生野 宏宜の石彫

彫刻家 生野 宏宜 の宇宙
高知県の清流仁淀川の川原石に彫刻をすることで何かを社会に発信したいと考えています。

鬼は外?

2005年10月31日 23時52分52秒 | Weblog
      「もらい泣き」 h-13cm 2001制作

昔話の人気者に鬼がいます。

屋根のてっぺんであぐらをかいて魔除けをしていたり、桃太郎に退治されたり、一晩で刀千本打ったり、石段や橋をかけたり、元気がいいと言うか、エネルギッシュでどこか憎めないキャラクターです。

日本中に鬼の伝説はありますが、そんな土地同士でネットワークして「鬼サミット」なるものをやって地域おこしに使われたりしています。

病気や災難を擬人化したものと言う説明もありますが、それだけではない生き生きした実体があります。

欧米では悪魔かモンスターだったり、中国で「鬼」と言えば幽霊のことだったり、なんか違う感じです。

日本の文化のなかで生まれ育ってきた独特のキャラなのかもしれません。

確かに迷惑な存在ではあります。

鬼のような人には近づきたくないし、心の中に鬼が住みつく事もあります。

言うべきことを言わずに 心に長く秘めていると恐いものになります。

心の声、魂の言葉に耳を傾けそれを表現する事こそ 健やかさの源と言うべきでしょう。

魂が黙ってしまうと、「魂」と言う文字から「云う」という文字をとると、「鬼」になります。

沈黙は金といいますが、魂を表現するでもない無駄なお喋りで人生の時間を浪費するなという意味ではないでしょうか。

もちろん魂を表現するのは言葉だけではありません。

音楽もあれば、美術もあります。

アートに触れる事も、何かに感動する事も 夢中で何かを成し遂げる事も 魂の表現だと思います。


恐い鬼でもほろりとする事もあるでしょう。

涙を必死でかみ殺している表情です。


4億年前の石

2005年10月30日 22時18分14秒 | Weblog
      「目撃」 h-21cm 2002制作

堆積岩、火成岩、変成岩・・・・

横倉山自然の森博物館でうかがった事の受け売りになりますが、40種類以上といわれる仁淀川の石の中で、最も古いものは横倉山の花崗岩で4億年前のものです。

一度固まった花崗岩が、さらに熱と圧力を掛けられて変成したもので、ザラメ状の荒い結晶の石です。

4億年前といえば、古生代で海中から陸地に生物が上陸を始めた頃でしょうか。

まず植物から始まって、それを食べるムカデ類昆虫類が、さらにそれを追って両生類が登場するそんな世界です。

その頃横倉山は現代のカリブ海辺りにあったそうです。

この作品はそんな昔の石なのです。

9.11事件をテーマに一連の作品を制作しましたが、そのなかの1点です。

目を覆いたくなるような事件の現場を 目の当たりにして 凍りつく人の 表情です。

あの時点ではあれでもまだ可能性はあったのですが 最悪のシナリオを選択してしまいました。

うさんくさい「正義」の名の元に、2つの国が戦禍を被り、罪のない非常にたくさんの子供たちの命と心が犠牲になってしまったのです。

いま、我々一人ひとりが「想像力豊かなサンタクロース」になれたら、事態は飛躍的に改善するでしょう。

この地球上にいる全ての人が、被害者でありながら加害者であり、目撃者でありながら当事者でもあるのです。

4億年前の石がそれを目撃しています。


念ずれば通じる?

2005年10月29日 22時00分56秒 | Weblog
         「地蔵 念ずれば・・・!」 h-22cm 2003制作

お地蔵さんて 好きです。

宗教臭くないし、どこに居ても 風景に味を出します。

優しい表情で ちっとも偉そうじゃない。

村はずれのお地蔵様に食べ物を供えることで 飢えた人や 山の生き物を助けた 合理的なシステムも素晴らしいです。

賽の河原で石を積んでる子供たちを救うヒーローだし、娑婆を地獄から天国に一瞬でスイッチする技も持っています。

苦しみのノツボにはまってしまったらこの人が助けに来てくれるのです。

念ずる事はただ一つ、全ての心を持つものが幸せでありますように・・・・!

