3/22 一回目の月命日。
いやだ月命日とか何?こないだまで一緒にいたのに?あぁ...本当に亡くなってしまったんだなぁ...という感覚に陥りながらも、いーたんの喜ぶものは何だろう?と考えてお肉にしました。
ゴルのぬいぐるみにいーたんの洋服を着せた。
服がブカブカで、いーたん、こんなに大きかったんだ...と久々にいーたんの体型を思い出しました(╥_╥)これはわん友のアイデアなんだけどとても癒されます。。
同じわん友に、「いーたんを失くした悲しみは、どんな人にでも話せばスッキリするってもんじゃないね。こないだむしろ凹んじゃったよ」と言ったら、「話す相手を選ばないと、逆に傷付けられるよ」と。まさにその通りだと激しく共感。
先日は、また別のわん友から、近所の譲渡センターのわんわん散歩ボランティアに誘ってもらい、行ってきました。
散歩の行先が、いーたんが好きでよくペットタクシーで行っていた上用賀公園で、いーたんに導かれた感満載でした。
そもそも、ボランティアを紹介してくれたわん友も、いーたんが亡くなったのを知った日に、たまたまこの譲渡センターを知り、私に声をかけてくれたといういきさつ。
ボランティアなんて今まで1度もしたことがなかった私に、たまには社会貢献しなさいよといーたんが言ってるに違いありません(;^ω^)
こんな感じに、親しいわん友からはとても良くしてもらって救われています。
いーたん、ガンだったのは確かなんだろうけど、明確な病名は結局は分からず終い。当時はそれで十分だったんだけど、日が経つに連れ、一体、どこのガンだったんだろう?と気になってきて、本やネットで調べてみるもしっくりくるものは見当たらず。
あんなに激しい痛みを伴い、急激に悪化するガンて一体...
今思うと、亡くなる20日程前に行った血液検査のCRP値が、ほんの少し高いだけでほぼ正常値だったことで(獣医もこれくらいなら心配することないと言っていた)すっかり安心しきってしまっていた。腫瘍があったらCRPはもっと上がるはずだから、いーたんはガンな訳ないと思い込んでしまっていた。
でも亡くなる3日前から急激に様態は悪化。その翌日には歩けない、食べられない、排泄も出来なくなっていた。獣医曰く、神経の麻痺が膀胱にまで広がっており、膀胱が閉じたまま開かないんだそう。当初はそんなこと知る由もなく、一日一回でもおしっこだけはさせなきゃいけない、そのためには外に連れ出さないといけない、と本当に必死でした。いーたんは最期まで体重40キロ近くをキープしていたので、母、兄、私の3人がかり。いーたんを何とか立ち上がらせたら、私はハーネスで前方を支え、母が後方を支え、さらには兄が屈んで後ろ足を持って前、後ろ、前、後ろ、と交互に動かして歩かせる、ということをしていました。そして、「どうしてちっちしないの?シーシー、シーシー」と急かしてしまったことに心が痛みます。もうあの時には出したくても出せなかったんだね(╥_╥)
ご飯を食べなくなった時も、「あれ?なんで食べないの?」なんて思わなかった。「だよね。この痛みじゃさすがにもう食べられないよね」と真っ先に思ったのを覚えている。というか、よく今日まで食べてくれたよなぁと感心した。
じゃあ好物を用意しようかね、という気も全く起こらなかった。そんなことよりとにかく痛みをなんとか和らげたいという、もうそれしかなかった。
きちんとした検査をせず、ずっと往診と鍼の先生にだけ診てもらっていたので、亡くなる2日前まで「頚部ヘルニアとガンの可能性が半々」だと言われていた。
ガンだなんてなかなか受け入れられなくて、私も母も「きっとヘルニアだよね?鍼の先生も首のヘルニアは飛び上がるほど痛いって言ってたもんね」と言いながら、どうかヘルニアでありますようにと願っていた。
でも亡くなる前日、モルヒネも効かない、全身が震える、水を飲んだらお腹が膨れて痛い痛いと泣く、、で私もだいぶパニックに。そして、申し訳ないんだけどひょっとしたら往診の先生の診立てが全然違う方へいっちゃってる可能性も無きにしも非ず?なんて一抹の不安も覚え、成城の病院に行って初めてしっかり検査をしたら、そこでやっと末期ガン、もって一週間と告げられた。
