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はんなりな日々

関東人による、京都生活の日々を書き綴るページ。

ローラーコースター

2005-11-06 22:40:52 | 京都~生活
 昨日は暑いくらいの気候でした。

 十月中旬並みの気温だったそうです。

 それが今日は、急転、雨で、気温も低めでした。

 こう気温の上下が激しいと、体がびっくりしそうです。

 というか、今朝は肌寒さで目が覚めたような感じでした。

 昔に比べ、気温の変化への対応が鈍いような気がします。

 気のせいでしょうか。

 もしそうだとしたら、やっぱり年を取った証拠なのでしょうか。

 いや、実年齢はそんなに年を取っているわけではないのですが。

 京都は盆地ですから、気温の上下が激しいようです。

 夏はとことん暑く、冬はとことん寒い、というヤツですね。

 冬は一度経験しているわけですが。

 やはりその訪れが待ち遠しい、とは、とても思えないですね。

 しかし、そんな中でしか見られない風景もあるのですが。

 まあ、でも、本格的な冬は、もう少し先のことですね。

エンドレス

2005-11-01 21:33:10 | 京都~生活
 さて、11月になりました。

 京都で暮らし始めたのは、去年の12月からです。

 が、そのひと月前、去年の11月に、一度京都へやってきています。

 12月から住む部屋を探すためです。

 前の仕事を辞めることだけしか決まっていない。

 そんな状況で、部屋を探しにきたわけです。

 しかし、そのときはなぜか不安を感じませんでしたね。

 京都に住むことができる、と、それだけを考えていました。

 部屋を決めたとき、とにかく嬉しかったですね。

 その頃は新鮮だった京都の風景も、今は大分見慣れてきましたね。

 京都生活はまだまだ続く、予定です。

コンストラクト

2005-10-17 19:14:30 | 京都~生活
 昨日も書きましたが、就職が決まりまして。

 昨日決まって、今日から働いています。

 慌ただしく、サラリーマン生活が始まったわけです。

 会社へ行く途中、木屋町通を通ります。

 木屋町通は、高瀬川沿いにあります。

 木屋町通を御池通から少し北へ上がったところに、一之舟入があります。

 舟入というのは、船溜まりのことです。

 高瀬川の最上流にあるから、一之舟入、ということです。

 高瀬川は、ご存知かと思いますが、人工の川です。

 江戸時代、角倉了以という人が開削しました。

 角倉了以は、京都の水運を発展させた人物です。

 保津川下りで知られる保津川も、角倉了以が開削しました。

 今は人を乗せて船が下りますが、かつては、物資が運ばれました。

 さて、高瀬川といえば森鴎外『高瀬舟』です。

 高瀬舟は、江戸時代、高瀬川を下った船。

 小説では、罪人を乗せて下ります。

 しかし、実際には物資を運ぶ手段のほうが、大きな役割です。

 高瀬川は合流分離で変名し、そして伏見まで続いています。

 伏見は川港。

 淀川が大阪湾まで続いています。

 高瀬川は京都と「大坂」を結ぶ川というわけです。

 一之舟入には、当時使われた型の舟が係留されています。

 最近、この高瀬川で舟の運航をしたらどうだ、という話があるとか、ないとか。

 もちろん、観光のための舟ですね。

 しかし、実際は、橋が多く、川面に近い高さに設置されています。

 なかなか難しいのではないでしょうか。

巡る巡る

2005-10-11 20:10:01 | 京都~生活
 京都は石碑の町、と、いつだったか書きました。

 とすれば、三条河原町辺りは、そのメッカといえるでしょう。

 なぜか。

 それは、場所を特定できる史跡が多いからです。

 なぜ場所を特定できるのか。

 それは、歴史上、この地が舞台になったのが幕末だからです。

 幕末であれば証人も残っていますし、文献なども多く残っているのです。

 ゆえに、幕末の史跡に関する石碑が、多く残っているのです。

 なぜ三条河原町周辺なのか。

 それは、まず、幕末、この辺りに有力藩の藩邸があったことがあげられます。

 土佐藩邸、長州藩邸、薩摩藩邸など、河原町、寺町通の周辺にありました。

 あるいはまた、この辺りが商業地として栄えていたことも上げられます。

 そのため、浪士などの寓居や定宿が多くあったわけです。

 石碑の中には、その寓居だったことを示すものも多いです。

 例えば、河原町通から、三条通の一筋南の通りに入ります。

 すると、そこに坂本龍馬の寓居跡があります。

 現在、坂本龍馬の資料館になっていて、その通りを龍馬通と呼んでいます。

 また、三条木屋町を上がったところには、武市瑞山の寓居跡あります。

 そこを更に北へ上がると、今度は佐久間象山の寓居跡があります。

 更に北へ行き、御池通も越えると、桂小五郎の寓居後もあります。

