持ってしても積極的に海外に勢力拡大を図る勢力があったこと、その勢力の動きが韓国併合、満州国設立の動きに繋がっていたことを見てきました。

ロシアとの協商路線を志向した伊藤博文は海外勢力拡大派と対立する立場にあって、「韓国は自立独立すべき」「満州は清国の領土であって満州の経営、植民地化などもってのほか」との表明をしていました。伊藤は日本が中国、そして英米と関係を悪化させ深刻な闘争になることを憂慮懸念していたのです。

こういった伊藤博文の姿勢と真っ向対立していたのが陸軍の児玉源太郎であり、桂内閣でもありましたが、その背後にはロシアとの早期開戦を唱えていた杉山茂丸、頭山満、内田良平、山座円次郎などを擁する玄洋社があったのでした。

玄洋社社主 杉山茂丸
JapaneseClass.jp
[Public Domain]
頭山満
呉竹会_頭山満
[Public Domain]
内田良平
Wikimedia Commons
[Public Domain]
 


玄洋社とはいかなる組織か? 睦仁親王のあとを継いだ2代目裏天皇が堀川辰吉郎であり、堀川辰吉郎に仕え保護養育したのが杉山茂丸、頭山満とされています。そして堀川辰吉郎が総裁を勤める八咫烏直属の五龍会の白龍会の総裁が、玄洋社の実質社主であったとされる杉山茂丸でした。つまり白龍会=玄洋社と見なせます。


満鉄を用いて満州の経営、植民地化の絵図を描いたのが杉山茂丸であり、韓国併合の最重要人物の一人が内田良平でした。伊藤博文暗殺には玄洋社の面々の関与が、少なくとも伊藤暗殺の背後には玄洋社の意思が働いていたと見るのが自然です。そしてその伊藤暗殺は韓国併合に直結していました。

こうやって見ていくと、後の泥沼の日中戦争、悲惨な太平洋戦争に繋がる韓国併合や満州国設立に、その背後から深く大きく関与していたのが裏天皇の八咫烏勢力であったことが浮き彫りになってきます。

…しかし、こういった海外拡大路線を動かしていったのは裏天皇グループだけではありません。まず間違いなく満州の植民地化の動きもそうでしょうが、特に韓国併合に関しては、玄洋社の内田良平以上の最重要人物がいます。誰あろう明治天皇です。

明治天皇とは長州田布施村出身の大室寅之祐であり、その大室寅之祐を奇兵隊に誘い込み、保護指導してきたのが同じ田布施村出身の伊藤博文だと記してきました。大室・明治天皇にとって伊藤博文は親族以上の深い関係であり恩人でもあります。

その伊藤博文暗殺に大室・明治天皇が関与したか否かは全く不明です。しかし、明治天皇が伊藤博文暗殺を利したのは間違いない事実と見受けられます。2019/09/04の竹下さんの記事にあるように韓国併合は明治天皇の意図でもあったようです。大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏の次の主張をご覧ください。

「教旨」によって、ひいおじいさんの基元は、影武者(Comprodor)を代わりの明治天皇として立てて、自分は、息子・仁錫と一緒に帳家の戸籍に変えて朝鮮に入りました。それが1910年の韓国併合の少し前。朝鮮半島に新しい国づくりをするためです。(『朝鮮半島から「万人幸福の世界作り」を目指した明治天皇』p24)
 

明治時代の3名の天皇 〜計画されていた明治天皇の朝鮮移住


初代裏天皇 睦仁親王
Wikimedia Commons
[Public Domain]
表天皇 大室寅之祐
長州より発信
[Public Domain]
影天皇 箕作奎吾
Wikimedia Commons
[Public Domain]
 

大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏によると、大室・明治天皇は「山家」として雌伏していた張家の4代目、韓国併合の少し前に日本には影武者をたてて、自身は張基元として朝鮮に入り、朝鮮半島での新たな国造りに取り組み、1971年(131歳)まで生存していたと主張しています。

朝鮮半島に移った明治天皇が立てたとされる影武者は箕作奎吾でしょう。箕作奎吾は15歳で幕末の遣欧使節団の一人として慶応2年に渡欧しています。
外国語と地質学に通じていた大秀才の箕作奎吾でしたが、公的には明治4年(1871年)に19歳の若さで溺死したことになっています。ただし、この溺死とは戸籍を消すための偽装でしょう。

