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女将の独り言

つれずれに日々感じたことを綴ってみます。

久しぶりに南まぐろ

2014年06月02日 | テレビ
友人T氏からブログが広告に占領されていると言われ、今書いています。店を辞めて2年余、よもやこのブログが存在していたとは・・・
半分海の中に沈んでいた宝物の存在を思い出させてくれました。大将は現在透析の身、私は仕事に行っています。以前とはかなり変わった日常を送っていますが、どうしても忘れられない南まぐろの味。最近時々食べに行く寿司屋で天然南まぐろの文字を見つけた時の感動は大将も同じだったようで、次の瞬間「南まぐろくれ」と頼んでいました。食べてすぐに「もう一度南まぐろ」と久しぶりの味を楽しみました。その寿司屋の親父さんは「本まぐろあるよ」ときましたが「本まぐろはいい」と二人で首を振りました。そろそろまた行きたくなってきました。







「野遊び」に想う

2011年04月14日 | テレビ
今年の桜は長く楽しめる。満開の盛りを過ぎてこぼれそうなくらいつけた花が風に重たげに揺れ桜吹雪の中を走っているようだ。日本平の上の方はまだそんな様子です。足元には元気な黄色のタンポポや可憐な薄紫や濃い紫のすみれが咲き、レンギョウや咲き残った白地に濃い朱の入った椿も見られる。そして、今朝見た京都の色彩感をテーマにしたテレビ番組の中の「野遊び」と名づけられた和菓子が目の前に浮かぶ。作者は山口さん。まず桜色、それに白い色が入る。桜色が際立つ。そして草色、菜の花やタンポポを思わせる黄色。それらで作られた野遊びは和菓子にとどまらないイメージと想像力をかきたてる。画面を通してさえ感銘を受ける。桜も青い空や今日のような風が吹いてより美しい。野遊びにはそれがある。きっと今の時期しか味わえないドラマティックな和菓子だろうと想像している。

甲斐さんは無事だった。

2011年04月12日 | テレビ
石巻で消息が不明だった甲斐さんの無事がわかった。大将がperson finderの消息情報で見つけてくれた。住んでいたマンションの手前まで水が来て小学校に避難、その後ご主人の会社の指示により仙台のホテルに移動したそうです。とにかく良かったです。電話は依然通じませんがここまで行方がわかるなんて・・・安心しました。きっと大勢の人が同じように自分の知人や友人の安否を確認したいはず、本人と直接話せなくともどういう状況かわかるだけでほっとします。

ムソルグスキーの展覧会の絵

2010年06月01日 | テレビ
バーンスタインコンクールで優勝した辻井伸行さんがアメリカでコンサートを行うのに選んだ曲がムソルグスキーの「展覧会の絵」というところからその番組は始まった。{展覧会の絵}は曲調の違う10曲の組曲から成り立っている。その曲が流れた時、はっとした。展覧会場でいろいろな絵を次々に眺めてゆくようなこの感じ、思い出した。ムソルグスキーの{展覧会の絵」はずいぶん前の事で恐縮ですが、M美の教育実習で中学生に「想像画を描く」という教育要項で選んだ曲だった。
辻井さんは「展覧会の絵」のイメージをなかなか掴めずアメリカへ出発した。1度目2度目と各地で演奏し最後のコンサートとなった。そこで辻井さんはコンクールで2位になったソン・ヨルムさんと再会し彼女の演奏を聞く。何かが辻井さんを揺り動かした。ソン・ヨルムさんは自分と向き合って演奏していた。辻井さんは最後のコンサートの前、自分の掴んだ何かを練習していた。そしてコンサートで出した。「想像画を描く」の時は生徒たちは目を閉じて曲を聴き、好きな思い描いた物を絵に描いた。辻井さんは見えない自分が「展覧会の絵」でどんな絵を観客に見せることができるのか選曲したと言っていた。自分と深く向き合って描いた展覧会の絵だった。

5月1日は「みちブラ」

2010年04月09日 | テレビ
火曜日と木曜日の夕方に当店の2階の座敷と1階で5月1日放映の番組の撮影を行った。毎月第一土曜日に放送される「みちブラ」(SBSテレビ)です。次郎長通り、エスパルス通りの特集で18ヶ所が登場、歴史に触れながらVTR最後に当店の2階でパックン、マックン、重長アナウンサーがお寿司を食べる。清水の芸妓さんも芸を披露する。撮影は快調で、大将がフジヤマ巻をパックンに手渡してひと言、「パックン、ぱっくん」と受けを狙う。笑ってもらってよかった。どうやらパックンが来ると聞いたときから考えていたようだ。この後は番組を観て、マックンや重長さんの食べた感想も聞いてください。木曜日はお寿司の撮影をしてモニターを通して南まぐろの色や光沢、なんともいえない魅力をあらためて感じました。いい画像です。おすすめコースの画像をお楽しみください。

