一月末底冷えの寒い日近鉄八木西口駅下車。
江戸時代にタイムスリップしたかのような今井町の街並みを散策してきました。
今でも整然と残されてる町並み、周りを環濠と土居とで囲まれた町。一時は衰退の気配だったのを町並みを守る運動がお
き住民と行政とで建物の修理、道路整備等の活動をし現在は観光の町として有名な町並みが続きます。
今西家の南側
この地の有力者「今西家」。元惣年寄の筆頭の家。西端にあり今もこの家に住み歴史をしっかり守っておられます。この屋敷内土間でお白洲があり、軽微な罪人の取り調べが行われていた。その名残りが今でもありました。
南から見れば城郭のように見え、外敵からの攻めに対し威圧感を与え、西から見れば普通の家に見える工夫。今西家西玄関
各部屋には段差があり、奥に旦那様が座る形式。
この前の土間で罪人(軽い罪の人)の取り調べが行われていたそうです。
昔なつかしい酒屋さんの建屋や店屋さん、お医者さん等が所々残存。昔はこの環濠内の生活ですべての生活の基盤に関する事がまかなえるようになっていたそう。
排水路が
各家の家の裏に背中合わせに流れるようになっており、不浄なものを玄関先には流さない工夫もされていた。
従って京都とは違い奥行が同じになるので、間口の広い家が大きい事になる。
これは長年丁稚の人が窓枠桟を毎日掃除で拭いていた証拠です。桟の真ん中がちびてへっこんでいます。
今井町の入口には9か所の門があり、各門は夜には閉じられていた。
各家は保存の為かってには改装できず、また維持費等も行政の補助があるものの実質は自分持ち出しとなるので
大変とのことです。跡継ぎの若い人もなかなか居つかず古い町並みの保存も難問がたくさんのようですね!
昼からは一駅歩き大和八木駅から少し歩いた処の、「八木札の辻」にある旅籠だった東の平田家を見学。
道を隔てた西の平田家は現在も住まわれており非公開。
「八木札の辻」は大和三山に囲まれた奈良盆地にあり、伊勢参りに通じる街道(伊勢街道と下ツ道)の交差点で
江戸時代はそこを行き交う人々で賑わい、辻には高札(こうさつ)や六角形の井戸があったと言う処です。
本日は12000歩。それ程には歩かない散策でした。
懐かしく見せて貰いました。
大事な文化財でもそこで生活する現在の住人にとっては問題も色々あるのでしょうね。