石田地震科学研究所サロン

地震爆発説に関連する話題以外にも自由に語るサロンです

鈴木正三の諌め

2003年11月04日 | Weblog
鈴木正三の諌め 2003/11/04(Tue)

さて、正三は、関が原の合戦にも参加しましたが、大したお咎めもなく出家することができました。キリシタン化した天草の地を再び仏教化する仕事などをするのですが、期待感を持って入った仏教界の現実を見て鋭い批判を浴びせています。それが次に示す餓鬼道の話です。
「今時の出家は、餓鬼心深きなり。まず小僧より智者の名を貧り、人に勝らんことを思う智欲餓鬼あり。その後、江湖頭(ごうこかしら)餓鬼(江湖会の頭になりたい)、転(てん)衣(ね)餓鬼(出世したい)、寺餓鬼、法(ほう)瞳(どう)餓鬼(盛大にやりたい)、隠居餓鬼、この念を本としてあらゆる餓鬼心を造り出し、片時も安きことなく、一生空しく餓鬼の苦に責められ、未未永劫この念に引かれて、三悪道(地獄・餓鬼・畜生の世界)に堕すべき類いばかりなり。必ず用心して、餓鬼道を免れめされよ。」
出家するときの心境を(現代語に訳すと)「自分も四十歳を越した頃、しきりに世間がいやになったので、お上のほうからどういうわけ(で辞めるの)かとお取調べがあったら、こうという理由もなく世間がいやになったので、このように頭を剃りました、もしも怪しからんことだとお思いになるようでしたら、どうぞ御処分ください、と出頭して切腹するまで、と腹をくくって、ふっと頭を剃った」語っています。この正三を山本七平氏は「日本人離れした日本人、自己の自由意志に基づく行動として行ったことが、まことに近代的である。」と評しています。人生を達観し、切腹覚悟で出家した正三の修行は厳しいもので、理論よりも実践を大切にしたのでした。その正三の目から見た僧侶の姿は小僧から僧正まで皆何らかの欲心にまみれていると写ったようです。

荒れる地震関係サイトの発言を見ていたら、知者と見られたいという智欲餓鬼という言葉が浮かんだのです。名声を得たい欲心、どうだ俺はこんなによく知ってるんだぞ、という人がいることは今も昔も同じなんだなと思います。かくいう私も、隠居餓鬼という言葉がありますので、それがどういうものか判然としませんが自省していかなければいけないと思っています。

鈴木正三の功績

2003年11月04日 | Weblog
鈴木正三の功績 2003/11/04(Tue)

私もそうでしたが、鈴木正三(しょうさん)が偉大な人物であることはあまり世の中に知られていません。だからこそ当時の仏教界を批判した各種の餓鬼の話だけを面白おかしく伝えるのでは、正三の実像をゆがめてしまいます。そこで餓鬼の話の前に少し正三を紹介しておきます。まず山本七平氏は鈴木正三について次のように語っています。
「正三は日本の近代化に最も大きな影響を与えた思想家であり、その点では、日本の近代化による世界への影響を通じて、世界に最も大きな影響を与えた日本人の一人ということができる。それでいながら世界はその存在を知らず、当の日本に於てさえ、彼は、一般には名の知られた存在ではなかった。考えてみれば、不思議な現象である。だが、いずれにせよ間接的には世界に影響を与えていることは否定できない。ということは、認められているか否か、という点を無視すれば、彼は、単に日本の思想家であっただけでなく、世界に通用する思想家であったということである。」
何故それほど日本の近代化に影響力ある人物なのか、ということですが、(むずかしそう・・・語れるかなあ・・)それは勤労の精神を大衆に植えつけたからです。トヨタを生んだ三河の地(足助町)で、民衆に「仏道の修行とは毎日の仕事の中にある」と説いたのです。「豆腐屋なれば、一丁の豆腐を心を込めて作ること、人々に喜んでいただけるようなおいしい豆腐を作ること、そこに仏道の修行がある」と(多分)説いたのです。勤労は己を磨く道であるという考えを、三河の地で根付かせた功績をいっているわけです。
一方、勤労をペナルティーと考えていた西洋社会で近代資本主義が成立できたのは、カルヴァン(1509-1564)の「予定説」つまり、「人間が救われるか救われないかは既に予定されたことである、しかしそれは死ぬまで分からない。証明するのは自分だよ、だから禁欲を守ってよく働くことだ」「勤労を嫌がるお前は、ひょっとして救われない人間として予定されているのかな?」という感じで予定説による勤労と禁欲を根付かせたことが西洋の近代化に繋がったと言われているのです。全く違った思想ですが、近代化に関しては同じような効果を持ったわけですね。しかも、正三(1577-1655)は戦国の世に武士として活躍した江戸初期の人間です。二代将軍秀忠の親衛隊のポストを投げ捨てて仏道修行に入ったという経歴の持ち主で、武士が出家など許されない時代に、やりたいことをやりぬいた近代的思想家でした。江戸初期という時代に日本の大衆のなかにこのような人物がいて、勤労精神を植え込んだということに、「強国論」を書いたランデス教授は驚いているのです。そして日本は今少しおかしいが強国になるに違いないと見ているんですね。
ところが西洋から見た日本の強国の秘密は、戦後の日本を支配したGHQにとっては当然のことですが驚異とうつり、これを断絶させなければいけないことになるのです。扉に「明治の志士たちが座右の書として学んでいた上杉鷹山の師・細井平州の教え、貞観の治を為し遂げた唐の太宗の教え、仕事の意味を教えた三河の禅僧鈴木正三の教え、などなど、多くのリーダー必読の書物が、戦後は忘れ去るように指導されてきたのです。」と書きましたように、GHQの目論見はみごとに当たりました。そしてできあがった骨抜き日本人の象徴が、中国に留学して愚かなる行為で顰蹙を買っている学生たちの姿かもしれません。愚痴はこれくらいにしておきますが、餓鬼の話は次回にします。