ガンか...初めてそう言いきられたけど、正直、この尋常では無い痛みはやっぱりガンだよね、そりゃそうだよねという気持ち。
エコー、レントゲン検査にて、いくつものリンパが腫れていてボコボコだと言われた。とにかくもうどうしようもない、手の施しようがないといったニュアンスだった。往診の先生からも早々に安楽死という言葉を出されていたが、ここでもまたその言葉を出された。そういう選択肢もありますよ、と。そう言わせる理由はやはり強烈な痛みに違いなかった。
亡くなる前日にやっとガンだって知るって我ながら遅すぎだろと思う反面、前々から余命を告げられて泣きながら怯えながら過ごすよりは(昨日、読んだ本には、「余命を告げられた時点で、実はペットロスは始まります」と書いてあった)、私にとっては良かったに違いないと思ってしまう。
でもいーたんにとっては、やっぱり早くから病名を知って、少しでもそれに沿った対応(できれば)をしてあげるのがベストだったはずではある。
最期の麻酔で眠らせた処置が、やはりどうにも一番引っかかるところで、色々調べていたら、人間も末期患者に同じような処置が施されることがあることを知った。
ただ、本人や家族の希望で沈静のレベルが浅いものから深いものまで選択できるらしい。
いーたんも、「呼べば反応する」浅いレベルだったらもう少し罪悪感も残らなかったかなぁとか考えてしまう。全てが今となっては。
ただ、不思議なことに、私にとって良いように、いーたんが最期の一つ一つの選択をしてくれたんだと、時間が経ってほんの少しずつだが思える部分が増えてきたように思う。
いーたんは、自分の都合で甘えてくる時はあるものの、基本、かなりあっさり、淡々としていてマイペースな性格。「またねぇ」と言い残して振り返らずにささっと虹の橋のたもとへ行ってしまっても何ら不思議はない。その方がむしろいーたんらしいのだけど、予想に反してなんとなく私のことを見守ってくれているような気がしてなりません(*´ω`*)
ペットロスの人は、心の整理をつけるために気持ちを書いてみることがおすすめだと本に書いてあったので、今、考えていることを全部書いてみました。
いーたんブログがなんとなく暗いまま終わるのも悲しいので、少しでも前向きにまとめられたらと言う気持ちもあります(´ω`)
いやだ月命日とか何?こないだまで一緒にいたのに?あぁ...本当に亡くなってしまったんだなぁ...という感覚に陥りながらも、いーたんの喜ぶものは何だろう?と考えてお肉にしました。
ゴルのぬいぐるみにいーたんの洋服を着せた。
服がブカブカで、いーたん、こんなに大きかったんだ...と久々にいーたんの体型を思い出しました(╥_╥)これはわん友のアイデアなんだけどとても癒されます。。
同じわん友に、「いーたんを失くした悲しみは、どんな人にでも話せばスッキリするってもんじゃないね。こないだむしろ凹んじゃったよ」と言ったら、「話す相手を選ばないと、逆に傷付けられるよ」と。まさにその通りだと激しく共感。
先日は、また別のわん友から、近所の譲渡センターのわんわん散歩ボランティアに誘ってもらい、行ってきました。
散歩の行先が、いーたんが好きでよくペットタクシーで行っていた上用賀公園で、いーたんに導かれた感満載でした。
そもそも、ボランティアを紹介してくれたわん友も、いーたんが亡くなったのを知った日に、たまたまこの譲渡センターを知り、私に声をかけてくれたといういきさつ。
ボランティアなんて今まで1度もしたことがなかった私に、たまには社会貢献しなさいよといーたんが言ってるに違いありません(;^ω^)
こんな感じに、親しいわん友からはとても良くしてもらって救われています。
いーたん、ガンだったのは確かなんだろうけど、明確な病名は結局は分からず終い。当時はそれで十分だったんだけど、日が経つに連れ、一体、どこのガンだったんだろう?と気になってきて、本やネットで調べてみるもしっくりくるものは見当たらず。
あんなに激しい痛みを伴い、急激に悪化するガンて一体...