 この木屋町通沿いには、幕末の偉人たちが多くすんでいたというわけです。

 さて、それだけの大物が多くいるとなれば、事件もおきます。

 三条木屋町を西に入ったところには、池田屋跡があります。

 新選組の池田屋討ち入りは、説明の必要もないでしょう。

 また河原町蛸薬師を下がったところは、坂本龍馬暗殺事件の場所。

 その石碑がやはり残っています。

 現在、前者はパチンコ屋、後者は旅行代理店になっています。

 何か寂しい気もします。

 が、河原町はそういう町なのでしょう。

 言ってみれば、河原町辺りは、京都らしくない京都、という町並みです。

 昔の面影はほとんど残されていません。

 しかし、それは、ある意味仕方のない部分はあるでしょう。

 人の集まる場所とは、そういうものなのかもしれません。

 そして、そういう場所だからこそ、人が集まり、事件はおきたわけです。

 いずれにしろ、この辺りを歩けば、幕末の史跡がわんさか見つかります。

 現代の風景を見ながら、幕末に思いをはせてみるのも面白いです。

愛惜

2005-10-08 19:38:53 | 京都~生活
 10月10日、いよいよ京都丸善が閉店します。

 そのことは、以前にチラッとですが、触れました。

 このことは、ただ単純に書店の閉店ということ以上の意味を持ちます。

 梶井基次郎の『檸檬』は、広く知られた小説です。

 梶井基次郎の代表作、というより、一般的にはこれしか知られていません。

 何しろ、全集でも三巻にしかならない作品数しかありませんから。

 31歳で亡くなってしまっているので、無理もないでしょう。

 この『檸檬』の重要な舞台の一つが、京都の丸善です。

 主人公が八百屋で檸檬を買って、丸善で本の上にそれを置いて帰る。

 主人公は檸檬を爆弾だと夢想します。

 詳しい内容は、ここで触れるのはやめておきましょう。

 さて、現在、丸善は河原町通にあります。

 が、梶井基次郎の『檸檬』の時代には、別の場所にありました。

 三条麩屋町ですから、寺町通のふた筋西の通りですね。

 ところで、主人公が檸檬を買った八百屋は、今も残っています。

 二条寺町の交差点の東南角にある、八百卯というお店です。

 今も檸檬を欠かせない、という話を、どこかで読んだ記憶があります。

 今、丸善では文庫本の『檸檬』が売れているようです。

 特別コーナーを設けています。

 そしてそこにある『檸檬』の上に、檸檬を乗せていくお客さんがいるそうです。

 半年で二十個もあったといいます。

 きっと、八百卯で買ったものなのでしょうね。

 文学の舞台が一つ消えてしまうのは、寂しいものですね。

渡る風

2005-10-07 20:23:48 | 京都~生活
 夏から秋へ。

 季節の移ろいを感じる瞬間は、いろいろあると思います。

 夜、虫の音を聴いた瞬間。

 吹く風に涼しさを感じた瞬間。

 日の落ちる時間が早くなっているのを実感した瞬間。

 桜の葉が紅葉し始めたのを見た瞬間。

 どの瞬間も、何か寂しさを感じさせますね。

 京都において、本格的な秋の訪れを告げる風物詩が一つあります。

 それは、鴨川納涼床の撤去ですね。

 とういうか、京都の夏の風物詩として、納涼床をここで触れたことがあります。

 それが6月の初めでした。

 してみると、京都の夏とは、納涼床の出ている時期、というなります。

 う~ん、しっくり来ますね。

 それにしても、もうそれから三ヶ月が経つのですね。

 早いものです。

 そんなこんなで、あっという間に冬になってしまうのでしょうかね。

金柑

2005-10-03 18:39:08 | 京都~生活
 御池、四条、五条、七条……。

 京都の街中の東西の大通りは、北から大体そんな感じです。

 京都の街割りは、この大通りを基準にして考えると分かりやすいです。

 鴨川に近い、南北に通る河原町通を通ってみます。

 そのとき、冒頭の大通りを通りかかったとき、良い景色を見られます。

 東を望めば、東山のパノラマが広がります。

 この風景は、なかなか良いものです。

 特に御池通りは広くて良いですね。

 京都が山に近い場所だと言うことを、実感させてくれる場所です。

 他の100万人都市では、なかなか見られない光景だと思います。

 多くの大都市は、大抵、平野部にありますからね。

 考えてみれば、普通は都市として発展しづらい地形ですね、京都は。

 海は遠いですし。

 札幌、東京、横浜、名古屋、大阪、広島、福岡……。

 凡そ日本の大都市は海に面していますね。

 海が遠いことは、何か街の発展の仕方に影響があったでしょうか。

 少なくとも、盆地の気候は、生活文化に影響はあったでしょう。

 京都が京都として発展した理由は、単純ではないのでしょうね。

あなうれし

2005-09-29 19:53:08 | 京都~生活
 写真はどこか分かるでしょうか?

