寒暖差も激しく、GWも終わり、そろそろメンタルヤバい方、以下に該当する方
このままでいいのか? 何とかしなきゃ…しなきゃダメ?でもできない…
自分は本当は何がしたいんだろう?あの、私って何したらいいんでしょう?誰か教えて。
私って何が好きなんでしたっけ?もうどなたか決めてください
いわゆる「自己喪失」「自分が無い虚無感」「何で生きてんだ自分、クズなのに」
こういう場合、ぜひ注目して欲しい1冊を紹介します。
て、この手の場合、精神科医やお坊さん、または怪しいスピリチュアル系でたくさん出ていて
ついそっちや、くだらない「知恵袋」で聞いたりすると思うのですが、
それって「付け焼刃」多いですよね;案外。
私も決して機能万全な家庭で健全に育ったとは言い難いし、目にする度こうですよ。
「気にするな」→「気にするわ!」
「あなたは悪く無い。全て親のせい」→今更そんなこと言われても生まれや過去は変わらんのよ…
「贅沢だ!世の中にはもっと…」→知らんがな…
どないせえ言うねん、て。そしてあまつさえ落ち込むメンタルに冷酷に放たれる「とっとと病院へ行け」
何だか「もうお前ってゴミだからさっさと処分場へ」に思えてきますよ。そうなるとヤバい。
しかし、自分はこの本でこう、パーン!と「中身」戻ってきた!と思えました。「救われた」では無いです。
(だって元々自分のもんだからね。「あった!」ですかね)
タイトルは「生きる意味」(ベタではありますが;) 岩波新書 931
著者は、文化人類学者の 上田紀行さん。僧でも医師でも社長でも無いから、自分にたまたま合ってるのかもしれませんが。
まず、著者は
「どう生きたらいいのかわからない、生きる意味がわからない」のは
私たちの社会のシステムが「抑圧システム」であり、「人の目」の監視と「効率性」が合体したものだからと説きます。
そして、この抑圧システムこそ「グローバル化」の本質であり
そこに「競争の自由」はあるが、「生きる自由」は無いと書かれています。
これは私の好きなミッシェル・フーコーの言うパノプティコン、功利主義に対する批判と同じです。
こちら平易なので読みやすくていいです。
思えば、黒船が来てからずっと日本は、「親切なフリをした欧米の脅迫」を受けてきてます。
どう考えても欧米の方が強かったわけで、世界規模のパワハラです。
「私の言うとおりにしろ、でなきゃどうなっても知らないぞ!」
それって、一見愛情ある躾に見えて、一方的なコントロール。
戦おうとしても結局は弱い方が食われるだけ。従うしかない。
著者はこの構図の縮小したものが、家庭で、あるいは学校に仕掛けられていると見ます。
明治時代は天皇が神。戦後は?
戦後は、「経済成長」が神でした。ところがその「金の神」も
バブル経済の崩壊で無くなってしまいました。
その神を信じていた大人たちは、未だに「お金教徒」ですが
今はその成長という神も無くなった。
代わりに「数字」なんかを信じてみる。
ブログですら「閲覧数」が表示され、ゲームや趣味に至るまで全てランキング、ステータスが表示され
ブクマ、フォロワー数、偏差値、全て数値化して競わせる。
そこから逃げたい、数字は嫌だと言っても逃してくれないバトルの場で
「心」「愛情」なんて信じれもしない、数値化できないものは排除されていく。
もともと日本は「恥」の文化でした。
世間体を気にする反面、人同士のつながりは濃かったのです。
「忖度」という言葉もそこから来るのではと思います。
しかし、グローバル化で「競争」「自己責任」がもたらされ、今やコミュニケーションすら取りづらい。
一方で、自分の出世のために「友達を利用しよう」「フォロワー数を自慢するため、仲良くしよう」では
「コミュ障」なんて言葉ありありますが、感覚としてまだコミュ障の方がマトモな関係を築きたいだけなのでは?
