子育て相談室

子育てで困ったら、相談してください。

画像貼り付けに初挑戦

2013-04-06 17:17:24 | 教育
今日はあいにくの雨
これで桜とも来年まで会えなくなってしまうだろう。

3.11で被災し福岡に身を寄せた2年前購入したB5サイズほどのノートパソコンの
ソフトのライセンス契約期限が間近に迫っているため新しいパソコンを購入した。
早速、待ち受け画面にネコちゃんの写真を貼り付けた。

このブログで画像の貼り付けをしたことないので、貼り付けに挑戦。
うまくいくかな?




思ったより簡単だ。
パソコンを開くといつもこの2匹が迎えてくれる。

ブログ再開

2013-04-01 19:23:51 | 教育
しばらくブログから離れていたので、要領を忘れてしまった。
「思いやり」についてお話しするところが、ずいぶん時間が経ってしまった。
「思いやり」について語るにはあまりにも自身が思いやりに欠けるため、
おそらく書けなくなってしまったのだろう。

「思いやり」以外は、子育て特に乳幼児について、大切なところは話しつくしたので、
これからは、つれづれに自分の日々のメモ代わりに、
勝手気ままに書いていくことにする。

その中で当然「思いやり」についても触れられるだろう。


「自立」=「やる気(意欲)」+「思いやり」

2013-02-27 18:20:54 | 教育
武田邦彦先生のブログ「体罰考」を受けて、
日本の公的教育の劣化の原因について、
文部省の存在と教育制度自体に最大の原因があることをお話してきた。
一方で教育を受ける側の「生徒」についても問題があることもお話しした。
ここでは触れなかったが「先生」についても「親」についてももちろん問題はあるが、
それらの問題は、「子育て相談室」の趣旨から外れるので、いつか必要なときに触れることにする。

生徒の問題について、
「自立」していないことが問題であること、
言い換えると「やる気(意欲)」が充分に育っていないところに問題があること、
特に、「三つ子の魂百までも」と3歳までの「子育ち(て)」がそれに大きく関わっていること。
などについて説明してきた。

「自立」と「やる気(意欲)の発達」とは、ほぼ同義に捉えてよいが、
「自立」の中身について、もう一つ加えておきたいものがある。
それは、「思いやり」。
つまり、「自立」とは「やる気(意欲)」と「思いやり」が共に発達した状態と見ることができる。

私は、「自立」と「やる気(意欲)」が同義であるという認識はあったが、
「思いやり」が加わって初めて「自立」だと教えていただいたのは、
これまで何度も登場していただいた平井信義先生からだった。

「やる気(意欲)」だけ育っていたのでは、ともすると自分勝手自分本位の行動になりがちだが、この「思いやり」が並行して育っていることによって、その考え方行動にバランスが取れるようになる。

「やる気(意欲)」は、自分自身に関わることなので他のことは考えなくてよいが、
「思いやる」気持ちというのは思いやる相手というか思いやる「対象」が必ず存在し、
その相手の立場に立って相手の気持ちになって見たり考えたり感じたりすることも必要になる。

相手や周りのことを「思いやり」ながら、しかも「やる気(意欲)」をもって行動することができて、はじめて「自立」した人と見なすことができ、「思いやり」を備えた生徒であれば、授業中に携帯をしたりゲームをしたり私語をしたりするような授業態度などあり得ない。



武田先生のブログを拝読してー④

2013-02-22 20:26:08 | 教育
◆ 人の問題

前回、
大学の授業の乱れの一因として、「人の問題」を取り上げた。
「自立」していない大学生が問題だと述べた。
オーストラリアの大学生の例を挙げ、比較して自立していない日本の大学生について説明した。

大学生が「自立」できていない原因について、武田先生は次のように述べておられる。

「多くの人は家庭の教育が不十分で、学校で暴れるたり、いじめたり、勉強しない子ども(おそらく1割ぐらい)がいることを知っているでしょう。そしてその原因が「優しく育てる」家庭にあることも知っているはずです。でも自らの非を認めたくないので、学校にその責任をかぶせるのはフェアーではありません。」


つまり、「自立」できていない原因は「家庭教育」にあると述べておられる。

大学では、「メール、ゲーム、私語、ジュース」と説明しておられたが、
ここでは「学校で暴れたり、いじめたり、勉強しない子ども」と述べられておられる。
これは、おそらく大学ではなく、大学以前の高校や中学あるいは小学校レベルのことを仰っておられるのではないだろうか。

家庭教育―子育ち(て)で、「自立」ができていないと、「いじめの加害者・被害者」「家庭内暴力」「校内暴力」「不登校」「自殺」「授業妨害」を将来引き起こす可能性があることを示唆されている。

