私の歴史

私は森羅万象、波乱万丈の一生を送っています。これからもそれを繋いで行く事でしょう。

地域社会51~三陸海岸三日間のドライブ2

2009-10-30 09:40:07 | モグログ

▲ 泊崎半島のドライブ ▼ 田束山kら午後一時30分下り、ほぼ五割方田植えの済んだ田園風景を車窓から眺めつづ、国道45号を経て、海側の町道を「泊崎半島」を進行し、「魚龍館」と「唐船御番所」の見学をカット、岬に近い「泊崎荘」付近から展望して反転した。付近は、以前戦友会を開催して地理には詳しいのだった。「志津川町」中心を過ぎた左手の「ホテル観洋」に着く。!!!!!

▲ ホテル観洋 ▼ チックインに早いので、喫茶室でアイスコーヒーを飲む。やがて四階1401号室へ、3階大浴場で汗を流す。お銚子2本、ビール一本で夕飯はお仕舞い。翌日は快晴、窓から、海苔やわかめ養殖筏を浮かべた志津川湾と部屋のベランダの手摺りに羽根を休め憩うかもめの姿があった。朝食後精算して帰路に就いた。途中「津山町」の「モクモクランド」に寄る積りが、車のスピードに勢いが付き過ぎて見逃してしまう。自宅には十時半頃到着した。総走行距離395キロのドライブを終えた。お寺のツアー仲間関さんから、菩提寺の運隆和尚が八十才で逝去された由を知り御冥福を祈る。!!!!では又ね 


地域社会50~三陸海岸三日間のドライブ

2009-10-29 15:42:30 | モグログ

▲ 大島休暇村の印象 ▼ 当地の休暇村は私には初の利用だった。敷地は広く、スポーツ施設も多い。三階建だが設備が良い。海産物主体の「百花膳」なる食事も割かし豪華で旨い。翌14日8時出立し、「亀山リフト」に乗り、展望台から好天の気仙沼湾など眺望を楽しむ。!!!!!

▲ 小田の浜・龍舞崎・浦の浜▼ 亀山から時計周りで大島を一周した。小田の浜の「海中公園」見学へ来たが、営業時間には早過ぎた。カットして次へ。音楽の奏でるトイレで小用を済ます。ナント有料ナノダ。コイン50円を箱へ。岬の先端へ15分。白い無尽の灯台から先は、見渡す限り茫洋たる、、、パノラマ、、、太平洋であり、見飽きることは無い。当然シャターのお出ましであった。フイリー待ちで「浦の浜」へ。「芽かぶ」を300円でもとめた。酒の肴に乙なものである。フイリー下船後R45号を走り、名勝「岩井崎」に至る。給油してから、先端の「潮吹岩」で高く吹き上がる様が、果てしなく青い太平洋をバックの景観が素晴らしい!!!!「フカヒレラーメン」の旨いこと。旅も堪えられないのだった。!!!!

▲ 田束山(たつかねやま) ▼ 歌津町のR45号から「伊里前川」に添うて西進すると、田束山頂上(標高512メートル)に至る。山躑躅満開なら絶景だが、南三陸の海と山並みの織り成す絶景も捨て難い。山躑躅の開花は10日早かった。残念????では次回へ    


地域社会49~三陸海岸三日間のドライブ

2009-10-28 11:12:27 | モグログ

▲ 北上丘陵を往く ▼ 私の少年時代を過ごした村を訪れ、併せて三陸海岸の探勝を兼ねて、妻を誘い平成8年5月13日家を出た。泉IC~東北高速~一関ICを目指した。国道45号を東へ、ほぼ中間地点の千厩町清田(旧小梨村)に至る。右手の鉄道官舎跡へ行くと、2階建ての大きな小学校舎に驚く。以前はトンネル脇の小さな分校だったからである。周辺の里山を庭として餓鬼大将の私が君臨したのだった。????

▲ 高田松原 ▼ マイカーは、「室根山」の裾を巡り、気仙沼市を通過し、「安波トンネル」を抜け、陸前高田市に入り、右手に2キロメートルに及ぶ白砂青松の「高田松原」である。名物の鰻丼を「ふじ」店で食べた。旨い!!!!

