TRANS_X.online

トランスフォーマー小劇場

はじめにお読みください(旧版)

2008年11月30日 | 提案関連(現在無効)
外部リンク集が登場しました。(僕とは全然関係ない方です)


2008年10月28日、ご意見をいただく場としてブログの開設を思い立ち、とりあえず速攻でアカウントを取得しました(詳細はこちら〔pixivへのログインが必要です〕)。

しかし……このシステムちょっと使いづらいような気が……(無料で使わせてもらって何ですけど……いちおうNTT光回線と契約しているので、同じNTTグループのよしみで許していただきましょう)。

てか、なんだよ「最初はgoo」って。僕のおすすめはExciteのexblogです。


まあそれはともかく、アクセス解析などはありませんので、どうぞご意見をお寄せください。

あ、ここじゃなくてこちらの記事に。

(コメントは認証制になっていますが、誘導目的のリンク付きスパムコメントなどを排除するためのものです。一連の提案に関することであれば、いかなるコメントもオープンにいたします)


※はてなダイアリーの プロフィール欄にメールアドレスがあります。

キャプションによる分類素案(ver.1.2.2)

2008年11月30日 | 提案関連(現在無効)
大原則:「講座」タグをつけるだけではなく、タイトル・キャプション内に同様のキーワードを含める

ここで問題にするのは「タイトル・キャプション検索」です(「タグ検索」でも構わないのですが、タグの数は制限〔最大10個〕があるので微妙です)。何をおいてもその作品が「講座」であることを明記することが最低限必要でしょう。さらに、どのような技法について言及するかということも記述しておけば、検索側の努力次第で情報にたどり着くことが可能です。


原則:キーワードを【 】でくくる

さもないと、「Painter」の「着彩」講座を探している人が、
「【講座】○○さんの「Painterのメカ着彩方法」を見て、Photoshopでも真似したい! と思いました云々」
というような文章を引き当ててしまいます。もちろん最後の手段として、他の複数の【 】つきキーワードと「着彩」でヒットさせることもできるでしょう。「【講座】 【Painter】 【メカ】 【着彩】」というキャプションは、「【講座】 【Painter】 メカ 着彩」という検索でもヒットします。【 】が邪魔にはなることはありません。


分類の素案(キーワード選定中)

・大分類
例:【講座】【メイキング】【描き方】【Tips】【コラム】【資料集】
必ず【講座】をタイトルまたはキャプション内に含めること。逆に言えば、検索側も検索する際には必ず【講座】+【他のキーワード】で検索するように心掛けること(この方法をデファクトスタンダードにするしかないでしょう)。「講座なんて恥ずかしい、そんな大それたものじゃ……」とかいうあなたの気持ちはわかりますが、こればっかりは。

中分類(使用ツール)【資料集】の場合などはもちろん不要
例:【Photoshop】【PhotoshopElements】【GIMP】【Painter】【SAI】
  【Illustrator】【Lightwave3D】【Shade】【水彩】【マーカー】etc
画像投稿時に表示される「使用ツール」リストを参考に、綴りを間違えないよう書きましょう。近似したソフトであるPhotoshop、PhotoshopElements、GIMPのすべてで可能な技法の場合などは、すべてのソフト名を書きましょう。ところであのリスト、Elementsがありませんよ。Photoshopにできて、PhotoshopElementsにできないこともあるってのに……。
※ところで、キャプションでも本編でもどこでもいいので、ソフトウェアのバージョンについて言及するのが親切だと思います(ソフトウェアのバージョンによっては、使える機能と使えない機能に差があったり、機能の名称は同じでも効果が異なったりすることがあります)。

小分類(言及する技法、描写する対象、使用するアナログ画材など?)
例:【着彩】【レイヤーモード】【動物】【建築】【自然】【メカ】【ファッション】
  【ドクターマーチン】【コピック】【コピー紙】【漫画用原稿用紙】etc
ここがいちばん難しい。【着彩】【色塗り】などとキーワードが分裂してしまうと、それだけで検索できなくなってしまいます。OR検索「着彩 or 色塗り」でなんとかなりますが、検索側の負担をできるだけ減らしたいので……うまい方法はないでしょうか……。

