ガラルダ神父さま 土曜入門講座・聖書研究会 カトリック麹町 聖イグナチオ教会  †St.Ignatius Church†

キリスト教への理解を深め イエスさまの愛と救いを学ぶ 聖書のわかりやすい箇所を読み生きる愛するという意味を考えます

†2008年9月6日の講義録†

2008年09月06日 | 講義録
★エレミア20章7~9章:エレミアの告白★
★マタイ16章21~27章:イエス、死と復活を予告する★
イエスに従って、厳しい道を歩む。
永遠の命とは、次の4つに当てはまる。

①神と仲良く生きる
②人間と仲良く生きる
③自然と仲良く生きる
④自分と仲良く生きる

惑わすとは、引き連れられて、神さまが呼んで下さる、誘ってって下さる
→そして実を任せる。神のグラチアが心の中に入って、愛を感じさせて下さる。

★マタイ10章7~13章:イエス、死と復活を予告する★

お金に頼らない、何も持たない、良い心を信じる
平和を作るために、人を癒すために、というとっても綺麗な使命感。
そして悪を追い出す。
現代人は飽きっぽい、簡単に飽きる、友達、配偶者などもすぐ捨ててしまう。
人間に対しても、めんどくさくなったら、直ぐ別れるが、それではいけない。
便利でない人は無視する傾向があるが、我慢して、仲良く生きるようにする。
その人の良い所を、痛みを感じるまで愛する。
冷たい態度はダメ、この人を失ったら全てを失う気持ち。

★マタイ5章20~26章:イエス、死と復活を予告する★

義人とは人間の前でも神さまの前でも正しい人。
隣人とは近くにいて利益になる人ではない。
隣人とはあなたを必要としている人のこと。
愛の反対の言葉は憎しみよりも無視することと言える。
人の目に見える、見られて褒められる為に、良い行いをするのは、神さまは喜ばない。
右の手のすることを、左の手に教えない。
パリサイ派の人たちは、見られる為に、良い行いをしていたが、私たちもその傾向がある。パリサイ派の人と謙虚な徴税人のたとえ。パリサイ派の人は人を裁いた。
心の綺麗な人は人を見下したり、人を裁いたりしない。
神を知らない人は、愚か者。人を殺すには武器はいらない、口の暴力で人を傷つけるのは、決してしてはいけない。
神さまは人間関係から逃避する道具ではない→神さまは逃げ所ではない。
人と喧嘩になった時には、相手の立場で考える。場合によっては、離れた方が良い場合もある

神さまは、次の3つを望んでいる。
①復讐を望まない
②その人の不幸を望まない
③その人の本当の幸せを祈る

「休講の予定」
9月13日
11月1日
12月27日

入門式
11月8日に変更