「三つ子の魂百までも」、このブログで一貫して説明してきた「3歳までの子育ち(て)」が、その後の小学校中学校にとどまらず、高校や大学にまで影響を及ぼすものであること、たった4年間がその後の人生に影響を及ぼすことを知ることができる。

次回は、そこのところの重要性を再認識していただいたうえで、これまでのまとめと、さらに続けて深堀りを試みてみたい。





武田先生のブログを拝読してー③

2013-02-21 19:18:25 | 教育
「私も教室に行くことだけがイヤだった時もありました。また、あのうるさい、講義を聴かない学生に真剣に教育をしなければならないのは辛いのです。人が一所懸命話していても、メール、ゲーム、私語、ジュースですから、先生が冷静でいろというのは無理なのです。」

「多くの人は家庭の教育が不十分で、学校で暴れるたり、いじめたり、勉強しない子ども(おそらく1割ぐらい)がいることを知っているでしょう。そしてその原因が「優しく育てる」家庭にあることも知っているはずです。でも自らの非を認めたくないので、学校にその責任をかぶせるのはフェアーではありません。」

「学校で授業を聞かず、友達をイジメ、先生が少しでも力で制止しようとすると「訴えてやる」という子どもの存在は誰もがわかっているのです。まずは「当たり前のこと・・・礼儀も誠意もない子どもは学校に出してはいけない」ということを決める必要があります。」


武田先生はブログの中で上記のように述べられた。


◆ 人の問題

「授業中に、メール、ゲーム、私語、ジュース」
「学校で暴れたり、いじめたり、勉強しない子ども(おそらく1割ぐらい)」
「学校で授業を聞かず、友達をイジメ、先生が少しでも力で制止しようとすると「訴えてやる」という子どもの存在」

大学の授業の問題の原因の大半は「制度」にあると述べてきたが、
上記のように「生徒」つまり「人」にも原因がある。

18歳過ぎれば、もう社会人大人として自立してほしいところだが、
日本では、未だ自己中心性が抜けない幼児性を持った大学生を多く見ることになる。

オーストラリアでは、18歳を過ぎると家を出る。
18歳を過ぎても家に居ると、どこか問題があるのではないかと世間から見られる。
自活して大学の授業料も自分で支払う。
もちろん、アルバイトの稼ぎが少なく授業料を払えなくなるケースもよくある。
そんなときには休学制度があり、その間学業をストップして授業料を稼ぐために働くことに専念し、授業料が確保できるようになったらまた学業に復帰する。
それが、制度として許されている。

自腹を切って授業料を払うわけだから、授業も真剣に受ける。
大学の授業が1時間当たりいくらのコストになると具体的に言った学生もいた。
「自立」しているといえる。

日本では、親のすねをかじって、授業料がいくらかかかっているかも知らず、
これでは真剣に授業に臨む心構えなどできはしない。

つまり、
武田先生が指摘されている大学の授業の乱れの原因は、
制度のことを脇に置いて考えると、「人」の問題であり、それは大学生の問題であり、
大学生が「自立」できているかどうかの問題ではないかと思う。

「自立」できた大人なら自ずとけじめある授業態度がとれる。
また、「自立」できた大人であれば、無味乾燥とした大学の授業を見て、血気盛んで伸び盛りの年齢のときに、そこに席を置くことが果たして自分の人生にとってどれだけメリットがあるか、それよりもこの貴重な時期他のフィールドに出たほうが有意義ではないかと考えて、大学へ行かないという選択肢も選べるわけで、それが「自立」した大人の考えではないかとも思える。

中学卒業までは「自立」できなくてもいたしかたないが、高校生にもなれば「自立」してほしいものだ。大学が「自立」した大人の集まりになれば、授業の乱れは緩和され、
問題のある「大学制度」改革にも学生自らが立ち上がるのではないだろうか。
それは、「文部省」が最も望まないことかもしれないが。

霞のかなたで日本の国の主となって身を潜めている者たちは、
若者たちがずっと幼児のままでいてくれることに、ほくそ笑んでいるに違いない。
そんな幼児性の抜けない若者たちは、大学を卒業して社会に出ても、
携帯電話とジュースさえ与えておけば、視線を手元に落としたまま霞のかなたに視線を送ることなく何の疑問も抱かず、人間牧場で飼いならしやすい家畜となって、年貢をせっせと納め続けてくれることだろう。
当人に年貢を納める能力がない場合は、代わって親家畜がせっせと年貢を払い続けてくれることだろう。