大正池から河童橋へと歩き、さらに梓川左岸を明神まで遡ります。明神館で食事を済ませた後に、吊り橋の明神橋を渡って明神池に向かいます。
明神橋
後方の山は明神岳です。明神橋は平成15年に架け替えられたものです。ここから井上 靖さんの小説「氷壁」の中で「徳沢小屋」として登場する「氷壁の宿 徳澤園」がある徳沢までは、まだ1時間はかかるようだ。ナナカマドの紅葉が美しい涸沢までは、徳沢からさらに4時間もかかるというから、一度はこの目で見たいという思いはあっても、とても叶いそうにもありません。


明神橋手前から見た梓川上流方向です。

明神橋の上から見た梓川上流方向です。

穂高神社奥宮の鳥居をくぐります。

鳥居の向こうに明神岳が見えます。

嘉門次小屋
穂高神社の鳥居をくぐり、少し進むと左手に嘉門次小屋が現れ、その向かいには上条嘉門次の碑があります。


上条嘉門次の碑
江戸時代、梓川流域の村人たちは松本藩の御用林伐採のため上高地に入り、梓川の水を利用して木材を松本まで搬出する仕事をしていた。明治になると、国有林の伐採が禁止となったが、役人の見回りや測量の際、上高地に住んでいて地形を熟知していた上条嘉門次が案内役を担っていたという。明治中期になって、政府が招いた外国人がスポーツとしての登山をするために上高地に来るようになった。明治26年(1893)イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンの登山案内をつとめ、3年後に出版された「日本アルプスの登山と探検」のなかで、抜群の案内人として紹介されると一躍有名となり、その後外国人登山者やその他の入山者から案内役に〝ご指名〟されていた。

穂高神社奥宮
明神池は、明神岳から崩落した砂礫によりせき止められて、できたといわれ、周囲を針葉樹に囲まれ、荘厳な雰囲気を漂わせています。穂高神社奥宮は、明神池のほとりにあり、祭神の一人、穂高見命 (ほたかみのみこと) が安曇族のために、それまで湖水だった安曇野を干して土地をつくったという。その言い伝えにより、10月8日の奥宮例大祭に平安朝を思わせる2艘のお舟 (竜頭鷁首 りゅうとうげきしゅ) を浮かべ、秋の明神池で厳かな神事が行われます。(上高地散策ガイド)
穗髙神社は日本アルプス総鎮守と崇められ、上高地明神の明神池の畔に奥宮が祀られています。本宮は安曇野の中心、安曇野市穂高にあり、嶺宮 (みねのみや) は、奥穂高岳頂上 (3,190m) に祀られています。

明神一之池
明神岳直下にたたずむ明神池は明神岳の伏流水を湛え、古くは「鏡池」とも称され一ノ池・二ノ池には趣を異としながらも幽玄な雰囲気を醸し神秘的な池として多くの人々が拝観されています。古くより穗髙大神が降臨されたと伝わる穂高岳。この地を「神降地」として信仰が深く奥宮には、山の恩恵と安全を祈られる「明神の祈り」として参拝者が絶えません。(案内より)









マガモのメスが泳いでいました。

こちらはアオサギです。



明神ニ之池に向かいます。


明神ニ之池




明神ニ之池から見た明神岳です。

明神池を出て、嘉門次小屋の前を左に入ったところにある「かふぇ・ど・こいしょ」で一服です。このカフェの窓越しに野鳥の飛び交う姿が見られましたが撮影はかないませんでした。

「かふぇ・ど・こいしょ」の建物です。

「かふぇ・ど・こいしょ」の店内です。


カフェを出て、梓川右岸を岳沢湿原へ向かいます。梓川右岸から見た明神橋です。


梓川右岸から見た梓川下流方向です。
明神橋
後方の山は明神岳です。明神橋は平成15年に架け替えられたものです。ここから井上 靖さんの小説「氷壁」の中で「徳沢小屋」として登場する「氷壁の宿 徳澤園」がある徳沢までは、まだ1時間はかかるようだ。ナナカマドの紅葉が美しい涸沢までは、徳沢からさらに4時間もかかるというから、一度はこの目で見たいという思いはあっても、とても叶いそうにもありません。


明神橋手前から見た梓川上流方向です。

明神橋の上から見た梓川上流方向です。

穂高神社奥宮の鳥居をくぐります。

鳥居の向こうに明神岳が見えます。

嘉門次小屋
穂高神社の鳥居をくぐり、少し進むと左手に嘉門次小屋が現れ、その向かいには上条嘉門次の碑があります。


上条嘉門次の碑
江戸時代、梓川流域の村人たちは松本藩の御用林伐採のため上高地に入り、梓川の水を利用して木材を松本まで搬出する仕事をしていた。明治になると、国有林の伐採が禁止となったが、役人の見回りや測量の際、上高地に住んでいて地形を熟知していた上条嘉門次が案内役を担っていたという。明治中期になって、政府が招いた外国人がスポーツとしての登山をするために上高地に来るようになった。明治26年(1893)イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンの登山案内をつとめ、3年後に出版された「日本アルプスの登山と探検」のなかで、抜群の案内人として紹介されると一躍有名となり、その後外国人登山者やその他の入山者から案内役に〝ご指名〟されていた。

