つれづれと…
**近況**
うにゅぅ…最近忙しさにかまけて、Blog系の更新が滞ってる><
こういう状況は不本意なので、ちゃんと書きたいんですが;
家にPCがないという状況ですので、家出チューハイ呑みながら更新~♪ということが出来ないんですよねぇ。
一番書きたい記事がチューハイだし。
とはいえ、来週にはPCが修理と言う名の旅から帰還しますので、来週からはほどよく更新が再開するかな?
一応他のBlogはちょっとは更新していたりします。
【U-Care-Life情報室】
**今回のタイトル**
そーいや、このBlogのタイトル。
「ことのはっぱ」って、「言葉」のアレンジです。
「言葉」→「言の葉」→「ことのは」→「ことのはっぱ」(意味:言葉の葉っぱ)
辞書なんかには載ってません。ちなみに、「葉っぱ」にしたのはカワイイからですw
でも、「ことのは」は結構いろんなところで使われていますね。
というか、「ことのは」はちゃんとした言葉のようです。
こと‐の‐は【言の葉】
1 ことば。言語。
「まことかと聞きて見つれば―を飾れる玉の枝にぞありける」〈竹取〉
2 歌。和歌。
「やまとうたは、人の心をたねとして、よろづの―とぞなれりける」〈古今・仮名序〉
Byヤフー辞書
なるほど…どおりで沢山使われているわけだ。
私の場合、「ことのは」を集める旅人のお話を大学時代に書いたことがあって、その延長で「ことのはっぱ」って言葉を使い続けています。今読んだらめっちゃ恥ずかしいような内容でしたけど。私なりの想いを沢山つめこんだお話でした。
なんといいますか、「真理」というものが世の中にはあって、それはまるで大きな木のようなものなのだと。
その木(真理)は大きすぎるので、人間にはその全体は捉え切れなくて、その一部しか見えない。
一部しか見えてないので、人それぞれ見えているものは違うのだけど、ほんとうは一つのものを見ているんだ。
そんな事をイメージしていましたね。
その大きな木には葉っぱが沢山ついていて、その言葉の一つ一つは違うことを言っているのだとしても、真のところは一つなんだ…というようなことを。
うーん、我ながら大好きな武者小路実篤さんの「真理先生」の影響が出まくっていますね。
まぁそんなことを考えていました。
それが「ことのはっぱ」の元ですね。
(そーいや、作品を書く前は「ことのはっぱ」は使ってなかったはずだ。)
ちなみに、「霧立昇」ってPNは、中学時代に考えたPN。
なんとなく、新聞に投稿をする際に、フィーリングで気に入るPNを考えて思いついたものだったんですが…
元ネタはこれ↓だったんですね。
寂蓮法師「村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮」
後で気がつきました;
気がついたときは、「これ坊主やん!」ってのが軽くショックでしたけどw
とはいえ、なんか気に入っているこの短歌。
母子そろって大好きな短歌ですので、家族と百人一首などしようものなら、この一枚をめぐり母と娘でこれを取るために火花ちらしてますw
それにしても、「ことのはっぱ」はもう4年ほど使っている言葉。
「霧立昇」に至っては、10年目に突入しそうです。
これだけ一つの言葉を使い続けるってことは、かなり気に入っているんですね。我ながら。
**近況**
うにゅぅ…最近忙しさにかまけて、Blog系の更新が滞ってる><
こういう状況は不本意なので、ちゃんと書きたいんですが;
家にPCがないという状況ですので、家出チューハイ呑みながら更新~♪ということが出来ないんですよねぇ。
一番書きたい記事がチューハイだし。
とはいえ、来週にはPCが修理と言う名の旅から帰還しますので、来週からはほどよく更新が再開するかな?
一応他のBlogはちょっとは更新していたりします。
【U-Care-Life情報室】
**今回のタイトル**
そーいや、このBlogのタイトル。
「ことのはっぱ」って、「言葉」のアレンジです。
「言葉」→「言の葉」→「ことのは」→「ことのはっぱ」(意味:言葉の葉っぱ)
辞書なんかには載ってません。ちなみに、「葉っぱ」にしたのはカワイイからですw
でも、「ことのは」は結構いろんなところで使われていますね。
というか、「ことのは」はちゃんとした言葉のようです。
こと‐の‐は【言の葉】
1 ことば。言語。
「まことかと聞きて見つれば―を飾れる玉の枝にぞありける」〈竹取〉
2 歌。和歌。
「やまとうたは、人の心をたねとして、よろづの―とぞなれりける」〈古今・仮名序〉
Byヤフー辞書
なるほど…どおりで沢山使われているわけだ。
私の場合、「ことのは」を集める旅人のお話を大学時代に書いたことがあって、その延長で「ことのはっぱ」って言葉を使い続けています。今読んだらめっちゃ恥ずかしいような内容でしたけど。私なりの想いを沢山つめこんだお話でした。
なんといいますか、「真理」というものが世の中にはあって、それはまるで大きな木のようなものなのだと。
その木(真理)は大きすぎるので、人間にはその全体は捉え切れなくて、その一部しか見えない。
一部しか見えてないので、人それぞれ見えているものは違うのだけど、ほんとうは一つのものを見ているんだ。
そんな事をイメージしていましたね。
その大きな木には葉っぱが沢山ついていて、その言葉の一つ一つは違うことを言っているのだとしても、真のところは一つなんだ…というようなことを。
うーん、我ながら大好きな武者小路実篤さんの「真理先生」の影響が出まくっていますね。
まぁそんなことを考えていました。
それが「ことのはっぱ」の元ですね。
(そーいや、作品を書く前は「ことのはっぱ」は使ってなかったはずだ。)
ちなみに、「霧立昇」ってPNは、中学時代に考えたPN。
なんとなく、新聞に投稿をする際に、フィーリングで気に入るPNを考えて思いついたものだったんですが…
元ネタはこれ↓だったんですね。
寂蓮法師「村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮」
後で気がつきました;
気がついたときは、「これ坊主やん!」ってのが軽くショックでしたけどw
とはいえ、なんか気に入っているこの短歌。
母子そろって大好きな短歌ですので、家族と百人一首などしようものなら、この一枚をめぐり母と娘でこれを取るために火花ちらしてますw
それにしても、「ことのはっぱ」はもう4年ほど使っている言葉。
「霧立昇」に至っては、10年目に突入しそうです。
これだけ一つの言葉を使い続けるってことは、かなり気に入っているんですね。我ながら。