いーたん、大好きだよ!

大きなゴールデンレトリバー いーたん 15歳5ヶ月で虹の橋へ。
ウクライナ、シンガポールを巡って来ました。

いなくなって1ヶ月。

2018年03月27日 | Weblog
3/22 一回目の月命日。
いやだ月命日とか何?こないだまで一緒にいたのに?あぁ...本当に亡くなってしまったんだなぁ...という感覚に陥りながらも、いーたんの喜ぶものは何だろう?と考えてお肉にしました。



ゴルのぬいぐるみにいーたんの洋服を着せた。



服がブカブカで、いーたん、こんなに大きかったんだ...と久々にいーたんの体型を思い出しました(╥_╥)これはわん友のアイデアなんだけどとても癒されます。。
同じわん友に、「いーたんを失くした悲しみは、どんな人にでも話せばスッキリするってもんじゃないね。こないだむしろ凹んじゃったよ」と言ったら、「話す相手を選ばないと、逆に傷付けられるよ」と。まさにその通りだと激しく共感。

先日は、また別のわん友から、近所の譲渡センターのわんわん散歩ボランティアに誘ってもらい、行ってきました。
散歩の行先が、いーたんが好きでよくペットタクシーで行っていた上用賀公園で、いーたんに導かれた感満載でした。
そもそも、ボランティアを紹介してくれたわん友も、いーたんが亡くなったのを知った日に、たまたまこの譲渡センターを知り、私に声をかけてくれたといういきさつ。
ボランティアなんて今まで1度もしたことがなかった私に、たまには社会貢献しなさいよといーたんが言ってるに違いありません(;^ω^)
こんな感じに、親しいわん友からはとても良くしてもらって救われています。

いーたん、ガンだったのは確かなんだろうけど、明確な病名は結局は分からず終い。当時はそれで十分だったんだけど、日が経つに連れ、一体、どこのガンだったんだろう?と気になってきて、本やネットで調べてみるもしっくりくるものは見当たらず。
あんなに激しい痛みを伴い、急激に悪化するガンて一体...

今思うと、亡くなる20日程前に行った血液検査のCRP値が、ほんの少し高いだけでほぼ正常値だったことで(獣医もこれくらいなら心配することないと言っていた)すっかり安心しきってしまっていた。腫瘍があったらCRPはもっと上がるはずだから、いーたんはガンな訳ないと思い込んでしまっていた。

でも亡くなる3日前から急激に様態は悪化。その翌日には歩けない、食べられない、排泄も出来なくなっていた。獣医曰く、神経の麻痺が膀胱にまで広がっており、膀胱が閉じたまま開かないんだそう。当初はそんなこと知る由もなく、一日一回でもおしっこだけはさせなきゃいけない、そのためには外に連れ出さないといけない、と本当に必死でした。いーたんは最期まで体重40キロ近くをキープしていたので、母、兄、私の3人がかり。いーたんを何とか立ち上がらせたら、私はハーネスで前方を支え、母が後方を支え、さらには兄が屈んで後ろ足を持って前、後ろ、前、後ろ、と交互に動かして歩かせる、ということをしていました。そして、「どうしてちっちしないの?シーシー、シーシー」と急かしてしまったことに心が痛みます。もうあの時には出したくても出せなかったんだね(╥_╥)

ご飯を食べなくなった時も、「あれ?なんで食べないの?」なんて思わなかった。「だよね。この痛みじゃさすがにもう食べられないよね」と真っ先に思ったのを覚えている。というか、よく今日まで食べてくれたよなぁと感心した。
じゃあ好物を用意しようかね、という気も全く起こらなかった。そんなことよりとにかく痛みをなんとか和らげたいという、もうそれしかなかった。
きちんとした検査をせず、ずっと往診と鍼の先生にだけ診てもらっていたので、亡くなる2日前まで「頚部ヘルニアとガンの可能性が半々」だと言われていた。
ガンだなんてなかなか受け入れられなくて、私も母も「きっとヘルニアだよね?鍼の先生も首のヘルニアは飛び上がるほど痛いって言ってたもんね」と言いながら、どうかヘルニアでありますようにと願っていた。