明治維新とは「英領日本」の完成でした。それで英国女王の麾下に「政体天皇」の大室・明治天皇を置き、「國體天皇」の孝明天皇は睦仁親王と共に歴史の舞台裏に隠れるという構図になりました。

1858年の日英修好通商条約以降の日本における2つの支配構造

裏で孝明天皇のあとを引き継いだのが睦仁親王です。また「英領日本」である以上、日本支配層から英国女王を初め外国要人などと連絡や交渉ができる「影の天皇」が必要とされ、その役目として白羽の矢がたったのが大秀才の箕作奎吾であったように思えます。

箕作奎吾が「影の天皇」となったのは、英語や地質学などが堪能であっただけではなく、やはり血流もあったようにも思えます。張勝植氏は大室・明治天皇の影武者となった人物を「徳川家の血を引く人」と語っています。

また「箱コネマン」さんが箕作奎吾と「似ている」と指摘されていたのが田安徳川家の第5代・8代当主徳川慶頼でした。どのような経緯を辿って箕作家に箕作奎吾が入籍したかは不明ですが、徳川慶頼の血を箕作奎吾は引いていたように思えます。

箕作奎吾と徳川慶頼の顔の比較

さて、「1910年の韓国併合の少し前」に大室・明治天皇は張基元となって「朝鮮半島に新しい国づくりをするため」朝鮮半島に移住したとのことですが、もし伊藤博文が存命であったならば、大室・明治天皇がこのような振る舞いをすることは絶対的不可能だったでしょう。

その反面、伊藤博文が死去したからといって何らの準備もなく、急に大室・明治天皇が朝鮮半島に移住することも、これもまた到底不可能です。水面下で相当前から、大室・明治天皇が張基元となって朝鮮半島に移住するのは計画準備されていたと見る以外にはありません。日本が大陸に軍事力をもっても進出していくのは、大室・明治天皇の意図でもあったでしょう。

以前見たように福沢諭吉の薦めもありましたが、1900年台初頭から大室・明治天皇は兵器購入資金獲得のため、数十万人もの日本の女子を騙して売春婦として外国に売りつけているのです。大室・明治天皇に軍事力による大陸進出の意図があったのは明らかでしょう。



海外拡張に日本を駆り立てたもの 〜目的のため手段を正当化するハイアラーキー


張勝植氏はしばしば世界幕府や世界天皇と語り、大室・明治天皇(張基元)は「万人幸福の世界」を目指していたとします。

要は世界幕府、つまり世界統一政府を樹立し、日本の天皇を含め、世界の王家の血流を受け継いだ者(張勝植氏自身でしょうね)が世界天皇・世界王となって「万人幸福の世界」を成立させるということでしょう。
そして、これは霊能力の高い大室家の家系が代々霊能で受けてきた「教旨」を奉じるということのようです。

一方で、韓国併合や満州の植民地化を図っていった玄洋社=白龍会などは八咫烏直属の五龍会の一つでした。八咫烏もまたカバラ熟達の霊能者集団でした。彼らも霊能で霊存在からの指示を受け取り、実践に移していたはずです。

大室家にしても八咫烏にしても、その霊能で受け取った指令を彼らは「天(神)の計画」と受け止めていたようですが、実際にはその指示を出していたのはハイアラーキーだったわけです。


「教旨」でも「天(神)の計画」でも共通した事柄があります。目指す先は「万人幸福の世界」や「四海同胞」や「一視同仁」だとか言葉だけ見れば美しいのです。この理想世界のため世界統一政府を樹立するとの理屈ですが、この理想世界の言葉はともかく、中身とその実体は明らかにしていないのが問題の一点です。

そして更に問題が理想世界を樹立する過程です。理想世界を実現するためには、大衆が戦争で殺され傷つき、強姦され売春婦にされ、生活の糧を全て奪われても問題ないとする姿勢です。目的の理想(大善)のためならば、その過程や手段が暴力や騙し・強盗、つまり明らかな悪であっても善に転化するという思想です。

「ウソも方便」「善巧方便」、事実が悪でも上手に糊塗して善に見せかける、これがつくづくハイアラーキーの根本的な姿勢だったな、と思います。

武力をもって海外拡大路線をとった日本、それを背後で動かしていたのは、大室・明治天皇であり八咫烏でもあったのですが、その更に背後にあったのがハイアラーキーです。

改めてですが、明治期における日清戦争、日露戦争、韓国併合、満州の植民地化の動き等、これらすべてがハイアラーキーの計画・ハルマゲドン計画の一端だったわけです。

 
 