歌う石

2005年10月28日 22時19分55秒 | Weblog
         「声楽家」 h-20cm 2000制作

石は寡黙であると言われますが、結構にぎやかです。

川底で水に流されながら踊るときの音はまるで歌っているようです。

川原をあるいているとき足元でカラカラ鳴る音もいいですね。

なぎさの小石の音も瞑想的です。

サヌカイトのように楽器に使えそうな石もあります。

石を彫るときのノミ音もやみつきになりますよ。

ノミがよく切れるときの音は、もう快感です。

口を開いた彫刻を彫ってみると、歌っているような作品が出来る事がよくあります。

どんな声なのか どんな歌なのか想像してみたくなります。

今日の作品は声楽家か 指揮者と言ったところでしょうか。

学校に行かない子供たち、行かせない親たち

2005年10月27日 21時11分04秒 | Weblog
         「猫の夢」 h-22cm 1997制作

子供は好きですか?

我が家に子供がやってくるまで、子供は苦手でした。

もともといのちの探求をしていたせいか、自然分娩の出産に立ち会って、本家本元の生命の神秘に触れて 夢中になってしまいました。

四六時中子供のそばにいて観察してたり、自分が手にした最高のものを手渡すにはどうすればいいかなどと考えてたら、周りから子煩悩だと言われてしまったものです。

子供が苦手だったのは、人の面倒なんか真っ平だなんて未熟な観点でものを考えていたからで、実際自分の子供に接してみると、子供にエネルギーをもらっている事に気づかされました。

「子供は5歳までに親孝行は済ませている」なんてこと言う人がいましたが、全くその通りだと思います。

光り輝いている生命エネルギーの塊から一瞬でも目が離せなくて、人に預けるのがもったいないと感じていました。

親孝行を済ませた子供が学齢期になったとき、はたと考えました。

今、訳の分からないまま 混迷を極めた学校に入れるより、我が家の方が はるかにまともな教育が出来るのではないかと思い、入学はさせない事にしたのです。

十数年前の事でした。

学校に行きたいと言い出したときに行かせてやろう、この事による結果は100パーセント親が責任をとろうと夫婦で語り合いました。

よくよく考えれば、学校に入学させるのも させないのも、親の都合でしかないのです。

子供が自分でものを考える事が出来、自分で幸せを見つける事が出来たらそれでいいのです。

最初の子は今22歳になりますが、その事によるハンディーを解決出来ていない現実に直面していると言っています。

親がそのハンディーを負わせたのです。

申し訳ないと思いますが、間違っていたとは思いません。

彼らのものを見る目はシャープで曇りがないし、自分の考えにのみしたがって行動する姿は 小気味のいいものです。

でも 正しかったとも思いません。


魚の口の中に猫がいます。
猫の夢、いい夢なのか悪夢なのか。
魚を家来にして海を渡っているのか。
なんだか物語が出来そうです。

猫は好きですか?

2005年10月26日 18時22分37秒 | Weblog
        「まねき猫」 h-24cm 2005制作

猫好きにも色々いますが、うちの家族は少し変わっています。

捨て猫を拾ってくるのは、子供だけじゃないし、数が増えてしまったときは、20匹を超えています。

今は 田舎の一軒家ですが、東京にいたときも同様でしたから、ずいぶん近所迷惑な家族だと思います。

私の恩師も猫好きでしたから、「お宅の猫は今何匹ですか?」から始まる猫談義が挨拶でした。

猫も多すぎると、病気が蔓延してバタバタ死んでしまうので辛い事になります。

一体何匹の猫の死を見とった事でしょう。

現在の我が家には、猫が7匹、犬が3匹、人が5人で暮らしています。

子猫というものは無条件に可愛いものですが、それだけです。

大人の猫はどれも非常に個性を主張するので、可愛いというよりすごいです。

時に人生を教わる事もあり、子育てをならった事もあります。

猫の彫刻といえばエジプトのものが有名です。

日本ではまねき猫ですか。

猫は難しいです。

今日完成したばかりの作品です。

随分手こずりました。


どっこいしょ!

2005年10月25日 20時35分30秒 | Weblog
       「腰をおろす」 h-16cm 2004制作

先の土曜日、全国水環境マップ実行委員会で決まった事に、次回の身近な水環境の全国一斉調査は、来年の6月4日日曜日を予定します。

たくさんのご参加をお待ちしています。

同じ日同じ時に、全国の川で(韓国・中国の一部の川も参加してくれます) 流域の人が水辺に出て水質を調べると、思いが通じあって、空間的にも 世代を超えた時間的にも 新しいきづなが生まれそうな気がします。

きれいな川を残したい、水をきれいにして海を 地球を元気にしたい。
みんなの思いはひとつです。

あわてず騒がず、まずはここらで一休みです。

今日の作品は、腰をおろした人の下半身です。
上半身はどこへ行ってしまったのでしょう?
でも、「腰をおろす」だけならこれで充分だと思います。

エコカヌー部長S下様
コメントありがとうございます。
流木アートとのコラボレーション是非やりましょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチに会ってきました。