カントとスウェーデンボルグの関係

2003年10月25日 | Weblog
カントとスウェーデンボルグの関係 2003/10/25(Sat)
セミナー[647]に書いたカントとスェーデンボルグの話の続きです。
ギリシャでソクラテスやプラトンが活躍していた時代には、哲学者の扱う関心事の中で、霊的事象(ワイドショーで取り上げるようなものは対象外ですが・・)と地上的事象とは分離されていませんでした。
プラトンの本には、ソクラテスの口を借りていますが霊的世界の事柄がいっぱい出てきます。パイドンにある「真の地球は色とりどりの皮で作られた鞠のように見える」という記事(セミナー[608] に紹介)もそうですし、生まれ変わりの仕組みを見てきた話もそうです。また臨死体験したエルの物語もそうです。
ソクラテスもプラトンも霊的世界を探訪し検証する能力があったのです。勿論当時でもその能力を持たないで活躍した人もあったでしょう。
しかし、カントの時代まで下ると、霊的能力を持った哲学者はほとんど存在せず、一人スエーデンボルグがその能力を発揮するくらいでした。そこでカントはセミナー[647]に紹介したように、仏教・キリスト教というような狭い定義の宗教ではない広義のレリジョンとも呼ぶべき分野の事象をスウェーデンボルグに任せたのです。そして自分は地上の事象だけを扱うことにして、いわばソクラテス時代の仕事を分業体制にしたわけです。
ところが不幸なことに広義のレリジョンを扱える学者が圧倒的に少なくなり、事実上分業体制は終焉して地上的事象以外は存在しないという学者つまり唯物論者ばかりになってしまいました。そしてついには、ソクラテスやプラトンの仕事にも唯物論的解釈を下すようになったのです。
いまでは唯物論者花盛りで、レリジョンを扱える人が出てきているのに、そうした人を見下し、蔑視する風潮が生まれてしまっています。
これを見ても人類はけっしてギリシャ時代から進歩しているとは言えないのです。分業制をとった片方の分野つまり地上的事象を扱う科学はPCの誕生などなど素晴らしい発展をしてきていますが、レリジョンの分野は廃業に近い姿を示しているのです。その小さな規模のサンプルを地震論の世界でみせてくれているのが、各サイトに見られる「科学的でない!」という非難の声であるわけです。

国家民族としても因果は不昧

2002年11月10日 | Weblog
国家民族としても因果は不昧 2002/11/10(Sun)