今思うと、亡くなる20日程前に行った血液検査のCRP値が、ほんの少し高いだけでほぼ正常値だったことで(獣医もこれくらいなら心配することないと言っていた)すっかり安心しきってしまっていた。腫瘍があったらCRPはもっと上がるはずだから、いーたんはガンな訳ないと思い込んでしまっていた。
でも亡くなる3日前から急激に様態は悪化。その翌日には歩けない、食べられない、排泄も出来なくなっていた。獣医曰く、神経の麻痺が膀胱にまで広がっており、膀胱が閉じたまま開かないんだそう。当初はそんなこと知る由もなく、一日一回でもおしっこだけはさせなきゃいけない、そのためには外に連れ出さないといけない、と本当に必死でした。いーたんは最期まで体重40キロ近くをキープしていたので、母、兄、私の3人がかり。いーたんを何とか立ち上がらせたら、私はハーネスで前方を支え、母が後方を支え、さらには兄が屈んで後ろ足を持って前、後ろ、前、後ろ、と交互に動かして歩かせる、ということをしていました。そして、「どうしてちっちしないの?シーシー、シーシー」と急かしてしまったことに心が痛みます。もうあの時には出したくても出せなかったんだね(╥_╥)
ご飯を食べなくなった時も、「あれ?なんで食べないの?」なんて思わなかった。「だよね。この痛みじゃさすがにもう食べられないよね」と真っ先に思ったのを覚えている。というか、よく今日まで食べてくれたよなぁと感心した。
じゃあ好物を用意しようかね、という気も全く起こらなかった。そんなことよりとにかく痛みをなんとか和らげたいという、もうそれしかなかった。
きちんとした検査をせず、ずっと往診と鍼の先生にだけ診てもらっていたので、亡くなる2日前まで「頚部ヘルニアとガンの可能性が半々」だと言われていた。
ガンだなんてなかなか受け入れられなくて、私も母も「きっとヘルニアだよね?鍼の先生も首のヘルニアは飛び上がるほど痛いって言ってたもんね」と言いながら、どうかヘルニアでありますようにと願っていた。
でも亡くなる前日、モルヒネも効かない、全身が震える、水を飲んだらお腹が膨れて痛い痛いと泣く、、で私もだいぶパニックに。そして、申し訳ないんだけどひょっとしたら往診の先生の診立てが全然違う方へいっちゃってる可能性も無きにしも非ず?なんて一抹の不安も覚え、成城の病院に行って初めてしっかり検査をしたら、そこでやっと末期ガン、もって一週間と告げられた。
ガンか...初めてそう言いきられたけど、正直、この尋常では無い痛みはやっぱりガンだよね、そりゃそうだよねという気持ち。
エコー、レントゲン検査にて、いくつものリンパが腫れていてボコボコだと言われた。とにかくもうどうしようもない、手の施しようがないといったニュアンスだった。往診の先生からも早々に安楽死という言葉を出されていたが、ここでもまたその言葉を出された。そういう選択肢もありますよ、と。そう言わせる理由はやはり強烈な痛みに違いなかった。
亡くなる前日にやっとガンだって知るって我ながら遅すぎだろと思う反面、前々から余命を告げられて泣きながら怯えながら過ごすよりは(昨日、読んだ本には、「余命を告げられた時点で、実はペットロスは始まります」と書いてあった)、私にとっては良かったに違いないと思ってしまう。
でもいーたんにとっては、やっぱり早くから病名を知って、少しでもそれに沿った対応(できれば)をしてあげるのがベストだったはずではある。
最期の麻酔で眠らせた処置が、やはりどうにも一番引っかかるところで、色々調べていたら、人間も末期患者に同じような処置が施されることがあることを知った。
ただ、本人や家族の希望で沈静のレベルが浅いものから深いものまで選択できるらしい。
いーたんも、「呼べば反応する」浅いレベルだったらもう少し罪悪感も残らなかったかなぁとか考えてしまう。全てが今となっては。
ただ、不思議なことに、私にとって良いように、いーたんが最期の一つ一つの選択をしてくれたんだと、時間が経ってほんの少しずつだが思える部分が増えてきたように思う。
いーたんは、自分の都合で甘えてくる時はあるものの、基本、かなりあっさり、淡々としていてマイペースな性格。「またねぇ」と言い残して振り返らずにささっと虹の橋のたもとへ行ってしまっても何ら不思議はない。その方がむしろいーたんらしいのだけど、予想に反してなんとなく私のことを見守ってくれているような気がしてなりません(*´ω`*)
ペットロスの人は、心の整理をつけるために気持ちを書いてみることがおすすめだと本に書いてあったので、今、考えていることを全部書いてみました。
いーたんブログがなんとなく暗いまま終わるのも悲しいので、少しでも前向きにまとめられたらと言う気持ちもあります(´ω`)
私はモカがいなくなった時、なにか普通に
モカはゴハン食べてるかな~とか、散歩行ってるかなぁ~みたいに
ちょっとどこか行ったみたいに思っていた。
きっとココロが受け入れられなかったんだろうね。
ジッとしてると寂しさが増すから、忙しくしてるといいよね。
ゴハン食べて眠って、一日、一日やり過ごしたら
ほんの少し、気持ちが落ち着い
てると思う。
(でも油断してたら涙腺崩壊する(^^;)
いーたんちゃんは今どこにいるかなぁ~
じいちゃんに会いにいったかな~
寒い地に里帰りかな~
みほちゃんの横にいるのかも。
いーたんお母さんのいーたんに対する愛情は我が子に対する慈愛と変わらないと感じます。寂しくてもいいと思います。悲しくてもいいと思います。泣いてもいいと思います。会いたくて当然だと思います。後悔の念があってもいいと思います。いーたんに会えたからこそですよ。
いーたんブログ、大好きです。
自分はどうだったのだろう、、、と、振り返っても
ほとんど記憶か゛ありません。
何がと、言う訳ではなく、ただ、後悔ばかりだった気がします。
少しでも いーたんママさんの気持ちが軽くなりますようにと願っています。
いーたんママさんはすごく良い介護をしましたよ!
