私が20代で学んだ、人生で最も大切な10の教訓
現在、作家や起業家として活躍するMark Manson氏が「20代でしておくべきこと、学んだこと」をブログにまとめていました。それらの教訓からは、自分に足りないものや求めるべきことが見えてくるかもしれません。若さは資産です。
あれは20歳の誕生日のこと。泥酔した私は、よその家の芝生におしっこをするところでした。それを見つけた警官があわてて飛んできて...幸いなことに、その夜は刑務所に行かずに済みました(私には前科があり、その時に調べられていたらアウトでした)。このように、私の20代はスリリングに始まりました。
当時、私は人生の目的を見失っていました。音楽学校を中退し、長かった髪を切ったばかり。テキサス州から出ていきたかったのですが、どうすればいいか、どこへ行けばいいか、わかりませんでした。ただ時折、人間の意識の霊性についてレクチャーしたり、相対性理論や「宇宙は本当に存在するのか」についての断片的なアイデアをもてあそんだりしているばかりでした。
私は生意気で、厚かましく、傲慢で、本当に困った奴だったのです。
30歳になる私が伝えたいこと
私は3日後に30歳になります。その日はラスベガスでバカ騒ぎするつもりです。とはいえ、ありがたいことに、現在の私はあの頃よりずっと分別があり、虚栄心もずいぶんなくなりました。この10年でずいぶん変わったのです。あれ以来、警察のお世話にもなっていないし、よその家の芝生におしっこもしていません。私は起業し、世界を駆け巡り、作家としてキャリアを積んできました。もっとも、それは私にとって予想外のことでしたが。
私たちは、インスタントな快楽を求める文化に生きています。そのせいか、重要な事実を忘れています。個人の変容は、一回の出来事の結果として起きるのではなく、長期に亘り、気づかないほどの小さな変化が積み重なって起きるのだということを。ある朝、目が覚めるとすっかり別人になっていた、なんてことは起こりません。個人のアイデンティティはゆっくりと変化します。海の砂が波に押されてゆっくりと動き、長い間の小さな変化が積み重なった結果、海岸線の形がすっかり変わってしまうのと似ています。何年、何十年か後で振り返ったとき、劇的な変化が起きていたことに気づくのです。
思えば私の20代はドラマチックでした。以下、私が20代で学んだいくつかの教訓をシェアします。
1.早くたくさん失敗すること。時間こそが最高の資産
若者が持つ最大の資産は、才能でもアイデアでも経験でもなく、「時間」です。時間は大きなリスクをとったり、大失敗したりする機会を与えてくれます。すべてを置き去りにして6年間世界を旅したり、ある晩ふいに思いついたクレイジーなアイデアで起業したり、適当にパッキングした荷物を持って親戚のいる街に気まぐれで引っ越してみたり...。失うものがない若いときなら、どんな無謀なことも可能です。
きっとあなたはまだ、今後の人生で背負うであろう、経済的な重荷を抱えていないはず。住宅ローン、車のローン、保育費、生命保険などのことです。20代は人生の中で失うものが最も少ない時期です。台湾のダンサーとクレイジーな恋に落ちて母親の髪の毛がごっそりと抜けてしまったり、スターバックスで話し掛けてきたビジネスマンと一緒に起業したら実は巧妙なネズミ講だったり...。でも大丈夫。どんな大失敗をやらかしても、すべては人生の肥やしとなります。失敗こそが最高のレッスンなのです。学んでください!