でも亡くなる前日、モルヒネも効かない、全身が震える、水を飲んだらお腹が膨れて痛い痛いと泣く、、で私もだいぶパニックに。そして、申し訳ないんだけどひょっとしたら往診の先生の診立てが全然違う方へいっちゃってる可能性も無きにしも非ず?なんて一抹の不安も覚え、成城の病院に行って初めてしっかり検査をしたら、そこでやっと末期ガン、もって一週間と告げられた。
ガンか...初めてそう言いきられたけど、正直、この尋常では無い痛みはやっぱりガンだよね、そりゃそうだよねという気持ち。
エコー、レントゲン検査にて、いくつものリンパが腫れていてボコボコだと言われた。とにかくもうどうしようもない、手の施しようがないといったニュアンスだった。往診の先生からも早々に安楽死という言葉を出されていたが、ここでもまたその言葉を出された。そういう選択肢もありますよ、と。そう言わせる理由はやはり強烈な痛みに違いなかった。
亡くなる前日にやっとガンだって知るって我ながら遅すぎだろと思う反面、前々から余命を告げられて泣きながら怯えながら過ごすよりは(昨日、読んだ本には、「余命を告げられた時点で、実はペットロスは始まります」と書いてあった)、私にとっては良かったに違いないと思ってしまう。
でもいーたんにとっては、やっぱり早くから病名を知って、少しでもそれに沿った対応(できれば)をしてあげるのがベストだったはずではある。

最期の麻酔で眠らせた処置が、やはりどうにも一番引っかかるところで、色々調べていたら、人間も末期患者に同じような処置が施されることがあることを知った。
ただ、本人や家族の希望で沈静のレベルが浅いものから深いものまで選択できるらしい。
いーたんも、「呼べば反応する」浅いレベルだったらもう少し罪悪感も残らなかったかなぁとか考えてしまう。全てが今となっては。
ただ、不思議なことに、私にとって良いように、いーたんが最期の一つ一つの選択をしてくれたんだと、時間が経ってほんの少しずつだが思える部分が増えてきたように思う。
いーたんは、自分の都合で甘えてくる時はあるものの、基本、かなりあっさり、淡々としていてマイペースな性格。「またねぇ」と言い残して振り返らずにささっと虹の橋のたもとへ行ってしまっても何ら不思議はない。その方がむしろいーたんらしいのだけど、予想に反してなんとなく私のことを見守ってくれているような気がしてなりません(*´ω`*)

ペットロスの人は、心の整理をつけるために気持ちを書いてみることがおすすめだと本に書いてあったので、今、考えていることを全部書いてみました。
いーたんブログがなんとなく暗いまま終わるのも悲しいので、少しでも前向きにまとめられたらと言う気持ちもあります(´ω`)


コメント沢山ありがとうございます。

2018年03月01日 | Weblog
皆様、コメントを入れて下さり本当に有難うございます。
何度も読み返しては癒され、ホッとしています。
本当にありがとうございます。

m(_ _)m

いーたんの最期の記憶が病院ではないよ、と言ってもらえ、とてもとても救われました。

そこが一番気になっており、亡くなってからはずっと、いーたんいーたん、最期はどうだった?教えて!と念じながら床につく日々でした|||||(´ω`;)|||||
これはもう信じるか信じないかはあなた次第です、の世界なのですが、不思議なことがいくつか重なり、いーたんからのメッセージを受け取ったような気がしました。
「もう体とにかく限界だった。あれ以上は無理」いう内容で、いーたんは人間のかわいいおばあたんになってました。しかも土産売り場みたいな売店みたいなとこのレジに嬉しそうに並んでいて、あらあら、いーたんちゃんはなんか買い食いしてるんだね、好きだねーと思いました。
そしてじぃちゃんを通して、麻酔での眠りはむしろ楽だった、というメッセージも。
なんとなく全てがあれで良かったのかなと思わせるような内容で、信じるか信じないかはあなた次第なら信じてみようと思っています((´д`))

葬儀の帰り、タクシーに乗ったら、偶然にも昔住んでた家の真横を通ってびっくりしたこともありました( °_° )
思わず運転手さんに、「ここ以前に住んでたとこなんです。愛犬が通りたかったんだと思います」と言ったら、運転手さんも「あー、ナビでは環八の方行くようになってたんだけど、なんかこっち通っちゃったんだよー」って。
その後も、外を歩いていたら、ひょんなことから実家に移る直前まで住んでたマンションの横を通ることになったり。。
いーたん、前に住んでた家に行きたかったんだね( *´︶`*)
昨日は小さいいーたんを連れて、主な散歩コースを周りました。
いーたん喜んでくれたかな(*´ω`*)


じぃちゃんが一番好きな写真(◎^▽^◎)

知り合いから、これからいーたんと私は一心同体、いーたんは私を通して、楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことを感じるんだと言われました。
それなら私も人生、もうひと頑張りしないとなぁと思っています。

ありがとうございました。