受動喫煙防止条例がスタート

2010年04月01日 | テレビ
4月1日より受動喫煙防止条例の実施がスタートした。公共的施設における多数の利用者の健康を守る事が重要であると考えられることから始まったのですね。SBSテレビのPM4:45からのイブニングEYEの中でその特集があり当店にも取材があった。大将にもインタビューがあった。一階が禁煙なのでそのきっかけやお客様の反応など質問があった。そういえば禁煙と言うことでお帰りになってしまった方もいたが、良かったわと喜んだ方もいらっしゃった。吸う人の意識も変わってきたようで、最近では禁煙ですかと先に聞く方が多い。明日の番組編集も楽しみです。

阿藤快さんもうなる、フジヤマ巻

2010年03月25日 | テレビ
「そこが知りたい」の撮影当日となった。大将は昨日床屋に行きさっぱりとしている。2時から予定どおり撮影が始まり、緊張気味だった大将も撮影が進むにつれて、阿藤快さんとの会話も快調に進む。フジヤマ巻を一口食べた阿藤さん、表情が変わり「これは美味い、別物だ」とまず一本。お気に召したようだ。そしてカウンターの上の南まぐろの塊に目を奪われ話はなぜ南まぐろを使っているのか、105年続いた理由と進んでいく。後は5月5日水曜日PM7時の番組を観ていただければと思います。特上寿司や鹿島産ハマグリの吸物も出ましたが、なんと言ってもフジヤマ巻が喜んでいただけたようです。

淑女?しゅくじょ?祝女

2010年03月12日 | テレビ
ある日の深夜、NHKで「祝女」のタイトルが出て、ちょうどチャンネルを変えようとした私の手が止まった。「祝女」って何・・・?聞いた事がない。つい最後まで観ました。出演者は友近やともさかりえ、ユウを中心に20代から30代の女性たちがオムニバスで話が進む。ミステリーで言えば、そのオムニバスにプロットが複数使われると言うところか。具体的な内容はあえて説明しませんが、一人で観ていると思わず笑ったり、そうだそうだと口からついて出る。やはり深夜に一人で観るのがいいだろう。11時のおんなは、単純だが突込みがしつこく、そうだそこまで言うのねと言うところが気に入っている。友近もともさかりえもユウも20代の女性には出せないしたたかな味が画面からでも出ている。そうだ、女に生まれた自分を祝う、それが「祝女」なのね。

100年続いた秘訣?

2010年03月02日 | テレビ
入船寿司は明治38年、西暦1905年の創業で今年105年になる。大将は4代目で清水商業に通っているときから家業を手伝ってきた。今回SBS(静岡放送)で100年続いている老舗の番組を作ると言う事で大将にお声が掛かった。撮影は3月25日、構成の流れを書いた物がきたので目を通したら、阿籐快さんが店にやってきて100年続いた秘訣や南まぐろの話のやり取りが書かれている。大将の話すところもいくつもあり、自分の話が元になった内容ながら本人は緊張気味。まだ撮影日が先だからか、これが明日撮影だったら大騒ぎで緊張どころではない。どのように自分の思いを当日会話にしていくのか、私は横で聞きたいと思います。

とびっきり静岡に登場

2009年05月07日 | テレビ
朝日テレビの番組「とびっきり静岡」の撮影が本日行われた。とびっきり食堂のコーナーで、来週は視聴者が選んだお店特集と言うことで当店にも依頼がきた。9時30分から12時前までおすすめコースや特上寿司を撮影した。レイアウトを決めていくので途中ですしも新しく替えていく。いつもはあまり気にしていない海苔の切り口やお寿司の角度も微妙に気になる。お寿司の撮影の後は大将のインタビューもあり、のりのいい大将が質問に答えていく。放映日は5月11日の月曜日で番組は夕方
4時45分から始まり、たぶん放映は6時30分位の予定です。おぼえていたら視て下さい。どういうふうに編集されたか楽しみにしています。

デザインはドラマだ

2008年07月18日 | テレビ
テレビの爆笑問題の爆笑学問を何気なく見ていたら、たたた、大変、画面の人物は知っている人、だよね・・・私はその人の顔と名前を凝視した。東京芸大学長、宮田亮平と出ている。顔は丸顔の童顔、間違いない、私が高校生の時一年間教えていただいた先生だ。宮田先生は当時芸大の大学院の学生で、週に2回静岡に新幹線で通い夜間あるデザインスクールの講師を勤めた。私は高校に入学後美術がない事に愕然とし何処かで勉強できないか調べ、そのデザインスクールに二年生から夜二回通う事にした。その宮田先生が東京芸大学長、当時は白地に紺とピンクとオレンジの三色ストライプのズボンをはきカラフルだった。いつも元気で明るくて社会人の他の生徒も皆先生が大好きで授業が終わると帰りの新幹線までにビヤガーデンやディスコに行った。私が忘れられない言葉がある。「デザインはドラマだ」宮田先生の発したその言葉は私の進路を決める事になる。高校の美術の時間がなくて通っていた私はだんだん美大に行くことを考えるようになった。翌年私はそのスクールの受験科に変わった。番組で太田光と問答していた先生は「考えるのは後から出来る。まずやること」といっている。宮田先生は今もシンプルで明るい。