細分類(その他)
他になにか思いついたキーワードがあれば、ためらわずに記入しましょう。フォロワーがあらわれるかもしれません。

当たり前ですが、これらのキーワードは順不同でOKです。


イメージレスポンス素案

「pixiv美術学校 Photoshop学部 着彩科」……などといったふうに、コアとなる人が「校長」か「理事長」か「学部長」か、とにかくなんでもいいのでお題を宣言(学校のネタがかぶった場合は姉妹校提携〔相互リンク〕を行う。あるいは後発が先行作品に対してイメレスをする?)。講座系作品の投稿者は「パーソナルタグ」に「講師」を加え、自分のテーマに合致するところにイメレスする――。


……とりあえずこんな感じでしょうか。ご意見お待ちしております→こちらまでコメントをどうぞ。

*11月30日の覚え書きPART2

2008年11月30日 | 提案関連(現在無効)
とまあそんなわけで、ついに11月も終わりですが、結局どうすればいいんですかね。

外部まとめサイトの出現があり、その意味においては、僕自身がやることは終わっています(僕自身はpixiv内での自己完結を理想としているので、外部サイトにはいくぶん懐疑的ですが、現実的な手段であるとは思いますし、うまくいくよう願ってはいます)。ただ、ディープリンクを拒否するメッセージもあるようです。

僕自身、今回わかったことは、「ブックマークされたくない」というような人たちが本当に存在する、ということでしょうか。正直いって、徹頭徹尾控えめに提案をしたつもりでしたが、それでもいくぶんの反発がありました(具体的には言わないでおきますけど)。

もし僕が居丈高に振舞っていたら、もっとすごいことになってたかもしれませんね。

現実問題として、ひっそりやりたいという人に対し「悔い改めよ、さもなくば去れ」などということは難しくなっていると感じます。「ナニ言ってんだバーカバーカ」で済ませる人がかなりいますが、まとめサイトのように何らかのコミュニティを主宰するとなると、そんな無責任なことは言えませんし。


おわかりのことと思いますが、僕自身は、Webにおける言及・引用・批判は当然の自由と考えています。さらに、素人法曹として、絵に対してもそれは当然であるとも。もちろん著作者人格権というものはありますが、それも程度問題。コラージュやパロディは積極的に認めるべきという立場です。

これは早い話が、二次創作は認められるべきという意見なのですが、見方を変えれば、素人の作品も当然その対象に含まれるという考えでもあります。プロや企業の作品のコラージュやパロディや批評が法的に庇護を受けるなら、僕の下手な絵をコラージュしたりパロディにしたり、もちろん批評したりすることもまた自由でなければなりません。

このことについて論じるに、僕はそれなりの資格があると思います。

二カ月ほど前、僕は小飼弾という(ネット上では特に)著名なブロガーに馬鹿にされました。彼は月に100万PV以上を記録するほどのブログの主催者です。そんなアルファブロガーが、無名の素人が書いたものをからかったりすることもあるのです(当然その逆もありえます)。

これはもちろんあまり愉快な経験ではありませんでしたし、「おのれ、今に見ておれ、20年後こっちは300万PV稼いで客を根こそぎ奪ってアフィリエイトで食えないようにしてやる」などとも一瞬思いましたが、彼のしたことはもちろん違法でも何でもありません。彼にはそれをする当然の権利があるのです。それを行使しやがったことは非常に遺憾に思いますが、だからといって彼に対して悪感情を持ったりはしません。

Webで何かを表現するということは、自分がメディアになるということです。10億人以上もの個人に、自分の意見や表現を世界中に発信する権限がある――いまだかつてそんなことはありませんでした。そんな時代だからこそ、一人一人のメディアは自分の表現に対して責任を負わなくてはなりません。pixivがいくらSNSといっても、不特定多数が集まるコミュニティであることに変わりはないでしょう。そこで表現をするのであれば、ある種の責任があることを自覚しなければならないのです。