 仏教では考えられない独善的、自分勝手な教義の影響が、西洋社会の行動原理に知らないうちに潜入していることを述べました。それは念願の建国という戦利品を獲た最大の勝利民族の一部が信奉する教義の影響なのですが、良識あるユダヤ人、たとえばアンナ・ハーレントのような知識人にとっては、大変迷惑なものであったと思います。イスラム原理主義グループの行動が多くのイスラム教徒にとって迷惑なように、一部のグループの独善的な思想と行動とは言え、その責任を民族全体として取らされるからです。勝利のためには、その独善的な教義と共に、戦術的にも、二者択一を迫る性急さ、対立させ緊張させて漁夫の利を得るような秘密作戦などで、国家建設までを勝ち抜いてきたことが、「日本人に謝りたい」を読むと、推定できます。建国されたイスラエルという国家の態度を見ていると、継続勝利に向けて執念とも言える頑なさを感じます。
 対照的なのが仏教の教えを開い釈尊の態度です。釈迦国の王子であった釈尊は、釈迦国滅亡の危機にあたり、三度までは手を貸そうと動きましたが、釈迦族の犯してきた過去の罪業を見ると、釈迦国の解散も法に則ったもので、因果は不昧であると覚られたようです。民族も国家も常なるものではあ
りません、諸行は無常です。ムーの教え「聖なる霊感の書」を伝道した、ナガ族(ナーカル)はもうありません、マヤ族やインカの民もいまは、国家を持ってはいません。善因があれば、善果としての国家、民族の繁栄は持続するでしょうが、悪因があれば、悪果としての民族や国家の解散もこれは法則でしょう。それに逆らう動きをすれば、歴史の中で執着だらけの粘着型恥晒しグループになることは、個人としても国家、民族としても避けられない法則だと思います。仏教の教理は個人の生き方のみならず、国家民族にとっても、行動の規範を与えてくれるものだと思います。 

砂漠の中のオアシス

2002年11月09日 | Weblog
砂漠の中のオアシス 2002/11/09(Sat)

 さて、二つの世界大戦で一番大きな戦利品を獲たのはだれでしょうか、それが本当の勝ち組といって良いのではないでしょうか。アメリカでしょうか、イギリスでしょうか、アメリカが最強国といわれますから、アメリカという見方もあるでしょうが、一番大きな変化を遂げたのはユダヤ人たちでしょう。ゲットーに閉じ込められていた気の毒な生活から開放されて、今ではアメリカ政府の最強のブレーンといわれるようになって、世界中で大活躍しています。民族開放運動とはユダヤ民族にこそぴったりの言葉のように響きます。
 断っておきますが、ここでユダヤの陰謀論を言い出すつもりはありません。真相を見つめてみたいのです。二つの大戦で、国家も樹立でき、民族の解放も成し遂げたユダヤ人の知力はたいしたものだと評価します。
 ただその中に、また大きな紛争の種があって、今パレスチナで噴出しようとしています。それはユダヤ教徒の一部の人でしょうが信奉しているタルムードの思想が原因です。これはユダヤ人である、モルデカイ・モーゼ氏が教えてくれていることですが、「非ユダヤ人の財産は一時彼等に預けてあるものである。故に、何時でも代償なくして奪い返すも可なり」という仏教では考えられない独善的、自分勝手な教理です。パレスチナの地を代償無く奪い返すも可、という発想が、西洋人の発想に根を張ってしまい、アフリカの土地を切り分けて、分捕っても可、もともと俺たちのものだから、資本家の財産を取り上げても可、一時的に預けてあるものだから、という発想が生まれてしまうのです。いつかテレビを見ていたら、ウォール街のデリバティブを扱う証券マンが「その行為は相手を不幸にしませんか?」という質問に「俺たちに道徳を押し付けてくれるなよ!」と平然と語っているのにびっくりしました。彼がユダヤ人かどうかは知りません、ましてやタルムードの信奉者だとは思いませんが、知らないうちに、最大の勝者の発想が当たり前になってしまうのです。これも洗脳効果でしょう、周囲の強者がその発想で成果・実績をあげていくのですから・・・。
 重ねてくりかえしますが、全てのユダヤ人がこの発想をしているとは思いません。ユダヤ人であるアインシュタインは日本を訪れたときに「日本という国を地上に残しておいてくれたことを神に感謝する」と述べたということです。仏教の真髄が根ずく東洋の島国が、アインシュタインには砂漠の中のオアシスのように感じられたのではないでしょうか。仏教は幸福論です、相手の幸福を願っているのです。