明石市

2020-09-10 16:41:49 | 政治問題
菅次期総理の政治理念は「自助・共助」がメインで、「公助」はおまけのような扱いであることが知れ渡りました。行政をあてにするなと総理になる前から宣言できるのも高圧的です。そのような日本にあって「これが公助だ」と言える素晴らしいお手本を実践されているのが明石市です。
 ツイッターで「泣いている子どもがいるなら、泣き止むようにしてあげるのが行政の役割だ」とあるのを見て驚きました。泉房穂市長の指揮のもと、目覚ましい福祉支援を次々と実施しながら黒字財政に転換までしていました。不払いとなっている養育費を市が立て替えて、同時に取り立てをやってくれるというのは、ひとり親でがんばっている家庭には心強いことでしょう。親の所得に関わらず、子どもに関する「5つの無料化」には感嘆です。学校給食、保育料、医療費、遊び場、オムツ、、。これは「明石モデル」として他の自治体にも注目されているようです。国が公助を放棄する中、ぜひ広まって欲しい。コロナ禍への対応も、国がグズグズするのを横目に4月には「3つの緊急支援策」を実施しています。個人商店に100万円、賃料2ヶ月分、ひとり親家庭には児童扶養手当に上乗せ5万円、、、。鮮やか。
 泉市長は、さらに認知症患者さんとその家族を支援する「認知症あんしんプロジェクト」や新たなコロナ対策支援を打ち出しています。市政が暖かいと若い世帯も安心して暮らせますから、人口も右肩上がりだそうです。
この名物市長さんは石井紘基衆議院議員の秘書もされていたのですね。筋金入りだ。
 
子どもにお金をかければ経済はよくなる。日本社会は子どもに冷たすぎる」不払い養育費の立替などで脚光を浴びる泉房穂・明石市長
 
(中略)私たちが暮らす日本社会は、子どもに対して冷たすぎる。だから私は市長就任後、子どもにかける予算を倍以上、子どもに寄り添う職員を3倍以上にした。それでも、他の国並みになっただけだ」。
(中略)
すべての子どもたちをまちのみんなで本気で応援すればまちのみんなが幸せになる」を掲げ、“5つの無料化”も推進している。「対象者に所得制限は一切かけない。親にお金があろうがなかろうが、子どもは街の子だからだ。将来の税収の担い手になるし、クサい言い方だが、みんなで応援することが街の未来につながるからだ」。
(中略)
 明石市は、コロナ禍への素早い対応も評価されている。緊急事態宣言の全国拡大が決まった4月16日には「3つの緊急支援策」を発表。個人商店に100万円、翌週には賃料2カ月分の緊急支援。ひとり親家庭にはさらに5万円を5月分の児童扶養手当に上乗せするなど、施策を相次いで打ってきた。
 
 
認知症患者らに支援金 飲食店への新助成金も 明石市がコロナ対策
引用元)
 
兵庫県明石市は4日、新型コロナウイルス感染症対策として、孤立化が懸念される認知症患者とその家族を交付金などで支える「認知症あんしんプロジェクト」や、感染防止に取り組む飲食店への助成金などを盛り込んだ総額約14億円の2020年度一般会計補正予算案を発表した
 

外国の製薬会社からワクチンを一括購入

2020-09-10 16:30:06 | 政治問題

イギリスの製薬大手アストラゼネカは、新型コロナウイルスのワクチンの臨床試験を一時的に中断したとのことです。声明によると、「ヒトでの安全性や有効性を確かめるため」ということですが、ワクチンによる重篤な副反応の疑いのようです。「NYtimesによると、横断性脊髄炎」らしい。
 また、冒頭のニュースでは、欧米の製薬会社9社が「安全と健康を最優先する」ことを盛り込んだ誓約書に署名したということです。誓約書には「ワクチン接種を受ける個人の安全と健康を最優先する」ことや、「治験の最終段階によって安全性と有効性が確認され初めて緊急使用許可を申請する」などの方針が盛り込まれているとのことです。
 しかし、スプートニクの記事によると、この誓約書では「新しく開発されたワクチンの発ガン効果と生殖機能への影響の長期的研究が欠如している」とし、“製薬企業は…長期的な副次的効果の可能性に対し、約定で責任を負う必要があり…リスクについて説明しなければならない”としています。
 ロシアのワクチン「スプートニク V」は、約半年と言う非常に短期間で開発に成功していますが、“ヒトアデノウイルスベクターをベースとするプラットフォーム”を使用しており、“技術的なプラットフォームは何万人もの治験者に対してテストが行われながら、40年に渡って製造されてきた”ということです。
 これに対し大手製薬企業の、“伝令RNAとサルアデノウイルスベクターをベースとするプラットフォームは、長期間での研究が行なわれていない”ため、「これらの企業は、訴訟に対する完全な補償を提供させるため、ワクチンを購入する国々に対し圧力をかけている」と言っています。各国にワクチンの副作用に対する免責を要求しているわけです。

