ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

書評「クララとお日さま」/カズオ・イシグロ を読んで

2021年03月06日 | 文学・歴史・美術および書評
久しぶりに明治から一気に未来へタイムトリップ、
ノーベル文学賞、カズオ・イシグロの最新作、3月2日、世界同時発売となりました。
「クララとお日さま」
(表紙、アマゾンからお借りいたします)

読了いたしました!

お話は、1つ前の最終モデルであるロボット、
作中では「AF」と呼ばれる人工知能搭載アンドロイドの少女のクララと
病弱で両親は離婚、姉を病で失った少女、ジョジー
そして、大草原の2軒家のお隣に住む男の子リック
子供達を取り巻く世界と、「心」とは、関係性とは、命とは
といった内容です。

語りの目線は一人称、普通なら少女ジョジー目線…のところを
なんとクララ。ロボット目線です。
つまり、読者は自分がアンドロイド、例えばiphoneのSiriとかは
こんな風に見えてるのかなという疑似体験ができます。

私の率直な、感覚だけで申し訳無いですが。小説なので、直感だけで書かせてください。

「それは親のエゴだろ!」
と思う箇所でも、でもやっぱり親は子を愛している、されど完璧ではなく
過去の「記憶」があるから先に不安も抱く
人間というのは、不安定で不完全で、合理と非合理の共存した存在なのだと思います。


最初、もしかしてもっと、科学的というか合理主義的というか
クララは人類の幸せの理想を目指すための教育ロボットなのかと思ってました。
そして、我々は「そんな風に」未来を「迎えねばならない」「進歩とはそういうものだと思うべきかも」
って思ってました。

しかし、おそらくですがイシグロさんは
そういう考えをする、この作中に出てくるアーティストのヘンリー・カパルディのような考えには賛同してはいないと思います。

例えば、「人間なんか全部情報に置き換えられる。
魂だの心だのは勘違いであり、記憶も、肉体も、全部データにすぎない。最優良な状態を目指し、さらにそれを継続させていくのがエリジウム」
とは思っておられないと思います。

逆です。

もし、システム的にそれが人の為に完璧で合理的なものであったとしても
「人から希望や可能性を奪うものに従うべきではない」

「人は関係性の中で、2度とは無い掛け替えの無い人生を送っているんだ」

これではないかと思うのです。

不安や絶望の取り巻く中で
「いやちょっと待って、良い結果になるかもしれないってことはないの?」
そう考えることはできないだろうか。

ひなたぼっこしないか。

ここに描かれる「お日さま」って
いろんな受け取り方があるだろうけど
私はちょっとした希望や可能性、信じ続けるもの
そんな気がしました。

クララといたら、絶望感は減るだろうな。
いい未来のために、今生きなきゃな。

ところでこんなAF欲しいんですが。売ってくれないかな〜
その時は、旧型でいいよ^^

 

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