▲乱暴谷・雷岩・穴通礒 ▼ 末崎半島の「乱暴谷」に至る。ゴウゴウと轟音鳴り響く「雷岩」や、北にある海蝕洞の「穴礒通」などの名勝に感嘆しつつ、R45号を気仙沼市へ戻り、出発寸前のフイリーに乗り込み、「大島・浦の浜」へ入港、近くの3階建て「大島休暇村」に入り205号に落ち着く。妻は土産に「フカヒレスープ」とサンマの燻製」を買い求めた。愛妻もなかなか通なのだった。

 


地域社会48~房総半島周遊ツアー3

2009-10-27 11:11:04 | モグログ

▲ 鴨川シーワールド▼ ここでは、五つの怪獣ショーが見ものであった。「シャチ」と「イルカ」のショウーを見た。水深6メートルを猛スピードで突進した体重2トンの「シャチ」がトレーナーを鼻先で持ち上げたり。上空のボールを尾で蹴ったり、又「イルカ」は、輪潜りや三回転捻りなど多彩な芸を披露して飽きさせなかった。午後5時、宿の「鴨川シーワールドホテル」の2階へ。部屋の窓越しに、怪獣ショーの施設と太平洋が望まれた。着替えて入浴し、地下一階の夕食兼宴会へ、銚子は2本、お膳の料理の味は最低????やけくそ気味の余興のみは、最後の宿とて最高に盛り上がったのである。””””

▲ 野島岬・館山フアミリーパーク ▼ 宿を出て「白浜町」に入ると、左側前方に灯台が見えた。「野島岬灯台」である。半島最南端に立つ八角柱の、高さ29メートルだが、車窓からの見物だった。浦賀水道を挟み遥かな地平線に浮かぶのは、三浦半島だった。突然奇声が上がる「富士山ダヨーー」。ガイド曰く「何回も通るのですが、見えたのは初めてヨ、お客さん達幸運ダハネー」「館山フアミリーパーク」へ入る。広大な植物園であり、無料のポピー20本を貰い、3本100円のマリーゴールドを摘み次へ出発。”””「浜金谷ドライブイン」で昼食休憩後出発。高速を経て仙台市内では流れ解散となった。私は最後の失態をやらかした。日誌代わりの紙鋏をバスヘ置き忘れ????翌日旅行社で受け取る。だからこの記事も書けた次第では又ね

 


地域社会47~房総半島周遊ツアー2

2009-10-26 10:50:35 | モグログ

▲ 鹿島神宮参拝 ▼ 二日目の3月4日宿を出発鹿島神宮へ、武士が出陣に際して「鹿島立ち」と言うのは、この神社の祭神が、武甕槌命(タケミカズチノミコト)であり、勝利を願うことに由来する。参拝を終えて、バスは、利根川に添うR124号を走り、太平洋に突き出た「犬吠岬」へ向う。沿線はご当地自慢のキャベツ畑が連なっていた。””””

▲ 犬吠岬 ▼ 利根川に架かる銚子大橋を越えると、茨城県から千葉県へ越えたことになるのだった。やがて、20メートル余の断崖の突端に、高さ31メートルのレンガ造りの灯台が屹立していた。この岬は関東の東端に位置している。40分見学して、地球の丸く見える丘 から続く、くねくね道路に沿う風に酔うと波と砂と光の作り出すハーモニーに酔い、「九十九里岬ドライブイン」で昼食となる。””””

▲ 安房小湊・誕生寺 ▼ 午後2時頃「安房小湊町」の「誕生寺」着。30分後に出発と予告され、慌しい駆け足観光となった。重厚な造りの仁王門を潜り、祖師堂、本堂に参拝した。この寺は日蓮宗の本山であり、日蓮は小湊に生まれ、幼少期を過ごした縁で誕生寺が創建されたと言う。稚児姿の上人像が入り口付近に建立されていた。では次回に


地域社会46~房総半島周遊ツアー

2009-10-25 10:34:54 | モグログ

▲ 結婚57年を記念して▼ 愛妻との結婚は、第二次世界大戦後の3月3日雛祭り当日に、どちらも二度目なので、ささやかな祝言で済ませた。以来47年辛苦を共にして来た褒美にと、菩提寺の企画ツアーに便乗したのである。勿論50年なら金婚旅行となり、それはそれで張り切る用意があった。!!!!