2005年10月24日 12時55分34秒 | Weblog
        「きずな」 h-25cm 2004制作

人を圧倒する建築物に押しつぶされながら、六本木ヒルズに行って来ました。
東京映画祭にも興味はありましたが、今回は レオナルド・ダヴィンチ展に焦点を合わせて、「レスター手稿」なるものを見てきたのです。

ずいぶん昔になりますが、「ウィンザー手稿」も東京に来た事があり、それも見た記憶があります。

ご存知のように、レオナルド・ダ・ヴィンチは人類史上まれに見る賢い人で、いわゆる天才と呼ぶにふさわしい人間です。

実際彼の残した数少ない絵画作品は、未完成のものでさえ 驚異的な完成度を持っており、見るたびにその完璧さに驚かずにはおれません。

しかし、彼の真価はむしろその「ノート」にあると言われます。

今回のレスター手稿はそのなかでも、晩年の集大成に位置づけられるものです。

展示は、内容の解説と、オリジナルの展示の2部構成です。

特にオリジナルの展示は、紙もインクも光に弱いので、暗室のように暗くし1枚ずつ裏表見れるように20台あまりの展示台に入れています。

展示室の暗がりの中で、交互に点滅する照明は淡く、明かりのともった展示台に人は殺到し、見せ惜しんで2・3分で淡い明かりも暗くなる繰り返しのなかを、群集は右往左往するのでした。

わずか2mmの小文字と それに比べて4・5倍はあろうかという大文字の美しいハーモニーとリズムは、ノートでありながら美術作品のようでした。

細密なイラストの確かさと美しさは、当たり前ながら群を抜いていました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ先生のバイブレーションにチラッと触れる事が出来たような気になった展覧会でした。


写真は、残念ながらダ・ヴィンチのものではありません。
変な形の石もあったものです。
大人と子供、あるいは男と女のつながる手を作って見ました。
これも愛と平和の永遠のテーマですが、手は非常に難しいです。
非常に時間を掛けましたがまだ食い足りません。


水質調査

2005年10月21日 17時07分49秒 | Weblog
       「とがった鼻の人」 h-12cm 2003制作
 
このごろは水質調査もずいぶん簡単に出来るようになりました。

パックテストといって、試薬の入ったチューブに 一定量の試水を入れて 時間を計り、カラーチャートで色を確認するのです。

このやり方でいろんなものが計れます。
COD(有機物)・燐・アンモニア・ペーハー・・・・

身近な水環境の全国一斉調査」を年に一回実施しています。

6月の第一日曜日の午前で、日本中のあちこちの川でやっています。

どなたでも参加できますので、最寄の水辺で是非体験してみてください。

出揃ったデータを基に水環境マップを作ります。

お問合せは、「全国水環境マップ実行委員会」事務局か実行委員の方へ。

実は私(生野)も、四国地区の実行委員です。

四国内の皆さんは、私の方へご連絡下さい。

今度の週末は実行委員会があり、出張に行ってきます。

月曜日に再開します。

多重するフクロウの顔

2005年10月20日 11時15分30秒 | Weblog
         「ふくろう 多重する顔」 h-18cm 2003制作

ものには「気配」があります。
山には山の、海には海の、森には森の、嗅覚を通さない「におい」のようなものが「気配」です。

変な話ですが「人の気配」をしているのは、人間だけではないように思います。
立ち木がそうだったり、岩がそうだったり・・・。

実際に、そうしたものが人格のようなものを持っているのか よく分かりませんが、とても面白い事だと思います。

例えば 山の気配をたたえた人がいたり、男性的な川だったり、子供の顔を思い描いてしまう石があったり、何かのメッセージを訴えているかのような雲を見つけたり等々。

これら重なる気配を感じた瞬間、神秘的なものに触れたような感動を覚えるのです。    

おはなし屋さん、コメントありがとうございます。
貴重な絵本の情報も 重ねてありがとうございます。
早速「いしになりたい」をさがしてみます。

ここにも石に魅せられた人がいましたね。

同じ かがくのともか、たくさんのふしぎで、「生け石」をやっている人もいました。
これは、「いけばな」があるのなら「いけいし」もありだろうと、勝手に作ったアートです。

今回の作品は、フクロウのシリーズでもちょっと異色な、シュールな作品です。
人に似たフクロウなのか、フクロウに似た人なのか。