と思います。
本書は初版が2005年ですので10年以上経過し、
リーマンショックと震災を経た今日は、当時よりもっと格差は広がりましたが
人の「悩み」自体はあまり変わっていないのではないかと思います。
「グローバル化」とはありますが、私はこの問題はやっぱりもっとずっと昔
幸せと豊かさは何かの、価値観についての回答が、真逆であった人たちには都合がよく
しっくりいかない者らが、システムが1方向の答を強いる時に「病理」として処分されるだけではないかと思うのです。
と、あまりシステムのことを語ったとして
どうなるもんでもないですが、
どうなるもんでもないので、後半著者がヒントを幾つか出してくれてます。
本にはリアルなコミュニティ(NPO法人など)の可能性を示唆されていましたが
出版当時は無かった便利システムも今はあるわけで
ネットはもしかしたら、「数字信仰」を払いのけていくことができれば
ある程度正常化し得るかもしれないと、私はそう思います。
オリジナルやろうとしたけど「どうせRTなんかされんし、フォロワーも少ないだろうな」
「今時は白ボウズで切れ切れ少数ページで、お説教啓蒙漫画でないと人気無いんだろうよ」
「てかいい年齢だしな」
そんな風に悩んで、もひとつモチベーション上がらずにいたのですが
それじゃあ「自分」がいなくなるのは当然か。
主体的でなおかつ自由で無いと、創造的ではいられないのであれば
その逆、「みんなの支持、承認、了解」「こうしなければ合理的でないという成功パターン」
を追求するなら、そりゃあやる気も自分自信も失いますよ。
「自分は自分」と言いつつ、やっぱり気にして気になって…
自信を取り戻したくて必死になって、また疲れて「無理」という
その暗雲が、なぜこれほどスッキリしたのか。
おそらく「無駄であっても」「賢い方法でなくても」「数字出なくても」
心から自分の思ってることを自分で否定しないでやることは
それだけで意味はあるんだ、と確信したからだと思います。
便利なツールは賢く使いながら、
多少バカでも不器用でも、上手い方法でなくても
「それでも」と思うことは、心にほんのちょっと体幹ならぬ「心幹」のようなもの
信念をくれるのです。
↑もう上のだ〜らだらした字すら読むの面倒になってしまった人へ。
★自分なんか無力だと思わないこと
★数字(数値)と競争が苦手な人は、その真逆に突っ走ってみてもOK
★誰かをダメと批判されてるのを目にした時「同族の自分もダメ」と思わんでいいぞ
(批判してるやつも完璧じゃないですよ)
★正論振りかざして「でもね」て言うヤツには「それでも」を言い続けるんだ(バナージ! from ガンダムUC)
ーーーーーーーーー
「生きる意味」上田紀行著 岩波新書 931
ISBN-00-430931-X
このままでいいのか? 何とかしなきゃ…しなきゃダメ?でもできない…
自分は本当は何がしたいんだろう?あの、私って何したらいいんでしょう?誰か教えて。
私って何が好きなんでしたっけ?もうどなたか決めてください
いわゆる「自己喪失」「自分が無い虚無感」「何で生きてんだ自分、クズなのに」
こういう場合、ぜひ注目して欲しい1冊を紹介します。
て、この手の場合、精神科医やお坊さん、または怪しいスピリチュアル系でたくさん出ていて
ついそっちや、くだらない「知恵袋」で聞いたりすると思うのですが、
それって「付け焼刃」多いですよね;案外。
私も決して機能万全な家庭で健全に育ったとは言い難いし、目にする度こうですよ。
「気にするな」→「気にするわ!」
「あなたは悪く無い。全て親のせい」→今更そんなこと言われても生まれや過去は変わらんのよ…
「贅沢だ!世の中にはもっと…」→知らんがな…
どないせえ言うねん、て。そしてあまつさえ落ち込むメンタルに冷酷に放たれる「とっとと病院へ行け」
何だか「もうお前ってゴミだからさっさと処分場へ」に思えてきますよ。そうなるとヤバい。
しかし、自分はこの本でこう、パーン!と「中身」戻ってきた!と思えました。「救われた」では無いです。
(だって元々自分のもんだからね。「あった!」ですかね)
タイトルは「生きる意味」(ベタではありますが;) 岩波新書 931
著者は、文化人類学者の 上田紀行さん。僧でも医師でも社長でも無いから、自分にたまたま合ってるのかもしれませんが。
まず、著者は
「どう生きたらいいのかわからない、生きる意味がわからない」のは
私たちの社会のシステムが「抑圧システム」であり、「人の目」の監視と「効率性」が合体したものだからと説きます。
そして、この抑圧システムこそ「グローバル化」の本質であり
そこに「競争の自由」はあるが、「生きる自由」は無いと書かれています。
これは私の好きなミッシェル・フーコーの言うパノプティコン、功利主義に対する批判と同じです。
こちら平易なので読みやすくていいです。
思えば、黒船が来てからずっと日本は、「親切なフリをした欧米の脅迫」を受けてきてます。
どう考えても欧米の方が強かったわけで、世界規模のパワハラです。
「私の言うとおりにしろ、でなきゃどうなっても知らないぞ!」
それって、一見愛情ある躾に見えて、一方的なコントロール。
戦おうとしても結局は弱い方が食われるだけ。従うしかない。
著者はこの構図の縮小したものが、家庭で、あるいは学校に仕掛けられていると見ます。
明治時代は天皇が神。戦後は?