▲ 成田山参拝 ▼ ツアーは定産バスで、平成8年3月3日朝、北仙台駅前出発、東北高速道を南下、三郷ジャンクション~首都高速~湾岸高速~関東高速~成田山新勝寺へ。真言宗智山派の大本山では、仁王門、三重の塔、大本堂、釈迦堂を巡拝した。「瓜と牛蒡のタマリ漬」を土産に求めて出発。利根川に臨む「潮来ホテル」へ。!!!!

▲ 潮来ホテル▼ このホテルは、「ハナショウブ」の有名な水郷地帯にあり、水郷巡りの「サッパ舟」の基地でもあった。宴会は参加者(信者)が舞踊、カラオケの芸達者多く飽きることは無かった。午後9時寝たが、夜半2時頃目覚め風呂に入る。どうも早起きの癖は、旅にも変わりは無いのだった。では~ゴミョウニチ


地域社会45~尾瀬ヶ原ツアー

2009-10-24 13:55:44 | モグログ

▲ 二世代仲良しツアー実行 ▼ 私夫婦に跡継ぎ夫婦が、同居生活を祝して「尾瀬ヶ原ツアーを計画した。平成七年秋の初め頃である。タビックス社のバスツアー申込み、スニーカーや雨具等用意し、妻は万歩計を買う気の使いようであった。10月七日仙台駅東口から、山形交通大型バスへ、総勢44名サアー出発進行~東北高速を南へ、日光・宇都宮道路~日光輪王寺・三仏堂を見学。~中禅寺湖を過ぎ「竜頭滝」でトイレ休憩~栃木・群馬の県境金精トンネル先で検問があった。????

▲ オウム心理教事件か??▼ 近くの「粟田村」で犯人のアジトと青酸カリが発見されたとの報道があり、その関係と推察されたが、一瞬ギヨットしたのである。「戸倉」でマイクロバスに乗り換え「鳩待峠」へ。一列縦隊となり一本道をひたすら歩く。1時間で山小屋へ。2階の男女別の部屋で、途中買い求めたコップ酒を婿殿と飲み交わす。妻は「ラッキョ」が同室の婦人達の好評を得た由、年配者の知恵は、山奥でも役に立つのだった。風呂は中止を言われた。翌朝は雨であった。?????

▲ 雨の尾瀬ヶ原 ▼ 霧が一面に覆うており腹が立つ。私は妻の足の悪いのを配慮して娘達に予告し、予定コースの半分を歩く。「草紅葉」の景観もアリマセンであった。雨具は裏まで濡れていた。甘酒を啜りながら皆の帰りを待つ。リーダーに話して我ら夫婦のみ峠へ出発したが、10分後追いつかれた。帰路のバスの籤引きで、妻は二等に当たり、カメラを貰った。ツアー最高の喜びとなった。では又ね


地域社会44~栗駒山回遊の旅

2009-10-23 09:31:34 | モグログ

▲ 厳美渓・栗駒山・須川温泉▼ 平成6年10月6日、妻と前夫の子正一君は、郷土で整備工場を経営しており、何かと私達夫婦を気に掛けていた。その正一夫婦が我が家を訪れた。彼の車彼の運転で旅に出る。ガイドは助手席の私、仙台・泉IC~東北高速道~一ノ関IC~国道342号~厳美渓で休憩し。栗駒山を目指す、この年の紅葉は10日程早い、「須川温泉」では山頂への登山口から「大日岩」を巡り、降りて蕎麦の昼食を取る。「須川湖」を見物し、国道398号から「寒湯・御番所跡」に至り休憩した。””””