科学を私物化しない

2002年09月30日 | Weblog

科学を私物化しない 2002/09/30(Mon)

 50日ほど、何も発言しないで過ぎてしまいました。先程、新・地震学セミナーに中国の地震予知の話(「なんとかしなくちゃ」)を書き込み、本当に日本の地震研究は、なんとかしないといけないと思いました。
中国ではもう人工衛星から地表を眺めて、異常な温度上昇を観測し、地震を予知しているというのです。本当に人命を護ろうとするのなら、地震の発生原因が不明であっても、地震時現象を忠実に追いかけて、予知に結び付けようとするはずです。それが自分の研究のため、名誉のため、自分の過去積み上げてきたものに傷をつけたくない、というような思いがあると、積み上げてきたものを壊すことができなくなってしまいます。
それが、「まず初めに、プレートテクトニクス説、弾性反発地震説ありき」になり、反発地震説に矛盾するものは無視するという反・科学的姿勢になってしまうでしょう。
 もう一度、科学は、地震学も含めて、人間の幸福のために寄与すべきものであることを認識し、ゼロからスタートしてもかまわないという姿勢を、特に地震学者には持って欲しいと思います。 
人生を私物化しない、という私の好きな言葉があります。科学を私物化してはいけません。業績を私物化してはいけません。知識を誇ってはいけないと思います。人類の幸福のために、奉仕する科学であり、科学者の人生であって欲しいと思います。


何のため、誰のための研究か

2002年08月11日 | Weblog
何のため、誰のための研究か 2002/08/11(Sun)

8月10日のサンケイ新聞朝刊の「正論」に西澤潤一氏が「企業が求める研究に振り回されるな」という主張をされていました。以下に一部を抜粋します。
 
 学者は自己の学説を命にかけて守る。その前に自己の学説を命をかけて磨き上げなければならない。当然、曲学阿世などということはない。(中略)研究費の出資を求めて彷徨し、権力の座について恵まれた研究環境を確保することに研究者や学者が血道を上げる。そのうちに、肝心の研究をする時間もエネルギーもなくなってしまう。
 依然として世界の知的生産の宝庫である大学が、これでは要求の多い研究を継続することができなくねって、企業から求められる利潤の多い研究にますます引き回される危険性がある。

 という主張です。アメリカは企業からの研究費が潤沢にあって、社会に役に立つ実用性のある研究が多いと賞賛されています。日本の大学では役にも立たない研究を趣味のようにやっているので、企業も頼りにしないし、研究費を出さないという批判を聞きます。当たっているところもあるでしょうが、アメリカンスタイルは企業が持っている倫理感に問題がある場合には、研究が恐ろしい方向に進入していくことでしょう。プレートテクトニクス理論、弾性反発地震説以外は研究費も与えられない、というアメリカの現状を聞く時、自由な国アメリカに疑問符がついてしまいます。やはり何のための学問であり、誰のための研究なのかという原点を探求する必要があると思います。それが研究者の資格ではないのでしょうか。

システムという名の支配者

2002年07月16日 | Weblog
 アメリカの最高権力者はグリーンスパン氏ではないのかというノリマン氏の見方ですが、「システムという名の支配者」という書籍のなかでは、「システムという名の見えざる権力機構が、アメリカ社会に根を張ってしまっている」と著者のイェール大学ライク教授が述べています。その書物のレヴューには次のような文章がありました。

 凶悪犯罪の急増、家庭の崩壊、長びく不況―われわれの社会は、かつてない深刻な危機に直面している。だが一方で、社会を変えようとする試みは、つねに圧殺されてきた。いまや、絶望と無力感が社会全体を覆いつくそうとしている。イェール大学を拠点に痛烈な社会批評を展開してきた著者は、こうした状況が作り出された歴史的プロセスをつぶさに検証し、そこから「システム」という名の見えざる権力機構の存在をあばき出す。本書は、その恐るべき構造を徹底究明するとともに、閉塞社会を打破するための大胆なビジョンを提示する画期的な社会論である。アメリカを代表する知性が、先進国社会を根底から蝕む病理に鋭いメスを入れる注目の書。