……。

うーん。そもそも、「講座が埋もれるのをどうにかしたい」という当初の趣旨がいくぶんずれてきていますよ。このへんの兼ね合いをどう取るかについて、まったく及びもつきません。

Webはコミュニケーションにかかる時間的・金銭的障壁を取り払うツールです。とりあえず、異なった意見の人と話し合っていくしかないのでしょうね。


と、いうわけで、

前置きが長くなったので明日に続きます。

ええとまあつまりそのなんだまとめはこれからということでごめんなさいゆるしてください。

未だにパーソナルタグ「講師」をつけたままなので、師走は僕まで忙しくなるってことで。

とりあえず、本記事以降の投稿からは、各記事にコメントをしていただけるようにしました。


じゃまた。

*11月30日の覚え書きPART1

2008年11月30日 | 雑記
――とりあえず、日替わりタイトルはこれで打止めです。「いちまんいっせんじゅうごページ」と読んでください(ちなみに、兄弟ブログの11005mは「いちまんいっせんごメートル」です)。

つまりpixivを分割して、「P」「I」「X」「I」「V」とすると、「I」「X」「V」はローマ数字の「1」「10」「5」と見立てられる……というような感じ。

「IX」と「IV」で「9」「4」というネタはもうやってしまいましたからね。

ええまあ。それだけです。おやすみなさい。

*日替わりタイトル総覧

2008年11月29日 | 提案関連(現在無効)
というわけで、日替わりタイトルは以下の通りです。

pixivは燃えているか:パリ
踊る大pixiv:走査線……いや捜査線
禁じられたpixiv:遊び
pixiv戦線異常なし:西部
pixiv狂時代:黄金もしくは殺人(使わなかった?)
七人のpixiv:侍、ひょっとして女弁護士? 七人のナナってアニメもあったような
2008年pixivの旅:2008年じゃない、2001年だ!(2010や2061などもあります)
翼よ、あれがpixivの灯だ:またパリ
バック・トゥ・ザ・pixiv:「フューチャー」ってよく考えてみると変な字面「フュ」
pixivの休日:ローマ
pixiv・pixiv:ニューヨーク、かな?
時をかけるpixiv:少女
となりのpixiv:トトロ? 山田くん? もしかして801ちゃ……
pixivさん:サザエさん? コメットさん? フイチンさん?
pixiv七変化:雪姫……かなあ。知らないけど
暴れん坊pixiv:成敗!
pixivの惑星:猿
宇宙大pixiv:作戦だと思います
101回目のpixiv:プロポーズ?
ぜんぶ、pixivのせい:カストロ
はじめにpixivありき:「はじめ」には何があったのでしょう?
我思う、ゆえにpixiv:この辺からだんだん訳わからんことに
猫にpixiv:豚にpixiv
三度の飯よりpixiv:やっぱり品がない
その時、pixivが動いた:なぜNHK
ためしてpixiv:またNHK
おもいっきりpixiv:実は頭の中にあったのは非科学アドベンチャー
こんにちはpixiv:赤ちゃん?
pixivは飛んでゆく:コンドル
vixip(ヴィクシプ):逆さにしてみました
dixiv(ディクシブ):pだけ逆さにしてみました

……。

実に一貫性がないですな。

じゃまた。





おまけ:使わなかった日替わりタイトル

イマイチだなあと思ったり、ネガティブな感じだったり、意味不明きわまれりだったりなものです。

さよならpixiv
pixivで朝食を
pixivの底力
奥様はpixiv
pixivを斬る
幸せのpixiv
テレパシー少女pixiv
ふたりはpixiv
ネットゴーストpixiv
おおきくpixivって:
機動戦士pixiv
装甲騎兵pixiv
伝説巨神pixiv
最強ロボpixiv
絶対無敵pixiv
三人寄ればpixiv
二階からpixiv
瓢箪からpixiv
弘法にも筆のpixiv
pixiv、mixiを笑う
死せるpixiv、生けるmixiを走らす
pixivの交わり
白pixiv(はくぴくしぶ)
孟母三pixiv
四面pixiv
お気にpixiv
セント・エルモス・pixiv
猿のpixiv
十二人の怒れるpixiv
ぼくはpixiv
pixivより愛をこめて

