アルケミスト

今この一瞬を大切に。明日のことはまた明日の今に考えよう。

ときどき

2022-03-19 09:41:00 | 日記
自分が発した言葉の中に
自分の奢りや
自分の信念がボロボロに出ていて

ふと 蘇って
恥ずかしいやら
情けないやら

反省したとて
自分の信念が同じなら
また繰り返すだけ。



自分の大変さを伝えてくる人や
こんなに大変なんだと苦労を主張する人
とても好きな人なのに、それでもなんとなくモヤついている自分がいやで
一呼吸おいてみた。

自分が自分のキャパギリギリのことをすること。自分が人より苦労をすること。そのことが自分をよりよりものと見られるという訳のわからない信念があるような気がする。だから、大変さを主張する人に、大変だね、頑張ってくれてありがとう、と言えず、自分の中に、いや、自分はもっとここも苦労してるし、あなただけえらいんじゃないし、私だってあなたと同じように苦労してるんだから、と情けないながら思っていた。そして、自分もその人よりもっと苦労しなきゃ、その人より価値がないダメな人だと。

恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
きっと同じことを私は長いことやってきたはずだから。
恥ずかしくて消えてしまいたくなる。

苦労がその人の価値を表すわけではない。
苦労があるから、その後の成果が素晴らしいわけではない。私が信じていきたい信念は、そんなものではない。

どんなことも、ただ自分の楽しみに変えて一つひとつを楽しみながら、出来るだけ自分がいつも通りの自分を保って、キャパを超えるような苦労なく、スイスイと渡っていく、そんな余裕のある姿が一番の理想のはず。

そういう自分であれば、きっと、苦労してるんだ、認めてくれって言う人に、頑張ってるね、頑張ってくれてありがとう。お陰でわたしはこんなに楽しく過ごせています、と心から感謝が伝えられるはずなんだ。これまで素直に労ってあげられなかったみなさん、ごめんなさい。

遅いけれど、わたしが変われば何かが変わる。いくつからでも自分も自分の生きる世界も変えられる。そして、気付いた今が人生で一番早い。そうやって挫けた自分を励まして、過ぎた恥ずかしい過去は忘れるのみ。


苦労する自分が人の役に立っているという信念は、感謝の押し売りにしかならない。そんなことも無意識にしていたなんて、情けない数十年でした。これまでの私、お疲れ様でした。


今までの信念を手放して
新しい信念と共に。

2022-03-08 22:15:00 | 日記
目立たないというのは
楽でいい。

誰かの後を歩くというのも
楽でいい。

綺麗事を言うのは簡単だ。
でもやる人間は一握り。

本当は先頭になんて立ちたくない。

でも

自分が世の中を動かす市民だということを
もっと私たちは取り戻さないといけないと思う。


この不満だらけの世の中をつくったのは
自分自身だという責任を自覚することからしか

より良い世の中はこない。

自分のコミュニティを嘆いた自分を心から恥じる。そのコミュニティの構成員は私自身だからだ。私は、自分のコミュニティを悪くいう時間があれば、よくするために出来ることにエネルギーを費やしたい。そういう人からは遠ざかりたい。


私の人生を誰かが変えてくれるなんて思うな。私の人生を包み込む社会を、誰かに任せるなんて思うな。自分のいるコミュニティを、自分の人生の主導権を、誰かに奪われる恐ろしさを、私たちは自覚すべきだ。






ふりかえり

2022-03-05 11:21:00 | 日記
今回のことは私に本当に希望を与えてくれた気がする。

①本物は本質しか問わないこと
②開示が情報を集めること
③尊敬できる仲間に学ぶこと
④力ではなく、リラックスして楽しむこと
⑤全ての人の幸せをめがけること

そういう世の中は、まだ存在している。
私は、全ての人が自分と人の自由を互いに認め合える社会をつくる、その土台をつくる教育を、次の世代につなぐことを生涯の目標に設定した。やることは多分無限にあるし、何もやれなくなっても、つなぐことだけはきっとできる。

苦しくなったとき、この目標に戻れば自分の存在意義を思い出せる。

そして全国に、そして世界に、色々な現場に、世代も様々に、仲間がいることを知れば、自分の視野がいかに狭いかを実感できる。

皆が幸せに生きられる社会はどうつくれるのか、という思考が同じ方向である集団ではあるけれど、それだけ同じならば、互いが理解し合える関係は創れる気がしている。


自分と目の前の人の幸せを願うことができなければ、いい世の中をつくることなんてできない。そう思えた。

このまま地味に地道に進もう。

攻撃の裏にはその人の幸せへの自由への制限があることが分かれば、アプローチはかわる。そんな気がしました。