 

イギリスの製薬大手アストラゼネカは、オックスフォード大学とともに開発を進めている新型コロナウイルスのワクチンの臨床試験を一時的に中断したことを明らかにしました。詳細は明らかにしていませんが、安全性に関するデータを検証するためだとしています。
アストラゼネカは8日、声明を出し、ヒトでの安全性や有効性を確かめるためにイギリスやアメリカで行っているワクチンの最終段階の臨床試験を一時的に中断したことを明らかにしました。
声明は、「独立した委員会が、安全性のデータを検証するためだ」としたうえで、「大規模な臨床試験では、試験の参加者に何らかの症状が出ることがあり、独立した検証を行う必要がある」としています

 

8日、製薬企業9社の代表者らが歴史的約定書にサインを行なった。この書類では、潜在的なグローバル基準の資料と新型コロナウイルス用ワクチン承認を対象とする手続きでの科学的プロセスで協力関係を維持する一般的義務が示されている。
サインを行ったのは、アストラゼネカとバイオエヌテック、グラクソ・スミスクライン、ジョンソン・エンド・ジョンソン、メルク、モデルナ、ノヴァヴァックス、ファイザー、サノフィの各社。
 「私たち、以下に名を連ねた企業は、高い倫理的基準と理性的で科学的な原則に則した新型コロナウイルスに対する潜在的ワクチンの開発と試験における私たちの不変の支持について表明したいと思う」。
 ロシア直接投資基金のキリル・ドミトリエフCEOは、9企業との共同声明で以下のように発言した。
 「私たちはこの取り決めを歓迎しているが、しかし、約定では、伝令RNAまたはサルアデノウイルスベクターをベースとするプラットフォームで創造され、新しく開発されたワクチンの発ガン効果と生殖機能への影響の長期的研究が欠如している点について触れられていないことから、一連の大手製薬企業の約束は不十分だと考えている。
 『スプートニクV』で使用されているヒトアデノウイルスベクターをベースとするプラットフォームとは異なり、伝令RNAとサルアデノウイルスベクターをベースとするプラットフォームは、長期間での研究が行なわれていない。このワクチンを開発しているいくつかの企業は『安全性の保障』を認めていることから、私たちは、人々の健康と安全は、短期的には深刻な副次的影響はなかったというだけではなく、長期的研究によって確証された安全と効率を要求していることを強調しておきたいと思う。
 
『安全性の保障』を与えたこれらの企業は、訴訟に対する完全な補償を提供させるため、ワクチンを購入する国々に対し圧力をかけている。私たちは、国際的な規制機関は、各国での潜在的ワクチンの登録審査で、深刻な副次的効果の欠如を示す証拠を要求する必要があると考えている。また、私たちは、製薬企業は、彼らが生産したワクチンが引き起こす長期的な副次的効果の可能性に対し、約定で責任を負う必要があり、また、ワクチン接種後に人々に発生するおそれのある副次的効果とリスクについて説明しなければならないと考える」。

 


60からの第二の人生はその人の考え次第

2020-09-10 16:18:38 | 政治問題

住友銀行(当時)で副頭取まで務め上げたのち、69歳で燃えないリチウムイオン電池のベンチャーを起業し、大きく成長させている吉田博一氏。それを実現できたのは50代で迎えた転機があったからだという。