疲れました。

*11月28日の覚え書き

2008年11月28日 | 覚え書き
サイドメニューのカレンダーを見て、我ながらびっくりです。

あとは明日――つまり30日に記事を投稿すれば、11月分は毎日更新って事じゃないですか。なんだかジグソーパズルの最後のピースをはめるような気分ですよ。

いろいろブログを見て回ると、時々そういう人がいるので暇な几帳面な人だなあ、とか思ってましたが、僕も一時的にその仲間入りということですね。

結局なんの進展もありませんでしたが。

なんか……手段が目的化してますね。この1ヵ月というもの、pixivに投稿もしていませんし……。あー、えー、明日の予定は日替わりタイトル総覧ということで。

じゃまた。

*11月27日の覚え書き

2008年11月27日 | 覚え書き
昨日の話、「続く」と言いましたが、今日のエントリに続くというわけではなく、昨日のエントリをどんどん書き足していくつもり、という意味です(このように)。

というか昨日のアレ、だいぶ苦しいですね。更新しただけですね。まさに百里を行くものはナントカですね。息切れしてますね。つうか今日の日替わりタイトルもかなりアレですね。

というわけで、最初に設定した期限まであと金、土、日の3日間なわけですけど、じつはそのうち一日分はもうすでにテーマが決まっているのです。

ええ。つまり日替わりタイトルの一覧をね。

……。

我ながらかなり投げやりな感じがします。

あ、技法書の話を忘れてた……。


おそらくもうないとは思うのですが、コメントをいただける場合は、こちらの記事までお願いします。

じゃまた。
















「最初に設定した期限」なんて書いているので、オチはもうおわかりかとは思いますけど……

*押しつけでない善意を皆で

2008年11月26日 | 提案関連(現在無効)
ネット上には数多くの無償の情報があります。

近年、「情報はタダ」という考え方が一般的になりすぎて、情報を生み出す人にお金が渡らず、その結果だれも情報を生み出さなくなるのではないか、という懸念をする人がいます。例えば、最近の若者はYouTubeでダウンロードした映像で満足し、さらにそれをリッピングした音楽を聴き、DVDもCDも買わない、なんて言われ方をしたり。

このあたり、産業が将来どうなるかは、僕にもわかりません。大量生産と大量消費が現代の大衆芸術家と彼らの産業を支えているわけですが、なにしろ現代の大衆は好みが細分化しています。大衆芸術家の最大公約数的な作品は消費者を満足させることができなくなっているうえ(最小公倍数的な作品ではマニア受けするだけですし)、コンピューターという無限複製技術と、インターネットという瞬間転送技術の登場がまずい具合に組み合わさってしまったため、大衆芸術家のパトロンたちが大慌てしているわけです。

(悪くしたことに、インターネットはメディアでもあります。今までは、雑誌やテレビ〔つまり大衆芸術家の出資者です〕といったメディアしか存在しませんでした。大衆はおとなしくそれらのメディアが一方的に提供する情報を受取るだけでした。コミックマーケットがいくら大規模といっても、その影響は10万人レベルです。WWWの発達は、大衆ひとりひとりにメディア発信機と受信機を与えるということとほぼ同義。まさに過渡期です)

大衆芸術家のメソッドが破綻するかどうかはともかく、「憧れ産業」という言葉をご存じでしょうか。マンガ、アニメ、ゲーム業界を揶揄して、「たとえ待遇が悪くても、入ってくる若者がいる(だから待遇は良くならない。むしろ下がる可能性すらある)。ゆえに買い手市場」というような。