▲ 中山平温泉・琢秀 ▼ 「御番所跡」~「花山湖」に至り、茶店で休憩し、店頭で掌大の「香茸」を見た。この茸は、正一夫婦と彼の町近く「川内村」での茸探索行の時、道傍の竹薮で発見し大喜びした事を思いだした。車は「池月」経由し、鳴子温泉の西方「中山平温泉」旅館「琢秀」に至り、旅装を解きナトリューム泉に入る。美人の湯だから女達は、4回も入った。十三品の膳で飲酒酩酊し休む。翌日付近の「熱帯植物園を観て、帰路に就くも、「鳴子峡」を探訪して帰宅した。自宅では、娘夫婦一家の群山からの引越し作業一段落もあり、寿司大皿二枚を取り寄せての会食となった。私達には有り難い親孝行の数日を頂いたのだった。では再見 

 

 

 


地域社会43~瀬波温泉ツアー

2009-10-22 11:28:08 | モグログ

▲娘二所帯夫婦の招待旅行▼ 私と愛妻の愛の結晶は、次女さち子、三女明子であるが、珍しく三女明子夫婦の二泊招待旅行に招かれた。先頭車(四輪駆動)は次女の長男秀幸が、後続車は三女夫君が運転し、計10名出発、山形自動車道を走り、山形市から南陽市経由~小国峠を越えて村上市~瀬波市場の食堂で昼食を済まし岩船港の、石川右岸で居並ぶ釣り人を眺めたら小雨振り出し宿「ホテルすずきケ池」7階へ、男女別に部屋で休憩。私の妻独りを残して、再度岩舟港へ繰り出し、防波堤で釣りを始めた。「鯵」が多く、一部「鯛」「めばる」を釣り、納竿して宿へ。和室での夕食は、料理が旨いのと、釣りの成果やカラオケで大層盛り上がった。!!!!

▲ 孫の自動車事故????▼ 翌8月17日好天だった。8時ホテルをチエックアウトし、坂を下りて左折するとき、孫秀幸の車は、直進車の左側ボデイに接触、凹ませた。彼の父親が話し合いを続け、二万円で手打ちした。流石保険会社マンだと感服!!!昨日の突堤に至り、釣りと水泳に興じ、午後1時納竿し、帰路につき、名勝「赤芝峡」で昼食、「蔵王エコーライン」経由で帰宅した。今現在招待主の三女夫婦は離婚したが、その子らは3人、成人後なるも、娘は健気にも働き始めた。頭に白い髪が乗る年になっても吾が輩には心配の種は尽きない????では又ね


地域社会42~湯殿山詣で

2009-10-21 09:50:38 | モグログ

▲ 先ず東根温泉から▼ 仙台市内中央通り不動尊の縁日に、菩提寺を同じくする婦人が居り、小松島の関ちよ子さんである。妻と故人の供養にと湯殿山参拝を思い立ち私の同意を求めた。「私に乗用車を運転せよ」との言外の意であり、承知した。関さんの夫君はビルマ戦線で戦死し、関さんは戦後の苦しい生活の中で、遺児を守り抜いた由。労災病院前バス停で、関さんを便乗させ関山トンネルを越えて東根温泉桜湯に投宿した。平成6年7月19日(火)晴天でうだる様に暑かった。アルカリ性の風呂も暑くて水は出しパナッシであった。””””

▲ 湯殿山参拝 ▼ 宿を出て月山湖畔で小憩。湯殿山に至り駐車場へ、奥の院へはマイカー禁止であり、片道100円の専用バスで参詣、裸足を強制された。神域だからだった。御神体は注連縄を掛けた巨大な岩であり、泉水が湯気を立てて流れていた。下る道路上に蛇を見つけた。帰路西川町の蕎麦店へ、山形名物「板蕎麦」を食べる。この関さんとは、後日鳴子温泉の湯治場「農民の家」に行き、湯治を共にした。

 娘一家仙台転勤同居始まる ▼ 私の跡取りで位牌持ちとなる娘一家は、私夫婦の信仰心の厚さに感じてか””””S保険郡山市から転居となり、一同6人顔を揃え、目出度い門出となる。新しいメンバーの参加による家族旅行「「瀬波温泉ツアー」「尾瀬ケ原二日間の旅」は次回へ。再見