私の祖先や父方の祖父との在り様は、前回までの記事で申しあげました。今回からは掲載写真にまつわるお話といたします。御覧下さい、利かん気の、冒険好きな童に見えませんか?この写真を眺めるたびに、私には悲しくも腹立だしい思い出が走馬灯のように浮かんで来るのです。、、、、、
福島県浜通りのO村の農家の離れに、前年の2女出産と夭折、胸を病み悪化して床に臥す生母の姿がありました。小学校入学の晴れ姿を最も待ち望んだその生母は、3月29日心ならずも、遠い遠いあの世へ旅立ちました。
母の無念の思いは、7歳の私とて同じでした。悔しさ、悲しさ、腹立だしさは頂点に達し、私の怒りは、父の職場での、貨物長大列車を双手を挙げて停めた事件へ発展します。
7歳の私4歳の妹は別々に親戚へ預けられ一家離散、やがて父は再婚後K駅転勤し兄妹は引き取られ継母との新所帯になります。ですが馴染めず、父愛用の松の盆栽へ立小便を重ねて枯らしました。7歳の抵抗なのでした。
このK駅から隣接のT駅へ私は列車通学しますが、家族パス用に写されたのが御覧の写真なのでした。めっきり涙脆くなりました。遥かな遠い思い出なのに、この記事をを書いていても目頭がうるむのでした。