HAYAKAWA

私が生きた奇跡

20代で学んだ事!!

2014-04-16 08:35:29 | 今すぐ見ろ!




私が20代で学んだ、人生で最も大切な10の教訓






現在、作家や起業家として活躍するMark Manson氏が「20代でしておくべきこと、学んだこと」をブログにまとめていました。それらの教訓からは、自分に足りないものや求めるべきことが見えてくるかもしれません。若さは資産です。


あれは20歳の誕生日のこと。泥酔した私は、よその家の芝生におしっこをするところでした。それを見つけた警官があわてて飛んできて...幸いなことに、その夜は刑務所に行かずに済みました(私には前科があり、その時に調べられていたらアウトでした)。このように、私の20代はスリリングに始まりました。

当時、私は人生の目的を見失っていました。音楽学校を中退し、長かった髪を切ったばかり。テキサス州から出ていきたかったのですが、どうすればいいか、どこへ行けばいいか、わかりませんでした。ただ時折、人間の意識の霊性についてレクチャーしたり、相対性理論や「宇宙は本当に存在するのか」についての断片的なアイデアをもてあそんだりしているばかりでした。

私は生意気で、厚かましく、傲慢で、本当に困った奴だったのです。



30歳になる私が伝えたいこと


私は3日後に30歳になります。その日はラスベガスでバカ騒ぎするつもりです。とはいえ、ありがたいことに、現在の私はあの頃よりずっと分別があり、虚栄心もずいぶんなくなりました。この10年でずいぶん変わったのです。あれ以来、警察のお世話にもなっていないし、よその家の芝生におしっこもしていません。私は起業し、世界を駆け巡り、作家としてキャリアを積んできました。もっとも、それは私にとって予想外のことでしたが。

私たちは、インスタントな快楽を求める文化に生きています。そのせいか、重要な事実を忘れています。個人の変容は、一回の出来事の結果として起きるのではなく、長期に亘り、気づかないほどの小さな変化が積み重なって起きるのだということを。ある朝、目が覚めるとすっかり別人になっていた、なんてことは起こりません。個人のアイデンティティはゆっくりと変化します。海の砂が波に押されてゆっくりと動き、長い間の小さな変化が積み重なった結果、海岸線の形がすっかり変わってしまうのと似ています。何年、何十年か後で振り返ったとき、劇的な変化が起きていたことに気づくのです。

思えば私の20代はドラマチックでした。以下、私が20代で学んだいくつかの教訓をシェアします。

1.早くたくさん失敗すること。時間こそが最高の資産





若者が持つ最大の資産は、才能でもアイデアでも経験でもなく、「時間」です。時間は大きなリスクをとったり、大失敗したりする機会を与えてくれます。すべてを置き去りにして6年間世界を旅したり、ある晩ふいに思いついたクレイジーなアイデアで起業したり、適当にパッキングした荷物を持って親戚のいる街に気まぐれで引っ越してみたり...。失うものがない若いときなら、どんな無謀なことも可能です。

きっとあなたはまだ、今後の人生で背負うであろう、経済的な重荷を抱えていないはず。住宅ローン、車のローン、保育費、生命保険などのことです。20代は人生の中で失うものが最も少ない時期です。台湾のダンサーとクレイジーな恋に落ちて母親の髪の毛がごっそりと抜けてしまったり、スターバックスで話し掛けてきたビジネスマンと一緒に起業したら実は巧妙なネズミ講だったり...。でも大丈夫。どんな大失敗をやらかしても、すべては人生の肥やしとなります。失敗こそが最高のレッスンなのです。学んでください!



