「ちあきなおみの世界」の放送があり、哀調切々たる「矢切りの渡し」に胸を打たれた時、「おしどり夫婦」と目された叔父夫婦の受難悲劇へ連想が飛びました。 平成3年2月3日、江戸川区上一色町の叔父から「朝ジョキング中の妻が、小岩大橋阿元の千葉街道を横断中、18メートルも跳ね飛ばされ即死」の電話です。
私は妹を連れて特急やまびこで上京、叔母のお通夜と告別式に参加、子供の無い叔父を励まして一旦帰仙しました。
叔母の初七日にあたる2月8日早朝、叔父急死の電話に更に驚きました。5日マフラーを置き忘れた件で電話を交わしたその叔父がです。江戸川区上一色の無人の家に駆け付けました。留守番の姪の話から「8日午前2時煙草を吸う内に、妻の名前を呼びながら失神」せる由、救急車の搬送先は、奇しくも七日前に叔母が搬送された病院なのでした。
9日公会堂でお通夜、告別式挙行、寒い日でしたが、10日午後の葬儀を前にタキシーで「柴又帝釈天」へ「題経寺」を見学、「寅さん団子」を土産に求めました。
家を継ぐ跡継ぎも居らず、叔父叔母二人の遺骨は、南相馬市・原ノ町の実家の墓に埋葬されました。「泉龍寺」の四十九日法要にも参列しました。ともあれさち薄き末期の二人の生き様は、演歌「矢切の渡し」を聴くたびに連想され、又寅さん映画を見るごとに小岩の叔父叔母おしどり夫婦へと想いが及ぶのです。
私は妹を連れて特急やまびこで上京、叔母のお通夜と告別式に参加、子供の無い叔父を励まして一旦帰仙しました。
叔母の初七日にあたる2月8日早朝、叔父急死の電話に更に驚きました。5日マフラーを置き忘れた件で電話を交わしたその叔父がです。江戸川区上一色の無人の家に駆け付けました。留守番の姪の話から「8日午前2時煙草を吸う内に、妻の名前を呼びながら失神」せる由、救急車の搬送先は、奇しくも七日前に叔母が搬送された病院なのでした。
9日公会堂でお通夜、告別式挙行、寒い日でしたが、10日午後の葬儀を前にタキシーで「柴又帝釈天」へ「題経寺」を見学、「寅さん団子」を土産に求めました。
家を継ぐ跡継ぎも居らず、叔父叔母二人の遺骨は、南相馬市・原ノ町の実家の墓に埋葬されました。「泉龍寺」の四十九日法要にも参列しました。ともあれさち薄き末期の二人の生き様は、演歌「矢切の渡し」を聴くたびに連想され、又寅さん映画を見るごとに小岩の叔父叔母おしどり夫婦へと想いが及ぶのです。