なにしろ「何かを生み出そうとする情熱」というものは抑えられるものでもありませんし、そういう人は、たとえ食べられなくても何かを造り出すものです。結局これは、「情報の作り手に報いるべき」などという話とは別次元の、根源的な問題なのでしょう。

講座作品を作るということは、ある意味でそのような情熱を助長することでもあります。ものを作らずにはいられないダメ人間が、同じ志を持つダメ人間をそそのかしたり、あるいは、なんとなくものを作りたがっている人間を引きずり込むような感じ。



願わくば、小手先のテクニックはどんどん公開してもらいたいと思います。絵を描く人すべてがそれをしてくれればと。

「コンピューターで書いた絵なんて、どれも同じに見える」などという言いぐさは、僕には何もわかっていない人の寝言のようにしか聞こえません。いえ、おそらくその人には、本当にそう見えるのかもしれません(高度なテクスチャテクニックを使ったら、案外ころっと騙せるかもしれませんが)。

鉛筆が登場したとき、「デッサンは木炭でするものだ」などと言われたそうです。いま、木炭でデッサンをする人がどれくらいいるでしょう? あれですか、パンで消すんですか。もったいない。

要するに「CGは無個性」みたいな主張をする人は「コンピューターで描いた絵」というものが嫌いなわけですが、じゃあ、だからどうだというのですか。その人は、コンピューターで描かれた様々な絵の微妙な違いに鈍感なだけです。そんな鈍い人の好き嫌いの表明が、絵描きにとって何になるでしょう。

コンピューターで絵を描いてはいけない理由も、コンピューターで絵を描かなければいけない理由もありません。もちろん、コンピューターで絵を描かない人は、そのままでいいのです。僕が言いたいのは、同じ画材(コンピューターを含む)を使い、同じテクニックを弄したとしても、出来上がるのは結局まったく違う表現なのだ、ということです。

誰かのテクニックは、その人が本当に苦心して見つけだしたものかもしれません。しかし、もしひとたびそれが公開されたからといって、その人の地位が完全に揺らぐとは思えません。その人の苦心は作品にも投影されているでしょう。単にテクニックを覚えたからといって、誰かがその人にとって代わるなどということがあるでしょうか(有名作家のテクニックを盗んだ新人が技術の安売りをして仕事を奪うということはあるかもしれませんが、ここで問題にしているのは芸術性の話です)。

それよりもむしろ、その公開されたテクニックをさらに改良したり、あるいはそこからまったく新しい技法を生み出したり、そのような可能性があることの方が、僕には重要に思えるのです。



リターンが少ないという面から、自分の持つ情報を提供することに消極的な人もいるようです。「本当に重要な情報はネットにはない」などとも言います(プロが気安くなんでもかんでも情報をオープンにするなどということも考えられません)。しかし、それでもなお、多くのボランティアの努力により、ネットで有益な情報や、GIMPのごとき高機能なソフトを入手することができます。

僕もそれほどの知識を持っているわけではありませんが、できることなら、そのすべてをネットコミュニティに還元したいと思っています。もちろん無償で。

「アマチュアだからそんなのんきなことが言える」というふうに批判されるかもしれませんが、こういうふうには考えられないでしょうか。

「自分がネットに情報を提供しても、何の得にもならない」ではなく、「自分がネットから情報を得てきたのと同じようになることを期待して、自分の持つ情報を提供する」というように。

僕はネットから様々なフリーウェアを入手しました。それらの作者に感謝していますし、シェアウェアやドネーションウェアに対価を払いはします。しかし、僕はプログラムに関してはほとんど無知です。オープンソースのバグを指摘したり、改良したり、あるいはよりすぐれたソフトウェアを世に問うて、それでネットコミュニティに寄与するなどということはできません。

しかし一方で、ソフトウェアのマニュアルを日本語に訳したり、そのソフトを擬女化して勝手連的に応援することはできるでしょう(それが寄与かどうかは別にして)。

そしてまた、自分が感謝する相手とはまったく関係ないところで、まったく別のボランティアをすることだって、もしかしたらフィードバックになるかもしれません。僕が愛用しているフリーソフトの開発者が、僕が投稿した初音ミクの歌で和むというようなことだって、ありえない話ではないでしょう?