2.友情は強制できない





人生には2種類の友人関係がある。長い旅から帰った時、何も変わってないと感じる関係と、すべてが変わってしまったと感じる関係です。私は、過去5年間のほとんどを、外国のあちらこちらで過ごしてきました。さみしいことですが、それぞれの場所で多くの友人を置き去りにしてきたのです。そんな生活の中で発見したのは、友情は強制できないという事実です。友情はいつ生まれ、いつ消えるのか? 友情とは一体何なのか? 誰もうまく説明できはしません。ただ、当人同士にだけわかる「何か」なのです。

また、もうひとつ気づいたことがあります。どの友人が残ってどの友人が離れていくかは事前に予測できない。私は2009年の秋にボストンを離れ、8カ月後に戻り、ひと夏をそこで過ごしました。ボストンに戻ると、私はかつて付き合っていた人たちに電話をかけました。しかし、その多くは電話を折り返してくれませんでした。逆のパターンもあります。ときどき顔を合わせるだけだった関係から、時間の経過とともに、生涯の友になった人たちもいます。

友人関係を維持できなかった相手が、悪い人たちだったわけではありません。誰の責任でもないのです。ただ、そういうものなのです。



3.全部の目標は達成できない





私たちは、20年におよぶ学校生活のせいで、「結果重視」の思考が染み付いています。何か目標を決めチャレンジし、達成できたらあなたは成功者です。できなかったら落伍者です。しかし、人生とはそんなものではありません。目標を持ち、努力するのは素晴らしいことですが、そのすべてを達成する必要はありません。

私は24歳のとき、30歳までに達成したい目標を書き出してみました。野心的な目標をいくつか立て、少なくとも最初の数年間は真剣に取り組んでいました。今現在、目標の3分の1は達成できました。残りの3分の1もかなりいい線まで来ています。そして、最後の3分の1はまったく手がついていません。

とはいえ、私は本当に満足しています。成長するにつれ、自分で決めた目標のいくつかは、本当はやりたいことじゃなかったのを発見しました。そうした間違った目標は、私の人生にとって何が「重要ではない」のかを教えてくれました。また、結果はどうであれ、6年間、目標達成のために努力したことで、とても多くを学べました。目標を立てることの本質とは、80%はやる気を出すため、20%は無作為のベンチマークのためなのです。達成できたかどうかではなく、目標に向かって努力したという行為そのものに、また挑戦と失敗のプロセス自体に価値があるのです。



4.誰も自分がしていることをわかっていない





高校や大学のころから、私たちはいつも、自分がしていること、したいことをわかっているべきだというプレッシャーにさらされています。それは、大学選びに始まります。追いかけるキャリアを決め、最初の仕事を選び、キャリアの階段を駆け上がります。そしていつの日か結婚し、子どもをつくります。私たちはみな、恐れているのです。人生の中で、たとえ一度でも自分がしていることがわからなくなれば、悲惨な結末が待っているのだと。人生の迷子になってしまえば、行き着く先は物乞いになるか、朝の8時から公園のベンチでウォッカを飲む人生しか待っていないのだと。

しかし実際、20代のうちは誰も自分のしていることを本当には理解していないし、それは成熟した大人になってもずっと続きます。ただ、その時ベストだと思うことをするだけです。

私の高校、大学からの友人で、20代のうちに、仕事、キャリア、業界、家族、性的指向などにおいて、何の変化もなかった人などひとりもいません。例えば、私の親友は23歳のときから業界で出世することにこだわっていました。幸先の良いスタートを切った彼は、すぐに成功者となり、大金を稼ぐようになりました。ところが昨年、彼は28歳で業界を去ってしまいました。別の友人は、香港でキャリアを積むことを選びました。また別の友人は環境科学者の職を捨てて、DJになりました。

私自身、自分が何をしているか、わかっていた試しがありません。たくさんの人から、どうやって自分のビジネスを構築したのかと尋ねられます。いつ作家になろうと決めたのか、最初のビジネスプランはどんなものだったのか、などなど。本当の話、私は何もわかっておらず、何の計画も持っていませんでした。ただ、結果的にこうなったのです。常にチャンスを窺い、チャンスを掴もうとしてきただけです。ほとんどのチャンスは掴みそこね、大失敗に終わりました。ただ、私は若く、失敗を受け入れる余地がありました。最終的には、ラッキーなことに、好きで得意な仕事で生計を立てられるようになりました。



5.世界中の人は基本的に同じものを欲しがっている





振り返れば、私の20代はとても楽しいものでした。変わった業界でビジネスを始めたせいで、面白い場所や面白い人々と出会えました。世界をめぐり、50以上の国を訪れました。外国語もいくつか覚え、先進国や発展途上国で、リッチで有名な人々から、貧しく虐げられた人々まで、実にさまざまな人間たちと仲良くなりました。

