いーたんの最期の最期までまるまる受け入れることが飼い主の仕事と思って、とにかくやるだけのことはやったつもりですが、それでもやはりあの時あーしとけばこーしとけばといくつかの悔いは残っています。最期を思い出すとどうしてもいーたんごめんねと辛い気持ちになります。。
2/21からモルヒネ開始するも最大量でも効果があまり出ず。もう検査はしないと決めていたものの、モルヒネも効かないショックと、あとはお腹の震えという新しい症状が出てきたこともあり、さらには往診の先生の勧めもありで(確定診断はつかないかもしれないが、おおよその悪い所がわかれば少しはそれに沿った対症療法ができるかもしれないからと)、レントゲンとエコーを撮りに結局は通院。
結果、複数のリンパの腫れが認められた。さらに前足に反射反応がないことから、首の神経に腫瘍がある可能性があるとの診断。ただMRIを撮らないとわからないとのことで、確定診断はつかず。
でもこの酷い痛みからしてガンにはまず間違いないだろうとのこと。その後は痛みを抑える治療に入った。痛み止めと鎮静剤を組み合わせて行ってみるとのこと。
いーたんは2階の検査室。私と母は1階の待合室。2階からはいーたんの大きな泣き声と吠え声が1時間近くも連続で聞こえてきてとてもきつい時間だった。
どれほどの痛みなのか、数種の痛み止めも効かず、最終的には麻酔薬を使って落ち着かせるしか手がなく、ほぼ寝かされた状態でいーたんは私達の元へ帰ってきた。麻酔は痛みを抑えるギリギリの量打ってあり、今後、薬が切れた後、調子が上がるか下がるかはいーたんの体力次第と言われ、薬が切れてまた痛み出す可能性もあれば、このまま起きることなく息を引き取る可能性もあると言われた。
とにかく連日のひどい痛みだったので、寝かされて帰ってきたいーたんを見ても、ホッとする以外の感情は私にも母にもその時はありませんでした。
でもその後、帰宅し、ずっと寝たままのいーたんを見ていると、麻酔薬が強すぎたんじゃないの?と言う疑問も湧いてきて、、、でもまたこの後、目覚めたとしてもきっと強い痛みの繰り返しだろう。ならばもうこのまま起きることなく息を引き取った方がいーたんにとっては楽だと思うと、私、母、兄の意見は一致。とにかく眠るいーたんを見守る他なく過ごした。
一夜明け、2/22の明け方、ずっと小さかった息が少しだけ大きくなり、目も少しだけ開いてきた。でも相変わらず意識はないような状態。それから5時間ほどは呼吸が大きくなったり小さくなったりを繰り返し、その後、ゆっくりと呼吸と心拍が止まっていった。
最期が家族に見守られる中だったこと、苦しまず安らかだったことは本当に救われるが、いーたんの最期の記憶が病院、それも私達と離れて検査室で1人、だったらと思うとそれが一番辛い。ちゃんと帰宅できたことが分かっていればまだ救われるんだけど、、、とずっと考えています。
あとはやはり、私の方から麻酔で眠らせて下さいと言った訳ではないにせよ、病院に連れていった事で、結果、麻酔で寝かされ、最期に導いてしまったという罪悪感が消えません。
コメントを沢山いただき、本当に本当にありがとうございます。
いーたん頑張った、これでよかった、間違ってないよ、と皆さんが言って下さるのを読んで、どれだけ救われたか知れません。
本当はおひとかたずつ返信しないといけないのですが、この場でお礼にかえさせていただいてもよろしいでしょうか。大変申し訳ございませんm(_ _)m
いーたんちゃん、またカゴに入れました( ´ ω ` )
もうブログもこれにて終了と思うと寂しいですが、いーたんが繋いでくれたここで知り合えた方々とのご縁は大切にしていきたいです。本当にありがとうございましたm(_ _)m
2/21からモルヒネ開始するも最大量でも効果があまり出ず。もう検査はしないと決めていたものの、モルヒネも効かないショックと、あとはお腹の震えという新しい症状が出てきたこともあり、さらには往診の先生の勧めもありで(確定診断はつかないかもしれないが、おおよその悪い所がわかれば少しはそれに沿った対症療法ができるかもしれないからと)、レントゲンとエコーを撮りに結局は通院。
結果、複数のリンパの腫れが認められた。さらに前足に反射反応がないことから、首の神経に腫瘍がある可能性があるとの診断。ただMRIを撮らないとわからないとのことで、確定診断はつかず。
でもこの酷い痛みからしてガンにはまず間違いないだろうとのこと。その後は痛みを抑える治療に入った。痛み止めと鎮静剤を組み合わせて行ってみるとのこと。
いーたんは2階の検査室。私と母は1階の待合室。2階からはいーたんの大きな泣き声と吠え声が1時間近くも連続で聞こえてきてとてもきつい時間だった。
どれほどの痛みなのか、数種の痛み止めも効かず、最終的には麻酔薬を使って落ち着かせるしか手がなく、ほぼ寝かされた状態でいーたんは私達の元へ帰ってきた。麻酔は痛みを抑えるギリギリの量打ってあり、今後、薬が切れた後、調子が上がるか下がるかはいーたんの体力次第と言われ、薬が切れてまた痛み出す可能性もあれば、このまま起きることなく息を引き取る可能性もあると言われた。
とにかく連日のひどい痛みだったので、寝かされて帰ってきたいーたんを見ても、ホッとする以外の感情は私にも母にもその時はありませんでした。
でもその後、帰宅し、ずっと寝たままのいーたんを見ていると、麻酔薬が強すぎたんじゃないの?と言う疑問も湧いてきて、、、でもまたこの後、目覚めたとしてもきっと強い痛みの繰り返しだろう。ならばもうこのまま起きることなく息を引き取った方がいーたんにとっては楽だと思うと、私、母、兄の意見は一致。とにかく眠るいーたんを見守る他なく過ごした。
一夜明け、2/22の明け方、ずっと小さかった息が少しだけ大きくなり、目も少しだけ開いてきた。でも相変わらず意識はないような状態。それから5時間ほどは呼吸が大きくなったり小さくなったりを繰り返し、その後、ゆっくりと呼吸と心拍が止まっていった。
最期が家族に見守られる中だったこと、苦しまず安らかだったことは本当に救われるが、いーたんの最期の記憶が病院、それも私達と離れて検査室で1人、だったらと思うとそれが一番辛い。ちゃんと帰宅できたことが分かっていればまだ救われるんだけど、、、とずっと考えています。
あとはやはり、私の方から麻酔で眠らせて下さいと言った訳ではないにせよ、病院に連れていった事で、結果、麻酔で寝かされ、最期に導いてしまったという罪悪感が消えません。
コメントを沢山いただき、本当に本当にありがとうございます。
いーたん頑張った、これでよかった、間違ってないよ、と皆さんが言って下さるのを読んで、どれだけ救われたか知れません。
本当はおひとかたずつ返信しないといけないのですが、この場でお礼にかえさせていただいてもよろしいでしょうか。大変申し訳ございませんm(_ _)m
いーたんちゃん、またカゴに入れました( ´ ω ` )
もうブログもこれにて終了と思うと寂しいですが、いーたんが繋いでくれたここで知り合えた方々とのご縁は大切にしていきたいです。本当にありがとうございましたm(_ _)m