組織から解放された「海外駐在の50代」

――大手銀行の副頭取やその関連会社の社長を務め上げた吉田博一氏が、当時20代、30代の若者と4人で大型リチウムイオン電池のベンチャー企業・エリーパワーを立ち上げたのは、69歳の誕生日のことだ。 銀行員として人生を終えるつもりだった吉田氏が、結果的に起業家としての道を選んだのは、50代でのある経験が大きく影響しているという。 「住友銀行」の常務に就任した52歳のとき、急にロンドン駐在を命じられました。当時はバブル絶頂期で、実需の伴わない融資に批判的だった私の態度が問題視されたのかもしれません。 『英語を覚えるまで帰って来るな』と言われただけで、駐在の理由も聞かされず、組織の外にいました。長年いた組織を離れるなら、銀行を辞めようかとも思いましたが、せっかくの機会だからと思い直し、英語を早く習得するために現地の生活に飛び込んでみようと、英国人の教師の家でホームステイをして英語の勉強を始めることにしました。 また、余暇を利用して近隣のヨーロッパ諸国を色々と見て回ることもしました。1年半のロンドン生活で、銀行という組織から解放されて、広い世界に触れたことが、私にとって大きな転機になりました」 ――吉田氏の人生観を大きく変えたのは、日本人と違って他人の目を気にせず、自分の思うまま自由に生きることをよしとする英国人の生き方だった。 「それまでは、自分は銀行でしか生きられないと思っていました。1961年入行の私たちの世代は、入社した会社に生涯勤めるのが当たり前でしたし、銀行流の物の考え方を徹底的に叩き込まれ、その枠の中で生きてきました。 ところが、私が出会った英国人たちは、もっと自由に生きていた。他人とは違う生き方が評価されて、それぞれに持ち味の異なる人たちが集まってコミュニティを形成している。そんな環境に自分も身を置き、『組織に縛られずに、もっと自由に生きていいんだ』と思えたことが大きかったですね」 ――だからと言って、すぐに銀行を辞めて第2の人生を始めようと思ったわけではなかった。バブルが収束に向かい始めると、その後処理のため、急遽、本社に呼び戻されたのだ。 「帰国後は、自分が正しいと思うことは、他人の目を気にせず主張するようになりました。それで、私の主張通りの結果になると、『お前が正しかった』と評価されて、運よく副頭取にまでさせてもらえたのではないかと思います」

会社員人生が終わっても、人生は続いていく

――その後、住銀リース(現・三井住友ファイナンス&リース)の社長、会長を務め、63歳で退任。そこからどのような経緯で起業に至ったのだろうか。 「銀行生活の終わりを迎えたとき、『これで終わっていいのかな』と思ったのです。銀行生活の最後はバブル崩壊の頃で、『自分たちの仕事は世の中の役に立っているのだろうか』と疑問でした。私の人生はまだ続いていく。それなら、もう少し世の中の役に立つことをやろう、と考えるようになりました」 ――そのようなときに出会ったのが、電気自動車だった。 「慶應義塾大学清水浩先生が開発した電気自動車に試乗したのをきっかけに、同大学大学院の教授に就任して、電気自動車の開発プロジェクトを統括することになりました。 電気自動車に興味を持ったのも、英国滞在中にエネルギーや環境の問題を考える機会があったからでしょう。ヨーロッパ諸国では、風力発電が立ち並ぶ風景をよく目にしました。 日本の、しかも銀行の世界しか知らずにいたら、そもそも電気自動車に試乗しようとは思わなかったかもしれません。電気自動車の試作車は完成したものの、当時は大型で安価なリチウムイオン電池が存在せず、高価な電池が電気自動車の普及を妨げていました。 安全で低コストのリチウムイオン電池を開発できれば、電気自動車の普及だけでなく、エネルギー問題も解決できる。そう考えて、エリーパワーを立ち上げたのです」

畑違いの起業でも、銀行での経験が活きた

――69歳にして、蓄電池という未経験の業種での起業。年齢や畑違いの分野への挑戦は、ハンデにはならなかったのだろうか。 「それは私も気にしなかったわけではありません。起業する前、堀場製作所の堀場雅夫さんが書かれた本を読むと、『ベンチャーを興すなら40代に限る』『それまでのキャリアを活かせ』、この二つがベンチャーの要諦だと書いてありました。 40代は色んな勉強をしてきて社会のことがわかってくる年代で、しかもまだエネルギーが残っているから、起業に適している。そして、起業するなら、せっかく学んだことを活かしなさい、という教えです。 私は堀場さんにお目にかかるために京都に行き、『69歳での起業です。しかも元銀行員がモノ作りをして大丈夫でしょうか』と尋ねました。すると堀場さんは、『電池は電気を溜める。銀行は金を貯める。一緒じゃないか』とおっしゃいましたね(笑)」 ――その言葉は、堀場氏流の激励だったのだろう。吉田氏は、自身の起業経験を振り返り、「50代以降の人が活かすべき最も重要なキャリアは、マネジメントの経験」だと話す。 「起業は一人ではできません。色んな人の技術や発想を束ねて、彼らのやる気を高めるには、マネジメントの力が必要です。マネジメントは人の気持ちがわからなければできませんから、経験がモノを言います。40代よりも、50代、60代と歳を重ねるほど有利ではないかと思っています。 堀場さんの言われるキャリアの活かし方とは、そういう意味だと理解しています。私は30代から支店長を務め、ヒト、モノ、カネを使って収益をどう上げていくのか、というマネジメントの勉強をさせてもらいました。 私の場合、資金集めでも銀行での経験が大いに役立ちました。電池の研究開発、工場建設から量産までに必要な資金として、現在までに32社から336億円を出資していただいています」