そんな生活の中で気づいたことがあります。広い視点で見れば、人はみな同じだということです。誰もが人生の大半を、食べものやお金、仕事や家族について心配しながら生きています。お金持ちでさえもです。誰もが、自分はかっこよくて重要な人物だと思いたがっています。十分にかっこよくて重要な人物であってもです。だれもが、地元に誇りを持っています。どんな成功者もそれぞれの不安を抱えています。誰もが失敗したり愚かに見られたりすることを恐れています。誰もが友人や家族を愛し、また、友人や家族に悩まされています。

基本的に、人間はみな同じなのです。違いは些細なことに過ぎません。こっちの国、あっちの国。こっちの腐敗した政府、あっちの腐敗した政府。こっちの宗教、あっちの宗教。こっちの社会的慣習、あっちの社会的慣習。私たちの違いは、地理的、歴史的な偶然性から生まれたものに過ぎません。こうした違いは表面的です。文化の香りでコーティングされているだけなのです。

私は人を見るときに、「誰であるか」ではなく「何をするか」で判断することを学んできました。世間では親切で礼儀正しいと言われている人々が、私にとっては親切で礼儀正しい人でないこともありました。不愉快で低俗だと言われている人が、私にとっては不快でも低俗でもないこともありました。世界にはいろいろな人がいます。相手と長い時間を過ごし、その人の行動を観察しないことには、実際の姿はわかりません。見かけや出生地、性別だけでは判断できません。



6.世界はあなたを気にしていない





「誰も私を気にしていない?」と、最初は恐ろしい気持ちになるかもしれません。しかし、この言葉の真の意味がわかると恐怖は解放感に変わります。作家のデヴィッド・フォスター・ウォレスが次のように話しています。

「他の人が自分をどう思うか心配しなくなるでしょう。誰もあなたのことなど気にしていないのがわかれば」

あなたも私も、そして、私たちがしたことすべては、いつの日か忘れ去られます。まるで、私たちなど存在しなかったかのようにです。今だって、あなたが何を言い、何をしているかなんて、ほとんど誰も気にしていません。

これは本当に良いニュースです。あなたがくだらないあれやこれやから逃げ出しても、人々はそのことを忘れ、許してくれるでしょう。これは、なりたい自分にならない理由がないことも意味します。自分を抑えなかったことで味わう痛みは一時的なものであり、その恩恵は一生続きます。



7.大衆文化は極端な人に汚染されている。中道をいくべし





あることに気づいて、私の人生は542%良くなりました。オンラインであなたが見かける情報のほとんどは、5%の極端な人たちが発信しているに過ぎません。人生の90%は、その他の人々たちから成る静かな中間層によって営まれるという事実です。

インターネットばかりを見ていると、第三次世界大戦がもうすぐ起きるとか、企業が共謀して世界を支配しているとか、すべての男性はレイピストであるとか、すべての女性はうそつきで打算的な売春婦であるとか、白人は逆人種差別の被害者であるとか、すべての貧乏人は怠惰で社会の害悪であるとか、そんなことを信じ始めるかもしれません。

ときには沈黙する90%の人たちの仲間に帰り、本来の自分を思い出すのも重要です。人生はシンプルであり、人々は善良で、私たちを分断しているかのように見える溝は、ただのひび割れに過ぎません。



8. 小さなことの集まりは、大きなことより重要だ





Facebookの共同創設者で、マーク・ザッカーバーグの大学のルームメイトであるDustin Moskovitz氏のインタビュー記事を思い出します。インタビュアーはDustin氏にFacebookが「一夜にして成功」を収めたのをどう感じるかと質問しました。Dustin氏の回答はこんな感じでした。

「もし、徹夜でコーディングする日々が6年間毎日続くことを『一夜にして成功』と呼ぶなら、それは本当にうんざりしてストレスフルなことです」

私たちは、物事の結果しか見ず、そこに至るまでの過程(そして数々の失敗)を見ようとはしません。また、若いころは、世界を変えるような大きなことをしなければと考えがちです。しかし、その夢は大きすぎます。私たちは大切な真理を理解していなかったのです。理解するには若すぎたのでしょう。「大きなこと」は、何百、何千の日々の小さな積み重ねの結果として起きるのであり、そこまでの過程は、長い期間をかけて静かに目立たず進行するということを。人生にようこそ。