戦後は、「経済成長」が神でした。ところがその「金の神」も
バブル経済の崩壊で無くなってしまいました。
その神を信じていた大人たちは、未だに「お金教徒」ですが
今はその成長という神も無くなった。
代わりに「数字」なんかを信じてみる。
ブログですら「閲覧数」が表示され、ゲームや趣味に至るまで全てランキング、ステータスが表示され
ブクマ、フォロワー数、偏差値、全て数値化して競わせる。
そこから逃げたい、数字は嫌だと言っても逃してくれないバトルの場で
「心」「愛情」なんて信じれもしない、数値化できないものは排除されていく。
もともと日本は「恥」の文化でした。
世間体を気にする反面、人同士のつながりは濃かったのです。
「忖度」という言葉もそこから来るのではと思います。
しかし、グローバル化で「競争」「自己責任」がもたらされ、今やコミュニケーションすら取りづらい。
一方で、自分の出世のために「友達を利用しよう」「フォロワー数を自慢するため、仲良くしよう」では
「コミュ障」なんて言葉ありありますが、感覚としてまだコミュ障の方がマトモな関係を築きたいだけなのでは?
と思います。
本書は初版が2005年ですので10年以上経過し、
リーマンショックと震災を経た今日は、当時よりもっと格差は広がりましたが
人の「悩み」自体はあまり変わっていないのではないかと思います。
「グローバル化」とはありますが、私はこの問題はやっぱりもっとずっと昔
幸せと豊かさは何かの、価値観についての回答が、真逆であった人たちには都合がよく
しっくりいかない者らが、システムが1方向の答を強いる時に「病理」として処分されるだけではないかと思うのです。
と、あまりシステムのことを語ったとして
どうなるもんでもないですが、
どうなるもんでもないので、後半著者がヒントを幾つか出してくれてます。
本にはリアルなコミュニティ(NPO法人など)の可能性を示唆されていましたが
出版当時は無かった便利システムも今はあるわけで
ネットはもしかしたら、「数字信仰」を払いのけていくことができれば
ある程度正常化し得るかもしれないと、私はそう思います。
オリジナルやろうとしたけど「どうせRTなんかされんし、フォロワーも少ないだろうな」
「今時は白ボウズで切れ切れ少数ページで、お説教啓蒙漫画でないと人気無いんだろうよ」
「てかいい年齢だしな」
そんな風に悩んで、もひとつモチベーション上がらずにいたのですが
それじゃあ「自分」がいなくなるのは当然か。
主体的でなおかつ自由で無いと、創造的ではいられないのであれば
その逆、「みんなの支持、承認、了解」「こうしなければ合理的でないという成功パターン」
を追求するなら、そりゃあやる気も自分自信も失いますよ。
「自分は自分」と言いつつ、やっぱり気にして気になって…
自信を取り戻したくて必死になって、また疲れて「無理」という
その暗雲が、なぜこれほどスッキリしたのか。
おそらく「無駄であっても」「賢い方法でなくても」「数字出なくても」
心から自分の思ってることを自分で否定しないでやることは
それだけで意味はあるんだ、と確信したからだと思います。
便利なツールは賢く使いながら、
多少バカでも不器用でも、上手い方法でなくても
「それでも」と思うことは、心にほんのちょっと体幹ならぬ「心幹」のようなもの
信念をくれるのです。
↑もう上のだ〜らだらした字すら読むの面倒になってしまった人へ。
★自分なんか無力だと思わないこと
★数字(数値)と競争が苦手な人は、その真逆に突っ走ってみてもOK
★誰かをダメと批判されてるのを目にした時「同族の自分もダメ」と思わんでいいぞ
(批判してるやつも完璧じゃないですよ)
★正論振りかざして「でもね」て言うヤツには「それでも」を言い続けるんだ(バナージ! from ガンダムUC)
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「生きる意味」上田紀行著 岩波新書 931
ISBN-00-430931-X