穂高神社奥宮
明神池は、明神岳から崩落した砂礫によりせき止められて、できたといわれ、周囲を針葉樹に囲まれ、荘厳な雰囲気を漂わせています。穂高神社奥宮は、明神池のほとりにあり、祭神の一人、穂高見命 (ほたかみのみこと) が安曇族のために、それまで湖水だった安曇野を干して土地をつくったという。その言い伝えにより、10月8日の奥宮例大祭に平安朝を思わせる2艘のお舟 (竜頭鷁首 りゅうとうげきしゅ) を浮かべ、秋の明神池で厳かな神事が行われます。(上高地散策ガイド)
穗髙神社は日本アルプス総鎮守と崇められ、上高地明神の明神池の畔に奥宮が祀られています。本宮は安曇野の中心、安曇野市穂高にあり、嶺宮 (みねのみや) は、奥穂高岳頂上 (3,190m) に祀られています。

明神一之池
明神岳直下にたたずむ明神池は明神岳の伏流水を湛え、古くは「鏡池」とも称され一ノ池・二ノ池には趣を異としながらも幽玄な雰囲気を醸し神秘的な池として多くの人々が拝観されています。古くより穗髙大神が降臨されたと伝わる穂高岳。この地を「神降地」として信仰が深く奥宮には、山の恩恵と安全を祈られる「明神の祈り」として参拝者が絶えません。(案内より)









マガモのメスが泳いでいました。

こちらはアオサギです。



明神ニ之池に向かいます。


明神ニ之池




明神ニ之池から見た明神岳です。

明神池を出て、嘉門次小屋の前を左に入ったところにある「かふぇ・ど・こいしょ」で一服です。このカフェの窓越しに野鳥の飛び交う姿が見られましたが撮影はかないませんでした。

「かふぇ・ど・こいしょ」の建物です。

「かふぇ・ど・こいしょ」の店内です。


カフェを出て、梓川右岸を岳沢湿原へ向かいます。梓川右岸から見た明神橋です。


梓川右岸から見た梓川下流方向です。

上高地は江戸時代から松本藩の御用林伐採として利用されてきた奧地なのですか・・当時は大変だったことでしょう。
明治時代以降は、日本アルプスの名峰の登山の入り口となったのですが・・。
そして、この中に、穂高神社奥宮が鎮座しているのですか。
深山らしい風景が展開し、上高地はやはり美しい場所です。この中に、野鳥が・・という記述があり、とても気になりました。
ここに行ってみたくなりましたが、今回の御ブログを拝見すると、それなりの準備も必要なようです。
上高地は今でこそ気軽に入れるところですが、
当時は徳本峠を越えて入るしかなかったようですから、ここに至るまでの苦労がしのばれますね。
穂高神社の本宮は穂高町にありますが、奥宮は明神池のほとりにあります。
野鳥の姿も目に入り、鳴き声もしきりに聞こえるのですが、樹木が多いので撮影は容易ではなさそうです。
上高地へはハイキングの服装や装備で入れますので、さして準備は必要でないように思います。
もっとも、これからの季節は防寒着を持っていった方が良さそうですけれどね。
おはようございます。
明神池から穂高神社奥宮辺りまで来れば、人も少なくなるのかと思いきやそうでもないようですね。この辺りまで足を延ばされる方もたくさんおられるのですね。
もう朝晩は寒いくらいでしょうね。
河童橋ほどではないですが、ここまで足を延ばされる人はもかなり多いですね。
ほとんどの人が、明神までは行ってみようという気になるようです。
それだけ人を惹きつける神秘性のある池だということなのでしょうね。
平地でも朝晩は多少の涼しさを感じるようになりましたから、
このあたりの冷え込みは相当なものだろうと思いますね。
初めてかも知りません。
静まり返っていてずいぶん神秘的な雰囲気がありますね。
冬景色はさらに幽玄な感じがしそうです。
カフェの命名、小技が効いていますね♪
室内の雰囲気も良いですね。
トレビヤ~ン(^^♪
明神池は懐かしい場所です。
私が行った時は雨が降り出してしまいましたので一ノ池迄で二ノ池まで足を伸ばせませんでした。
「神秘的」と言う言葉が良く似合った池なのですね。
でも見逃す筈は無い嘉門次小屋が記憶から飛んでしまっているのはどうしたことでしょうか。
そしてイケリンさんが徳沢と記された事で思い出しました。私がウドンを食べたのは其処でした。
洒落たカフェも素敵です。
イケリンさんが行く場所には必ず水鳥が待っている様ですね。
明神池もまた、上高地を代表する観光スポツトです。
高い山に囲まれ、池面が波一つなく静まり返っているのに加えて
透明感のある水が神秘的な雰囲気を醸し出しています。
皆さん一言も発することなく眺めておられますので、人が多くても静寂を感じることができます。
冬場は、釜トンネルを歩いて抜けて、さらにここまで歩いてくるしか手段がありません。
たどり着いたものだけが目にできる光景ですね。冬景色は間違いなく幽玄の世界でしょうね。
大正池からだと、かなりの距離がありますね。
このところ長い距離を歩くと脹脛が攣って歩けないぐらい痛くなります。
それを防ぐために、前もってコムレケアという薬を服薬して臨みました。
途中休憩もよくとったので、なんとか完歩することができました。
ここからの帰りも、人の倍近くの時間をかけてゆっくりと下りて来ました。(/ _ ; )
穂高から下りてくる人のほとんどが、徳沢が最初の目的地になるようですね。
嘉門次小屋が記憶から飛んでいましたか・・・。たかさんにしては珍しいことですね。