 京都タワーです。

 多分、そちらに意識がいくでしょう。

 しかし、今回の主役は、奥にある建物です。

 そう、京都駅です。

 京都駅は、現在の建物が四代目です。

 開業は1997年ですから、8年前ということになります。

 大きな建物なので、建設にあたってはいろいろ論議があったようです。

 要するに、景観問題ですね。

 確かに、烏丸通から見ると、南の果てを遮るようにして建っています。

 そこでポイントになるのは、穴です。

 写真で、ビルの真ん中に穴が開いているのが分かるでしょうか。

 あの空間は、実に絶妙だと思います。

 問題は烏丸通なのです。

 京都駅が見られる大通りは烏丸通だけです。

 その烏丸通から京都駅を見たとき、この穴から、向こうの空が見えます。

 このわずかな空間が、閉塞感を小さくさせています。

 よく言われるように、京都は四方を山で囲まれた盆地です。

 しかし、実際は、中心地からみると、南に山は見えません。

 ですから、そちらだけは、開かれているのです。

 それが京都駅の建物に遮られたら、ちょっとつらいでしょうね。

 あの穴は、そのあたりの妥協案であるように思います。

 設計者が、きっとそれを意図したのでしょうね。

 建築の面白さというものを感じます。

夢のある紙

2005-09-20 18:30:30 | 京都~生活
 京都では、今書店業界が大きく動いています。

 やはり気になってしまう話題ですね。

 自分自身、本が好きですし、また、書店で働いていたので。

 京都の新刊書店地図は、河原町、四条通が中心になっています。

 四条通には、くまざわ書店、ブックストア談、ジュンク堂などがあります。

 河原町通には、丸善、ブックファースト。

 それから、寺町通になりますが、ブックファーストのすぐ裏に紀伊国屋書店。

 また、御池通になりますが、地下街にふたば書店もあります。

 かなり狭い地域に、これだけの本屋があります。

 大きいのは、紀伊国屋とジュンク堂です。

 自社ビルかどうかは知りませんが、ビルが一つ丸々書店になっています。

 ブックストア談は2階建てですが、コミック等が充実しています。

 紀伊国屋は、シネコンのビルに入っているので、映画関係の書籍が豊富です。

 と、まあ、それが現状ではあります。

 この中で、京都の書店の巨星ともいえる丸善が、10月で閉店になります。

 これはまたいずれ触れたいと思うので、ここでは多くは語りません。

 が、これを惜しむ人は多いことでしょう。

 また、その代わりに、ジュンク堂が、その近くに出店します。

 京都2号店ということになりましょうか。

 来年になるようですが、第1号店のすぐ近くですから、驚きです。

 これは、テナントビルの2階分を使うようです。

 そう書くと、それほど広く感じないでしょうか。

 しかし、京都市内では、一、二を争う売り場面積だそうです。

 現在、その京都市内一番の売り場面積は、旭屋書店です。

 京都駅前の近鉄百貨店内にあります。

 ビルの1階分しかないのですが。