 とあります。アメリカ社会でも、社会の歪は深刻な段階に来ているとアメリカの善良なる識者は考えているようです。


マスコミ関係者の不勉強

2002年07月16日 | Weblog
ノリマン氏から「アメリカの最高権力者はグリーンスパンか」という以下のようなコメントを戴いた。

 日本は自民党政権が長く続いて、国が変わらない、しかしアメリカは民主党と共和党の二大政党制になっていて民主主義が機能している、だから日本も二大政党時代にならないとだめだ、という小沢一郎氏の主張が一時マスコミを賑わせたことがあります。そのアメリカでも国を変えることは困難のようですね。中央銀行の陰謀が何であるかは、書籍を読んでいませんので知りませんが、どっちの政党から大統領がでようと、連邦準備銀行総裁のグリーンスパン氏は替ることがなく、アメリカの実質的な大統領だといわれていますものね。

返信

マスコミ関係者の不勉強
 アメリカと言う国の実態が怪しげになると言うノリマン氏の感想はよくわかります。民主主義の旗手として共産主義と戦ってきたアメリカと言う国が実態は真の民主主義ではなさそうなのです。アメリカもマスコミが本来の機能を果たしていないために、国民は国の実態がどうなっているのか、知らされていないのではないかと思えるのです。民主主義はマスコミが国民の判断材料を適切に伝える役割を果たしていると、正しく機能するのですが、アメリカも日本もそうなっていません。正しい判断能力を持っているはずのアメリカ人でも、情報が隠蔽されていれば、判断が不可能になります。たとえば、「民間が所有する中央銀行」という書物があります。そのレヴューにはつぎのような文章が載っています。

 合衆国の中央銀行の陰謀に包まれた起源を明らかにし、同時に、それは世界的なシオニスト帝国主義とテロリズムの基本的な道具であるという事実を公開する。秘密にされた強力な連邦準備制度について記した唯一の歴史書。

 というものですが、連邦準備制度というものが、如何なるものであるのか、善良なるアメリカ人はマスコミから知らされていないのです。日本の中央銀行・日銀に関しても、日本人が知らされていないことがあり、「円の支配者」という書物で外国人、リチャード・ヴェルナー氏が教えてくれています。マスコミが不勉強であると、民主主義は機能しません。ナチスが台頭できたのも、マスコミが不勉強で、国民が判断材料を持たなかったからです。初めから、全体主義ナチスがあったわけではなく、民主主義的手続きを通して、ナチスを生んでしまったのです。今一番重要なのは、マスコミ改革であると思っています。そうしないと、国民が正しい判断を下すせなくなってしまうからです。民主主義が機能しないからです。

GHQの意図

2002年07月13日 | Weblog
ノリマン氏より以下のようなコメントを戴いた。
「カルチャーの違いが原因なのか?」ノリマン 2002/07/12(Fri)

 細井平洲先生のことを、イエスに帰依していた内村鑑三が「江戸時代第一の教育者」と高く評していたことを知りました。その教え子である上杉鷹山のことを、ケネディー大統領が「日本で一番尊敬する政治家」と新聞記者に答えたという話も聞きました。キリスト教徒でも理解できた平洲先生、鷹山公の教えをカルチャーの違いということからGHQの職員たちが理解できなかった、とは思えませんが・・・。

返信


GHQという組織の意図
2002/07/13(Sat)
ノリマン様 勿論ですよね、扉の言葉はお行儀よく喋ったんです。GHQという組織の意図は「日本骨抜き作戦」にあったことは明らかです。以下はある雑誌に載った記事です。

 終戦後、GHQのマッカーサー元帥は、日本が二度とアメリカの敵にならないよう、思想的・軍事的に日本を弱体化することを企図していた。そして東京裁判にて日本の戦犯を処刑し、日本人に贖罪意識を持たせる「戦争犯罪宣伝計画」を実施。同時に、憲法学をだれひとり専攻した者のいないGHQ内部で、当時アメリカの植民地同然だったフィリピン憲法を下敷きに、わずか一週間で「戦争の放棄」を定めた新憲法の草案を作成し、制定した。その一方でGHQは、徹底的な検閲を行った。
 というのが真相です。ただ、GHQに勤務して作業をしていた個々人の思いは、組織の意図とは必ずしも一致していなかったのでしょう。GHQに勤務していたユダヤ人モルデカイ・モーゼという人が戦後34年経って書いた書籍「日本人に謝りたい~あるユダヤ人の懺悔~」日新報道という本を読んでみてください。私は目から鱗が落ちるような思いをいたしました。マスコミ論調に馴らされた頭には衝撃の内容です。勿論どこまでが著者の本心かは知りませんが。