9.世界は怖い場所ではない





よく言われることですが、おおむね真実です。私は、国内外を問わず、さまざまな危険地帯に足を運びました。ほとんどの人は、根っこの部分では親切で思いやりがあります。今20歳の人に私から贈る実践的なアドバイスは、ズバリこうです。できるだけ旅をして、先入観を持たず人々と話し、相手について質問をし、その人を知る努力をすること。そうすることで失うものは何もなく、得るものは巨大です。とくに、若く感受性が強いときには。



10.あなたの両親も人間です





きっと20代のうちに気づくことになります。あなたの両親は、あなたが幼いころそうであったように、全知全能の保護者ではないということに。そして、あなたが10代の頃に感じていたような、小うるさくてダサい権威主義者でもなく、欠点のある、弱く、自分が何をしているかわからないまま、ただ精一杯生きている、葛藤を抱えた人間なのだということに。

おそらく、あなたの両親はあなたが子どもの間に何か大失敗をしています。親たちのほとんどがそうです(私の母はいつも「こどもは取り扱い説明書を持って生まれてこない」と言っていました)。きっと20代のうちに、両親たちがしてきた挫折や失敗がわかりはじめるでしょう。それは成熟した証しであり、人生の痛みを知り始めたということです。両親についてさまざまなことがわかってくるにつれ、苦い気持ちや後悔をたくさん味わうでしょう。

きっと、人が「大人」になって最初にすることは、両親の欠点を理解し、受け入れ、許すことです。それが、成熟して真の大人になった証しでもあります。あなたの両親も人間なのです。彼らはただ、ベストを尽くそうと一生懸命生きてきたのです。たとえ、何がベストがわかっていなかったとしても。

なぜ反日?中国人

2014-04-16 08:12:26 | 今すぐ見ろ!




私が感じた「反日の哀れさ」、一体何のため?考えてみるとおかしくなってくる
2014年4月12日、中国のインターネット掲示板に「反日の哀れさ」についてつづった文章が掲載され、多くのネットユーザーが注目している。以下はその概要。

【その他の写真】

どうして子どものころ私が理解していた日本人は、“鬼”のようだったのか。人間性がなく、狂気じみており、精神に異常をきたした人と同じように恐ろしかった。周りには日本人を良く言う人はおらず、耳に入ってくるのは「小鬼子」「死すべき島国」などの言葉ばかりだった。

中国では、おそらく多くの人が私と同じ経験をしているだろう。抗日戦争の勝利から現在まで、われわれの憎しみは深く根を張っている。現在でも、抗日ドラマが放送されている。無数の中国人が「日本を根絶やしに」と叫ぶさまは、すでに一種の文化にすらなっている。

しかし、それは病的な文化だ。このことは、日本人は多くの中国人の目に、依然として恐ろしい存在だと映っていることを示している。しかし、「反日」は何も変えられない。1日中日本製品ボイコットを叫んだところで、使うものは使う。永遠の恨みはなく、あるのは永遠の利益なのだ。

釣魚島(尖閣諸島)の事件のとき、物寂しく哀れに感じたことを覚えている。群衆が口々に反日を叫びながら日本車や日系の店を破壊していった。怒りに我を忘れた若者たちは、自分たちはすごいことをやっているのだと考えていたのではないか。

私はそんな彼らに問いたかった。「意味があるのか?自分の金で買ったものは、すでに自分のものになっている。壊して損をするのは誰なのか。中国人ではないか。もうかるのは誰か。君たちが憎んでいる日本人ではないか」。壊してはまた日本製品を買う中国人を哀れに思わずにはいられなかった。

子どものころから親や教師やテレビに感化され、私も同じように日本を憎んでいた。しかし、2010年以降、日本についての情報が増えるにつれ、私の考え方は次第に変わっていった。何が良くて何が悪いのか。一体何のために死んで何十年にもなる旧日本兵を恨んでいたのか。考えてみるとおかしくなってくる。おそらく一部(多数かもしれない)の人間は、本当に現代の日本人にかなわないだろう。

低予算でXPから乗換える方法!!