2.友情は強制できない
人生には2種類の友人関係がある。長い旅から帰った時、何も変わってないと感じる関係と、すべてが変わってしまったと感じる関係です。私は、過去5年間のほとんどを、外国のあちらこちらで過ごしてきました。さみしいことですが、それぞれの場所で多くの友人を置き去りにしてきたのです。そんな生活の中で発見したのは、友情は強制できないという事実です。友情はいつ生まれ、いつ消えるのか? 友情とは一体何なのか? 誰もうまく説明できはしません。ただ、当人同士にだけわかる「何か」なのです。
また、もうひとつ気づいたことがあります。どの友人が残ってどの友人が離れていくかは事前に予測できない。私は2009年の秋にボストンを離れ、8カ月後に戻り、ひと夏をそこで過ごしました。ボストンに戻ると、私はかつて付き合っていた人たちに電話をかけました。しかし、その多くは電話を折り返してくれませんでした。逆のパターンもあります。ときどき顔を合わせるだけだった関係から、時間の経過とともに、生涯の友になった人たちもいます。
友人関係を維持できなかった相手が、悪い人たちだったわけではありません。誰の責任でもないのです。ただ、そういうものなのです。
3.全部の目標は達成できない
私たちは、20年におよぶ学校生活のせいで、「結果重視」の思考が染み付いています。何か目標を決めチャレンジし、達成できたらあなたは成功者です。できなかったら落伍者です。しかし、人生とはそんなものではありません。目標を持ち、努力するのは素晴らしいことですが、そのすべてを達成する必要はありません。
私は24歳のとき、30歳までに達成したい目標を書き出してみました。野心的な目標をいくつか立て、少なくとも最初の数年間は真剣に取り組んでいました。今現在、目標の3分の1は達成できました。残りの3分の1もかなりいい線まで来ています。そして、最後の3分の1はまったく手がついていません。
とはいえ、私は本当に満足しています。成長するにつれ、自分で決めた目標のいくつかは、本当はやりたいことじゃなかったのを発見しました。そうした間違った目標は、私の人生にとって何が「重要ではない」のかを教えてくれました。また、結果はどうであれ、6年間、目標達成のために努力したことで、とても多くを学べました。目標を立てることの本質とは、80%はやる気を出すため、20%は無作為のベンチマークのためなのです。達成できたかどうかではなく、目標に向かって努力したという行為そのものに、また挑戦と失敗のプロセス自体に価値があるのです。
4.誰も自分がしていることをわかっていない
高校や大学のころから、私たちはいつも、自分がしていること、したいことをわかっているべきだというプレッシャーにさらされています。それは、大学選びに始まります。追いかけるキャリアを決め、最初の仕事を選び、キャリアの階段を駆け上がります。そしていつの日か結婚し、子どもをつくります。私たちはみな、恐れているのです。人生の中で、たとえ一度でも自分がしていることがわからなくなれば、悲惨な結末が待っているのだと。人生の迷子になってしまえば、行き着く先は物乞いになるか、朝の8時から公園のベンチでウォッカを飲む人生しか待っていないのだと。
しかし実際、20代のうちは誰も自分のしていることを本当には理解していないし、それは成熟した大人になってもずっと続きます。ただ、その時ベストだと思うことをするだけです。
私の高校、大学からの友人で、20代のうちに、仕事、キャリア、業界、家族、性的指向などにおいて、何の変化もなかった人などひとりもいません。例えば、私の親友は23歳のときから業界で出世することにこだわっていました。幸先の良いスタートを切った彼は、すぐに成功者となり、大金を稼ぐようになりました。ところが昨年、彼は28歳で業界を去ってしまいました。別の友人は、香港でキャリアを積むことを選びました。また別の友人は環境科学者の職を捨てて、DJになりました。
私自身、自分が何をしているか、わかっていた試しがありません。たくさんの人から、どうやって自分のビジネスを構築したのかと尋ねられます。いつ作家になろうと決めたのか、最初のビジネスプランはどんなものだったのか、などなど。本当の話、私は何もわかっておらず、何の計画も持っていませんでした。ただ、結果的にこうなったのです。常にチャンスを窺い、チャンスを掴もうとしてきただけです。ほとんどのチャンスは掴みそこね、大失敗に終わりました。ただ、私は若く、失敗を受け入れる余地がありました。最終的には、ラッキーなことに、好きで得意な仕事で生計を立てられるようになりました。
5.世界中の人は基本的に同じものを欲しがっている
振り返れば、私の20代はとても楽しいものでした。変わった業界でビジネスを始めたせいで、面白い場所や面白い人々と出会えました。世界をめぐり、50以上の国を訪れました。外国語もいくつか覚え、先進国や発展途上国で、リッチで有名な人々から、貧しく虐げられた人々まで、実にさまざまな人間たちと仲良くなりました。
そんな生活の中で気づいたことがあります。広い視点で見れば、人はみな同じだということです。誰もが人生の大半を、食べものやお金、仕事や家族について心配しながら生きています。お金持ちでさえもです。誰もが、自分はかっこよくて重要な人物だと思いたがっています。十分にかっこよくて重要な人物であってもです。だれもが、地元に誇りを持っています。どんな成功者もそれぞれの不安を抱えています。誰もが失敗したり愚かに見られたりすることを恐れています。誰もが友人や家族を愛し、また、友人や家族に悩まされています。
