TRANS_X.online

トランスフォーマー小劇場

*Webにおけるアイデンティティについて

2009年01月09日 | 雑記
「『ラッキーマン』の作者が『デスノート』の原作者」などという情報は(それが本当かどうかは知りませんけれども)、ある意味で読者を脱力させうるノイズです。追手内洋一と夜神月の顔がオーバーラップされては、書いているほうもやっぱり困るでしょう。そもそも
『デスノート』(原作:ガモウひろし)
というのはさすがに場違いな感じがしますし、ラッキーマンの絵柄でデスノートを物語るとすれば、相当にチャレンジャーです(No offense)。

絵を描く人間にとっては、その絵柄がWebにおける自己同一性を保証することになると同時に、弱点にもなります。誰かに「なりすまされる」ことがほとんどなくなるかわりに、よほどいろいろの絵柄を描き分けられないかぎり、別名を名乗ってもすぐにばれてしまうでしょう。

Webで活動するにあたって、僕は、いくらかの試行錯誤ののち、Web用のパーソナリティを作ることにしました。最初は実名で行動しようかとも考えていたのですが、その決断はとりあえず保留。islecapeというのは、現実に存在する僕とは多少異なる、現実の諸問題と遊離した、ある意味「全年齢向け」の存在です。生活の苦労や性的な話題とは無関係にしてありますし、悩むことといえば観念的な問題ばっかり。それでもう相当量の文章を書き、また絵も描きました。このブログにも貼り付けてあるプロフィール欄のイラストはかなり適当に描いたものですが、それでもある種の癖はあります。islecape以外の名義で活動していたとしても、絵を描いた時点でばれるでしょう(ちなみに、人の絵を見分けるときはまず耳の描きかたを見るといいでしょう。現実の人間の耳が千差万別のように、個々の絵柄の耳もまた千差万別です)。

そのことで「ちょっと早まったかな」と思ったのは、islecape名でちょこちょこ政治的な話題に首を突っ込んでいるからです。リベラルであると表明することでレッテル付けされてしまうことは、もしかするとあとあと足枷になるかもしれません。将来、Webで僕が批判した人と現実にやり取りする可能性がありますし、また、批判したその人ではなくても、そのような他者への批判を快く思わない人はいるでしょう(話し合いができれば、立場の違いはともかく理解しあえるかもしれませんが、そういう議論を避ける人は、そもそも僕とコンタクトしてくれないので、はじめからチャンスがなくなってしまいます)。

僕自身は、近代国家の市民はつとめて政治的であるべきと考えているので、こういうふうになってしまいました(個人的に知っている欧米の若者は非常に政治的なのに、日本の学生はあまりにも……などと言うのは、もちろん僕の見聞が狭いからかもしれませんけれども)。Webで意見を表明したからには、その意見が将来に渡って批判されることも覚悟しなければなりません。世の中にはおせっかいにも、消したログを保存しておくような人がいます。なにか個性を発揮しようと思う人が、そんなに強心臓を持っていないなら、意見の別れる問題に対して意見を表明することは、覚悟をしないうちは思い止まったほうが良いかもしれません。まとまった文章を読むだけで、その人はあるていど特定しうるでしょう。絵ならなおさらです。

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