2014-04-16 07:58:29 | 今すぐ見ろ!





低予算でXPから乗り換える方法





Microsoftは4月9日(日本時間)、Windows XPのサポート、サービスならびにセキュリティ更新プログラムの提供を正式に終了しました。長らく親しまれてきたOSですが、いよいよ期限切れ。人によってはこの世の終わりと感じているかもしれません。この記事では、Windows XPの世界から初めて足を踏み出そうとしている人に向けたオリエンテーションとして、この先どうするかを決めるのに役立ついくつかの情報をお伝えします。

Windows XPを好きで使っていたにせよ、互換性のため仕方なく使っていたにせよ、会社がアップグレードしてくれなかったにせよ、案ずることはありません。皆さんのような人はほかにもたくさんいるからです。

ここでは、さまざまな選択肢をご紹介し、使いこなしていくための方法をひとつずつ説明していきます。読者の皆さんがどれを選ぶにせよ、安心して移行できるようにします。

Windows 7とWindows 8、どちらにする?

Windowsを使い続けるつもりなら、どのバージョンにアップグレードするかを決めなければなりません。Windows 7はとても人気がありますが、Windows 8に関してはマイナスの評価を多数耳にしているのではないでしょうか。

けれどWindows 8は、ちまたで言われているほど悪くはありません。Windows 8の、タブレットに最適化されたタイル型インターフェースに尻込みしている人も、先入観をなくして「今度からはこれがスタートメニューなんだ」と考えてみましょう。すぐに慣れるはず。ダメなら完全に無効化することもできます。Windows 8はWindows 7よりパフォーマンスが向上しているので、XP世代の古いコンピューターに入れるなら、むしろ理想的なのです。

その一方で、Windows 7のほうが使用感はWindows XPにずっと近いです。Windows 8が登場してからかなり時間が経っているのに、Windows 7のユーザー数とサポートコミュニティーの規模は、いまだに他のOSの追随を許しません。Windows 7なら、買ったその日からあまり触らなくても使い始められますし、XPからアップグレードした人にはなじみ深いかもしれません。

どちらを選ぶべきか、ここで決着をつけるつもりはありません。両者とも長所がありますし、選ぶのは皆さん自身です。スクリーンショットや動画を見て、よく使うアプリの動作状況をOS別に確認してみましょう。一番の特徴を吟味し、自分に最適なほうを選んでください。



ツールやアプリを活用して移行をラクに

どちらのバージョンを選ぶにせよ、Windowsに組み込まれているツールやサードパーティ製アプリの中には、パフォーマンスを最適化して、スムーズな移行を助けてくれるものがあります。

古いアプリには互換モードで対応:うれしいことに、XPで使っていたアプリは、最新版にアップデートしなくても、Windows 7と8のどちらでも問題なく動くはずです。万が一問題があったとしても、Windows 7や8では、XPマシンであるかのように偽装してそのアプリを動かせます。やり方については、MicrosoftのサイトにWindows 7およびWindows 8それぞれについて説明があります。
どうしても動作しないアプリケーションはXPモードを使う:Windows 7の発売当初は「XPモード」というものがついてきました。簡単に言えば、Windows 7の中に仮想マシン環境を作ってXPを動かし、7に対応していないアプリを動かしていたのです。Windows 7にアップグレードするつもりなら、この機能は今でも利用できるので、頑として動かないXPアプリに対処する最終手段となります。Windows 8にはこのモードはついていませんが、米LHではXPモードを使えるようにする秘策を以前紹介しています。

スタート画面を無視して『Classic Shell』を使う:先ほども少し触れましたが、『Classic Shell』のようなWindows 8アプリがあれば、これまで慣れ親しんできたWindowsの使用感を取り戻せます。つまり、わけのわからないスタート画面を回避して、起動後すぐに、アイコンなどが並んだ見慣れたデスクトップ画面に行けるのです。

Aero Glassを無効にして動作を快適に:XPの使用感が恋しい人も、単にCPUやメモリが力不足という場合でも、Aero Glassを無効にしてみましょう。これはWindows 7の半透明ウィンドウなどの視覚効果で、無効にすれば動作を一気にスピードアップできます。