いーたんちゃんにとって、毎日の生活も楽しかったはずです。
お久しぶりです
まだまだ心の悲しみに折り合いもつかなく、日が経つからこそ色々と後悔が思い浮かんだりすること…
それでも こうしてブログに綴ってくださる事に感謝します。
犬の医療ってほんと、難しいです。
一生懸命闘病しているワンと飼い主
過剰過ぎるんじゃないと思える事もしばしば…
でもそれはその方のやり方考え方で
誰かが反対したり避難したりするもんじゃないと思いますし、逆に医療をしない考えにも反対したり避難したりする事もないと思います。
私もそらの時に「そらちゃんは積極的治療しなかったよね」と言われて悲しかった事を思い出します。
ボランティアは素晴らしいですね(^^)
ほんと、少しでもママさんの気持ちが和らげるようにいーたんちゃんが 用意してくれたようですね (^^)
いーたんちゃんのお顔が見れて嬉しいです(๑˃̵ᴗ˂̵)
実は…まだ内緒のお話…我が家に…
まさかのゴルパピが4月中頃にやってくる?かも〜です
来たらまたブログやインスタにアップするので 見てくださいね(^^)
ママさんとご家族さまが穏やかに
過ごせますように。。
だからあんなに頑張ってくれたんです
あなたのなさったことは何一つ間違っていません
いーたんのブログからたくさんの愛と勇気と感動をいただきました
ありがとうございました
いーたん、大好き!
コメントありがとうございます。
ベルちゃんも1ヶ月の長患いだったんですね。。みんなやっぱり最期はきっと大変なんですよね。楽な最期なんてそうそうありませんよね。。それは大切に育てていればこそ、ということですよね。
時間は選べるって話!覚えていて下さりありがとうございます( *´︶`*)ベルちゃんもお父さんが家にいる時間を選んだんですね!お父さんと毎晩、楽しそうに散歩していたベルちゃんの姿が思い出されます(*´ω`*)
ちょうど昨日、わん友と砧公園の桜を見てきました。小さいいーたんも一緒です。今が見頃ですね。とても綺麗でした。帰りは技研に移動。いーたん大喜びのコースでしたヽ(´ー`)ノ
コメントありがとうございます。
そっかぁ~最初はモカちゃんが亡くなったこと受け入れられない感じだったんだね。。私もまだまだそういう感じかも。まだなるべく考えないようにしていて、それでもふと考えてしまって、あー、いーたんもういないんだ...の繰り返し、みたいな。特に最期の方は思い出すとすごいダメ。これはしばらくは仕方ないよね?
ほんと今は1日1日をなんとか「やり過ごしてる」って感じだよ!どう過ごしても心の大きな穴はしばらくは埋まりそうもないので、早くもパートに出てみようかな?って考えてるよ。
コメントありがとうございます。
今もブログチェックして下さっているなんて本当に嬉しいです。生前も、そして亡くなってからもずっといーたんを見守ってくださりありがとうございます。いーたんは幸せ者ですね( *´︶`*)
今回のいーたんの死は本当にショックで、こう言っちゃなんなんですが、父が亡くなった時とはまだ全然違う深い悲しみで、、
いーたんの葬儀の時にも、やはりスタッフの人が、「家族の死よりもわんこの死の方がこたえるとおっしゃる方が多いです。わんこは子供みたいな存在なのかも知れませんね」と言ってました。
なるほど。だとすると、人間の子供を失ったお母さんの悲しみなんてもうはかりしれないや...と、時々、漠然と考えていました。
そんな時だったので、「いーたんに対する愛情は我が子に対する慈愛と変わらない」と言ってもらえたことが、嬉しくて仕方ありません(*^^)v
確かに最期の数日間のことは未だに考えてしまうこともありますが、それ以外の約5000日は心残りなく、毎日お世話やり尽くした!と達成感で一杯です。
本当に全てが「いーたんに会えたからこそ」ですね。今後はそれをプラスにできるように生きていきたいです。
コメントありがとうございます。
もう1ヶ月なのか、やっと1ヶ月なのか、なんだかよく分からない感覚です。。
当時のルー母さんと同じような感覚ですかね?後から振り返ってみた時、今、何を考えてどう過ごしていたか?思い出せないような気がします。
いーたんのことを思い出すと、どうしてもやっぱり最期の数日間が浮かんできて悔やまれます。かと言ってあの頃に戻れたとしても結局、遅かれ早かれ同じ選択をしているに違いないとも思うんですが。ほんと毎日をなんとか「やり過ごしてる」といった感じです。
家にいても悲しいし、外に出ても悲しいなら、試しにパートでも始めてみようかなと思ってます。だいぶ思ってたより動き出すのが早いけど。まぁ、始めてみて辛かったら無理せず辞めます^^;