さらに、僕が恩恵を被っていない人が、僕の創ったナニカにインスパイアされて、まったく別の形でネットコミュニティに寄与をしたら、どうでしょう。そういう連鎖が続いていけば、ネット上はむさくるしいほどに善意で溢れかえり、ずいぶん愉快なことになるでしょう。残念ながら、今ネットに溢れかえっているのはスパムメールとアフィリエイトブログだけですが。

WWWは未だ過渡期で、どのような形に落ち着くかは誰にもわかりません。一部のマニアが築き上げたリベラルさを謳歌する時代はおそらく終わりつつあります。大量の「普通の人たち」の流入と、その大量のカモを狙う企業と、そして政治の介入によって、このさき無断リンク禁止が当たり前になったり、何をするにもオンライン決済で料金を徴集されるようになったり、規制につぐ規制でがんじがらめになったりするかもしれません。それでも、有益な情報を交換し、共有するようなコミュニティとしての機能は失われない(でほしい)と思います。


あなたがプロでもアマチュアでも、なにかしらの知識があるでしょう。あなたが知っていることを皆に教えてください。役立たせてください。



(だいたい書き終わりましたが、ちょっと文の流れが変だし、言いたいこともまだあるし、そのうち改稿します)

*芸術の女神の衣の裾

2008年11月25日 | 雑記
今日、東京では夕方から雨が降りました。でもそれは僕が屋内にいたときの話。移動中は雨上がり、ショッピングモールに入ると雨。帰りすがらは雨上がり。そんな感じ。

今までの人生で、傘なしの時に降られたことは3回くらいですかねえ。

あんまり降られないもんで、たまに大豪雨とかあると喜んで濡れに行ったりするんですが変でしょうか。

雨の中で絵を描く男、といえば、O・ヘンリーの短編「最後の一葉」に出てくるベーマン老を思い出します。って、アレだ。昨日おとといと翻訳素材探しのつもりでうっかりいろんな短編集を読んでたからだ。

ベーマンは芸術の落伍者だった。彼は四十年ものあいだ絵筆を振り回し続け、芸術の女神の衣の裾にさえ触れることができなかった。
(O. Henry"The Last Leaf"


身につまされます……。

しんみりしてしまいましたが、コメントをいただける場合は、こちらの記事にお願いします。

……じゃまた。

*継続は力なのかな?

2008年11月24日 | 雑記
さあ、まとめに入ろう、と思っていたのですが、いやあ、さぼってしまいました。うっかり翻訳に使えそうな短編を探したり、資料を調べたりで。どうも二足のわらじがはけないというか、ひとつのことに夢中になるといけない。さらに調子に乗って、うかつにも英語作品の和訳ではなく、日本語作品の英訳にチャレンジしてしまいましたよ。でもかなり無理だということがわかりました。

え?

はい。絵も描いてません。

しばらく絵を描いていないと、「絵を描こうという情熱を呼び戻す時間」とか「絵を描かないでいたことによるブランクを取り戻す時間」とか、本来ならしなくてもいい余計な努力が必要になるので、やはり継続というものが大事だとは思うのですが。

ちなみに僕は2年くらい絵を描かなかったことがあります。いったいそのあいだにどれほどのものを失ったのでしょうか。そして、その浪費した2年でどれほどのものを得られた可能性があったのでしょうか。

まあ別に絵を描くことだけが僕の人生ではないので、浪費というのはちょっと違うかな、と自分では思いたいのですが。


あと一週間ほどあるのでのんびりいきましょう。何かありましたら、こちらの記事のコメント欄までお願いします。

じゃまた。