いんこの気まぐれ日記

いんこの凸凹日記。

音楽ってすんばらしい

2015-03-08 15:25:53 | 日記
最近、ひょんなことから知人のバーで唄わせて頂く機会があり、ギターも購入し、音楽に触れる機会が増えております。

あの緊張感を何度か経験して、慣れてしまえば、仕事で何でも出来る気がするから不思議。

小さい時から、我が家では音楽がいつでも近くにありました。父親が元バンドマンらしく(写真でしか知らんw)

家にはレコードがあったし、よく狭い部屋でエレキギターをアンプにつないで真っ昼間から弾き語りしていたり

あの頃は景気が良かったので毎週末家族で焼き肉→カラオケというのがコースになっておりました。
ほぼ父親がマイクを独占し、聴いていないとキレるということもしばしば・・笑。
それ以外でもとにかく破天荒な父だったので、我が家は「平穏」という言葉は想像出来ない家族でした。

そんな中で育って、まぁ色々苦労して、最近では全く父に会っておりません。
複雑な事情は置いておいて・・苦笑。

それでも、見た目、性格以外の親との繋がりを感じることがしばしばあります。
それは音楽。唯一、私が父に感謝しているのは、音楽です。

まー、ピアノとか金管楽器は人並み程度で、偉そうなことは何一つ言えないけど、小さい時に
歌声を聴いていたから、なんとなく自分の唄い方が父にそっくりなこと。
習った訳じゃないけど、しゃくり方とか声ののばしかたとか、感覚的に受け継いでいることをよく感じます。

大人になって幸せなことに、音楽や演劇などを生業とする人と仲良くなることが増えたのも
そういう文化に寛容に育ててくれたからだろうなと改めて感じるのです。

うちの父の口癖は、「音楽を好きな人に悪い人はいない!」。
うちの母の口癖は、「土を愛する人に悪い人はいない!」。

私はどっちかっていうと父と考えが近かったのです。
音楽が嫌いな人っていないと思うけど。
音楽となれば、いろんなことにトライさせてくれた親に感謝感謝。
それ以外の苦労は忘れてしまうほどにね笑。

ということで、宣伝w。
今月22日に、近所でライブします。カラオケ大会だけど♪

私の趣味は歌謡曲。若い人はよく知らないけど何か懐かしいって歌を。おじさま、おばさま方にとっては
青春の歌?を唄います笑。
詳しい事は個人的にお知らせしますので連絡下さい。





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素敵だなぁ、この人と思う瞬間

2015-03-02 19:13:11 | 日記
エレベーターで後から入ってきた人が、出る時に「どうぞ」って、ボタン押して待ってあげるのも素敵だなぁと思うけど、それに対して「ありがとう」と言える人はもっと素敵だと思う。観察してて、意外といないことが分かってなんとなく。

昔、挨拶とかお礼が言えないと、こりゃまたぶっ叩かれたので(笑)、何もなくても、ありがとうと言ってる時期があったなー(苦笑)。おそろしーい(。>д<)

よく、シャイなのか、女嫌いなのか、朝弱いのかよく分からんけど、こっちが挨拶してるのに、挨拶返さないお偉いさんもいっぱいいたなぁ。あれは、たまに「どうして?」と聞きたくなったよ(笑)。

気持ちのいい挨拶が出来る人も、もちろん素敵。

子供はちゃーんと見てるので、気を付けなければ。と、自戒の念をこめて。あくまでも、ね(笑)。

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想像力

2015-03-01 23:25:40 | 日記

小さいときに、親によく殴られてばかりいました。って言ったら、今は心配されちゃうかな?
「昔は違った」なんて、言いたくないなと思ってるけど、今と違って母親から殴られるのは日常茶飯事だったのですよ。
言う通りになんてしたことなかった(笑)。
言うこときかなすぎて、布団叩きでお尻をはたかれ、マジックでその日忘れた物を顔に書かれ、雪の中裸足で立たされ・・とか。
(これが一連の流れ・・)
このブログを母親が知った時怖いので、ここまでにしといて・・(笑)。とにかく、すっげー痛かったw

しつけだけじゃなく、私も小中時代執拗ないじめを体験して、身体的にも精神的にも「痛み」を感じ、こうしたら痛いんだ、
心が痛むんだと学ぶことができた。それは、勉強じゃなく人間関係でしか学べない。

大人になっても同じ。恋愛関係で痛い目見て、失恋して、人はこうしたら自分や相手が傷つくと、失敗を重ねて学んでいく。
自分がこれをしたら、言ったら相手が傷つくと理解出来るようになり、保守的になったり時に攻撃になったりする。
(その感情コントロールは理屈では出来ないときもあるけどね、苦笑)

そういう「想像力」が欠けてきているんじゃないかなと、自分も含め、考えてみたいなと思う。

自分が過去に教える仕事をしていたとき、生徒のことを「子供」と見たことはなくて、一人間として対等に見ていた「つもり」。
なぜなら、彼らなりに感じて行動し、それが大人が思いつかない道だったりするし、彼らなりに切り開く力があるから、子供とか関係なく尊敬できたので。
だけど、もしかしたら、そこはそこで尊重してるよってスタンスでいて、実は避けているのかもしれなかったなと。
大人が積極的に関わらなきゃいけない部分は思っているより多いのかもしれない。
「子供」と認め、関わっていく勇気も必要なんだと思う。逃げない勇気。いい親、いい先生、いい大人は結局彼らにとって、
「都合の良い大人」。全ての子供が本当に自分のことを思って言ってくれていると、認識出来るとは限らない。

彼らが形成する世界観を壊して入ってくる大人を一言、「ウザイ」という言葉で片付けるけど、その言葉を聞いて逃げず、
「ウザイ」という言葉の裏にある意味や、SOSをちゃんと理解出来る大人になりたい。
接し方が間違っていてもいい。関わろうとしてくれる大人が居る事が大事。

多摩川の河川敷で亡くなった中学一年生の死をきっかけに、多くの人が子供に関わろうとしてくれることを望みます。
それは加害者に対する非難、攻撃という形だけではなく。それは、大人の逃げでしかない。どちらの少年ももしかしたら被害者なのかもしれない。
そういう想像力を働かせよう。
いわゆる、メディアが「周りの大人は何をしてたのか」と言う、大人っていうのは、親や先生だけじゃないんだということを、改めて心に留めて。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。



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