ウェブアプリを使えば、節約できてパフォーマンスも向上:お金を使いたくない人も、今あるPCではMicrosoft Officeの新バージョンが動作するかわからないという人も、『Office 365』や『Google Docs』に移行するという選択肢を考えてみてはいかがでしょうか。これらはウェブアプリで、任意のブラウザ上で使うことができ、システムリソースの負担にもなりません。お金が節約でき、PCの負担も軽くなります。完璧な代替品とは言えませんが、考慮に入れてみるべきでしょう。欠点を上回るメリットを見出せるかもしれません。

必要に応じてデュアルブートにする:アップグレードを渋る主な理由が、使用中のツールの中にWindows 7や8では動作しないものがあるせいならば、Windows XPと7もしくは8とのデュアルブート環境にするという方法があります。そうすれば、両方の長所を生かすことができるでしょう。とはいえ、XPを使うのは必要な時だけにしておくことをお勧めします。XPばかりを使って、新しいOSに慣れるための努力をしないのは感心しません。



Linuxに乗り換える

Windowsにはいい加減うんざりだという人や、新しいWindowsライセンスにお金を使いたくない人は、Linuxへの乗り換えを考慮する絶好のタイミングです。新規ユーザーにもわかりやすいディストリビューションは数多くあります。Linuxを使うにはターミナルコマンドを覚えなくてはならないとか、Linuxコミュニティではトラブル発生時に手取り足取りは教えてもらえないといったことに不安を抱いているのなら、心配無用です。近ごろでは、Linuxに関するヘルプも簡単に見つけられますし、新米ユーザーにもわかりやすいディストリビューションであれば、そのコミュニティの多くは初心者歓迎ムードです。そして、何よりもうれしいのはLinuxが無料であること。この点は最強です。

ぜひ検討してほしいディストリビューションをいくつかご紹介しましょう。

Ubuntu:広く使われていて、ユーザーコミュニティからも開発者からもさまざまなサポートを得られます。ドライバーサポートが必要な人や、ターミナルコマンドを使いたくない人には、Ubuntuはとても良い選択肢です。
Linux Mint:比較的古いハードウェアでもスピーディかつ柔軟に動きます。Windows XPのようなインターフェースが自慢なので、きっとすぐになじめるでしょう。ユーザーコミュニティは規模が拡大しつつあり、ビギナーにも親切です。

Elementary OS:軽くて速く、言うまでもなくカスタマイズが可能です。しっかりしたユーザーコミュニティに支えられており、デザインと外観が非常に優れています。原文筆者がこれまでに使ったLinuxディストリビューションの中ではもっとも美しいインターフェースで、OS Xのようなデザイン性をお求めなら、まさにこれでしょう。

Zorin OS:デザインはWindows XPにインスピレーションを得ています。高速で動作する上に、使用感もWindowsによく似ています。ユーザー・インターフェースがわかりやすいので、Linux入門にぴったりのディストリビューションですが、掘り下げて使っていけばさまざまな機能やツールを発見でき、Linux体験が広がっていくはずです。

Lubuntu:Ubuntuをより高速・軽量化したのがLubuntuです。Ubuntuには余計な機能が増えすぎてユーザーの不満を招きましたが、Lubuntuではそんなこともありません。比較的古くパワーが軽めのマシンをお持ちなら、ぜひLubuntuをお試しください。新規ユーザーも温かく迎え入れてくれる素晴らしいコミュニティがあるので安心です。



買い替えて、古いパソコンは別の用途に

ここまでは、現在お使いのパソコンを使い続けられる、お金のかからない選択肢に限って説明してきました。お持ちのXPパソコンがアップグレードに対応できない、もしくは自分ではやりたくない、というのであれば、もちろん、お金を払って新しいPCを購入するという選択肢もあります。とはいえ、その場合もWindows 7かWindows 8かという問題に突き当たることに変わりはありません。最近のPCの大半はWindows 8を搭載していますが、中にはWindows 7搭載モデルを販売しているところもあります(店に置いてなかったとしても、Windows 8のモデルを購入してWindows 7にダウングレードするという選択肢があります)。新しいPCを買ってLinuxに挑戦してもいいですし、思い切ってMacに乗り換えてみるのも手です。