マネジメントの本質「尖った人をより尖らせる」

――中高年世代が強みとするマネジメント力は、日本企業でますます強く求められるようになると吉田氏は話す。 「日本の企業の弱さは、コーディネートする力がないことです。飛行機を例に取ると、日本は優れた部品を作りますが、それらを総合して飛行機を作ることは得意ではありません。一方、米国は飛行機を作りますが、部品は自国では作らずに日本などで作って、コーディネートしています。 日本企業も、今後は優れた部品を供給するだけでなく、飛行機を作れるくらいの総合力を備える必要があるでしょう。50代以降の人たちがマネジメント力を発揮して、色んなリソースを組み合わせることができれば、それが企業の力になっていくと思いますね」 ――マネジメント力を鍛えるために、50代が意識するべきことは何だろうか。 「社内の部長職の人たちによく言うのは、『あなたたちの給料が高いのは、部下に自分の言うことを聞かせるためじゃないよ。尖った人たちを思いっきり尖らせて、その隙間を埋めるためだよ』ということです。 私たちの社会は、どうしても同質性を求めがちですが、同じような考え方や行動をする人が集まっても、小さくまとまってしまいます。異質で尖った人たちを集めて、それぞれの良さや強みを活かしながら組織の力にしていくのが、マネジメントの役目です。そのことをぜひ意識していただきたいと思います」

未来への想像力が、充実した人生を切り拓く

――50代になれば、会社員生活の先が見えてきて、モチベーションが下がる人もいるかもしれない。これからも続く人生を悔いなく送るためには、50代をどう過ごすのがいいのだろうか。 「私に、こうすればいい、という答えがあるわけではありません。私はその時々を夢中で生きてきただけです。目の前のことに全身全霊を傾けていると、自然と次にやりたいことが出てくるのではないでしょうか」 ――69歳で起業して、今年で14年。82歳にして情熱はいまだ衰えを知らない。吉田氏を突き動かしているものは、いったい何なのだろうか。 「想像力でしょうね。私は、蓄電池がエネルギー産業になる未来を常に思い描いています。その思い込みが強いので、これまで続けてこられたのだと思います。そして、『こうありたい』『こういう未来を創りたい』と思ったら、それを潜在意識の中に叩き込んでいます。 毎日、仏壇と神棚に手を合わせて、リチウムイオン電池の普及を祈願しているのです。そうすると、将来の像が明確になって、『何が何でも達成させるぞ』という強い気持ちが湧いてきます。 ですから、会社員であっても、これから世の中がどうなっていくのか、想像力をいつも働かせておくことが大事だと思います。定年で自分の人生が終わると思えばそれで終わりですが、『これからこういうことがあるかもしれない』と思えば、別の未来が拓けます。 続けていくには、心と身体の健康も大切です。私は朝晩のウォーキングと、40代の頃から続けているストレッチと呼吸法を組み合わせた柔軟体操である『真向法』を毎日3回、1日も欠かしていません。その積み重ねと継続が健康を作っています」 ――心の健康を保つには、「失敗したことを忘れる術」を身につけることも大切だという。 「歳を重ねると、失敗したことをいつまでも覚えています。そうすると、失敗しないようにしようと思うから、その場に止まって動けなくなるのです。挑戦を怖れないためには、失敗を忘れるのが一番です。 私の人生は、失敗の連続です。でも、失敗を忘れて、うまくいったことだけ覚えているので、自然に前に進めるのだと思います。トライ&エラーの回数が多ければ多いほど、成功の確率が高くなります。そして、諦めない限り、続けることができます。 我が社のリチウムイオン電池『HYバッテリー』は発煙、発火しない優れた安全性と温度特性、長寿命を特長としており、蓄電用では世界一の性能だと自負していますが、それはトライ&エラーの回数が多いことと、諦めずに続けてきたことの結果です」