今まで行きたかったけど行かなかったお風呂がある。
近くにあるのに、入るのを後回しにしていたお風呂。
週に3日しか営業しておらず、行こうと思う時に限って営業日外だったりしたからだ。
それは伊木の湯。
実を言うとここは温泉ではない。
数年前の成分調査により温泉として足りない成分があると判明してから、温泉を名乗れなくなった。
その日も営業時間まであと1時間を切っていたので、行くか行くまいか迷っていた。
近いからまた今度ゆっくりつかりに来よう。楽しみはとっておこう。
そう言って今までずっと後回しにしてきた。優柔不断。
でもこの日のボクは違った。癒しを欲していた。
迷いを断ち切るように車に飛び乗った。
伊木の湯は国道186号線からそれて数分、
最後は細い道を数百メートルほど走ったところ。木々に隠れるようにして在る。
まさに隠れ家。ボク好みな雰囲気。
休憩所にいるおばあちゃんに300円を払い、急いで中へ入った。
先客2名は地元のおじさん。
5人がなんとか入れそうなポリの湯船から黄色がかったお湯が溢れている。
左の蛇口を捻ればお湯が、右の蛇口を捻れば冷たい源泉が出る。
赤い湯の華は酸化鉄。この近辺じゃ珍しい酸性のお湯。
思わず顔が綻ぶ。
こんな近場に良いお湯があったなんて…またちょくちょく来よう。。
ふと、おじさんたちの会話が耳に入った。
「今月でここも終わりだもんなぁ」
え!?
もしやと思い尋ねてみると、燃料価格の高騰によりこの6月いっぱいで廃業することになったという。
あとで確認したら張り紙にもその旨が書いてあった。
ショックだった。
恋した直後にフラレたみたいな。。
「どうにかならんもんかのぉ」
悔しそうにおじさんが言った。
そっか。初めて訪れたボクがこんだけ失恋みたいなショックなんだもんな。
長年通ってるおじさんたちにとっては熟年離婚に似たやるせない思いがあるだろうな。。
フラレるってのは熟年離婚からをいうんだなって思った。
お風呂から上がると、おばあちゃんたちが手招きする。
「食べていきんちゃい」
休憩所でお茶とゆで卵をいただいた。
よそ者のボクを交えてくれて一緒に雑談。
ただのゆで卵。でもすごくおいしく感じた。
みんながみんな伊木の湯が無くなるのを惜しんでいた。切なかった。
ここは温泉ではない。
温泉か否かは化学的な線引きで決まる。
しかし湯も良しひとも良し。
これだけボクをあっためてくれた伊木の湯を、ボクは温泉と呼ばずにはいられない。

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