トップリーダー必読の書籍

2002年07月11日 | Weblog
ノリマン氏から扉に紹介した書籍に関して質問があった。

返信 2002/07/11(Thu)


ノリマン様  平洲先生(地元の東海市では今もそのように呼んでいます)の教えは東海市教育委員会(052-603-2211)が「嚶鳴館遺稿」として何冊か発行しています。安価で頒布していますが、公的機関として立派な事業だと感心しながら、数冊購入してきました。手軽に読めるものとしては、
「嚶鳴館遺草」篠田竹邑著 文芸社1999,11,3
があります。現代文に直してあって、たいへん読み易いです。
 太宗の教え「貞観政要」は明徳出版社と、明治書院からも出版されていますが、山本七平氏のものが、入門書的で読み易く書かれています。
「帝王学」~貞観政要の読み方~日本経済新聞社 1983,11
また、鈴木正三の教えは、
「鈴木正三」~現代に生きる勤勉と禁欲の精神~ 神谷満雄 東洋経済新聞社1995,12
「鈴木正三」~「職業即仏行」を説く禅者~ 鳥居祖道 八重岳書房1995,3
などがあります。不祥事続発の政治家、官僚、社会のトップリーダーの方たちに是非呼んでいただきたい本ばかりです。

Re:「仏教の真髄」は 斬新ですね

2002年07月09日 | Weblog

仏教の真髄は斬新ですね・・・というコメントをいただいた。

Re:「仏教の真髄」は斬新ですね 2002/07/09(Tue)

仏教は大変難解なものという認識が一般に広がっていると思います。2500年の間に頭の良い(本当は悪い?)仏弟子たちが、釈尊の教えの真意が分からなくなって、勝手な解釈で深遠な雰囲気にしてしまった部分が多いと思います。
本当はもっとシンプル、少なくとも解釈に難渋するというものではなく、解釈はできるけれども、実践が難しいというのが、仏教の難しさということだと思うのです。
正しく見る、正しく思う、とうのは解釈は簡単ですが、実践はなかなかできません。
いつか、托鉢中の修行僧が新宿駅の構内で通行人と言い争っているのを見たことがあります。正しく思っている姿とは思えませんでした。高僧といわれるかたでも、正思が実践出来ているかどうかは、分からないのではないでしょうか。
かく言う私が覚束ないのは勿論のことです。


石田地震科学研究所サロンの開設

2002年07月09日 | Weblog
石田研究所のサロンを開設しました。(2002年7月9日)
世界も日本も今激動の時代を迎えています。古いパラダイムが破綻をきたしています。特に日本の社会では、戦後一貫して流れているGHQお仕着せのパラダイムを見直さなければ、更なる発展はありません。
7月5日に「バックボーンの再構築」と題して次のようなことを述べました。

 占領軍が見た日本社会には太いバックボーンがあったのです。理想的な背骨では無かったかも知れませんが、その背骨を作っていた思想・教えがカルチャーの違う占領軍には日本の癌に見えたのでしょう。 明治の志士たちが座右の書として学んでいた上杉鷹山の師・細井平州の教え、貞観の治を為し遂げた唐の太宗の教え、仕事の意味を教えた三河の禅僧鈴木正三の教え、などなど、多くのリーダー必読の書物が、戦後は忘れ去るように指導されてきたのです。  しかし、GHQが去って自由になったはずなのに、GHQに飼いならされたペットのように行動してきた日本人ではなかったでしょうか。諸学の統合とは「失った背骨再構築」をするということだと思っています。「なんのために学ぶのか」「どこへ向けて船を走らせるのか」を明確にするといってもいいでしょう。 目的の港が見つかれば、諸学は自然と統合に向かうと思います。そのために、港を見つけるために、理想的な背骨を再構築するために、仏教の真髄を学びたいのです。
 
 仏教の真髄を学ぶことを通じて、バックボーンを作っていきたいと思います。自由に感想・反論なんでも結構ですので自説の展開をお願いいたします。仮名でも結構です。 ただし、責任の持てる発言であって欲しいと思っています。尚、仏教とは心の教えです。日々心の錆び落とし、心のメンテナンスを忘れてはなりません。