ネット上には数多くの
無償の情報があります。
近年、「情報はタダ」という考え方が一般的になりすぎて、情報を生み出す人にお金が渡らず、その結果だれも情報を生み出さなくなるのではないか、という懸念をする人がいます。例えば、最近の若者はYouTubeでダウンロードした映像で満足し、さらにそれをリッピングした音楽を聴き、DVDもCDも買わない、なんて言われ方をしたり。
このあたり、産業が将来どうなるかは、僕にもわかりません。大量生産と大量消費が現代の大衆芸術家と彼らの産業を支えているわけですが、なにしろ現代の大衆は好みが細分化しています。大衆芸術家の最大公約数的な作品は消費者を満足させることができなくなっているうえ(最小公倍数的な作品ではマニア受けするだけですし)、コンピューターという無限複製技術と、インターネットという瞬間転送技術の登場がまずい具合に組み合わさってしまったため、大衆芸術家のパトロンたちが大慌てしているわけです。
(悪くしたことに、インターネットはメディアでもあります。今までは、雑誌やテレビ〔つまり大衆芸術家の出資者です〕といったメディアしか存在しませんでした。大衆はおとなしくそれらのメディアが一方的に提供する情報を受取るだけでした。コミックマーケットがいくら大規模といっても、その影響は10万人レベルです。WWWの発達は、大衆ひとりひとりにメディア発信機と受信機を与えるということとほぼ同義。まさに過渡期です)
大衆芸術家のメソッドが破綻するかどうかはともかく、「
憧れ産業」という言葉をご存じでしょうか。マンガ、アニメ、ゲーム業界を揶揄して、「たとえ待遇が悪くても、入ってくる若者がいる(だから待遇は良くならない。むしろ下がる可能性すらある)。ゆえに買い手市場」というような。
なにしろ「何かを生み出そうとする情熱」というものは抑えられるものでもありませんし、そういう人は、たとえ食べられなくても何かを造り出すものです。結局これは、「情報の作り手に報いるべき」などという話とは別次元の、根源的な問題なのでしょう。
講座作品を作るということは、ある意味でそのような情熱を助長することでもあります。ものを作らずにはいられないダメ人間が、同じ志を持つダメ人間をそそのかしたり、あるいは、なんとなくものを作りたがっている人間を引きずり込むような感じ。
願わくば、小手先のテクニックはどんどん公開してもらいたいと思います。絵を描く人すべてがそれをしてくれればと。
「コンピューターで書いた絵なんて、どれも同じに見える」などという言いぐさは、僕には何もわかっていない人の寝言のようにしか聞こえません。いえ、おそらくその人には、本当にそう見えるのかもしれません(高度なテクスチャテクニックを使ったら、案外ころっと騙せるかもしれませんが)。
鉛筆が登場したとき、「デッサンは木炭でするものだ」などと言われたそうです。いま、木炭でデッサンをする人がどれくらいいるでしょう? あれですか、パンで消すんですか。もったいない。
要するに「CGは無個性」みたいな主張をする人は「コンピューターで描いた絵」というものが嫌いなわけですが、じゃあ、だからどうだというのですか。その人は、コンピューターで描かれた様々な絵の微妙な違いに鈍感なだけです。そんな鈍い人の好き嫌いの表明が、絵描きにとって何になるでしょう。
コンピューターで絵を描いてはいけない理由も、コンピューターで絵を描かなければいけない理由もありません。もちろん、コンピューターで絵を描かない人は、そのままでいいのです。僕が言いたいのは、同じ画材(コンピューターを含む)を使い、同じテクニックを弄したとしても、出来上がるのは結局まったく違う表現なのだ、ということです。
誰かのテクニックは、その人が本当に苦心して見つけだしたものかもしれません。しかし、もしひとたびそれが公開されたからといって、その人の地位が完全に揺らぐとは思えません。その人の苦心は作品にも投影されているでしょう。単にテクニックを覚えたからといって、誰かがその人にとって代わるなどということがあるでしょうか(有名作家のテクニックを盗んだ新人が技術の安売りをして仕事を奪うということはあるかもしれませんが、ここで問題にしているのは芸術性の話です)。
それよりもむしろ、その公開されたテクニックをさらに改良したり、あるいはそこからまったく新しい技法を生み出したり、そのような可能性があることの方が、僕には重要に思えるのです。
リターンが少ないという面から、自分の持つ情報を提供することに消極的な人もいるようです。「本当に重要な情報はネットにはない」などとも言います(プロが気安くなんでもかんでも情報をオープンにするなどということも考えられません)。しかし、それでもなお、多くのボランティアの努力により、ネットで有益な情報や、GIMPのごとき高機能なソフトを入手することができます。
僕もそれほどの知識を持っているわけではありませんが、できることなら、そのすべてをネットコミュニティに還元したいと思っています。もちろん無償で。
「アマチュアだからそんなのんきなことが言える」というふうに批判されるかもしれませんが、こういうふうには考えられないでしょうか。
「自分がネットに情報を提供しても、何の得にもならない」ではなく、
「自分がネットから情報を得てきたのと同じようになることを期待して、自分の持つ情報を提供する」というように。
僕はネットから様々なフリーウェアを入手しました。それらの作者に感謝していますし、シェアウェアやドネーションウェアに対価を払いはします。しかし、僕はプログラムに関してはほとんど無知です。オープンソースのバグを指摘したり、改良したり、あるいはよりすぐれたソフトウェアを世に問うて、それでネットコミュニティに寄与するなどということはできません。
しかし一方で、ソフトウェアのマニュアルを日本語に訳したり、そのソフトを擬女化して勝手連的に応援することはできるでしょう(それが寄与かどうかは別にして)。
そしてまた、自分が感謝する相手とはまったく関係ないところで、まったく別のボランティアをすることだって、もしかしたらフィードバックになるかもしれません。僕が愛用しているフリーソフトの開発者が、僕が投稿した初音ミクの歌で和むというようなことだって、ありえない話ではないでしょう?
さらに、僕が恩恵を被っていない人が、僕の創ったナニカにインスパイアされて、まったく別の形でネットコミュニティに寄与をしたら、どうでしょう。そういう連鎖が続いていけば、ネット上はむさくるしいほどに善意で溢れかえり、ずいぶん愉快なことになるでしょう。残念ながら、今ネットに溢れかえっているのはスパムメールとアフィリエイトブログだけですが。
WWWは未だ過渡期で、どのような形に落ち着くかは誰にもわかりません。一部のマニアが築き上げたリベラルさを謳歌する時代はおそらく終わりつつあります。大量の「普通の人たち」の流入と、その大量のカモを狙う企業と、そして政治の介入によって、このさき無断リンク禁止が当たり前になったり、何をするにもオンライン決済で料金を徴集されるようになったり、規制につぐ規制でがんじがらめになったりするかもしれません。それでも、有益な情報を交換し、共有するようなコミュニティとしての機能は失われない(でほしい)と思います。
あなたがプロでもアマチュアでも、なにかしらの知識があるでしょう。あなたが知っていることを皆に教えてください。役立たせてください。
(だいたい書き終わりましたが、ちょっと文の流れが変だし、言いたいこともまだあるし、そのうち改稿します)