基本的に、人間はみな同じなのです。違いは些細なことに過ぎません。こっちの国、あっちの国。こっちの腐敗した政府、あっちの腐敗した政府。こっちの宗教、あっちの宗教。こっちの社会的慣習、あっちの社会的慣習。私たちの違いは、地理的、歴史的な偶然性から生まれたものに過ぎません。こうした違いは表面的です。文化の香りでコーティングされているだけなのです。
私は人を見るときに、「誰であるか」ではなく「何をするか」で判断することを学んできました。世間では親切で礼儀正しいと言われている人々が、私にとっては親切で礼儀正しい人でないこともありました。不愉快で低俗だと言われている人が、私にとっては不快でも低俗でもないこともありました。世界にはいろいろな人がいます。相手と長い時間を過ごし、その人の行動を観察しないことには、実際の姿はわかりません。見かけや出生地、性別だけでは判断できません。
6.世界はあなたを気にしていない
「誰も私を気にしていない?」と、最初は恐ろしい気持ちになるかもしれません。しかし、この言葉の真の意味がわかると恐怖は解放感に変わります。作家のデヴィッド・フォスター・ウォレスが次のように話しています。
「他の人が自分をどう思うか心配しなくなるでしょう。誰もあなたのことなど気にしていないのがわかれば」
あなたも私も、そして、私たちがしたことすべては、いつの日か忘れ去られます。まるで、私たちなど存在しなかったかのようにです。今だって、あなたが何を言い、何をしているかなんて、ほとんど誰も気にしていません。
これは本当に良いニュースです。あなたがくだらないあれやこれやから逃げ出しても、人々はそのことを忘れ、許してくれるでしょう。これは、なりたい自分にならない理由がないことも意味します。自分を抑えなかったことで味わう痛みは一時的なものであり、その恩恵は一生続きます。
7.大衆文化は極端な人に汚染されている。中道をいくべし
あることに気づいて、私の人生は542%良くなりました。オンラインであなたが見かける情報のほとんどは、5%の極端な人たちが発信しているに過ぎません。人生の90%は、その他の人々たちから成る静かな中間層によって営まれるという事実です。
インターネットばかりを見ていると、第三次世界大戦がもうすぐ起きるとか、企業が共謀して世界を支配しているとか、すべての男性はレイピストであるとか、すべての女性はうそつきで打算的な売春婦であるとか、白人は逆人種差別の被害者であるとか、すべての貧乏人は怠惰で社会の害悪であるとか、そんなことを信じ始めるかもしれません。
ときには沈黙する90%の人たちの仲間に帰り、本来の自分を思い出すのも重要です。人生はシンプルであり、人々は善良で、私たちを分断しているかのように見える溝は、ただのひび割れに過ぎません。
8. 小さなことの集まりは、大きなことより重要だ
Facebookの共同創設者で、マーク・ザッカーバーグの大学のルームメイトであるDustin Moskovitz氏のインタビュー記事を思い出します。インタビュアーはDustin氏にFacebookが「一夜にして成功」を収めたのをどう感じるかと質問しました。Dustin氏の回答はこんな感じでした。
「もし、徹夜でコーディングする日々が6年間毎日続くことを『一夜にして成功』と呼ぶなら、それは本当にうんざりしてストレスフルなことです」
私たちは、物事の結果しか見ず、そこに至るまでの過程(そして数々の失敗)を見ようとはしません。また、若いころは、世界を変えるような大きなことをしなければと考えがちです。しかし、その夢は大きすぎます。私たちは大切な真理を理解していなかったのです。理解するには若すぎたのでしょう。「大きなこと」は、何百、何千の日々の小さな積み重ねの結果として起きるのであり、そこまでの過程は、長い期間をかけて静かに目立たず進行するということを。人生にようこそ。
9.世界は怖い場所ではない
よく言われることですが、おおむね真実です。私は、国内外を問わず、さまざまな危険地帯に足を運びました。ほとんどの人は、根っこの部分では親切で思いやりがあります。今20歳の人に私から贈る実践的なアドバイスは、ズバリこうです。できるだけ旅をして、先入観を持たず人々と話し、相手について質問をし、その人を知る努力をすること。そうすることで失うものは何もなく、得るものは巨大です。とくに、若く感受性が強いときには。
10.あなたの両親も人間です
きっと20代のうちに気づくことになります。あなたの両親は、あなたが幼いころそうであったように、全知全能の保護者ではないということに。そして、あなたが10代の頃に感じていたような、小うるさくてダサい権威主義者でもなく、欠点のある、弱く、自分が何をしているかわからないまま、ただ精一杯生きている、葛藤を抱えた人間なのだということに。
おそらく、あなたの両親はあなたが子どもの間に何か大失敗をしています。親たちのほとんどがそうです(私の母はいつも「こどもは取り扱い説明書を持って生まれてこない」と言っていました)。きっと20代のうちに、両親たちがしてきた挫折や失敗がわかりはじめるでしょう。それは成熟した証しであり、人生の痛みを知り始めたということです。両親についてさまざまなことがわかってくるにつれ、苦い気持ちや後悔をたくさん味わうでしょう。
きっと、人が「大人」になって最初にすることは、両親の欠点を理解し、受け入れ、許すことです。それが、成熟して真の大人になった証しでもあります。あなたの両親も人間なのです。彼らはただ、ベストを尽くそうと一生懸命生きてきたのです。たとえ、何がベストがわかっていなかったとしても。