 しかし、この旭屋書店も、近いうちに閉店になります。

 旭屋がどうこうではなく、近鉄百貨店が店を閉めるのです。

 ヨドバシカメラが、その跡に出店するということです。

 ですから、旭屋は継続されないでしょう。

 こうして、京都の書店地図は、塗り替えられていきます。

 単純な売り上げ競争での淘汰は、やめてもらいたいですね。

 それぞれの店が、それぞれの特徴を出し、共存してもらいたいです。

 こういう本なら、あそこの店にいけばある、というようにですね。

 大型店一本化は、利用者の選択肢を狭めることになると思います。

 充実した読書ライフには、書店は必要不可欠です。

 というわりに、読書量は少ない僕だったりするんですが。

 もうちょっと頑張って書店業界に貢献しなくてはいけませんね。

夏よさらば

2005-08-31 18:28:08 | 京都~生活
 京都で舞妓さんのいるところといえば?

 そう訪ねられれば、ほとんどの人は、祇園、と答えるでしょう。

 しかし、京都には五花街があり、それぞれに舞妓さんがいます。

 ちなみに、祇園というのも、実は、祇園東、祇園甲部の二つに分かれています。

 他の三つのうちの一つは、先斗町。

 その名を聞けば、ああ、あそこね、とすぐに分かる人も多いでしょう。

 京都一の繁華街、四条河原町界隈にあり、納涼床も有名ですから。

 それでは、後二つは?

 そう訊かれて、すっと答えられる人は少ないのではないでしょうか。

 一つは上七軒です。

 このBlogでも、最初のころに紹介したことがあったと思います。

 北野天満宮のすぐ横にあり、京都の市街地からは、少し離れます。

 ただ、北野天満宮が有名ですから、そのついでに見た人も多いかもしれません。

 それでは、残りの一つは?

 これは、一般的にはなかなか難しいのではないでしょうか。

 というのは、勝手な推測ですが。

 何しろ、知ってはいたものの、今日までそこへ行ったことがなかったのです。

 根拠はそれだけなので、非常に恐縮なのですが。

 宮川町、と聞いて、ああ、あそこか、という人は、それほど多くないのでは?

 それも根拠はないですが。

 宮川町は、鴨川のすぐ東側、松原通のあたりにあります。

 鴨川沿いを走る川端通を、一筋東へ入った通り。

 昼間では、ほとんど人通りがない、小さな通り。

 祇園や先斗町なら、もう少し人がいるでしょう。

 しかし、それが逆に良い雰囲気になっている気もします。

 昼間はひっそり眠ったようなのが、花街らしい姿のようにも思います。

 行ってみると、ちょうど着物姿の女性が二人ほど通りかかりました。

 着物と言っても、浴衣のようなものです。

 唐傘を差し、髪を結っています。

 化粧はしていませんが、舞妓さんか芸妓さんでしょう。

 これは風情ですね。

 観光客が多ければ、その風情が台無しです。

 しかし、僕以外、他に人は歩いていませんでした。

 その趣きある風景を、独占できるわけです。

 いやいや、なんという幸せでしょうか。

 京都は本当に飽きない町です。