ありのままの国際結婚 これからの国際結婚

20年間で250組の海外結婚仲介した花咲の回顧録 黙示録

想い出の本渓湖から親類来る

2015年05月15日 00時02分58秒 | Weblog

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 2015年5月15日 No.2964 想い出の本渓湖から親類来る 

快晴、今日も楽しいパソコン教室、だけど暑いねえ、パソコン教室から見えた芝桜の花も咲き終わって見る影も無い。もう冬のスーツじゃやりきれない、こそこそ衣替えだ。満州の本渓湖から観光旅行に来た宋社長の従妹夫婦はこの暑さに負けず、観光に買い物に頑張っているかな?

【満州の写真も探せばありますが、手っ取り早く今日はモンゴルの写真を挿入絵として使います】

しかし子供心に満州の暑さも身に浸みている。庭に育った10cmの大きさはあろうトマトを触ったら焼けどしそうな思い出がある。当時の冷蔵庫は木で出来ていて、上に一貫目の氷を入れて、下にトマトを入れて翌日食べたもんだ。やはり暑い時期は8月だったと思う。

真っ青な空をBー17が白い帯を引いて奉天(現・瀋陽)の方向に飛んでいく。もしかしたら新京(現・長春)まで飛んで行って爆弾でも落とすのかな?と子供心に思うが日本の戦闘機が飛んでいくが豆粒ぐらいに見え、歯が立たないのだろう。勿論日本の戦闘機は飛行雲など無く、ドンドン離されて行く。

それから間もなくして日本は戦争に敗れました。その日も空は青く暑い日で、クラスは男組、女組、男女組が有ったが男の先生が足りなく、我々6年生は海軍出身の城先生1人で、5年生は陸軍出身の下駄とあだ名がついていた山口先生1人でした。

当時は軍国主義で、殴る蹴るは当たり前。忘れもしない8月15日の昼ごろ、5年生が戦争に負けた。と言うので、「そんな馬鹿な話があるか。」と5年生をぶん殴ったら5年生は泣きながら山口先生に聞いてくれ。と言うので我ら6年生は職員室になだれ込みました。

職員室はシーンとして多くの女の先生が泣いていました。その時5年生担当の山口先生が、外の出ろと怒鳴られて、思い切り顔を殴られました。3mくらいは吹っ飛んだと思いますが、顔面血だらけ、痛いのなんのその痛さは今でも覚えています。

長くなりますので、すべてを端折って次回にまわし、1946年9月31日に引き揚げることになり、日本と反対側の奉天(現・瀋陽)に無蓋車に乗せられて引き揚げました。当初は汽車でしたがやがてトンネルが破壊されているので歩いたのですが、途中に来日している従妹が嫁いだ本渓湖がありました。

当初、安東はロシアの囚人兵とそれを監視するゲ・べ・ウが進駐し、その後、国民党(現・台湾)も進駐しましたが、八露軍と戦って奉天(現・瀋陽)の方へ撤退(逃げたのでしょう)し、本渓湖あたりが、当時の八露軍と国府軍の占領区域のボーダーラインだったのでしょう。

安東~本渓湖までは便衣隊という小銃を持った3人に守られて本渓湖まで来ましたが、そこから八露軍の占領区域から、国府軍の占領区域に引き揚げ難民は移管される訳ですが、ここで八露軍と国府軍の交戦が始まり、ドンパチの中を国府軍に移管された懐かしい本渓湖の親類が日本に観光旅行に来ている訳です。当時わたしは12才、70年前の想い出の本渓湖から親類来るです!


夏になります

   農家の45~65才逃げられない失敗しない国際結婚

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    花咲爺 石田洋司 (直)03-3479-3061

     Email:kadokami@tokyo-onxy.co.jp

    

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