アルケミスト

今この一瞬を大切に。明日のことはまた明日の今に考えよう。

ふと

2021-07-07 00:00:00 | 日記
あの頃信じていた 優しさとか正義とか信頼とか それは偽物だったんだなと今ありありと理解しています。

正義は時に徳の騎士になるから、私は私が正しいとは思っていないし、少なくとも私は私が信じて来た全てはもはや私の欲望相関的に見えていた幻想でしかないと理解してるので、その時の過去が真実かどうかなんてどうでもいいとも思っている。

ただ一つ言えることは
この人は尊敬している、と思っていたはずの人が、実はそれほど尊敬に値しない価値を大切にしているということが、少なくとも私には見えてしまっていて、そのことを信じたくがないために、相手の中にある理念を知ろうとするけれど、もはや自分の凝り固まった枠の中でだけ生きようとしているとよくわかる。学ばないし、変わらない。ただ目の前のことだけに追われるふりをして、自分の使命から逃げている。

パワハラ、セクハラ、法違反。見えることすらどこまで私の管轄外を貫くのでしょう。見えていない、子どもへのそれらは、どれだけ見逃して来ましたか。実験した私も私ですが、ほんと笑えるくらい、見事なまでに、全員、です。これが現実。

教育という場で、自分のして来た罪の重さ、今していることの罪の重さを感じることもしない。自分の身のためだけに、たくさんの人間の人生に間接的に関わっている自覚もない。

考えることを許されず、力に屈し、常識を教え込まれ、暴力の中の優しさを本物だと信じ、自己の尊厳を守る感性を奪われたことすら教えられない。その教育を長年に渡って続けた私たちの罪は、本当に重い。そのことに、気付きもしない人間が、日本の未来を生きる国民の感性を育てている環境をつくって、大きな仕事をしたと偉ぶっている現実に、絶望しかない。

たくさんの命が自分で死んでいく異常さに異常とすら思わないこの国の教育者。
無自覚であるということの恐ろしさ。無自覚であるかもしれない、という不知の自覚のない教育者は単なる独裁者に過ぎないと、心の底から思う。そして、こんなことを伝えたところで、その人は私ではないと、思ってるでしょ。

この教育の絶望を自覚することから始まる。過去を守り、自分の手を汚さない、そういう人間は、去るといい。自分の人生を悔やんで、去るといい。
15年、いや10年。10年後にくるべきその時の為に、土台を今から作る。

教育だけが人間の感性を磨くことができる、国の未来を変えることができる。そう思う大人が多ければ、こんな経済の回り方はしていない。

そして、そういう場を作る構成員は私でもある。ならば私はそのことを自覚して、動き出せばいい。私からかわればいい。そうすれば、何かが動いて、何かが変わる。まさに今そのど真ん中。そうして繋いだ人間が、国を変えていく。

国を変えようなんて、バカらしいですか。

だとしたら、それがあなたが受けて来た教育で培った感性なのです。それがこれまでの教育の賜物なのです。

世の中はもう動き出しています。
そのことに自覚的でありますよう。